第42話 引き返せない一線
伯爵は続けた。
「お前らは殺す。人質の人生ももう終わりだ! できるだけえげつない奴のところへ売りとばして、もう死んだほうがマシだってくらいの人生を歩ませてやる! 全部お前らのせいだぞ! ああかわいそうに! お前らが素直にガルダを渡していればちゃんと返してやったのに!」
伯爵の周囲には、拘束されたウォルターの残りの仲間たちと、銃を構えた男たちが居並んでいる。館の玄関からもぞろぞろと、雇われたものたちだろうか、手練らしき者たちが次々と吐き出されてくる。
伯爵は不意に卑猥な笑みを浮かべ、きれいな衣装を着させられた隣の少女の肩を抱いた。ルナだ。
「ただぁーし、ルナちゃんは私が大切に育てるから安心しろぉ! まさかこんなにも可憐な少女があんな掃き溜めみたいなところにいるとは思わなかった! ガルダ以上の収穫だ! 世界は私に宝物を授けたのだ! たっは!」
もしそれが本当なら、ガノンはこの世界を否定しようと思う。世界が認めたというこの手のクズどもを片っ端から殺す。そうすれば多少はマシな世界になるだろう。
嫌がるルナをさらに抱き寄せ、ニヤニヤと笑っている。しかし未だ動きのないガノンたちを見て不満そうな顔をした。
「むう、なんの反応もなく張り合いがないなぁ。おい、もういい。そこのブスから何人か殺していけ」
伯爵の命令に、一人の男が動く。ウォルター団員の一人の少女に銃口が向けられる。
そのときだった。全身の毛が逆立つような、世にも奇妙な雄たけびを聞いた。
後ろだ。そこには満身創痍のはずのスイミーがいた。震える体を懸命に動かし、再び雄たけびを上げ、今度は単身で伯爵のもとへと一直線に飛んでいく。
そこからはあまりよく覚えていない。スイミーに続いてガノンとジャスミンも攻撃を仕掛け、ひたすらに刃を振るった。男たちから銃を奪い、それを撃ちまくった。目の前で次々と人が死んでいく。不思議なくらいに体は的確に動いた。相手の狙いが手に取るようにわかる。それに従ってもっとも効率のいい方法で殺戮を遂行する。切り裂き、撃ち抜き、えぐり、踏みつけ、殴り殺した。
一人残らず血ダルマにして最後にたどり着いたのは伯爵のもとだったが、彼はすでに死んでいた。スイミーのくちばしが真っ赤だった。何があったのかは明白だった。おそらく自分の命を顧みずに伯爵を攻撃し続けたのだろう、スイミーの体は他の男たちから受けた攻撃でさらに傷だらけであった。
最後に再び奇声をあげて、スイミーはその場に倒れた。すぐに処置を開始するガノンの傍ら、ジャスミンは、怯える仲間たちの拘束具を外していく。
しかし現実は残酷だった。腰が抜けた様子のサーヤにジャスミンが手をさし伸ばすと、サーヤはそれを拒否した。
「ごめん、ジャスミン。助けてくれて、ありがとう。でも、私、あなたが怖い……」
目の前で何のためらいもなく次々と人を殺していったジャスミンとガノンは、もはや彼女たちには別人として映っているだろう。サーヤだけでなく、他の仲間たちも同じだ。ガノンたちを見る瞳には恐怖しか映っていない。
あのとき優しい笑顔でビスケットを差し出してくれた手とは、もう違うのだ。もはやジャスミンの手は穢れてしまった。
もう、これまでの関係ではいられないことは、すぐにわかった。たった今、ガノンとジャスミン、そしてサーヤたちの間には明確な線が引かれたのだ。もう二度と消すことも乗り越えることもできない線が。
「そうか」
ジャスミンは体を起こし、顔を俯ける。「行け」
「……え?」
呆然とするサーヤに、ジャスミンは目をあわさずに続ける。
「あれだけの銃声があったんだ。すぐに人が集まってくる。その前に逃げろ」
「な、なんで逃げる必要が……」
「わかんねぇのかよ!」
苛立ったようにジャスミンは怒鳴り付ける。
「どんなにこっちが理不尽な目にあったって、悪者はいつも私たちのほうなんだ! 誰も味方になんかなってくれねぇ! 弱い私たちのほうを悪者にしたほうが楽だからな!」辺りの血溜まりに目をやって、ジャスミンは続けた。「おまけにこの惨状だ。私たちの一方的な殺戮だって決め付けられるに決まってる」
「じゃ、じゃあジャスミンたちも行こうよ……」
ルナの言葉に、ジャスミンは首を横に振った。
「私たちはまだやることがある」
「じゃあ、後で合流――」
「ルナ」
ルナの顔をジャスミンはまっすぐに見た。するとルナは瞬く間に青ざめる。
やはり怖いのだろう。血に塗れたジャスミンが。血に塗れても平然としているジャスミンたちが。
それでも一緒に逃げようと誘ってくれたのは、ルナの優しさだろう。ジャスミンはルナと一番仲がよかった。
「わかんだろ?」ジャスミンは、最後に優しく目を細めた。「ここでお別れだ」
ルナはぼろぼろと涙を流しながら、何かに心傷めるようにして目を背け、カルザイス邸を出て行った。他の仲間たちもそれに続く。




