春風の援護
「秋には学校に行くし、わたし、もう一人で寝れるわよ!」
お気に入りの虹色のドラゴンのぬいぐるみを抱き締めながら、リリルカが言う。
「ぼくも、おにいさんになるから、平気だよ」
夜着の裾を握りしめながらセージュまでも虚勢を張る。これは驚くべき事態であった。
マーディは毎晩、公務が忙しいカロリーナたちの代わりに、二人を寝かしつけていた。
二人は両親にぶつけられない甘えをマーディにぶつけてくる。甘えは可愛いものなので、マーディは二人が望めば寝つくまで添い寝をしていた。
それなのに、これは一体、どういうことだ。
「私と一緒に寝るのが嫌になりましたか?」
そう尋ねても二人はぶんぶん首を横にふる。
「そんなことないわよ!」
「そうだよ。でも、ぼくたちが一人で寝ないとマーディとジョルジュが仲良くなれないか──」
「しぃぃぃぃっっ! セージュ、ジョルジュのことは内緒って言ったでしょ!」
「あ……」
慌てて両手で口を塞ぐセージュを見て、マーディの眉がつり上がる。そういうわけか。合点がいったが、誘いを断ったからといって、二人まで巻き込むのは許せない。ふつふつ沸き上がる怒りを笑みに変えて、マーディは二人に話しかける。
「ジョルジュとはもう仲良しですから、安心してくださいね。さあ、一緒に寝ましょう」
いつも通りに寝かしつけようとしたが、二人は動こうとしない。リリルカはびしっと指を立ててマーディに言った。
「いつまでも子供じゃないのよ! 今日は一人で寝るんだから!」
セージュもこくこく頷いている。
リリルカは頑固だから一度言ったら聞かない。ここは引き下がるべきだろう。
──ジョルジュめ……
苦々しく思いながら、マーディはそれならと笑顔で話しかけた。
「わかりました。おふたりは大きくなられたのですね。今日は添い寝も、絵本読みもせずに、私は下がることにいたします。セージュ様。あの絵本の続きは、昼間にいたしましょう」
「えほん……」
セージュが寂しそうな声をだす。「それは嫌。今、読んで」と甘えてくることを期待したが、セージュが何か言う前に、リリルカが声を張った。
「絵本なら、わたしが読んであげるわよ!」
「おねえさまが?」
「うんうん。さあ、一緒に寝ましょう! おやすみ、マーディ!」
セージュの手をひいて、リリルカは大股で歩いていってしまう。
──大きくなられたな。
リリルカの成長は嬉しいが、やや寂しい気持ちになる。マーディは小さく肩をすくめて、二人の部屋を後にした。
二人の部屋を出ると、マーディは怒りで顔をしかめた。
──ジョルジュめ。どういうつもりだ。
こういうやり口は好きではない。会ったら関節技でもきめて、問いつめてやりたい。
憤慨しつつ夜の廊下を歩いていると、闇に紛れて黒い騎士服の男が現れた。マーディは足をとめる。
相変わらず、夜の似合う男だ、と思ってしまうのは彼の過去のイメージがぬぐえないせいだろう。彼はマーディと目が合うと、にこやかに微笑んだ。
「ああ、マーディさん」
腹の居所が悪かったマーディは、彼──アスワドの笑顔は幸せボケしているようにしか見えない。八つ当たりのように、冷たい声が出た。
「今日はずいぶん、早いんだな」
「頼まれごとをされましたので、早めに切り上げてきました」
「頼まれごと?」
嫌な予感がする。マーディは鳴りをひそめた戦の顔をだして、アスワドに問いかけた。
「まさか、ジョルジュとの飲みを手引きしたのは、お前じゃないだろうな?」
「ああ……」
アスワドは気まずそうに視線をはずした。ぴくりとマーディの眉がつり上がる。
「貴様なのか?」
怒りをあらわにして問い詰めると、アスワドは肩をすくめた。それを肯定と見たマーディの堪忍袋は切れた。
「リリルカ様とセージュ様まで巻き込んで、どういうつもりだ」
アスワドはくすりと笑った。
