白の憂い
蛇足になるかもしれませんが……
カロリーナとアスワドの新婚生活の話になります。
本編ではあまり触れなかった恋愛を強めた話です。
以下、あらすじ。
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カロリーナが女王として即位して一年目。雪の国では長い冬が明け、春が訪れようとしていた。
春の訪れと新しい女王の誕生。雪の国の人々はやっと訪れた穏やかさに安堵の表情を見せていた。
明るく活気づく国とは裏腹にアスワドは己に巣くう黒い感情に困惑していた。
そして、カロリーナもまた、アスワドの態度にその表情を曇らせていた。
雪が溶けていく。
ぽたり、ぽたり。
雫を垂らして。
ぽたり、ぽたり。
眩い日の光を浴びて。
ぽたり。
雪が溶けた先に残るのは――
寒さに耐え、一つの芽を出した小さな緑だった。
「……もう芽が出ている」
雪が溶けかけた道を歩いている途中で、カロリーナは足元にある小さな春に気がついた。屈んで、寒さに耐えた緑に挨拶をする。
「あなたは偉いわね。寒かっただろうに」
小さな芽は、その大きさに似合わず瑞々しく生命力に溢れていた。太陽の光の元に顔を出せたことを誇らしげに、背伸びしているようだ。えっへんと澄ました芽にカロリーナは微笑みで、その勇姿を称える。
「カロリーナ様! どこにいるんですか!」
水気を含んだ足音を立てて、マーディが駆けてくる。カロリーナは慌てて手を広げた。
「止まって、マーディ!」
「え?」
マーディが走る格好のまま動きを止めた。それにホッと胸を撫で下ろして、カロリーナはマーディに近づいた。
「勇敢な春の使者に挨拶していたのよ」
走る格好を解いたマーディは、カロリーナの意味深な言葉に首を傾げた。カロリーナは、日を浴びてキラキラ光る緑の使者を指差す。
「あぁ……もう、芽吹く季節なのですね。それにしても、そのような格好で出歩かれて、風邪を引きますよ」
マーディの言葉にカロリーナは素直に謝る。それにマーディもそれ以上はくどくど言わずに、自分のマフラーをカロリーナに巻いた。あたたかい古ぼけたマフラーから、マーディの匂いがした。それに微笑み、マーディと共に歩き出した。
パキリと、溶けて氷になった雪を踏む音がする。その音を聞きながら、カロリーナは訪れつつある新緑の季節を感じていた。
「アスワドはもう旅立ったの?」
「えぇ、今朝早く。カロリーナ様の顔を見ると、行きたくなくなるから、寝ている間に行くと言っていましたよ」
「そう……」
アスワドは彼の母国である灼熱の国に行っている。新しい側室の輿入れと、今後の友好関係をどう築くか話し合ってくるそうだ。
それは前々から決まっていたことで、カロリーナがごねて、寂しいなどと言う隙間はなかった。
三ヶ月間。
アスワドがいない生活となる。
今朝、目覚めた時、一人だったことに酷く泣きそうになった。アスワドのぬくもりをかき集めたくて、シーツを握りしめた。そうすると、ますます寂しくなって、いてもたってもいられずに厚いコートのみを羽織って、外に出てきてしまったのだ。
ちょうどそんな時だった。
誇らしげな緑に出会ったのは。
緑に出会い、カロリーナは自分を恥じた。小さな芽は懸命に長い寒さに耐えたというのに、自分はたった半日も耐えられない。
「私ったら、ダメね……」
ポツリと出てしまった弱音にマーディの足が止まる。カロリーナは困ったように笑いながら、空を仰いだ。
「アスワドがいないだけで、七年前の子供になってしまうわ」
「カロリーナ様……」
もう雪は降っていない。あの頃に比べたら、幸福は手の中に全てあるというのに、彼がいないだけで、心の穴が蓋を開ける。これが、恋というものなのだろうか。
