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侍女は曇天を睨み雪を憎む

 

 白いドラゴン。


 その存在はマーディにとって最も忌み嫌うものだった。


 二人の主を不幸に追いやった憎むべき相手だ。


 一人目の主。カロリーナの母、ローザを思い、空を仰ぐ。白いドラゴンの涙とされる雪を見るマーディの瞳は憎悪に満ちていた。




 マーディがこの雪の国に流れついたのは18才の頃だった。マーディはカロリーナが嫁いだ灼熱の大地の生まれだ。彼女は幸せな家族に囲まれ、平凡に生きてきたわけではない。両親の顔は知らない。気がついた時は傭兵だった師が、マーディに戦いのみを教える環境にいた。


 灼熱の国は狂王が支配し、殺戮を繰り返していた。傭兵としての仕事は余る程あった。目の前で倒れる敵と呼ばれる兵士を見てマーディは思った。


 生とはなんて軽いものなんだ。

 なんの信念もない者に簡単に奪われる。

 実にあっけない。



 仕事と言ってしまえばそれまでだが、マーディにとって人の生死はあまりに軽かった。それこそ、噛み締めた干し肉の方が大事なもののように思えた。



 ただ戦いに身を投じる日々をマーディは機械的に繰り返した。そんな日々が突如、終わる。師が死んだのだ。ただの平民に殺された。


 戦いの場で、剣を振るっていた師は後ろから槍を突き刺された。平民が頭数を合わせるために駆り出されたような軽装の男に殺された。男は人殺しは初めてだったのだろう。ひっと喉を鳴らし、槍を手から放した。師はぐらりと体を二、三度揺らして、頭から倒れた。


 戦いが終わり、その亡骸を見て思った。


 あっけない。実にあっけない。


 私もこんな風にあっけなく死ぬのだろうか。

 これでは、死ぬために生まれてきたようなものだ。


 マーディの瞳に絶望が宿る。

 気がつくと、マーディは駆け出していた。こんな無意味なものから逃げ出したかった。


 あてもなく放浪し気がついた時はマーディは雪の国にいた。


 路銀の少なくなったマーディは職を探したがこの国には職人しかおらず、マーディができそうな職はなかった。心もとないコインを握りしめて途方に暮れていたマーディの元にあくる日、吉報が入る。


 王宮で護衛を雇うというのだ。

 なんでも、王妃が初めての子供を身ごもったらしい。王妃を愛する王は、彼女の身に何かあってはと異常なまでに心配して護衛をつけると言い出したのだ。


 護衛ならばマーディにもできる仕事だ。

 腕は鈍っていない。道中で狩りもしてきた。用心棒として雇われたこともある。しばらく人を殺すことはしてないが、無意識になんの躊躇もなくこの手は動くだろう。マーディの手はそれだけの屍を作ってきたのだから。



 マーディは王宮を訪ねた。最初、マーディを見た王は怪訝そうな顔をした。女の身で何ができるというのだといった感想をもっていた。しかし、マーディが護衛の男を捩じ伏せる姿を見て、今度は王は強すぎる者はダメだと言い出した。


