第41話 最期の言葉
カルザイス邸はモルドーの境界を越えた都市側にある。とは言ってもその辺りはまだ緑も多く、家の立地もまばらだ。カルザイス邸はその中にある大きな邸宅だから、この辺りでは有名だった。
いよいよ本降りになってきた雨の中を切り裂くように突き進む。やがて見えた邸宅の前には大きな広場があった。ラッキーとナナはそこへ向けて滑空を始める。そのとき、
「クイナ⁉」
広場の真ん中で血を広げながらうずくまっているクイナと、スイミーの姿があった。その周囲には銃をもった男たちが取り囲んでいる。
ガノンは血が逆流するのを感じた。恐怖など微塵もない。もはやそんなものの概念を理解できない。自分を動かすのはひとえに怒り一つだった。
「死ね」
初めて人に向けて振るった刃は存外軽いものだった。刃と言っても、食肉を切るのに使う包丁のようなものだ。しかし人の命を散らすには十分な鋭さである。ナナは的確に地面に立つ男たちの横をすり抜けていく。それに合わせてガノンは包丁を構えるだけだ。
分が悪いと見たのか残った二人の男は邸宅の中へと逃げ込んで行った。それを無理に追いかけはせず、ガノンはうずくまるクイナのもとへと急ぐ。ジャスミンも同様だった。
「クイナ、しっかりしろ!」
「クイナさん!」
声をかけるとわずかに反応はあった。
だが、嫌に確信を持ててしまった。
もう、彼は長くないのだと。
「なんで、お前、一人でこんなとこ来てんだよ」
ジャスミンがクイナを抱きながら尋ねる。
恐らくウォルターのアジトが襲撃を受けたとき、クイナは不在だったのだろう。そしてジャスミンたちが帰ってくる少し前に、クイナは一人であの惨劇を目の当たりにした。その後、彼はここまで来てしまったのだ。
「よく、わかんね、ただ、早く、助けてやんなきゃ、って」
クイナはゆっくりと語る。ジャスミンはクイナの顔にかかる雨粒を自分の体で防いだ。そしてクイナの顔をしなやかな指でそっと拭っている。
「でも、だめだわ、さすがに、あの大人数は。スイミーは頑張ってたのに、俺が、弱かったせいで、負けちまった。リーダー、失格だよ」
弱々しい言葉だった。こんなにも弱ったクイナを見るのは初めてだった。いつだって彼の言葉は自信に満ちていたのに。
「んなことねぇよ。お前がいなかったらとっくの昔に死んでた奴がウォルターに何人いたと思ってんだ。私もガノンも、その一人だし」
ジャスミンの言葉に、クイナは弱々しく笑った。
「悪いけど、俺はもう、ここまでだ」
「クイナ」
「皆のこと、頼んでいいか?」
その切実な言葉に、ジャスミンは大きく頷く。
「ああ、皆は必ず助ける」
「悪ぃな」クイナは一言謝り、今度はガノンのほうを向いた。「それで、ガノン」
「はい」
ガノンは膝をついて、クイナの言葉に耳を傾ける。恐らくそれが最期の言葉なのだと思った。
「ジャスミンと、そして、スイミーを、頼む」
「……わかりました」
そのときガノンは、その約束を命を賭して守ろうと思った。
「ありがとう」
クイナは最後にふっと笑みを浮かべると、ゆっくりと目を閉じた。ジャスミンの腕の中で静かに息を引き取った。
血が滾る。目眩がしそうなほどの怒りに意識が飛びそうだった。
「おい貴様ら。よくもやってくれたな!」
カルザイス邸の二階テラスに、だらしない腹をした男がその胴間声とともに現れた。
今回の黒幕だ。
カルザイス伯爵。
悪い噂はよく聞くが、正直これまで興味がなかった。悪い大人もそうじゃない大人も、ガノンたちにとっては大差なかった。
しかしガノンは知ることになる。
この世界には殺すべき人間が存在していることを。




