2話 異世界の妖精
今回は短めですごめんなさい。
妖精が、いた。
満天の星空と大きく満ちた月に照らされた花畑の真ん中に、金色の髪を風に揺らしながら。
キラキラと光を淡く反射するその姿に、俺は言葉が出せなかった。
とてもこの世の物とは思えない、その光景に目を奪われた。
例えるならそう、絵画の世界に吸い込まれてしまったかのような、そんな錯覚すら覚えるほどに。
俺の視線は釘付けにされてしまっていた。
何か話さなきゃ、そう思った。
だが言葉が出てこない。
頭の中でぐるぐると回る思考と、微動だにしない体。
そんな俺を知ってか知らずか、目の前の妖精がゆっくりと振り返る。
俺がいる場所より少し小高い丘にいるせいか、少し見上げる形になったその妖精の顔。
俺はその顔に、正確には彼女の瞳にまたも目を奪われた。
今まで生きてきた中で、一度たりとも見たことのないほどの、深い深い碧。
何もかもを飲み込んでしまうかのようなその碧さに、うっすらと恐怖すら覚えてしまうほどに。
俺はまた、言葉を失った。
振り返った金髪の妖精は、俺の顔を見ると少し驚いた表情を浮かべた。
「君、やっと起きたんだ。あのままずっと寝たままかと思ったよ?」
驚いた表情をやさしい笑顔に変えながら、彼女は言う。
その声は夜空に響く鈴の音のように、細く高く、それでいて確かに俺の鼓膜を刺激した。
「あれ、私の言葉、もしかしてわからない?」
「あ、いや、大丈夫。ちゃんとわかるよ」
ようやく出てきた言葉がこれである。
情けないったらありゃしない。
「そっかそっか、それならよかった」
さっきよりも無邪気さが混ざった笑顔を向ける彼女。
その顔にまたも見とれる、それより早く、彼女はどこか納得した表情を浮かべ、
「初めまして。私はアリス。アリス・レイニア」
どこか少し、いたずらめいた笑みを浮かべながら、そういった。
**********************************
この時アリスのことを妖精だと思ったと後日告げると、彼女は
「私が妖精?ないない何言ってるの」
と、それはもうおかしそうに笑っていた。
あの夜、花畑でアリスに出会ってから早数日、俺はアリスの家からほど近いブロードの村の宿屋にいた。
というのも、アリスの家にはアリスの自室とキッチン等々の水回り程度しかなく、完全に一人住まい用の家だったからだ。
さすがにそんな空間に居続けるわけにもいかないため(アリスは「別にいいよ?」といっていたが)まずは近くの村に移動した、というわけである。
そんなアリスの話によると、俺は数日前に森の中で意識を失っているところをたまたまアリスに見つけてもらい、そのまま手当てしてもらったとか。
着ていた服は木の枝か何かで破けたのか、だいぶボロボロだったそうだ。
そんな俺を森から自宅まで連れ帰り、治療してくれただけではなく服まで縫って直しているのだから、アリスには頭が上がらない。
ただ、いくつかの持ち物、ズボンのポケットに入っていたスマホなんかは完全に壊れてしまっていた。
まぁどっちにしてもこの世界だと使えるかも怪しいと結論付けたのでいいっちゃいいのだが。
というのもこの世界、どうやら俺がいた世界とは完全に別物ということが分かった。
村に来た初日までは、もしかしたら今までいた世界のどこか遠くに…と思っていたのだが、そんな幻想はすぐに砕かれた。
まずは文字、これが見たことがないもの。
最初は勉強不足で読めないだけ、とそうおもっていたが、どうやらこの世界全般で使える文字ということが判明。
これに合わせて世界地図を見せてもらったが、これまた記憶にあるものとは一致しなかった。
極めつけは二日前に行商で村に訪れた商人の…便宜上馬車ということにしよう…。を引いていたのが馬ではなく鳥っぽい何か。
クァーゲ?とかいう生き物らしく、この辺りで俺はいやいやながら察した。
あ、これ俺のいた世界とは別のところだわ…と。
ちなみに言葉は今のところ問題なく通じているため何とかなっている。
とまぁ、もろもろの理由で数日この村に滞在しているわけだが、当然問題は次々と湧いて出てくるわけで。
「お金…どうしよ…」
大きな壁にぶち当たったわけである。
そう、お金がないのだ。
俺のいた世界とは違う世界、つまりは文化や歴史が違うわけで。
当然貨幣も全くの別物だった。
「マジでまっずいなぁ…」
そうつぶやきながら銀色に光る硬貨をゆび指ではじく。
鉄より軽く、それでいて少し硬く感じるそれはかすかな金属音を立てながら宙に浮き、ゆっくりと落ちてくる。
それを手でつかみながら、俺はまた大きなため息を吐いた。