「そろそろ、マーディさんにも春がきてもよい頃だと思いまして」
「はあ?」
意味がわからず、不満をだしても、アスワドは微笑んでいた。
「私がカロリーナ様とのことで悩んでいたときに、マーディさんは親身になってアドバイスをくれたじゃないですか。ですから、お礼です」
マーディは頬をひきつらせた。
「何がお礼だ。その顔は楽しんでいるだろう」
「とんでもない。わりと真剣です」
「どうだか。お前のその笑顔はうさんくさい」
アスワドは喉を震わせて笑いだす。
「私の笑顔は真実味に欠けると思いますが、本当ですよ」
到底信じられなかったが、嘘とも思えなかった。アスワドの目が楽しそうに生き生きとしていたからだ。
しかし、嘘でも本当でも、余計な気づかいなのは確かだ。マーディは嘆息して、アスワドに釘をさす。
「ジョルジュと私を無理に引き合わせようとするな。わかったな」
念をおしたが、アスワドは苦笑した。
「それはもう、手遅れだと思いますよ」
はあ?と文句を言おうとしたとき、アスワドの後ろから数人の足音がした。誰かが走ってくる。先頭はカロリーナだった。彼女の後ろから付き添いの侍女と護衛が走っている。マーディはぎょっとした。
カロリーナはマーディを見ると、ぱっと顔を輝かせた。
「マーディ、ここにいたのね!」
「カロリーナ様?」
カロリーナはマーディの前で立ち止まると、胸の前に手をくんで、目を爛々と輝かせた。
「ジョルジュとデートしに行くんでしょ! 子供たちのことは任せてね。もう公務はおしまいにしてきたわよ!」
はつらつとした笑顔のカロリーナにマーディは真顔になる。首だけを横に向けて、隣にいるアスワドに視線で会話する。
──おい、どういうことか説明しろ。
アスワドはマーディの表情を的確に読み取り、同じように視線で答える。
──どうもこうも。見ての通りですよ?
マーディはアスワドの微笑を正確に読み取り、顔をひきつらせた。経緯はわからないが、ジョルジュと引き合わせようとしていたのはカロリーナらしい。
──おまえ、カロリーナ様を止めなかったな?
彼は自分の願いを知る者だと思っていたが、裏切られたようだ。アスワドは黒い瞳を細くする。
──私がカロリーナ様のすることを、止められるわけないでしょう。
夜が似合う死神は、姫に従順な騎士であった。マーディは思わず遠い目になる。
カロリーナに視線を戻せば、うずうずと震えた肩が見えた。期待に満ちたアース・アイを見てしまっては、強く断れるはずもなく。
「……なぜか、ジョルジュと会うよう、ですね……」
そう言うのが精一杯だった。
カロリーナの表情がいっそう、輝きだす。
「素敵なことね。ジョルジュならマーディをまかせられるわ」
にこにこと笑い出したカロリーナに首をひねる。
「カロリーナ様はずいぶん、ジョルジュのことを気に入っておられるのですね」
カロリーナは指を顎につけて、「そうね……」と考え込むしぐさをする。やがて答えがでたのか、ぱっと満面の笑顔になった。
「ジョルジュは、アスワドに少し似ているのよ。だから、信頼できるわ」
思わぬ言葉にアスワドの目がだらしなく下がった。見た目は微笑だが、完全に喜んでいるとマーディは見抜いていた。
しかし、ジョルジュはアスワドに似ているだろうか。
彼は控えめで物腰は穏やかだが、アスワドみたいに鍛えた男性ではない。ひょろっとしていてマーディの方がどちらかといえば筋肉質だろう。
ただ、冗談ではないと言ったときのジョルジュは、少しだけアスワドに似た闇があった。
「今夜はゆっくりデートしてきてね」
「……あ、はい」
「ジョルジュは、表通りの酒場にいるらしいわ。先に行っているって伝言をもらったの」
こういうのをなし崩しというのだろうか。
マーディは嘆息すらできずに、着替えて言われた通りの酒場に行くことにした。