「カロリーナ様……」
マーディがカロリーナの心の空洞を埋めるように抱き締める。
「寂しくて当然ですよ。今までは寂しさを耐え抜いてきたのですから、思う存分、寂しがってください」
「ふふっ……なんだか、おかしいわ。寂しさ存分に感じるなんて」
マーディの抱き締める力がほんの少しだけ強まる。
「いいんです。とても普通で、当たり前のことなんですから」
「おかしな、マーディね」
マーディの方が子供のようだとカロリーナは感じていた。まるで、やっとぬくもりに出会えた子供のようだと。
マーディの背中を母のようにポンポンとあやしながら、しばらくの間、二人は抱き合っていた。
◇◇◇
「そうだ。今夜から、マーディと一緒に寝たいわ」
朝食が終わり、名案を思い付いたカロリーナは弾む声のまま、マーディに言う。マーディは目をしばたたかせ、はぁと間抜けな声を出した。
「マーディと一緒に寝られるなんて、夢のようだわ」
七年前の塔にあった簡素な狭いベッドを思い出して、カロリーナは心を躍らす。
決して幸福ばかりとは言えない塔での暮らしだったが、カロリーナは幸せな場面を切り取って宝物のように思い出していた。
マーディはそんなカロリーナの表情を見て、少し切なく、でもやはり嬉しい気持ちになる。
「えぇ、いいですよ。広いベッドになりましたからね。思う存分、手足を伸ばして眠りましょうね」
マーディの言葉に、カロリーナは首を大きく振った。
「くっついて眠るのよ。あの頃のように」
カロリーナは広すぎるベッドはいらない。ぎゅうぎゅうに狭くぬくもりが届くベッドがいい。体を丸めて寝れば、まるで母の胎で眠る赤子のようになれる。安心したい、眠るときも。これが夢ではないのだと実感したい。
カロリーナの言葉にマーディは深く頷いた。マーディとて、同じ気持ちだ。
「いいですよ。ぎゅーっとして、差上げます」
「ふふっ。お願いね」
カロリーナはまだ笑いが止まらず、頬を薔薇色にしたままお喋りを続ける。
「でも、あの頃よりもベッドがふかふかなのは、少しだけよかったと思うわ」
「そうですね。腰が痛くなりませんし」
「あら、腰が痛くなっていたの?」
マーディの告白に今度はカロリーナが瞬きを繰り返す。マーディはここぞとばかりに、にやりと笑った。
「カロリーナ様は寝相が悪いですからね。よく肘鉄を喰らいましたよ」
肘を大げさに動かすマーディにカロリーナの頬が羞恥で赤くなる。
「やだわ。早く言ってよ……」
「ふふっ。嘘ですよ」
「え?」
してやったりと笑うマーディにカロリーナの頬がみるみる膨れていく。
「もぉ! マーディったら!」
軽く肘鉄をするカロリーナを見つめ、マーディは愉快そうに大声で笑った。
決して幸せだけではなかった塔の生活。
でも、笑い話にできるまでになった。
七年という歳月もあるだろう。
しかし、再会して幸せだからこそ、笑って言えるのだと二人は感じていた。
女王としての仕事は目まぐるしく補佐官のディトルトにカロリーナは頼りっぱなしだ。ディトルトはあまり笑わないが的確で、何も知らないカロリーナに丁寧に教える。それを文句も言わずにやり遂げるディトルトにカロリーナは常日頃から感謝をしていた。
「ありがとう、ディトルト。あなたが居てくれるだけで心強いわ」
「……私はやるべきことをしているだけです」
冷たい言い方だが、ディトルトは照れる時、必ず眼鏡を直すくせがある。アスワドにこっそり教えてもらったのだ。
だから、眼鏡を直した彼を見つめ、カロリーナは微笑みながら感謝の言葉をまた述べた。
◇◇◇
夜、カロリーナはワクワクしてすっかり目が冴えてしまっていた。マーディと眠ることがこんなに嬉しいことだなんて自分でも驚いてしまう。
――アスワドに言ったら、少しは妬いてくれるかしら?