このお金は村に移るとき、アリスから借りたものだ。
アリスは気にしなくてもいいのに、なんて言っていたがいつか返そうと思っている。
アリスから受け取ったのは今指ではじいた銀貨10枚と銅貨50枚。
銅貨10枚で銀貨に、銀貨10枚で金貨になるそうだ。
ちなみに今泊っている宿屋は一泊銅貨8枚だそうで、着々とアリスから借りたお金は減っている、というわけだ。
「何とかしないとなぁ…」
「何を何とかするのー?」
「いや、お金がなぁ…。ん?」
寝転がっていたベットから飛び起きると、そこには不思議そうな表情を浮かべたアリスがいた。
「アリス、なんで部屋の中にいるの…?」
「ノックしても返事なかったから?それに鍵あいてたから」
「さいですか…」
不思議そうな表情を浮かべたままのアリス。
多分本当に悪気がないんだろうなぁ…。
鍵をあけっぱにしていた俺も悪いということにして、取り合えずは話を進めるとしよう。
さっきまで考えていたことを話すと、アリスはいたっていつも通りの顔で
「それなら私に言ってくれればなんとかするのにー」
といいながらお金を渡そうとしてきた。
「いやいや、そういうことじゃなくってね?」
「じゃあどういうこと?お金ないなら当分の間は私が何とかするのに」
「そういうわけにはいかないんだよ…。とりあえず手に持ったその革袋さっさとしまう」
少しむくれた顔をしながら渋々といった様子でお金の入った袋をしまうアリス。
誰だ、アリスにお金の価値を正確に教えなかった奴は…。
「でもそれならどうするの?お金ないんじゃ宿屋泊まれないよ?」
「そうだねぇ…。てなわけでアリスさん、一つ相談が」
「何?」
不思議そうな顔をするアリスに頭を軽く下げながら、俺は言った。
「仕事、探すの手伝ってください」
**********************************
アリスに働き口を探す手伝いを頼んだところ、あっさりいくつかの候補を提示された。
もともと大きな村ではないから働ける人材は貴重で、何なら取り合いにもなるよー、というのはアリスの談。
頼んだその日にはいくつかの仕事の説明を聞く羽目になっていた。
農業やら個人の店の手伝いやら、中には村の自警団、なんてものもあった。
だがその中で、俺の興味をひときわ強くそそったのがーーー。
「というわけで、このヴィネット?さんの助手をすることにした」
「あぁ、ヴィーネのところにしたんだ。それなら安心だね」
いくつも提示された仕事の中で俺がここに決めた理由、それは。
「部屋貸してもらえるってのが大きいよなぁ」
「カイト、本当に現実思考だね…」
「まぁそれだけじゃないけどね。魔法についても教えてもらえるみたいだし」
魔法。
こともあろうにこの世界、魔法が存在するんだそうだ。
村に来てからこの世界のことを少し調べたときに、魔法が存在するということは知っていた。
だが村の人たちがそれらしきものを使っている姿を見たことはなかったのだ。
「魔法とか夢みたいだよなぁ。早く使ってみたいよ」
「カイトの世界には魔法はなかったんだ?」
「そうだね。だから調べものをしてた時に魔法があるって知ってちょっとワクワクしてたんだ」
「そっかぁ。でも魔法は魔力を持ってないと使えないわよ?」
「なんだって…?」
魔法が使えない、かもしれない。
それなら村の人が使ってなかったのにも納得がいく。
いやそれよりももっと気になることが…。
「今アリス、俺の世界って言った?」
「いったけど?」
「俺、ここと違う世界に住んでたなんて言ってないと思うんだけど…」
そう、言っていないのだ。
この世界がどういう世界なのか、それがわかるまでは黙っていようと思っていたのだが。
問いかけに不思議そうに首をかしげるアリスに、ふと。
「アリス、彼が異世界から来た渡り人だとわかる理由は、私たちにしかわからないと思うよ」
そう声がかけられた。
声がしたほうに振り替えると、そこには長身の、ゆったりとした服に身を包んだ男が立っていた。
少し長めの赤髪を揺らしながら近づいてくる男の言葉に、どこか納得したような表情をアリスは浮かべた。
「そっか、そうだよねー。ごめんカイト、説明してなかったよね」
「その辺は人によっては触れてほしくないだろうからね。許してやってくれないか?」
「あぁいえ、怒ってるわけじゃ…。それよりあなたは?」
「すまない、自己紹介がまだだったね。私はヴィネット・サルヴァーレ。アリスとの友人で、明日から君の雇い主になるものだよ」
「あなたがヴィネットさんですか…」
「さんはつけなくていい、あんまりそういうのには慣れていないんだ。これからよろしく、カイト君」