「ローザに何かあったら、大変ではないか! この者は簡単に人を殺すぞ」


 その言葉を聞いてマーディは心底、うんざりした。あまりに理不尽な言い分だ。この地を治める王はただの愚者だ。早々に立ち去ろう。そう思い、汚れた手を払った時だった。


「あなたって本当に強いのね!」


 少女のような声を出して、王妃がマーディに近づいた。


「ローザ、何を! 危険だ!」

「いいえ、陛下。この方は危険ではありません。きちんと、手を抜いてますわ」


 静まり返った場にそぐわないハツラツとした声にマーディは気が削がれた。


「あなたのお名前を聞かせてください」

「マーディ……です」


 そう言うと王妃は花のように笑った。


「これから宜しくお願いします。マーディ」


 頭を下げる王妃につられてマーディも頭を下げた。それを見て王妃は鈴のような声で笑った。


 こうして、マーディは王妃のお気に入りとなり、王宮での生活が始まった。



 王妃ローザは無邪気な人だった。子供のような所があり、よく転びそうになった。その度にマーディはハラハラして、王妃の側に駆け寄った。


「王妃殿下。足元にはお気をつけください。大切なお命が宿っているんですよ?」


 ため息まじりにマーディが言うと、王妃はムッとした表情になる。


「ローザよ!」

「は?」


 ローザはうんざりしながらマーディに言う。


「みんな王妃殿下、王妃殿下って呼ぶけど、私の名前はローザよ。せめてあなただけでもその名を呼んで」


 お願いと念を押されてマーディは目尻を下げて言った。


「分かりました。ローザ様」


 そう言うとローザはとても嬉しそうにぴょんと跳ねた。それを見て、マーディはまた「大切なお命が!」とやはり気が気でなかった。



 ローザとの日々はマーディにとって驚きの連続だった。


 異国から嫁いだローザは王の過剰な愛ゆえに行動を制限され、友達もおらず、退屈していたらしい。マーディを友のように慕い、無邪気に話しかけた。


「マーディ。機織りはしたことある?」


 ローザの唯一の趣味である機織りをマーディの前でしていた。


「いいえ」

「そうなの……では、教えてあげる!」


 マーディは断りたかったが、ローザに促されるまま機織機の前に座らせられる。こんな女らしいことマーディは今まで触れる機会がなかった。したいとも思わなかった。しかし……


「マーディと一緒に子供のためのおくるみを作りましょ。きっと、素敵なものができるわ」


 ローザが幸せそうに笑うのでマーディは素直に従った。


 雪で覆われたこの国は、それ自体が暗い牢壁となり、諸外国からの驚異はなかった。また、大国からの献金で国を動かしているような国なので、王家は大事にされた。飯の種として見てるだけで忠誠心などはなかったが。


 王に仇なす者もいない。護衛としては暇だったマーディはローザと機織りをする日々をゆったりと過ごした。



 そんな二人をよく思わない者がいた。王だ。王はローザを愛していた。ローザ以外は虫けらでどうでもよい存在とまで思っていた。だから、ローザのお気に入りのマーディには辛く当たった。


「ローザが気に入っているから側に置いてやっているのだ。卑しい身分をわきまえて行動するんだな」


 王は罵ることしかできない小者だ。マーディの武人としての力を恐れている。そして、マーディを罵ることでローザに嫌われるのを恐れている。だが、身を焦がす激情も抑えきれない。だから、ローザのいない所で度々、罵倒された。


 最初から王などマーディの眼中に入っていない。最初の護衛の試験で見限っていた。


 一匹のハエが飛んでいる。

 そんな冷めた心でマーディは王を見ていた。




 マーディには気にくわない王だったが、ローザは王の過剰な愛を全て受け取っていた。


「陛下はいつもお優しい。愛してます」

「ローザ、君だけだ私を分かってくれるのは」


 ローザはとても弱い人だったのだろう。寂しがり屋で誰かに依存せずにはいられない。異国の閉じた世界で家族も友もなく王しかいなければ、その王が彼女が欲するままに愛を与えたとしたら、それにすがりつく気持ちもわからなくはない。


 例えそれが、二人以外の感情を無視したことでも。


 雪で閉じられた箱庭の世界で二人だけが幸せそうに笑う。


 それは一つの完成された愛だろう。


 マーディには理解できなかったが、そういう愛もあるのだろう世界の裏側でその光景を見ていた。



 マーディが望むのはローザとの安寧な日々のみだ。マーディとてやっと手に入れた穏やかな日々だ。簡単には失くしたくない。それこそ、マーディの全てだとでも言いたげに、彼女はその生活に固執した。



 ローザのお腹が大きくなり、出産が近づいた頃、王は心配だからとローザをベッドに寝かせるように言う。退屈だわと文句を言うローザにマーディは絵本を買っていた。子供向けの話だ。難しい本は嫌いというローザのために用意したものだった。


「お腹の赤ちゃんに聞かせてあげてはどうですか?」

「まあ、素敵! そうね。そうしましょう」


 お腹をさすりながら、絵本を読むローザの顔はいつの間にか母の顔になっていた。


「早くあなたに会いたいわ。愛しい子」


 微笑むローザの見てはマーディも微笑んだ。


「幸せですか? ローザ様」


 そうマーディが尋ねると、ローザは花開くように笑う。


「もちろん! とても幸せだわ」





 思えば、この時がマーディにとって最も幸せな時間の一つだった。


 しかし、理不尽に……それは奪われた。



「な……なななななな……」


 生まれた子を見て王は思わず、その子を落としそうになった。慌ててマーディが抱いて事なきを得たが、危うく床に叩きつけられる所だった。


 マーディが王を強く睨む。しかし、王はマーディの殺気にも気づかず、頭をぐちゃぐちゃに乱していた。瞳孔は開き、寒い時期なのに汗が止まらない。錯乱した王を見て、マーディは唖然とした。


