3話 魔法と魔物と赤の魔導士
「それで俺はいったいこれから何を…?」
部屋に荷物を置き、一階に向かおうとする途中。
ヴィネットもこちらに向かっていたところだったので合流し、一階のリビングに向かうところだ。
そう聞くとヴィネットはにやりと意味深な笑みを浮かべるだけで何も答えなかった。
「え、何、俺本当に何するの?何されるの?」
「そう緊張しなくていい、初めては少し痛いがな」
「本当に何するつもりなんだよ!?」
「ふふっ、冗談だ。アリスから聞いていた通り反応が面白くてついね」
「タチ悪いわ!!」
くすくす笑うヴィネット。
俺のことをアリスがどう伝えていたのかが気になるが、そこは置いておくとして。
リビングにつくとヴィネットから仕事の内容について、詳細の話があった。
「つまり、俺の魔力について調べる。そのついでに魔法も教える。それでもって普段やってるヴィネットの仕事を手伝う。こんなところか?」
「そうだね。私はこの村で魔法が使える数少ない人間だ。だから魔法でしかできないようなことは大概私がやっている。それの手伝いをしてほしい」
「それは分かったけど、そもそも俺は魔法を使えるのか?」
「そこについては安心してくれ。私が教えられる限りのことは教えるし、何より君は少し特殊みたいだからね」
「特殊?俺どっか変なのか?」
「そんなに不安そうな顔をしないでくれ、特殊といっても害があるものではないはずだ」
「納得しづらいわ!…それで?どうやったら魔法は使えるんだ?」
「そうだね、からかうのはこの辺で終わりにするとして…。まずは手を出してくれ」
「こうか?」
言われたとおりに手を出すと、ヴィネットは手をかざしながら目をつむった。
すると、ヴィネットの手から半透明な、それでいて少し温かみのある何かが手に流れ込むような感覚が腕を、そしてだんだんと体全体に流れていった。
「今、君の体に魔法の元になる魔力を流しているんだが何か感じるかい?」
「わかる、と思う。体の中をゆっくり回ってる感じ、って言えばいいのかな。なんか変な感じだ…」
「すごいね、少し魔力を流しただけで魔力の流れを感じたのか…。しかし、思った通りこれは…」
「なにかあったのか?」
「いやなに、君はさっき特殊だといっただろう?普通はこうやって魔力に触れて、それを認識できるかどうかで魔法使いとしての素質を測るんだが…」
「だが?」
「君の場合は体からあふれているんだ、魔力が。うっすらだけどね」
「だから魔法が使えるってことだったのか」
「そういうことだね。よし、この分なら魔法の練習を始めて問題ないだろう。早速だが今日から始めるとしよう」
「お、おう。お手柔らかに…」
一瞬目が鋭くなったのは気のせい、ではなかったようで。
そのあとは魔法の基礎やら魔法の使い方やらそもそも魔法とは何なのかやら、とにかくいろいろ叩き込まれた。
そもそも魔法とは何か、話を聞いている感じ人は生まれつき魔力の元になる魔素を、大気の中から無意識に吸収してるんだとか。
その魔素を魔力に変換、認識し、そのうえで素質があれば魔法を使えるらしい。
ちなみに魔力に変えることのできない人の中の魔素は大概にいずれ排出されるらしい。
そして、魔法には所謂属性があるようで。
大雑把に分けても6種類、火水土風の4つに光と闇の2つ。
これを属性魔法というのだとか。
ほかにもいくつも魔法があるらしいが、まずは基本的にこの6つの魔法を覚えていくことになるそうだ。
で、その魔法を使った結果がーーー
「まさか、ここまで魔法の扱いが下手とは思わなかったよ…」
「俺も、もう少し何とかできると思ってたよ…」
これである。
一通り知識を叩き込まれ、もとい教えられた俺は、ワクワクしながら魔法を使ってみた。
が、どれも魔法と呼べるものには程遠かった。
火の魔法は一瞬火が付いた程度だし、水魔法に関しては水滴が少し生み出せた程度。
他も似たようなもので、唯一魔法っぽいことができたのは風の魔法だけだった。
「これだけ魔力を持ちながら、あの程度しか魔法を使えないのは逆に興味深い。やはり渡り人は私たちとは少し違うのかもしれないね」
「俺ってそんなに魔力あるの?あんなことしかしてないのにめちゃくちゃ疲れたんだけど…」
「それはもうあふれ出るほどだからね。魔力の使い方がわかっていないから、その分反動が体に来ているんだろう。私も最初そうだったさ」
「さいですか…」
