黒猫との出会いと別れ
妻が病死して5年
俺は退職し、引きこもり、
怠惰にゲームをする生活を送っていた。
退職金と妻が残した保険金、それから貯金。
もともと身体の弱い妻は自分が死んだ後
俺が生活に困らないようにとある程度の金額は残しておいてくれた。
大好きだった妻のいない生活
大好きだった妻の料理のない生活
大好きだった2人の時間
それだけを思い出して虚しさだけが
部屋に溜まっていく。
死にたいと思っても
人間とはなかなか死ねないもので
妻に会いたいと願うばかりで
俺は生きることも死ぬことも諦めていた。
ある日、いつものようにゴミをだし
コンビニへ向かう途中の花屋で
妻の好きな花を見つけた。
もう、春だったのかと。
カレンダーを見て
5年も経ったのかと。
また虚しさだけが俺を包んでいた。
花を買って
俺は彼女の墓に向かうことにした。
『このお花きれいですよね。アザレアって言うんですよ。花言葉はあなたに愛されて幸せって送るにも貰うにも素敵なんですよね』
なんの花を持っていくか迷い
白い花を見ながら
ぼーっと突っ立っていた俺に花屋の店員さんは説明をしてくれた。
『妻が好きだった花なんです。これいただけますか?』
花言葉なんて知らなかった。
でも、彼女がずっと
"私が死んだらアザレアの花を供えてほしい"
そんなこと言ってたのは
これが理由だったのか。
『ありがとうございました』
花屋の店員さんに挨拶をして
歩みを進める。
5年ぶりだから怒っているだろうか。
いつもみたいに拗ねているだろうか。
いつもみたいに笑って許してくれるだろうか
一人ぼっちで寂しかっただろう。
昔から独りをずっと恐がっていた
騙されたり
裏切られたり
いじめを受けて
人を信用できずに
彼女はあまり人が好きでなくなり
1人で行動していた。
本当は誰かとともにいたかったはずなのに
俺たちが付き合い始めたのは
知り合って6年も経ってからだ
最初は心を開いてくれず
ただ俺に従うような感じで
でも、付き合うようになって少しずつ
自分の意見を言うようになった。
病気のことは悪化するまで
教えてはくれなかったが
"そばにいて欲しい"
それだけを望むようになった。
最後には"そばにいてくれてありがとう"と
言い残して逝った。
そういえば
電車に乗るのも久しぶりだ。
海を見るのも、空を見るのも
青く澄み切った空は
なんだか虚しく見える。
駅の階段を降り、
桜並木の道をまっすぐ進む
黒猫が塀の上から金色の瞳で見つめている。
なぜかその視線は俺を責めているように感じた。
"どうして今まで来なかったのか"
そう言われている気がした。
彼女の死を
受け入れるのが怖くて
いないことを実感したくなくて
現実を見たくなくて
ずっと逃げ続けていた。
最後の時は鮮明に覚えている。
あの日も黒猫を見た。
俺が最後に泣いた日
5年も経ってしまったが
ようやく
彼女の墓の目の前に立つ。
『ごめん、一人にして。おれ受け入れられなくてつらくて、ゆいがこの花を供えてほしいって言った意味もさっき知ったよ。俺、ゆいに愛されて幸せだったよ。』
線香に火をつけ
アザレアの花を供える
そして
墓の前で立ち尽くす。
曇り空から雨が降ってくる。
『もう、俺 1人はつらいよ』
少し雑草を片付けてゴミ袋に詰める。
幾分か綺麗になっただろう墓に背を向ける
白い花弁はゆらりと揺れていた
雨の中ひとりでまた桜並木を歩く
さっきの黒猫が道路を歩いていた。
顔を上げれば赤信号で
大型のトラックが見え
黒猫は道路の真ん中に立ち止まった。
金色の瞳が俺を見つめて
俺は無意識に走っていた。
黒猫に手を伸ばし
ガタンという音を最後に意識を失った。
目を開ければ人が慌てて動いていた
黒猫は俺の手の中で鳴いていた。
目の前の血は俺のものか?猫のものか?
さーっと寒気がする。
血が流れていくのを感じた。
致死量の血が流れると寒いと感じるのは
本当だったみたいだ。
『これで会える…ゆい…』
俺は静かに目を閉じた。
声が、音が、遠くなっていく。
俺は死ぬそう悟った。
暗闇と静寂に包まれて
沈んでいく感覚
そして
光に手を伸ばした。