第40話 鎖
ガルダは雨に濡れると速度も飛行距離も少し落ちてしまう。なので普通は雨が降ってくればすぐに雨宿りするのだが、ガノンたちはもう帰還場所であるアジトのすぐ近くまで来ていた。そのまま急いで帰ってしまったほうが早いだろう。
果たしてアジトまでたどり着き、ガノンはナナの背から降りた。軽くナナの頭を撫でて「ありがとね」と言ってから、アジトの庇まで駆け込む。
「あれ、今日はうるせぇのがいねぇなぁ」
上着を脱いでバサバサと雨粒を落としていると、ジャスミンがそんなことを言った。
確かにいつもなら必ずいる見張りの少年がいない。名前はジニー。毎度毎度合言葉を求めてくる、かの少年だ。
「まあ別にいらねぇと思うけどな、見張りなんて」ジャスミンは特に気にした様子もなくそう続けて、上着を羽織なおす。「さっさと中入ろう」
「そうですね」
上着のポケットに手を突っ込み、中へと入っていくジャスミンに続く。薄暗い玄関を抜け、やがてリビングに到達したときにジャスミンが急に立ち止まった。
「え?」
どうかしました? というガノンの問いは、言葉にならなかった。
それを放つまでもなく、驚くべき光景が、そのリビングに横たわっていたからだ。
惨状だった。
今朝まで元気に笑っていたウォルターの仲間たちが血まみれで横たわっている。拾ってきたソファも、手作りの机も、中身がぶちまけられたお鍋も、なけなしのお金も、食料も医療品も、みんなで必死に考えたモルドーからの脱出について記された計画書も、全部、
「んだよ、これ……」
血の色一色で塗りつぶされていた。
あまりの事態にどうすればいいのか何もわからない。状況を把握しようにもその光景を直視することさえ精神的に困難を極めた。
「なにがあったんだよ……」
ジャスミンは服が血で汚れるのも厭わず、近くの血まみれの体を抱いて、その体をゆすった。しかし完全に命を落としているのは明白だった。
ジャスミンは諦めず、別の体に歩み寄り、脈を確かめていく。ガノンも我に戻ってそれに倣ったが、一人として生きている者はいなかった。二階にも上がったが、結果は同様だ。
全部で十二人。いずれも少年だ。その中にはジニーの遺体もあった。
そしてジニーの遺体の上に、一枚の便箋があるのを発見する。朦朧とし始めた意識の中で、ガノンはその便箋を手にとった。そこには書きなぐったような文字の羅列がある。それを読んでみると、
『お前たちの持つ白銀のガルダと真紅のガルダを連れてカルザイス邸に来い。夜明けまでにだ。さもなければ人質の命は無いぞ』
そういうことか――。
ガノンは静かにその経緯を悟った。
そしてその瞬間に、ガノンの中で何か大切なものが壊れていくのを感じた。それは手かせ足かせであり、しかし同時にガノンをある意味で守っていたものだった。彼を人間らしくあらしめるように繋ぎとめていた鎖であった。
ガノンは床に膝をついて呆然としているジャスミンに便箋を見せた。彼女のうつろな視線が、その内容を読んで、やがて大きく見開く。
「ラッキーとナナ。そうか……これをやった奴らは、それが目当てで……」
ガルダは希少価値の高い生物で、特に白銀や真紅などの特徴ある体色のガルダはさらに珍しい。ここを襲った者たちは、そのガルダを求めてここに来たのだ。
しかし、いくら珍しいとはいえ、ここまでするとは思わなかった。基本的にガルダはパートナーに対してしか懐かず、仮に無理やり奪い取ったとしてもほとんど利用価値はない。せいぜい観賞用に檻で囲っておくくらいしかできないだろう。
そんなことのために、奴らはジニーたちの命を奪った。
恐らく、この脅迫に説得力を与えるためだけに。
「赦さねぇ……」
ジャスミンはやおら立ち上がり、アジトの外へと向かった。玄関の隣にある倉庫がラッキーたちの寝床だ。その中まで入りジャスミンはラッキーの背に乗った。
カルザイス邸に行くつもりなのだろう。ガノンも続いてナナの背に乗る。しかしジャスミンはこちらを振り向き、
「ガノン、お前はついて来るな。ナナに乗ってできるだけ遠くまで逃げろ! いいな⁉」
そう言い残して飛び立っていく。雨の中をものともせずにラッキーはすさまじいスピードでカルザイス邸を目指す。
そのとき、ガノンは初めてジャスミンの命令に背いた。敵陣を目指すラッキーの後ろにぴたりとついていった。
ジャスミンはすぐに気づき、また怒鳴りつけてくる。
「来るなっつってんだろ! お前が来ても足手まといになるだけなんだよ!」
「いやです」
ガノンが答えると、ジャスミンはラッキーをナナの真横まで寄せて、自ら飛び乗ってきた。すかさずガノンの胸倉を掴み上げる。
「お前に人が殺せんのか⁉ 盗み一つビビッてできねぇくせにナイフを突き立てる覚悟があんのか⁉ ねぇんなら引き返せ! これから私がしようとしているのはそういうことなんだよ!」
「できますよ」
一言、ガノンが呟く。
しかしその一言で、ジャスミンは黙り込んでしまった。それを言うガノンの目が今までにない色をしていたからだ。
まるで感情をなくしたようなうつろな瞳。きっとガノンの中で、何かの箍が外れてしまっていたのだろう。
「今までそういったことができなかったのは、それを正当化できる理由がなかったからです」
ガノンはその空ろな眼差しをまっすぐにジャスミンに向けて語った。
「でも今回は違う。あんなことするやつは絶対に殺すべきだ。そう確信を持てる。だから今回はやれます」
「ガノン……」
あまりの変貌ぶりにジャスミンのほうが戸惑っているようだった。しかしこうしている時間も今はもったいない。ジャスミンはラッキーの背に座り直した。
「今回の悲劇を招いたのは私たちだ。残りの皆は全員助けるぞ。何があっても」
「はい」