「なんにせよ、今日はもう休むといい。明日からよろしく頼むよ」
そういうとヴィネットは二階に向かっていき、俺の部屋とは反対の部屋へと消えていった。
俺はというとそのあとを重い体を引きずりながらなんとか部屋に戻り、荷物の整理やらなんやらをほっぽってベットに飛び込んだ。
ふかふかのベットに飛び込んだ瞬間に瞼が閉じ、強烈な睡魔に襲われる。
「あー、もうだめだ、動けねぇ…」
荷物の整理とか着替えとか、そういったことすべてがめんどくさくなって。
俺はすぐに意識を手放していた。
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翌日からもヴィネットの魔法練習は続いた。
そしてそれ以外にも村の人の手助けもするようになった。
さっきも言った通り、魔法を使える人はそこそこ珍しくかつ貴重なため、いろいろと重宝されている。
だが、この世の中には俺がいた世界のように電気が通っているわけではなく、基本的に明かりは魔法によって灯っている。
では魔法を使えない人はどうするのか、その答えは魔道具、というものらしい。
魔道具は魔力を込めた魔鉱石を媒介にして魔法を使用できる道具らしく、簡単な魔法なら魔道具を使えばことすむそうだ。
ただ、魔力を使っているためそれが切れたら補充しなくてはいけないため、そういったものに魔力を流す、ということだ。
魔力を込めすぎて魔鉱石を爆発させてしまったこともあったが、笑って許してくれるので助かった。
そうやって魔力切れを起こした魔鉱石に魔力を流す作業を一通りすましたら、今度は村の外へ向かう。
目的は様々で、魔鉱石の採掘だったり薬草の採取だったり。
意外だったのは魔鉱石の採掘で、小さいものであればその辺の道にも落ちていたのだ。
とはいっても欠片程度の大きさのものは使い物にならないそうで、その辺の石ころと変わらないそうだ。
そうしてヴィネットの手伝い兼魔法修行を始めて早二週間、ついに俺は魔物と遭遇した。
その日もいつも通り村の外、アリスの家とは反対方向の王国に向かう道を進んでいた時にそいつは現れた。
そいつは虫と植物を足して二で割ったみたいな、グロテスクな外見をした生物だった。
「うっわ気持ち悪!何あれ気持ち悪っ!?」
「この辺にはたまに湧く魔物だね。名前はバイオプラント。作物を荒らしたりして農家から討伐依頼が出されているんだ」
「へぇ…。じゃあ今日はあいつを倒すのが目的?」
「そうだね。じゃあカイト、倒してみるとしようか。私は下がってみているよ」
「はい!?」
それじゃ、と手を振りながら後ろに下がっていくヴィネット。
そうこうしているうちにもバイオプラントと呼ばれていた魔物はゆっくりとこちらに振り替える。
俺より少し背の高いそいつは口らしき場所からぼたぼたと液体を垂らしながら迫ってくる。
うわ、地面に垂れた液体変な煙上げてる…。
「そいつの唾液は結構強力な酸だから気を付けるんだよ」
「それは先に言ってほしかったかなぁ?!」
今ので確信した、ヴィネットは絶対に性格悪い。
とはいえまずは目の前の魔物を倒すことに集中しなくては。
魔物に向き合いなおすと、俺は魔力を手に集める。
あれからヴィネットに教えられ、なんとかまともに魔法が使えるようになったのだ。
イメージするのは火。
膨れ上がる火を丸めて、それをこぶし大に圧縮。
それを相手に向かって真っすぐ飛ぶように狙いをつけながらーーー
「火球、発射!」
掛け声とともにぶん投げる。
火の粉を散らしながらまっすぐ飛んで行った魔法は魔物の体に触れた瞬間爆発し、炎で包み込む。
気味の悪い声をあげながらのたうち回るバイオプラントは徐々に動きが鈍くなり、やがてぐったりと動かなくなった。
「やった、ぞ。倒したぁ…」
へなへなとその場に崩れ落ちる。
まともに使えるとはいえ一発のみ、しかもものすっっっごく集中するため使った後は力が抜けるのだ。
まだ使えるほうの火の魔法ですらこれだ、当然ほかの魔法なんかを打った日には疲れてその場で寝てしまう。
あぁ、地面が冷たくて気持ちいい…。
そんなことを考えていると、後ろから拍手をしながらヴィネットが戻ってきた。
「魔物討伐おめでとう、存外やるじゃないか。正直なことをいうと助けに行くことになると予想していたんだが」
「なんでそんなやつを初戦に選んだんだ…」
「何、たまたまというやつさ」
「さいで…」