「嘘だ……ローザとの子が……そんな……嘘だ嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だあぁぁぁぁぁあ!!」


 王の絶叫が響き、出産でぐったりして眠っていたローザが目を開く。


「どうしたの?」

「ローザ様、陛下が……子供を見て……」


 マーディが慌てて近づいた。ローザはマーディが抱える子供を見てぼんやりと細めていた目を剥き出すほど広げた。


「なに、それ……」


 ローザが呟いた言葉が理解できずにマーディは叫ぶ。


「ローザ様が産んだ王女殿下です!」


 そう言うと、ローザは王と同じように意味不明な言葉を叫んだ。


「嘘よ! ドラゴンの娘なんて……!」


 辛うじて聞き取れた言葉はそれだけだった。錯乱状態の二人を見てマーディはわけが分からなかった。ただ、王女を見ると二人の精神が危うくなる。


 マーディは王女を抱えて逃げるように部屋を出た。



 部屋を出ると王女がか細い声で泣いた。お腹が空いたのだろうか。マーディは呆然としたまま王女の部屋でミルクを与える。


 おしめを変え、元気よくミルクを飲むと王女は満足したのかスヤスヤと眠りだす。

 それにマーディは目を細めた。可愛らしい王女だ。母のぬくもりも知らず母になったこともないが、王女の存在はマーディにとって愛らしくかけがえのないものだった。



 王女はカロリーナと名付けられた。ローザが女の子ならその名前がいいと言っていたからだ。


 そして、カロリーナが生まれてから何もかもが狂ってしまった。王もローザも錯乱しては塞ぎこみ、カロリーナに会わない。必然的にマーディがカロリーナを育てることとなった。


 その理由をマーディはミルクを取りに行った際にメイド長から聞くこととなる。丁度、メイド長とある侍女が話し込んでいた所を通りかかったのだ。


「はぁ……やっと生まれた子供がまさかドラゴンの娘なんて……」


「本当に。呪われているんだわ、やっぱりこの国の王家は。白いドラゴンの姫が存在を忘れるなと言っているのよ」


 白いドラゴンの姫……?


 マーディは詳しく聞こうと二人の側に寄る。


「今の話はなんなんだ?」


 そう言うと二人はあからさまに嫌な顔をした。


「おー、嫌だ。異国の人は野蛮ね。立ち聞きなんて」


 マーディはグッと堪えて話を聞き出す。侍女はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべてマーディに言った。


「あなたが育てているのは白いドラゴンの娘よ。誰にも愛されない忌み子なの。不幸を呼ぶ子よ。現にあの子のせいで陛下も王妃殿下もおかしくなられた。白いドラゴンの娘のせいで不幸になったのよ」


 吐き出される言葉に憤りを感じた。いや、そんな生易しいものではない。今すぐ首をへし折って、汚い言葉を言えないようにしたい。それほどの衝動。


 全身の血が沸騰するような激情を感じながら、マーディは足早にその場を去った。


 マーディはわざと足音を鳴らしながら歩いていた。



 何が、白いドラゴンの娘だ。

 何が、忌み子だ。

 何が、不幸を呼ぶだ。



 何が、何が、何が、何が―――――!



