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不毛シリーズ

燃え尽きた瑠璃に口付けを

作者: 衛眞

地面に倒れ伏したまま動かない男をぼんやりと見下ろして、ふと女は何かが気になったようで傍らに腰を降ろした

血と泥で汚れてはいるもののその奥には隠しきれない美しいワインレッドが顔を覗かせていた

常ならば、汚れたものを好まない少女のような見目の女がこの男に手を伸ばすことなどなかっただろう

触れた髪の毛は汚れと傷みであまり心地の良いものではなかったのだが、しかし生来の良さが残っていたようで不思議といつまでも触っていたくなるような感覚に陥る

しばらく触っているともう動かないと思っていた男の体が僅かに揺れ、髪に埋もれて見えなかった金色の瞳と目が合った

宝石のようだと思えた

同時にケーキの装飾のようにも思えた

女にはそれで十分だった

言葉すら発することの叶わない男の、ゆうに3メートルは超えるであろう巨体が風に舞い上がられた羽のように浮かび上がり、女の機嫌の良さそうな鼻唄とともにその場から離れていった


「…何故、助けたのだ」


女に連れられてたどり着いた屋敷の一室で手当てを受けた男は、意識を取り戻し開口一番にそう問うた

しかし女はその問いには答えずに洗われて綺麗になった美しいワインレッドを愛でるばかりだ

答える気のない女に痺れを切らした男が、己の緋色を愛で続ける幼い子どものような手をつかむ

力を入れればすぐにでも折れてしまいそうな手に一瞬込めるそれを躊躇したが、引けば付け上がるだろうと思考を振り払い力強く握りしめる

しかし女は別段痛がる様子を見せずに男のつかんでいる手を見つめていた

そしてつい、と男の目を、深い金色をまるで愛でるようにじっと見つめた

酷く居心地が悪い

女が見つめている物は男ではなく、男に納まっている二対の金色である

視線は絡んでいるというのにまるで合わない目に己が人形にでも成り果てたかのような錯覚に陥った男は、女から静かに顔をそらした


「やっぱり綺麗

いいなあ、私、髪も目も黒だから緋い髪も金の目も羨ましいなあ」


無邪気に笑って眩しそうに目を細める女に、子どものような危うさを感じた男が少しだけ身構えるがそれは杞憂に終わった

女は何もしなかった

命令することも、傷付けることも

豪奢な額縁に嵌め込まれた絵画でも鑑賞するように、ただただ男のワインレッドと金色を愛でるばかりだ

そうして傷を癒していく内に、男の中の何かが絆されていく感覚が芽生えた

それはいつしか例えようのない衝動を持って女に手を伸ばす程にまで膨れ上がり、気付けば男は白い肌に映える黒を一房指に絡めていた

女が拒む様子は、今のところない

少しばかり傷んだ髪は指通りがあまり良くない

惜しいなと、素直に思えた

しばらく緩慢な動作で梳くように、整えるようにして触っていると女は心地良さそうに目を細め、くすぐったそうに喉を鳴らして笑った

初めて女と目が合ったように感じた


「…惜しいと、そう思った」


一人言にしては大きな音が、無意識とは言い難い深みを持ってこぼれ落ちていく


「手入れをすれば、もっと美しいだろう」


女はただ、微笑むばかりだ


「…お前が許すならば、俺にその髪を…」


言いかけて、はたと我に返り言葉は音にはならず喉から出ることを拒んだ

溢れそうになったその感情と言葉の意味がまるで理解できずにいる男が、困惑したまま硬直している姿を、女は先程よりも笑みを深めて機嫌が良さそうに見つめていた

言葉こそなかったものの、女の目には確かにその先をうながす含みのようなものが見え隠れしている

男は何度もそれを口に出すかを悩み、口ごもるものの、結局は抗えない何かに突き動かされて音に出した


「俺にその髪を、手入れさせてくれないか」


酷く子ども染みた願い事だと、いっそ自嘲してしまいたくなる程だと思った