立てるかい?と差し伸べられた手を握り体を起こす。
いまだ力の入らない体を支えてもらいながらその日はゆっくりと村へと戻った。
ちなみに倒したバイオプラントは討伐した証になる部分をヴィネットがはぎ取って今度は全焼させていた。
さすがは本職といったところなのだろう、ほんの数秒で燃え尽きていた。
そんなこんなで村に戻って、俺たちは前に泊まっていた宿屋に向かった。
なんでもここはギルドの支部も一緒に併設されているところなんだとか。
ギルドというのは魔物の盗伐からもの探しまで、言ってしまえば万事屋の総称だそうで。
王都のギルド本部に行くと冒険者として登録して、仕事を受けることができるらしい。
ヴィネットはこの村では唯一の冒険者で、大体の依頼はヴィネットがやっているとは本人の談。
依頼の完了報告をしてくるといってから早数分。
ヴィネットはカウンターのおばさんとなにやら話し込んでいたので暇になった俺は村を散策していた。
時刻的には夕方、もうそろそろ夕飯時だろう。
ぐぅーと、間抜けな音がした。
「そういやお昼なにも食べてなかった…」
空腹を訴える腹の音を無視するわけにもいかず、近くの食堂へと足を向ける。
村唯一の食堂、それにこの時間だ。
ドアに手をかけたときからすでに楽しげな声が漏れてきていた。
ドアを開け中をのぞくとかなりの人が集まっていた。
そっと店の中に入ると、こちらに気が付いた女性が声をかけてきた。
「あれ、あんまり見ないお客さんだ、いらっしゃい。一人?」
「一人です」
「そっかそっか。相席になっちゃうけど大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ」
店員ははーいとやや気の抜ける声をあげながら店の中を見回し、奥のほうを指さした。
「悪いけどあそこしか空きないんだー。もし嫌なら待っててもいいけどどうする?」
店員の指さした方向を見ると、何やら見覚えのある後姿を見つけた。
「いや、大丈夫です」
「はーい、おひとり様ごあんなーい!」
店員に連れられながら店の奥に行く。
席に近づくと、先に座っていた客が振り返る。
「あれ、カイトだ。どうしたの?」
「席空いてなくてさ、相席いいかなって」
「ん、いいよ。ほら早く座って」
そういうと先客、アリスは向かい側の席を指さした。
席に座ると先ほどの女性がメニューを持ってきてくれた。
木の板か何かに書かれたメニューは絵が付いており、どれも美味しそうだった。
その中からアリスのおすすめや気になったものをいくつか頼む。
ちなみに文字はまだ半分くらいしか読めないのでアリスにこっそり聞いた。
「それにしても珍しいね、カイトが食堂に来るなんて」
「それを言うならアリスも少し意外だったよ。いつも自分で作ってるのかと思ってた」
「たまーにね、ここのケーキ食べたくなっちゃうんだー」
「そうなんだ」
他愛のない会話をしながら、お互いの近況を話す。
ヴィネットの手伝いが始まってから村の中ですれ違う程度で、ゆっくりと話すことはしなかったのだ。
「それで?今日は何してたの?」
「ん、なんか植物の魔物…なんだっけ、バイオプラント?とかいうのを倒したよ」
「あー、もうそんな時期だもんねぇ…。気持ち悪いんだよねあの魔物」
「アリスも知ってるんだ」
「知ってるも何も、私も倒したことあるもの。私のほうが少し先輩ね!」
ふふん、と少し得意げに笑うアリス。
少し意外だった俺はアリスをまじまじと見つめてしまった。
「…何?何かついてる?」
「あぁいや、アリスも倒したことあるんだなぁーって思ってさ」
「そうよ、私も魔法使えるもの」
そういうとアリスはグラスの水に手をかざす。
かざした手のひらに吸い付けられるように水が浮かび上がり、水の球体となってぷかぷかと浮かんだ。
「アリスも魔法使えたんだ、知らなかったよ」
「そういえば言ってなかったっけ。まぁとはいっても私が使えるのは水の魔法だけなんだけどね」
水球を蝶の形に変えながら、アリスは言う。
その表情がどこか悲しそうに見えた俺は、それ以上アリスの魔法について聞くのをやめた。
「そういえばさ、ヴィネットって何者なんだ?今更なんだけど」
「本当に今更ね…。ヴィーネは王国の貴族。一応この村の領主なのよ」
「貴族?マジで?」
「本当よ。もとはこの村出身の平民だったんだけど、魔法の実力がすごくて昔は王国魔導士団にいたみたい。そこで功績をあげて今に至るんだって」
