灰色の世界
朝チュンシーンがあります。
カロリーナが席を外したのは、夕食後のデザートを作っていたためだった。
「うまくできたか分からないけど……」
不揃いなクッキーは、カロリーナの思いが詰まっていて、それだけで胸がいっぱいになった。食べるのが勿体なくて、毎日一枚ずつ食べた後に、最後の一枚は保存したいと申し出たが、カロリーナに断られてしまった。
「また作るからちゃんと食べて。お腹壊しちゃうわよ」
それは残念だったが、また作ってもらえるのは素直に嬉しい。しかし、これは初めてカロリーナが作ったものだ。記念にとっておきたい。
「やはり、保存を……」
「隠れて持っていたら、怒るわよ」
気持ちは嬉しいけどダメと頬を膨らませるカロリーナに、アスワドは残念と思い、クッキーを口に含む。サクッと歯で割れた後に、ほろほろと口の中で溶けていく。甘さが喉元を通って、腹に落ちていった。
幸福の味というものは、きっとこういう味なのだろう。食べきるのが勿体なくて、アスワドは時間をかけてゆっくりと甘い幸福を口に運んだ。
夜。
その晩は、欠けた月が出ていた。丸い月が闇にかじられ、形を崩している。これから過ごす時間を現しているのようで、アスワドの胸が痛む。
――これは未練だな。
もう戻れない七年前のあたたかな雪を思い出し、アスワドはカーテンを閉めた。
「アスワド……」
支度を終えたカロリーナがそっと部屋に入ってくる。その声に微笑みながら振り返った。
次の瞬間、アスワドの顔から笑みが消えていた。呼吸をするのも忘れて、カロリーナを魅入る。
そこに居たのは、艶やかな雪の精だった。
白い肌が透けそうなほどの薄いナイトドレスを雪の精は纏っていた。それは、男を惑わすために作られたものだ。カロリーナは顔を羞恥の色に染めて、居心地悪そうにしている。長い髪を結い上げられ、普段は見えない首筋をさらけ出している。
ごくりと喉が鳴った。
「へ、変かしら?」
アスワドの無言に耐えきれずカロリーナは口を開くが、緊張のせいで変な声になってしまった。それにますます顔を染めて、カロリーナは俯く。
こつり、近づく靴の音がした。
カロリーナの心臓は爆発寸前まで高まっていた。
「綺麗です……」
アスワドは素直に言葉を口にした。もっと気のきいたことを言えばよいものを、緊張でそれ以上の言葉を紡げない。
「綺麗です、カロリーナ様」
込み上げる衝動のままに繰り返しそれを口にした。
カロリーナは泣きそうになりながら、アスワドの胸に飛び込んだ。
「お願い……私をあなたの妻にして」
泣き声の共に吐き出された願いに、アスワドの理性が崩れる。カロリーナを強く抱きしめ、泣きそうになりながら、思いを吐き出す。
「痛くしてしまうかもしれませんよ」
カロリーナは顔を上げて、くしゃりと顔を歪ませる。その拍子に涙が一つ零れ落ちた。
「それでもいい。アスワドから貰える痛みなら、私は構わない!」
もし、白が黒に染まることを願ったら。
その時は――黒は躊躇せずに、口を開く。
アスワドはカロリーナを抱き上げると、ベッドに運んだ。驚くアース・アイを見つめながら、性急に口を塞いだ。
「愛してます……」
口づけの合間に熱に浮かされたようにアスワドはそう繰り返した。
息つく暇もなく与えられる愛に、カロリーナは歓喜して、また涙を流す。
「私だって、愛してるんだからっ……」
月が闇に隠されていく。
明かりがなくなった闇の中で白と黒は混じりあった。
溶け合った二つの色は、新しい色を作っていく。
どちらかが一方的に染まるのではない。
二人で作る新しい色だ。
それが、二人が作る夫婦の色だった。
◇◇◇
朝、カロリーナはきつい拘束を感じて身動ぎした。しかし、拘束は解かれない。うっつらと目を開けると、抱き締められていることに気づく。
なんとか顔だけを抜け出して、拘束している相手を見つめる。
――あっ……
そこには無防備な顔で寝ているアスワドがいた。初めて見る寝顔にカロリーナの胸はときめいていく。
――か、可愛いっ!
アスワドは寝ているとき幼い顔立ちになった。それにカロリーナは身悶えする。
――どうしよう……ずっと見ていられる!
起こさないように、息を殺してじっと眺める。朝の至福の時間はカロリーナが思ったよりも短かった。
「ん……」
わりとすぐアスワドが起きてしまったのだからだ。
目が覚めたアスワドは薄く目を開ける。何かあたたかくて、柔らかいものを抱きしめている感触がする。心地よくて、また惰眠を貪ろうかと思った時だ。視界にカロリーナの膨れっ面が目に入り、脳は急激に目覚め出す。
ぱちりと目を開くと、カロリーナは膨れっ面のまま叫ぶように言った。
「なんで、起きちゃうの!?」
「?」
アスワドは記念すべき朝になんとも理不尽な第一声を食らうのであった。
カロリーナが怒っている理由はわからないが、なんとなく申し訳ない気持ちになって、謝った。すると、ぷりぷり怒っていたカロリーナが甘えてすり寄ってきた。へへっと笑う彼女に妙な気分になる。
「そろそろ朝ごはんの時間じゃないですか?」
誤魔化すように言ってみるが、カロリーナは無邪気な笑顔で言う。
「マーディがね、朝ごはんはドアの外に置いておくから、食べたいときに食べなさいって」
その言葉にアスワドはギョッとする。
――気をきかせすぎですよ、マーディさん……!
こほんと咳払いして、どうにかこの状況から抜け出そうと思案する。
「公務もあるでしょうし、そろそろ起きないといけないんじゃないですか?」
すると、カロリーナはまた無邪気に言う。
「ディトルトが、公務は夕方からあるから、ごゆっくりですって」
その言葉に今度こそアスワドは言葉を失った。
「揃いも揃って……」
気をつかってもらえて喜ぶべきことなのか、それとも余計なことと怒るべきか。分からなくなって、アスワドは盛大に溜め息を吐いた。
「あのね、アスワド」
カロリーナが恥じらいながら、満面の笑顔で言う。
「大好きで、大好きで、大好きよ!」
その言葉にアスワドは完全に落ちた。カロリーナを抱き寄せると、熱い頬のまま呟くように言う。
「どうなっても、知りませんよ」
その言葉にカロリーナは幸せそうに笑った。
―――――――
黒は最初から黒だったわけではない。
最初は白だった。
しかし、大切な白を赤に奪われた。
そのままでいたら、白は赤に負けてしまう。
だから、白は願った。
“赤より強い色を――”
赤と同じではいけない。
赤を飲み込む色を。
そして、白は黒になった。
黒は何色にも染まらず、邪魔な赤を次々と飲み込んだ。
そして、黒はまた白に出会う。
白は茶色く汚れかけていた。
だから、黒はその茶色も飲み込んだ。
これで白は白になれる。
そう思った。
しかし、黒が飲み込んだ時に白に黒が混じってしまった。
灰色になる白。
その様子に黒は戸惑った。
しかし、白は微笑んで手を差し伸べる。
“いいのよ、これで”
白の手をとると、黒の色が変わっていく。
本来の色が混じっていく。
そして、黒は灰色になった。
白は嬉しそうに微笑んだ。
黒は白を取り戻せて嬉しかった。
灰色の世界で二人は幸せそうに微笑みあっていた。
蛇足かと思いましたが、ここまで読んでくださいましてありがとうございます。