 すやすや眠るカロリーナを見つめマーディは涙した。


「カロリーナ様。あなたは、幸せになるために生まれてきたんですよ」


 不幸を呼ぶために生まれてきたのではない。

 あっけなく死ぬためでもない。


 人として、幸せになるために生きてきた。


 マーディはそう思いたかった。

 自分の為にも。

 そう思いたかった。




 マーディはローザを正気に戻そうとした。しかし、マーディがカロリーナの話をすればするほどローザは狂っていった。


「おかしいわ、マーディ。私の子供はどこにいったの?」


 もう膨らんでいないお腹をさすりながらローザはキョトンとしている。瞳に正気の色はない。


「ローザ様。もうお生まれになってますよ。ほら、顔立ちなんかローザ様にそっくりです」


 カロリーナを見せるとローザは本当に不思議そうにした。


「それ、なに? キモチワルイ」


 キモチワルイ、キモチワルイと繰り返すローザにマーディは諦めた。一歩後退り、頭を下げる。一礼したら、涙が溢れ零れた。


「ローザ様。私は幸せでした。あなた様に出会えて過ごした、穏やかな日々は宝物です。あなたの宝物は私が大切に育てます」


 そう言うと、マーディは部屋を出た。

 もう二度とこの部屋に来ることはないと思っていた。


 ドアノブに手をかけたその時だった。


「マーディ……」


 穏やかなローザの声にはっとして振り返った。


 そこには昔のように花開く笑顔のローザがいた。夢のような光景にマーディは言葉を失う。


「カロリーナをお願いね」


 にこりと笑ったローザの顔は愛しくお腹を撫でていた母の顔、そのものだった。


「ローザ……様……」


 マーディは歓喜して近づこうとした。すると、すっとローザの瞳が暗い何も写さない瞳になる。


「っ…………」


 たまらなくなって、マーディは丁寧に頭を下げ、部屋を出た。



 その後、すぐだった。


 ローザが部屋のバルコニーから身投げをしたのは。


 雪の中で赤い薔薇が咲いたような光景だった。




 ◇◇◇



 王はますます狂い正気を失う。

 嘆く王を一人の女が懸命に慰めた。


「おかわいそうに、陛下」


 彼女は王の新しい拠り所となるべく近づき、後に王妃となる。子供を産むことを怖がる王を王妃は何度も慰めた。


「白いドラゴンの娘なんて生まれませんよ。私が証明いたしますわ」


 王を籠絡(ろうらく)し、後にキャロラインが生まれた。普通の娘が生まれたことにより、王の精神は安定した。



 そして、マーディとカロリーナは暗い塔に幽閉の身となる。王家の恥だが、外にやるわけにもいかない。苦肉の策だったらしい。

 それはマーディにはどうでもよいことだった。

 マーディはローザが読み聞かせていた絵本を握りしめて、塔に引きこもった。



 カロリーナが旅に耐えられるようになったら、この国を出よう。その時までだ。


 そんな思いとは裏腹に、カロリーナは雪の国が好きだと言うようになる。


 こんな酷いものしかない場所をカロリーナは好きだという。


 カロリーナの言葉は、マーディが動くのを阻む。まるで雪に嵌まったようだ。逃げたいともがくのに、雪はどんどん積もる。足首を、ふくらはぎを、太ももを、雪が侵食して、その場所に留ませる。


 カロリーナの背後で白いドラゴンが泣きながらこちらを見ている気がする。幸せになれなかった彼女はカロリーナも同じ道に引きずりこもうもしているのではないだろうか。


 マーディが手を伸ばしても、雪が阻んで動けない。


 カロリーナを雪が閉じ込める。



「…………………………」



 気がつくと、空からは雪が降っていた。空は変わらずの灰色で白い結晶が音もなく降っている。マーディの頬に額に口に白い呪いがかかる。



 マーディは曇天を睨み付けた。

 マーディの体温で溶けかけた雪を払い、歩き出す。



 雪が憎かった。




 ◇◇◇



 年頃になるとカロリーナは自分の置かれた状況の異様さに気づくようになる。両親がいないことに気づいたカロリーナはその存在を尋ねた。マーディはカロリーナを抱きしめながら、繰り返し同じ事を言った。


「お母様はカロリーナ様をとっても愛しておりましたよ」


 カロリーナを宜しくと、言った一瞬だけ。あの瞬間だけ、ローザは正気に戻った。もしかしたら、マーディが見た白昼夢だったのかもしれない。けれど……


 誰よりもマーディが信じたかった。

 ローザはカロリーナを愛していたと。




 母が亡くなっていることを理解したカロリーナは今度は父親の存在を気にした。父なのに一緒に暮らせない。なぜかと、たびたびマーディに尋ねた。


 その度にマーディは胸を痛めた。

 本当のことなど言えない。


 困ったマーディははぐらかすように微笑むだけしかできなかった。何を言っても嘘になる。カロリーナには嘘を付きたくない。この国は嘘だらけだから。マーディは嘘だけは付きたくなかった。