「平民から貴族にって相当すごいことだろ?」
「あんまりいないみたいね。けど本人はめんどくさいのが嫌だってよく言ってるわ」
「あぁ、すごくいいそう…」
容易に言っているところが想像できた。
そんなことを話していると料理が運ばれてきた。
アリスのおすすめのスープや焼き魚など、どれも美味しく量も多かった。
料理に舌鼓を打っていると、先ほどの女性が近づいてきた。
「どう?うちの料理美味しい?」
「あぁ、とっても美味しいです。みんなここに集まるのも何となくわかる気がします」
「そっかそっか、ありがとう。私タリアっていうの。よかったらまた食べに来て
ひらひらと手をふりながら去っていくタリア。
その後姿を見送り再び食事に手を付けると、アリスがため息をついた。
「どうしたんだ、そんなため息ついて」
「んー、タリアって私と同い年なんだけどね。大人っぽくていいなぁって」
「いわれてみれば確かに…」
アリスに比べ、まとう雰囲気が大人の女性に近かった。
店の中で接客しているタリアを見ていると、酔った男どもの手をひらりとかわしている。
こういった環境があの雰囲気を醸し出しているのかもしれない。
「ねぇ、失礼なこと考えてない?」
「いや別に。そういえばアリスっていくつなんだ?」
「私?私は16歳だけど」
「あ、じゃあ同い年なんだ」
「嘘!?カイトも16歳なの!?」
ガタンと音を立てながら立ち上がったアリス。
一瞬しんと静まり返った店の中に小さくすみませんと謝りながら、ゆっくりと座る。
「え、私ずっとカイト年下だと思ってた…」
「なんでだよ…」
「…何となく?」
「さいで…」
それからも他愛のない話をしながら食事を続ける。
皿の上が空になったころにはすっかり日も落ち空には月が浮かび始めていた。
「それじゃ、また明日ね」
「ん、おやすみ」
村の入り口でアリスと別れる。
家まで送ろうかと聞いてみたが、カイトより強いから大丈夫よ?と真顔で言われた。
それはもう邪念の一切もない顔で。
そういうことなのでせめて入り口までとついてきたわけだが、何か忘れている気がする。
その答えは帰路につき、家のまで待つヴィネットの顔を見て思い出した。
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村の端、王都へと続く街道が伸びる入り口の少し奥。
そこにはほかの建物より高い背丈をした、櫓が立っていた。
ここは昼夜問わず、村の自警団が交代で見張る物見やぐらだ。
その中で、今日の当直の男はつまらなさそうに大きくあくびをした。
本来であれば今日は別の者がする予定だったが、急遽予定が変わり今に至る。
本来の当直の男は急用がと言っていたが、本当はたださぼりたかっただけなのを、この男は知っていた。
以前にもこのように押し付けられ当直をしたことのある男は腰に下げた革袋からおもむろに瓶を取り出す。
蓋をあけ、中身をあおると周囲には独特な匂いが充満した。
酒でも飲んでいなければ、やってられないのだ。
「ったく、ふざけやがって…。どうせ飲みに行っただけだろうが!」
空になった瓶を床に投げ、男は独りつぶやく。
ゴロンと横になり、天井を見上げながら男は目を閉じる。
このまま寝てやろうか、どうせ何も起きないだろうと、そう思いながら。
…どれくらい時間がたったのだろうか、夜風に交じり、何やら声が聞こえる。
体を起こし、櫓から顔を出すと、街道の舗装された道の上に真黒な毛並みの狼が立っていた。
このあたりだと狼自体は珍しくない、ましてや魔物でもない動物だ。
男は安心した表情を浮かべながら再び横になろうとする。
そうすると狼はまるで自分を呼ぶかのように吠えるのだ。
「ったく、何だってんだ!」
酔った頭を揺さぶるような遠吠えにイラつきながら狼のほうを見ると、狼はまるで「奥を見ろ」と言わんばかりに頭を振る。
近く常備してある双眼鏡を手に取り街道の奥を覗くと、ちらりちらりと赤い光が見えた。
行商の馬車か何かだろうと、そう決めつけようとした。
が、何かおかしいのだ。
行商の火が、街道をまっすぐに進んでこない。
横に広がるようにゆらゆらと、だんだんと数を増やしながらこちらに向かってくる。
もう一度双眼鏡をのぞき込み、それが何なのかを確認する。
夜の暗さに慣れてきた目が映したそれに、男の酔いは吹き飛んだ。
