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騎士は白い世界に焦がれる

 理不尽。


 その言葉はアスワドが最も嫌う言葉の一つだ。


 それは、彼の決して幸福とは言えない出生と育った環境によるところが大きい。アスワドはカロリーナの嫁いだ大国に生まれ落ちた。


 第9皇子という王位継承からは遠い存在だったアスワドだったが、母が王のお気に入りだったこともありその存在は好奇とやっかみの目に晒されていた。


 アスワドの父は恐怖で自国と他国を支配する狂王だった。気に入らないものは即首をはねられ、王宮やハマムは絶えず血の臭いがした。常に王の機嫌を伺う側近。媚びへつらう夫人たち。皇子たちは他者を蹴落とすことしか考えず、毒を盛られるなど日常茶飯事だった。


 殺伐とした日常でアスワドの拠り所は母のみだった。母は異国の地の生まれでこの国では珍しく黒い髪に雪のように白い肌をもっていた。


 小国の王族と身分はさほど悪くはなかったが、他の国から比べるとその地位は劣った。王から寵愛を受ける一方、他の夫人からの嫌がらせに晒される毎日だった。


 母はそんな日々でも笑顔を絶やさすことはなくアスワドを何よりも大事にした。

 母はよく、アスワドに母国の話をした。


 雪の地で、白いドラゴンの話があると懐かしそうに目を細めていた。


「いつかあなたも見るといいわ。汚れなき白い世界を」


 黒い髪を優しく撫でる母の手を感じながら、アスワドはまだ見ぬ白い地を思った。



 母との生活はアスワドが嫌う理不尽な出来事で奪われる。


「母上……」


 目の前で斬られる母の背中を見ながら、アスワドは倒れる母の体を支えきれず、もつれ合い倒れた。

 体を起こすと生気の失われた瞳が視界に入る。そして赤い鮮血がじわり、じわりとアスワドを染めていた。


 涙も出ず唖然とするアスワドの頭上で狂った女の声がする。


「ハデブ様が愛してるのはこの私なのよ!」


 確か第3皇子を産んだ夫人だ。アスワドは最初、夫人が何を喚いているのか理解ができなかった。心が動きを止めてしまったようで呼吸もできない。


 唖然とするアスワドの頭上で剣が振り下ろされる。あの剣だと頭は割れるだろうか。そんなつまらない事だけが脳裏を過った。



 しかし、アスワドの頭に剣が振り下ろされることはなかった。警備兵が夫人を取り押さえたのだ。そして、その兵の間をぬって出てきたのが、カロリーナの夫になるダハブだった。


 第4皇子として生まれたダハブはアスワドよりも三歳年上だったが、既に頭角を現していた。上の兄達より視野が広く、剣と学と容姿に恵まれていた。ダハブは第4皇子にも関わらず、最も王に近い存在とされていた。