とりとめのない、実にくだらぬ願い事に女は心底満足したように微笑んでから頷いた

絡んだ視線を断ち切ってくるりと背を向けた女の行動の意味を理解した男は、一纏りに結えられた髪を解いてそっと櫛で梳いた

絡まりあっている毛を一本ずつ丁寧に解き、傷んでいる部分は了承を得てから鋏で切り落としていく

シーツの上に散らばる女から切り離された黒髪は、それでもなお美しいように感じたことは言わないまま、男はただ黙々と髪を整える作業を続ける

指通りの良くなった黒髪に少しだけ満足した男だったが、どうしても髪質までは整えようがなくどこか不満そうにため息を溢して髪を結い直し始めた


「わあ、サラサラ

すごいね」

「…欲を言えば、もっと根本からどうにかしたいくらいだ」

「んー、じゃあ、どうにかしてくれる?」


再び結われた髪とともに身を翻した女は無邪気に微笑みながらも、どこか含みと色香を纏った引き寄せられる瞳を持って男に向き直った

その含みの意味を直感的に理解してしまった男は僅かばかりに迷った思考を早々に切り捨てて無意識に笑みを浮かべた、どうやらそれは女には満足のいく答えだったようだ

女はますます機嫌を良くしたのか鼻唄まじりに男の横に体を寄り添わせる

不思議と男女間における甘ったるい雰囲気にはならず、男はただ女の頭を、髪を柔らかく愛でるばかりだった

心地良さそうに身を預けて目を閉じる女はそのまま上機嫌な鼻唄を途切れさせ、いつの間にか穏やかな眠りについていた

しばらくの間緩慢な動作で髪を愛でていた男だったが、女が深い眠りについたことを察知すると起こさぬよう細心の注意をはらって手を引き戻す

そうして体を冷やさないように布団を被せてやると男は何事もなかったかのように女の隣に体を横たえて目を閉じた

人の気配がある中で眠りについたことなど幼少の頃より経験のなかった男だったが、ぬるま湯に浸ったような言い知れぬ居心地の悪さと例えようのない満ち足りた何かに、知らず籠められていた緊張感は霧散した


「どうしたの?

ぼーっとしてるなんて珍しいね」


そこで意識を引き戻された男は目の前で行儀よく座って昼食のサラダに乗せられた温泉卵をつついている女を視界に入れる、穴だらけの卵からは目に痛い程の鮮やかなオレンジ色が流れ出していた


「懐かしい記憶を思い出してな」


ふぅん、とどちらともつかない曖昧な言葉を返した女にさして気にした様子もなく緩く頷いた男は、先に和えておいたサラダを口に含んだ

瑞々しい葉物の水気と独特の苦味やドレッシングの味を楽しんでいた男は、ふと先程の記憶に思い出したそれに基づいて女を驚かせないように気を遣いながらも髪に触れた

傷みの少ない指通りのいい髪は触れ心地がよく、飽きない

長い時間をかけて少しずつ手塩にかけて整えてきた甲斐があったと誇れる程度には潤っている髪は、もはや元々傷んでいた事などおくびにも出さない


「やはり美しいな」


きょとりと目を見開いた女は、慣れない賛美の言葉への驚きと自己否定への不満感をない混ぜにした中途半端な感情を瞳に宿して頬を膨らませた

幼い子供には出来ない複雑な感情を披露して見せるというのに、行われる言動の数々は女の年齢をぐっと下げてみせる

器用とも不器用とも取れるそれに知らず笑みを浮かべた男に、他意はないと理解してはいるもののやはり面白くないのか女は不機嫌さを露わにする

本格的に臍を曲げかねない女を前にたいして気にした様子もなく男は苦笑して、それから彼女が意図的に避けていた赤色を口に放り込んだ


「まだ苦手なようだな」

「美味しくないもん」


赤い見た目にそぐわない青臭さを口内で噛み潰しながらも、甘酸っぱいそれに恋慕を連想するとこの無意味さを嘲笑った


「燃え尽きた瑠璃に口付けを」

(実らぬ想いのなんと心地良いことよ)

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