第54話 一泡
アムール号の甲板から後方を見やると、穏やかな海が広がっていた。かれこれ20時間以上も殺し合いが続いているとは思えない光景だ。
ただ一つ動きがあった点としては、『キルコ』海賊団と『レオング』海賊団の旗を掲げていた船が航路を外れたことだ。
残すは『アルデリック』海賊団の2船。ただその船団からのガルダ乗りの出撃は今のところなく、静かに後ろを追ってくるだけである。
「頃合だね」
キース団長の言葉に、ジャスミンは頷く。
ジャスミンは後ろを振り返り、ジャスミン班員のティータとノックに視線を送った。二人がこくりと首を縦に振ったのを確認し、前へと向き直る。
「こっちの準備を終わってる。いつでもいいぞ」
「そうか。じゃあ僕たちはそろそろ出るよ。ごめんね、恐らく君たちが最も危険な役回りだ」
キースは申し訳なさそうにそう答えたが、ジャスミンは呆れたように息を吐く。
「そんなもん戦況でどうとでも変わる。これで死ぬんならそれが運命だ」
続けて彼女は、「まあ私は死なねぇけどな」と、ニッと勝気な笑みを浮かべて返した。
アムール号が大きく進路を変えると、『アルデリック』の2つの海賊船はそのまま追ってきた。進路の先で待ち構えるのは、コンコルダと呼ばれる大海獣ひしめく死の海――通称『コンコルダの巣』だ。
当然そのまま突っ込んでしまえば、為すすべなくコンコルダによって海に沈められてしまうことだろう。さらに質が悪いことに、この海域は特殊な海流により、一度踏み込むと簡単には抜け出せない。けして近寄ってはいけない魔の領域なのだ。
そういった背景もあり、こちらに進路を変えれば、『アルデリック』は離脱するかとも思ったが、恐れをなすこともなく、真っ直ぐに追尾してくる。相応の覚悟を持っているのだろう。
「うー、緊張しますね。今のところ順調ですが」
隣でティータが体を強張らせている。無理もない。後ろからは追っ手、目の前には死の海。命の危機が自分を挟み撃ちしているのだ。
「もう引き返せぇねぇし。腹くくれ。一応ちゃんとやれば、たどり着く試算だろ?」
「それはそうですけど……」
そこへ、後方を見張っていたジーニール班のルトンが声を張った。
「来ました! ガルダおよそ20騎がこちらに向かってきます!」
「よし、サル! 速度落とせ! ティータとノックは配置につけ!」
ジャスミンが指示を出す。船乗りのルサがアムール号の速度を落とす。必然、『アルデリック』の海賊船と、そこから飛び立ったガルダ乗りが迫り来る。『コンコルダの巣』に入ってしまう前に、片付けてしまおうという算段だろう。
「ジーニール。サルたちを頼んだぞ」
「ああ、それは任せろ。お前たちが追いつくのを待ってるぞ」
握手のためか、ジーニールが手を差し出す。しかしジャスミンは、それをはたいて返した。
「そういうのは好きじゃねぇ。私の手を触りたいってことなら、後で合流したときにいくらでも触らせてやるよ」
「バカ。ガノン君に殺されるっての」
お互いにニッと笑い、ジーニールは踵を返す。まだ短い付き合いだが、幾多の死線を協力して潜り抜けた仲だ。ある種の友情と信頼が芽生えつつあった。
「ルトン、ザーハリド、イケルバ。ルサたちを連れて、脱出するぞ」
「はっ!」
ジーニールの指揮で、ジーニール班4名のガルダ乗りは、ルサたち船乗り4名それぞれと二人一組でガルダに乗りこみ、アムール号を飛び立つ。向かうは『サンミニスト』だ。
そしてこれにより、アムール号に残されたのは、ジャスミン、ティータ、ノックのたった三名だけとなった。ジャスミンは拳を硬く結ぶ。
「目にもの見せてやる」