 ダハブは美しい顔を放心しているアスワドに近づけて手をさしのべる。


「理不尽に抗いたければ強くなれ。俺がお前を強くしてやる」


 ダハブの燃えるような赤い瞳を見ながら、アスワドはその手をとった。



 アスワドは力を欲した。理不尽を捩じ伏せるほどの力を。彼の心を埋めるものはその一点のみになっていた。



 やがて、ダハブは戦績を上げ国内で発言力を増していったが、彼の傍らには常に鬼神のようなアスワドが側におり、最前線に立ってダハブの勝利の礎となった。



 上の三人の兄たちはそんな二人を快く思うわけもなく、牙を剥き始める。それを見た狂王は嗤いながら言った。


「勝ち残った者が王となれ! 殺し合え! 憎しみ、その首を並べよ! ははっ! あははははははははは!」


 狂った声は皇子たちを兄弟殺しへと駆り立てた。ダハブは手を下さなかった。実際に手を下したのはアスワドだった。


 冷たい何も映さない瞳でアスワドは王の前に皇子たちの首を並べた。そして、血まみれの手で王を見据える。


「一つ、首が足りませんね」

「なに?」


 剣の先を王に向ける。アスワドは漆黒の瞳で淡々と言葉を紡いだ。


「この世で最もいらない首が足りません」

「はははっ! 我の首のことを言うのか!」


 ゆらりと狂王の体が動く。その手には彼の欲しいままに血を吸ってきた剛剣が握られている。狂王は目を剥き、口元を歪ませて、アスワドに近づいた。


「よかろう! お前の力でこの首を……」


 狂王が剣を振り上げる。しかし、振り上げられた剣は手の力を失った主から離れる。鈍い鉄の音が大理石の床に響いた。


 狂王はその口から血を吐き出し、膝を付く。


「ごきげんよう、父上」


 背後に立つダハブが王の背から腹に剣を突き刺していた。


「ダ……ハブ……」


 大量の血を吐き出しながら、狂王が振り返る。ダハブは笑っていた。赤い瞳はこの好機に歓喜していた。


「そしてさよなら、永遠に」


 ダハブが突き刺した剣を勢いよく引き抜く。鮮血が舞い、ダハブの頬を赤く染めた。


 王はこと切れその場に倒れた。血だまりが広がり、アスワドの靴を濡らす。それに眉を潜めながら、アスワドはダハブを見た。


「私がこの手で仕留めたかったのに」

「そう言うな。この男を殺したいのはお前だけじゃない」


 そう笑ったダハブの瞳は燃え尽きた炎のように静かだった。それはアスワドも同じだ。


 この日を夢見て駆け抜けたはずだったのに、アスワドの手に残ったのは血なまぐささだけだった。他に何も残らなかった手のひらを握りしめ、虚無がアスワドを包んだ。




 ダハブが即位して間もなく、虚無感に襲われていたアスワドは遠い記憶に埋もれていた母の言葉を思い出す。


 汚れなき白い世界。


 そこにいけば、黒く血に濡れた自分も少しはマシになるだろうか。圧倒的な白に染まってみたい。そんなことをしても血塗られた過去が消されるわけではないのに、アスワドは焦がれてしまった。



 白い。どこまでも白い存在に――




 ダハブはアスワドの出立を最後までごねた。王が代わり混乱する国内を治めるために力を貸して欲しかった。だが、アスワドは丁重に断った。


「この国でやるべきことはもうありません」


 ダハブはアスワドが一度決めたことを覆すことは決してないと誰よりも知っていた。


「何かあれば頼れよ」


 それはダハブが初めて言った兄らしい言葉だった。それに目を細めてアスワドは旅立った。





 ◇◇◇



 北へ北へ。

 灼熱の大地とは反対方向へアスワドは進む。海を渡り、山を越え、感じたことのない寒さに震えた頃、目指していた雪の国に辿り着いた。


 汚れなき白い世界。


 目の前に広がるそれにアスワドは黒い瞳を瞬かせた。


 さくっ……


 雪を踏む感触は奇妙で慣れない。しかし、新雪に自分の足跡が残る度に心が少しだけ弾んだ。


 雪の国はわずか一万人が住む小国だ。王が住む王宮をぐるっと取り囲むように国民の家が並んでいる。まるで王を守る盾のようだと、その形を見てアスワドは思った。


 近くの宿で話を聞く、しばらく居座りたかったアスワドは職はないか尋ねた。


「あぁ、ダメだダメ。この国は職人しかいねぇよ。手っ取り早く職を得たいなら王族の騎士になることだな」


 詳しく話を聞くと、この国の王は一人娘を溺愛しており、娘を守るために絶えず騎士を探しているらしい。


 このような雪深い地で騎士など目指す者は少ないため、例え異国の者でもお眼鏡にかなえば職を得られるだろうという話だった。


 ただの愚策か、それとも何かに怯え武力を備えているのか。


 この小国はアスワドの母国の属国になっている。莫大な援助をしているはずだ。それもひとえに、アスワドの母の故郷だからだ。過剰ともいえる支援を無駄に消費する王に早くもアスワドはうんざりしていた。



 王宮は小国には似つかわしくなく、華美だった。その敷地内に古く細い塔が見える。小さな窓は鉄格子になっている奇妙な塔だ。誰かを隔離しているのか? アスワドはその奇妙な塔を仰ぎ、不思議な気持ちになった。



