第19話 新たな刺客
「え、ちょっとガノン君⁉」
キースは戸惑った顔で腰を上げ、飛んでいくガノンを目で追っていた。ジャスミンはそんなキースに座り直すように促す。
「心配すんな、すぐに戻ってくる」
十分後、ガノンは人さらいを終えて帰ってきた。
ガノンの腕には、ロープでぐるぐる巻きにされたドリアーナが抱えられていた。グラナダ島に点在する数々の料理店の中で、ジャスミンにとって一番のお気に入りである料理店の店主だ。
「ちょっとぉ、いきなりなんなのよぉ!」
恐らく、いや間違いなく、ろくに説明もせずにガノンが力づくで連れてきたのだろう。ドリアーナは涙目で、拘束された体をうねらせている。
またそれを見てキースとユールも呆然としている。未だジャスミンとガノンの意図を量りかねているらしい。ジャスミンはキースたちのほうを向いて、ドリーを指差しつつ、
「紹介するよ、嫁のドリアーナだ。私が知る中で一番料理が上手い」
ナナの背から甲板に降り、ドリアーナを拘束していたロープを切ろうとしていたガノンの手が止まる。
「嫁……だと? いつの間に?」
瞬く間に殺気立つガノンを前に、ドリアーナは慌てて頭を振る。
「違うっつってんでしょ! つーかジャスミンあんた全然反省してないね! 永久出禁にしてやるから!」
「それは叶わない。なぜならドリーは今日からこの船の料理長だから」
「はぁ⁉」
ドリアーナの意思確認もせずに勝手にジャスミンは決めてしまう。亭主関白気分だ。
「なんであんたが決めんのよ! 私海賊なんてやりたくない!」
「こいつらは海賊じゃねぇよ、むしろそれを倒す側」
「そこじゃなくて、私は海の上が……おえぇ」
突然ドリアーナは甲板に膝を着き、口元を押さえた。もう船酔いしたらしい。難儀な体質だ。
「あー船に弱いのか、これから大変だな。まあ頑張れ」
ジャスミンのその言葉に、ドリアーナは鋭い目つきで睨んでくるが、もう言葉を発せられる状況ではないらしい。口元を押さえ、目だけで必死に抗議してくる。
見かねたキースが口を開いた。
「ジャスミンちゃん、無理強いはよくないよ。船酔いはとても辛いものだし」
そう言いつつ、キースはドリアーナの目の前で片膝ついた。自分の着ていた皮製の上着をドリアーナの背中にかけ、その上から背中をさすり始める。
「吐きたかったここで吐いていいですよ。少し落ち着いたら、僕が島まで送ります。すいません、ジャスミンちゃんたちがご無理をさせて」優しい声色でキースはそう続けた。
するとドリアーナは船酔いの苦しみも一瞬で忘れたかのように、キースの顔を目の前で一心に見つめ、小さく「……見つけた」と呟いた。
「ん?」
「苦節二十四年、店に来るのは荒くれの大男たちに、ガキんちょと、度を越えたシスコンだけ。子供の頃に夢見た出会いなんてもう一生訪れないと思ってた。でも、やっと見つけた」
ドリアーナは目を潤ませ、「……王子様」頬を赤らめてキースを見つめ続けている。キースは困った顔で「船酔いはもういいんですか?」と尋ねているが、もうドリアーナには聞こえていないらしい。
「あなた名前は?」
ドリアーナの質問に、キースは答える。
「キースです。とにかくよくなったんなら、今からグラナダ島へ送り届け――」
「いや、私はここで料理長やります」
「ええ⁉」
あっさりと手のひらを返したドリアーナにキースたちは唖然としている。ジャスミンだけは陽気にけらけらと笑っていた。
「これで一件落着だな。これからも頼むぜ、チョロリーナ」
「チョロリーナ言うな! てかあんたら二人のメシは作ってやんないからね!」
ドリアーナはジャスミンとガノンを指差しつつ言った。
「えーと、ドリアーナさん、ちゃんと仲良くしなきゃだめですよ?」
キースがそう口を挟むと、ドリアーナはあっさり機嫌をよくして「冗談だって! ちゃんと全員分作るから~」と言った。
またキースしか見えていないドリアーナには、新たなる刺客の登場に密かに戦慄しているユールの視線に気づいていなかった。
その視線が、ドリアーナの大きな胸に注がれていることにも。
「いや、あんなの戦いでは邪魔になるだけだし、肩も凝るし、いいことなんて何もない。…………何もないんだ」
そう自分に言い聞かせるように呟きつつも、ユールの眼差しは羨望に満ちていた。