小さな悪戯心がカロリーナに芽生える。しかし、彼を思うとそんな出来心もすぐ鳴りを潜めてしまう。
――やっぱり、寂しいな……
アスワドはカロリーナが寝付くまで決して眠らない。そして、朝はカロリーナよりも早く起きる。じっと寝顔を見つめているときもあれば、仕事の時は支度をしている時もある。彼の寝顔をカロリーナはまだ一度も見たことがない。
それが、ほんの少しだけ悔しい。
そればかりではない。アスワドは騎士のままなのだ。王女と騎士から、妻と夫になったはずなのに、カロリーナに触れることすらない。今の関係は女王と騎士の方がしっくりときてしまう。
カロリーナがお願いして、やっと、おやすみなさいとおはようのキスをすることにはなったが、触れあいは一瞬。アスワドの黒い瞳に強い熱を感じるのに、それを口では伝えてくれない。雪のような淡い口づけ。
カロリーナとて子供ではない。夫婦が寝室で行うことなど、理解はできてきる。ハマムという女の園を経験した彼女は男女のいろはにも知識だけは詳しくなっていた。
――アスワドにとって、私は守るべき王女様のままなんだろうな……
騎士時代の彼は控えめでカロリーナに甘かった。でも、決して嫌がることはせずに砂糖菓子のような甘さを絶えずカロリーナに与えていた。
砂糖菓子ではなく、酒入りのチョコレートのような甘さも欲しい。それは欲張りなことだろうか。
手の中にある幸せを大事に育てず、もっともっとと欲しがってしまう。それが恥ずかしくもあり、止められない衝動でもあった。
「カロリーナ様? カロリーナ様?」
不意にマーディに呼び掛けられ、カロリーナは俯いていた顔を上げる。
「どうかしましたか? ドアをノックしても返事がなかったので、心配しました」
「ごめんなさい。少し、考え事をしていたの」
そう言うと、マーディはカロリーナの横に座る。膝を抱えて縮こまっていたカロリーナにぴったりと付き、カロリーナの頭を抱き寄せた。
コツンと二人の頭が優しくくっつく。
「どうしたのですか? アスワドのことですか?」
当てられてカロリーナの体がビクリと跳ねた。そして、小さく頷く。マーディはよしよしとカロリーナの頭を優しく撫でる。
「寂しくなっちゃいましたか?」
「……それもあるけど……アスワドは私のこと、本当に好きなのかしら……」
「は?」
マーディの手が止まる。その事を気にもせず、カロリーナは遠くにいる彼を想いながら瞳を揺らした。
「アスワドは私を一人の女性として見ていない気がするわ。守るべき相手として見てるの……」
カロリーナは気づかない。今、マーディが物凄く苛立った表情をしていることに。そんなことも気づかずに、カロリーナは不安を吐露していく。
「キスだってしてくれないし。好きとか、愛してるの言葉だって、アスワドから言われたのは一度きりだし……私はか弱い王女のままなのよ」
吐き出したら泣きそうになった。
強くなったはずなのに、マーディの側にいるとまた子供に戻ってしまう。ダメだな……と感じつつ、胸にある衝動を内に留めておけない。
「そうですか。アスワドが……」
ひくりと喉を鳴らし、マーディの表情が変わる。目にはハッキリとした怒気があった。しかし、やはり俯いていたカロリーナは気づかない。
「ねぇ、マーディ」
カロリーナが潤む瞳のまま、顔を上げる。マーディはすぐに表情を穏やかなものに変えて、カロリーナを見つめた。
「どうしたら、アスワドに好きになってもらえるかしら?」
「カロリーナ様……」
「今ある幸せで満足すればいいって、頭ではわかっているの。充分すぎるって。……でも、私はアスワドに愛されたい」
あぁ、恋とはやっかいなものだ。
あたたかいのに、苦しい。
自分が違う生き物になってしまうかのような恐ろしさもある。
やっかいで、愛しい。
離したくない。
それが、恋。
「大丈夫ですよ、カロリーナ様」
マーディがカロリーナの頭を優しく撫でる。
「アスワドはカロリーナ様を一番に思ってます。あなた様が全てと言っていいくらい」
マーディの言葉はちっとも実感がなかった。
「アスワドは騎士だったので、まだ少し照れがあるのでしょう。でも、安心してください」
マーディが満面の笑みになる。笑っているはずなのに、彼女の背後から燃えるような熱気を感じた。
「カロリーナ様を不安にさせるものは私が薙ぎ払いますからね」
マーディの迫力に負け、カロリーナはただただ頷いた。
あとがきでカロリーナがキレるほど、アスワドはへたれと書きましたが、ごめんなさい。先にキレたのはマーディでしたm(__)m