「あなた様がアスワドですか! 鬼神と名高い」


 王は名乗っただけでアスワドの正体をあっさり見破った。できればただの騎士として暮らしてみたかったのだが、名を上げすぎたアスワドにとっては、それは無理な話だった。


 目を輝かせ頼もしい頼もしいと気軽に肩を叩く王に反吐が出そうになる。


「騎士になるならば、是非とも我が娘のキャロラインを!」


 意気揚々と娘の肖像画を見せる王に冷たい視線を送りながらも、アスワドはその肖像画を目にした。


 金の巻き髪をした少女は愛をたらふく貪って育ったことが一目見てわかった。


 アスワドは心底、がっかりしていた。



 これが焦がれた白い世界か。

 白い世界の下は腐った土しかないではないか。



 アスワドはせっかく来た雪の地だったが、早々に去ろうと思っていた。


 この地に求めるものはない。

 そう思っていた。



 だから、カロリーナとの出会いは奇跡に近い偶然だった。


 王が晩餐を用意するというのを丁重に断り、宿に戻ろうとした時だ。彼女を偶然見かけたのは。



「カロリーナ様……今ですよ。ほんの少しだけの時間だけですからね」


 気になっていた塔の方で慌てた女の声がした。身を潜め、様子を伺うと、褐色の女と雪のように白い髪の少女がひょこっと顔を出したのだ。


 褐色の女は絶えず周囲を気にしている。一方、白い髪の少女はじっと空を仰いでいた。肩に、頭に雪が積もるのも構わず一心不乱に少女は空を見ていた。少女の吐いた息が白く空に昇り、雪に混じって消える。それを見届けた後、少女は静かに目を瞑った。


 頬を薔薇色に染め、目を閉じて、少女は微笑んでいた。


 まるで、雪を祝福のように感じているような横顔。それにアスワドは魅入った。


 一枚の絵画のような光景だ。

 雪の妖精がいるとしたら、彼女のような人のことを言うのかもしれない。それほどまで清らかな存在に感じる。


「カロリーナ様……そろそろ帰りましょう」


 褐色の女に促され、カロリーナと呼ばれた少女は残念そうに表情を暗くして、塔へ入っていった。


 それを見届けて、アスワドは塔を仰いだ。しばらくすると、鉄格子の窓から明かりが灯る。


 彼女は誰だ?

 カロリーナ様と呼ばれていたが、様を付けられる人間などこの王宮内では王族のみだろう。


 しかし、王には一人娘しかいない。



 では、彼女は……?



 アスワドは胸に宿る好奇心を抑えきれず、翌日、王に直々に尋ねることした。


「か、カロリーナで、すか?」


 王はその名を告げると明らかに挙動不審になった。それを心で訝しみながらも、アスワドは柔らかい笑みで尋ねる。


「昨日、姿を拝見しまして、彼女は何者かと思ったのですよ。白い雪のような髪をした……」


 そう言うと王は蛙のように飛び跳ね、転がるように椅子から落ちそうになる。アスワドの表情から笑みが消える。


「あ、あの子は、びょ、病気なのです! お、おお恐ろしい病に臥せっているのです!」


 隠そうとしているのは一目瞭然だった。

 怯えた目をする王に興味は膨らむ。


「では、彼女は王族なのですね」


 そう告げるとひっと王が喉を鳴らす。


「妙ですね。あなたには一人娘しかいないという話です。彼女は何者ですか、陛下」


 アスワドがジリジリと詰め寄る。王はアスワドの覇気に腰を抜かしたようで、動けずに足を赤い絨毯に滑らす。滑稽な姿を見下ろしながら、アスワドは陛下に跪いた。


「何者か教えていただけませんか?」


 蛇に睨まれた蛙のように汗を流し、王は観念したように話し出した。


 彼女はれっきとした第一王女だった。しかし、古い魔法にかかっており、いつドラゴンになってもおかしくないという。


 そんなお伽噺のような話があるかと、アスワドは一蹴したかった。しかし、王はそれが真実だと言わんばかりに信じている。アスワドからすれば、王こそ妄執に取り憑かれた愚者にしか見えない。