 マーディの表情からカロリーナも悟ったらしい。いつの間にか王の話をしなくなった。


 再び穏やかな日常が戻ろうとしていた時だ。



 突如、王が塔を訪れた。

 マーディは気が気ではなかった。自分が言われたような暴言を言うのではないか。そんな事になったら、今まで大事に育ててきたマーディとカロリーナの穏やかな日々が壊れる。


 激しい動悸を感じながら、マーディは王とカロリーナを見つめた。


 しかし、意外にも王は懐かしそうにカロリーナを見つめた。そして穏やかな声で言った。


「大きくなったな」


 たった一言だったが、マーディには衝撃的な言葉だった。それだけ言うと王は早々に立ち去る。


 もしかしたら王はカロリーナを認めてくれるのではないか。そんな淡い期待は後日の呼び出しで砕け散った。



「アレに、絵本以外の書物など与えてないだろうな」


 王の言葉の意味が分からずマーディは「していません」と事実のみを伝えると王が暗い瞳で口を開いた。


「アレに知識を与えるな。下手な知識を得て、化け物になられたらたまったもんじゃないからな」


 マーディは怒りで震えた。殺気を隠せず問いかけた。


「なぜ……カロリーナ様にあのような優しい言葉をかけたのですか?」


 そう言うと、王は愚者を見下すような視線をマーディに送った。


「怨み事を言って化け物にでもなったらどうする気だ」


 そんな簡単なことも分からないかと、王は続けて言う。自分のやっていることが正しい判断だと言いたげな物言いだった。


 マーディは淡い期待などした自分を殴りたくなった。この王は何も変わってなどいない。白いドラゴンを恐れる小者のままだ。第一、カロリーナの名前すら呼んではないか。我を忘れるような怒りで全身が震えた。


 謁見室を出て塔へ戻る。


 カロリーナはお帰りなさいと言い無邪気な笑顔を見せた。それが眩しくて愛しくて、胸が締め付けられた。


「ただいま、戻りました」


 ここだけだ。

 ここだけにしか戻りたくない。


 マーディは塔の外を改めて身限った。



 塔の生活は穏やかだったが、カロリーナは時折、すべてを諦めたような顔をするようになっていた。ただ閉じ込められるだけの生活に価値を見出だせないのだろう。


 このままでは、ローザ様のように心の病気になってしまう……


 焦ったマーディはあれほど固く誓っていた”嘘をつかない”という戒めを解いてしまう。



 王に機織機を置くことを願い出たのだ。王はそんなものは必要ないと断ったが、マーディは食い下がった。


「織った布を王女殿下名義で寄付したらどうでしょう?」

「なに?」

「寄付をすれば、王女殿下は慈悲深い王女だと国民に知らしめることになるでしょう。王女殿下の名声に使えば宜しいかと」


 キャロラインを溺愛している王ならこの話に乗ると踏んだ。マーディの予想通り、王はその条件を飲んだ。


 機織など久々だったから、マーディは苦戦した。二人は夢中になってあぁでもないこうでもないと考えては機織りをした。


 することがあるということは、カロリーナの心を回復させた。元気に機織りをするカロリーナを見てマーディは心底、安堵した。


 なんとか形になった膝掛けを見つめカロリーナは笑顔でマーディに手渡した。そして、お願い事をするように手を組んで目を伏せた。


「これが役に立ちますように」

「えぇ、きっと役に立ちますよ」


 笑顔で答えたマーディだったが、次のカロリーナの言葉でそれがひきつることとなる。


「誰かが私がいるって気づくといいな……」


 ポツリと呟かれたささやかな願い。カロリーナの瞳は小さな期待があった。


 マーディは思い出す。条件を。そして、固まった笑顔のままで答えた。


「そうですね……」


 その時初めて、マーディはカロリーナに嘘をついた。




 王に膝掛けを渡したマーディはふらつく体を機械的に動かした。外に出ると雪が絶え間なく静かに降っていた。憎い白い結晶を見つめていると、不意に視界が歪む。海に落ちたような視界のぼやけ方だ。


「っ……」


 マーディから全身の力が抜ける。膝を折り、四つん這いになると、手の中の雪をかきむしった。それを投げつけ、またかきしむる。


「くっ……あぁ……」


 嗚咽を漏らしてはダメだ。塔で待っているカロリーナに聞かれてしまう。口元を必死で抑え、マーディは呻くように泣いた。



 許せなかった。嘘をついたことが。

 守りたかった。嘘だらけの世界から。


 だけど、自分も嘘の世界の住人となってしまった。


 それが悔しくて、悔しくて……


 涙が次から次へと溢れた。




 嘘をついたことにより、マーディの心は蝕まれていった。


 カロリーナが笑っていればなんでもいい。

 綺麗事など言ってられない。

 嘘でもなんでもいい。


 カロリーナが笑うなら、いくらでも道化になろう。


 マーディの心は氷のように閉ざされていった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] こっ……。 ここで、★を押してしまう私ときたら……! マーディ、……あぁ……。 言葉になりません。つらい。ローザの、最期の直前に見せた笑みと言葉が、こんなにも。 引き続き、今日は追っかけ…
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