村の静かな夜に、甲高い鐘の音が鳴り響いた。
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カンカンと何やら甲高い音が鼓膜を激しく打った。
「何、この音…外か?」
ベットから起き上がり、部屋を出ると身支度を整えたヴィネットが焦った顔で飛び出してきた。
「カイト、君も起きたか。悪いが急ぎだ、すぐに準備して外に来てくれ」
「あ、あぁわかった」
鬼気迫るその表情に気圧され、着替えをすまし外へと向かう。
そこで見たのは、村の人々が中央の噴水に集まり、何やら不安そうに街道のほうを見る姿だった。
「何が起こったんだ、これ…」
「魔物の群れだ。街道からまっすぐにこちらに向かってきている」
「魔物の群れ!?今日戦ったあの化け物植物か?」
「いいや、そんなのより数倍質の悪い魔物だよ」
そういうとヴィネットは街道のほうへと走っていく。
その背中を追いかけながら噴水に集まる村人に目をやると、ガタガタと震える子供やそれをなだめる母親の姿が見えた。
それだけじゃない、皆表情が沈んでいた。
「そんなにやばい魔物なのかよ…」
「実物を見ればいやでもわかるさ。村人がここまで怖がる意味が」
走りながらそう答えるヴィネット。
村の入り口に近づくと、そこには剣や槍を構えた男たちが数人、険しい表情を浮かべていた。
「状況は?数はどれくらいなんだ」
「ああヴィネットさん、来ていただけたんですね」
「そういうのはいい、まずは状況を」
「は、はい!」
そういわれた若めの風貌の男が言うには、魔物の数はおおよそ50程度。
あと数分もしないうちにお互い目視できるほどの距離だという。
「種類は?あいつらで間違いないのか」
「はい、ゴブリンです」
「ゴブリンが、50匹も…」
ほかの男たちの表情が一気に曇る。
「そんなにやばい魔物なのか?」
そう小声でヴィネットに聞くと、同じように苦い顔を浮かべながら答える。
「そう、だね。一体ごとの脅威はさほどではないんだが…。集団になると話は別だ」
ぎゅっとこぶしを握るヴィネット。
その眼にはかすかに憎しみや怒りといった感情が見え隠れしていた。
「見えたぞ、あれがゴブリンだ」
誰が発したか、その声に武器を構える男たち。
その視線を追い、俺もその姿をとらえた。
大きさは人の半分程度、緑や茶色の表皮にそれぞれ布や木葉を巻き付けている。
手に持ったたいまつに照らされた歯や目は黄色く濁り、口からはとめどなく涎が垂れている。
こちらを目視したであろう先頭のゴブリンの口が、にやりと持ち上がった。
「皆はここですり抜けたゴブリンを頼む。私は前に出る」
「ヴィネット、大丈夫なのか…?」
「何、造作もない。と言いたいところだがね。もし私が倒されそうになったらカイト、その時は任せる」
いつも通りの笑顔を浮かべながらゆっくりと歩きだすヴィネット。
本当に大丈夫なのか、そんな不安がよぎった。
「カイト!?なんであなたもここにいるの?」
そんなことを思っていると、背後から声がかけられる。
ゆったりとした服装に身を包んだアリスが、息も絶え絶えに立っていた。
相当焦っていたのだろう、髪は乱れ靴もひもがほどけていた。
「なんでって、そりゃ魔法使えるから。それにほっとけないし」
「あなたは今日初めて魔物と戦ったんでしょ!?ヴィーネもなんで連れてきちゃったのよ…」
「そんなことよりヴィネットが一人でゴブリンに向かっていったんだ。見ているだけじゃなく、何かできることを…」
「大丈夫、というよりは邪魔になるからやめたほうがいいわ」
「でも!」
「いいから見てて」
いつもより強めの口調のアリスの声に、思わず黙る。
静かにヴィネットの背中を見る目には、確信めいた何かを感じた。
「ねぇ、夕飯の時ヴィーネは王国の貴族だって話、したじゃない?」
「してたな、でもそれがどうしたんだ?」
「その理由が魔法の実力がすごかったからってことも。だからね、ヴィーネって王国だと名前より二つなの方が有名なの」
「二つ名…?」
「王国一の火の魔法の使い手、赤の魔導士」
その瞬間、ヴィネットの前の空間が、爆音とともに赤く染め上げられーーー
「それがヴィーネの二つ名よ」
やがてそれが収まると、そこにいたはずの何体かのゴブリンの姿が消えていた。
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