「私をカロリーナ様の専属騎士にしてください」

「しかしっ!」

「鬼神が側に居れば、安心だとは思いませんか?」


 そう言うと王は唸るような声を出す。よほど王女が恐ろしいのか、王は黙って頷いた。



 アスワドは塔の階段を一段、また一段と上る度に心が弾んでいるのを感じた。彼女に逢いたくてたまらなかった。あの雪の少女に早く。


 はやる心を落ち着かせようと大きく吐き出す。すると、誰かが階段を下りてくる音がした。


「お前か。カロリーナ様の騎士になりたいという者は」


 褐色の女だった。


 その佇まいを見て、彼女が武芸の心得がある者だとわかった。


 古びた厚手のコートから見える体は引き締まっていて、ただの侍女には見えなかった。何よりも彼女は隙がない。殺気を隠すことない瞳に、アスワドはふっと笑う。


「はい。アスワドです。以後、お見知りおきを」


 丁寧に頭を下げると褐色の女は腰からダガーを出して構える。


「なんの目的だ。なぜ、カロリーナ様に近づく」


 ダガーが鈍い光りを放ち、アスワドを牽制する。アスワドは表情を変えずに口を開いた。


「昨日、あなたたちの姿を拝見しましてね。それで、とても美しいと感じたのですよ」


 そう言うと、褐色の女は変な顔をした。


「美しい……カロリーナ様がか?」

「はい。雪の妖精のような方でした。だから、仕えたいと志願したまでです」

「はっ……あの王が易々と騎士など付けるものか。何者だ、貴様は」


 アスワドはゆっくりと一段、階段を上る。彼の放つ異様な空気に褐色の女は、より深く眉間に皺を寄せる。


「母がこの国の生まれでしてね。一度、来てみたいと思っていたのですよ。白いこの雪の国に」


 そう言うと褐色の女は、まだ訝しげにアスワドを見据えた。


「武器を下ろしてください。カロリーナ様を傷つける真似はいたしません」


 そう言うと、褐色の女はダガーを下ろす。


「私の名はマーディ。カロリーナ様に害を成すようなら貴様を殺す」


 そう言うと、褐色の女、マーディは踵を返した。


 その様子をアスワドは短く息を吐き出す。どうやら雪の妖精は固い守りに囲まれているようだ。いや、監禁といった方が正しいのかもしれない。


 白いドラゴンの呪いを受ける娘……


 窓一つない、螺旋状の長い階段は彼女を下界に降りさせないようにしているように思えた。




「カロリーナ様。あなた様の専属騎士が来ましたよ」


 扉を開くとマーディは先程の殺気を嘘のように隠して、優しい声色で白い王女に話しかけている。その声だけでマーディが彼女を宝物のように扱っているのが分かった。


 間近に見た王女は無垢な大きな瞳をこちらに向けた。その瞳にアスワドは息を飲んだ。


 彼女の瞳は不思議な色彩を放っていた。海に浮かぶ孤島のような瞳。見つめていると吸い込まれそうになる。彼女の純白の髪はその色彩をより鮮やかに魅せていた。


 マーディが眉を潜める。かすかな殺気を感じてアスワドは我に返った。


「初めましてカロリーナ様。今日からあなた様の専属騎士となるアスワドです」



 この時、アスワドは久しぶりに心臓が動く音を聞いた。




 ◇◇◇



 カロリーナは見た目の神秘さとは裏腹に年相応の少女だった。むしろ、12歳という年にしてはやや幼く感じた。


 アスワドに対しても警戒心を剥き出しにした。まるで猫のようだと、アスワドはその様子を見ては一人笑っていた。


 でも、子供ならではの好奇心の固まりでもあった。彼女は警戒心を解くと、あっさりアスワドになついた。


 だが、彼女はただ無垢な子供ではなかった。


 くりくりと大きな瞳を好奇心に輝かせたかと思えば、時折、息を飲むほど大人びた表情をする。彼女が機織りをしている時がそうだ。


 カタン、カタン


 リズムを刻んで一心不乱に機を動かす彼女の横顔はシンと静まり返る水面のようだ。


 彼女の横には窓があり、外では雪が音もなく振る。パチリと暖炉の火が崩れる音が機織りの合間に奏でられる。


 完成された彼女だけの世界。


 手を伸ばせば、自分もその世界の住人となれそうなのに、彼女の世界を汚すような気がして憚られた。


 あまり見ないでと、照れながら言われたがそれは無理な話だった。


 この光景が心を締め付けられるほど、アスワドは好きだったから。


 ずっと眺めていたくて、気配を消してアスワドは彼女の世界を観賞し続けた。



 塔の生活は穏やかな空気が流れていた。遠くに失った母との生活を思い出すようなあたたかさがあった。


 マーディは変わらずアスワドに対しては気を許してはいなかなったが、カロリーナの前でそれを出すことはしない。どこまでも甘く優しくカロリーナを溺愛していた。


 塔の中で食事を三人で囲むときは、常にカロリーナの無邪気な笑顔があった。


 苦手な野菜とにらめっこする彼女を手助けてしたくて、つい「好きなんで」と言って食べてしまった時はマーディに叱られた。ガミガミ怒るマーディにカロリーナは申し訳なく思ったらしく、アスワドにこっそり耳打ちした。


「さっきはごめんね。でも、ありがとう」


 鈴を鳴らしたような愛らしい声に目を細め、今度はアスワドがカロリーナに内緒話をする。


「大丈夫ですよ。今度はマーディに見つからないようにしましょうね」


 そう言うとふふっと、カロリーナは小さく笑い出す。


「こら、お二人で何を話しているんですか?」


 まだ怒った顔をしているマーディに向かって二人は目配せをして、声を揃えて言う。


「「なんでもないわよ(ないですよ)」」


 見事にハモった声にマーディは何も言えずにため息をつく。それに二人はまた笑った。




 塔の中は穏やかだ。塔の外へ出れば厳しい冬のような現実があった。アスワドは塔で寝る場所がないため、毎夜、王宮内にある部屋に戻る。


 カロリーナは毎夜、ものすごく残念そうに見送ってくれる。それに後ろ髪を引かれつつ、アスワドは塔の外へ出た。


 外へ出ると身を凍らすような冷たさに震える。アスワドは先程までの穏やかな顔をやめ、無表情で歩き出す。


 アスワドの部屋は塔の近くにない。

 王の媚びなのか、豪勢な客間が部屋としてあてがわれていた。


 アスワドを憂鬱にするのは、その部屋へ行くために舞踏会場の横を通らなければならないことだ。更に憂鬱なのがもう一つある。


「アスワド!」


 金色の豊かな髪を弾ませ、カロリーナの妹のキャロラインが近づく。


「珍しいお酒が手に入ったんですって。一緒に飲みませんか?」


 馴れ馴れしくキャロラインはアスワドの腕に絡み付いて上目遣いに話しかけてきた。


 私、可愛いでしょ? そう思い込んでいる女の仕草だ。ハマムの女を思い出して、反吐が出る。


 しかし、そんな嫌悪はおくびにも出さずにアスワドはやんわりと腕の拘束を解く。


「せっかくですが、王女殿下。私、酒に弱いのです。レディの前で醜態を晒したくありませんので、失礼させて頂きます」

「そんなこと、私は気にしないわ!」

「いいえ、これは男のプライドの問題です。察してくださいませ」


 そう言うとキャロラインは頬を膨らませる。そういう所だけは、カロリーナに似ている。カロリーナを思い出して、アスワドの目尻が下がった。優しい眼差しをされ、キャロラインはポッと顔を朱に染める。


 アスワドは失礼しますと、丁寧に頭を下げて歩き出した。


 後ろではキャロラインの視線を感じる。


「キャロライン様、こっちで飲みましょう。あんな失礼な奴、ほっとけばいいのです」


 キャロラインの取り巻きの騎士の一人が、彼女に声をかける。その声色とは裏腹にアスワドへの憎悪を振り返らずとも背中に感じる。アスワドは表情を無にして機械的に足を動かした。



 ベッドに体を預けると冷たさに体が震えた。窓の外では灯りの失った塔が見える。もう寝たのだろうか。確か、マーディとカロリーナは寄り添うように寝ていると言っていた。木製の質素なベッドだが、スプリングが利いた豪華なベッドには変えられないあたたかさがそこにはある。


 アスワドは手を伸ばして塔を掴んだ。手は空を切り、何も残さない。


 さっきまで、あそこに居たのに……もう帰りたい。早く、早くあたたかい場所へ。ここは寒過ぎる。そして、醜いものが多い。


 清らかな白を踏み荒らす害悪しかいない。それがたまらなかった。


 遠くで晩餐を楽しむ声が聞こえた。それを嫌悪して眉を顰める。



 ただ目の前の快楽を貪る害悪め。

 お前らなど、この白い国に相応しくない。

 白い国に相応しいのはお前らが踏みにじるあの方だ。


 アスワドの漆黒に炎が灯る。


 それは、鳴りを潜めていた鬼神の炎だった。



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