そういいながら差し出してくるヴィネットの手を握り返す。
こっちの世界でも握手はあるんだなと思いながら、話の方向を戻すことにした。
「それで、俺がその渡り人?だとわかる理由って何なんだ?」
「あぁ、それね」
そこでアリスから聞いた話によると、髪の色と目の色だとか。
そしてこの話を聞く際に、俺はほかにもいろいろなことを知ることができた。
まず初めにこの世界には大きな大陸がざっくり分けると6つあること。
ここ、ブロードの村があるここは地図でいうところの北側に位置する大陸、イールス大陸のの中心付近なんだとか。
このあたりのことは自分で調べたときには文字が読めなくてわからなかった部分だ。
そしてこの大陸を治める国がイスタルシアというところらしく、便宜上馬車としているあの乗り物でここから二日程度でつくそうだ。
いつか行ってみたいと思うが、それはまた別の機会に。
次にあの馬車を引いている謎の生き物、クァーゲは魔物だということが分かった。
魔物についてはよくわかっていないことが多いらしく、共通して言えることは魔力、つまりは魔法の適性があるかないからしい。
クァーゲは卵から育てれば人になつき、馬よりも早く低コストで飼育できるため重宝されてるとか。
故に馬車ではなく鳥車なんだそうだ。
そして最後に俺の髪と目の色について。
どうやらこの世界ではそもそも黒い髪自体相当珍しい色なんだそうだ。
言われてみてから意識してみてみたが大半は茶色で、いても少し色の抜けた黒っぽい別の色。
完全に真黒な髪色はいなかった。
そのうえで目の色も黒となるともう疑いようのないレベルで渡り人だ、ということらしい。
ということで俺は知らないうちに、たくさんの人からばれていたにもかかわらず渡り人だと隠していたことになったわけである。
ちなみに渡り人自体は珍しいが驚くようなものではないらしく、普通に受け入れられているのだとか。
ただし言葉が通じる場合、らしいが。
と、少し遠回りになったがそれらを話し終えたアリスは家に帰っていき、俺も宿屋に戻ることにした。
途中でヴィネットとも別れ、俺は明日の支度をしつつ早めにベットで横になることにした。
明日からの仕事に不安と期待を抱きつつ、ゆっくりと目をつむる。
やがて意識はゆっくりと薄れ、ぷつりと途切れた。
**********************************
部屋のカギを返し、お礼を言いながら外に出るとまだうっすらと暗い。
この時間から動いている人はそう居ないと思っていたが、ぼーっと立っているだけでも何人かとすれ違った。
時間にしてまだ早朝、おそらく5時少し過ぎ。
時計がないから大体の時間だが、この村の人たちは働き者が多いのかもしれない。
そんなことを思いながらさらに数分、そんな人たちを眺めていると声がかけられた。
「おはよう。朝は苦手かと思っていたが私より早起きだったとはね」
「たまたまだよ。昨日早く寝たから起きるのも早くなっただけさ」
昨日と同じような服を身にまとい、少し眠そうな表情を浮かべるヴィネット。
手招きする彼の後に続きながら、村の中を歩いていく。
「この村にはもう慣れたかい?」
「ぼちぼち、かな。アリスの知り合いってだけで村の人も結構気にかけてくれたし」
「そうか、それはよかった。渡り人の中には渡った先で言葉が通じず命を落とすものもいる。君は幸運だったんだろう」
「朝からヘビーな話で…」
げんなりと肩を落とす俺にすまないと笑う。
とは言ったものの、実際その通りなのだろう。
右も左もわからない土地で、言葉も通じない。
考えるだけども震えてくる。
俺をこの世界に送った兄は、大丈夫なのだろうか。
そんなことを考えていると、ヴィネットの家についていた。
「部屋は二階に上がって廊下の突き当りの部屋を使ってくれ。家具は一通りそろえてあるはずだが、なにかほしいものがあったら遠慮なくいってくれ」
「わかった。それで俺はこれから何をすればいい?仕事の内容をあんまり詳しく聞いてないんだけど…」
「そのあたりはまたあとで話そう。荷物もあることだ、部屋に一度行ってくるといい」
そういうヴィネットと別れ部屋へと向かう。
二階にもいくつか部屋があり、それらを目の端で見ながら廊下を進んでいく。
元居た世界でこれだけの家を建てるとしたら一体いくらかかるのであろう…。
「お邪魔しまー…広っ!?」
突き当りの部屋のドアを開けると、宿屋の部屋の三倍近くの広さだった。
家具も見るからに高級そうなものが多く、感動よりも先にこれから言われる仕事の内容が気になって仕方がなかった。
「俺、何されるんだろうなぁ…」
誰に聞かれるでもない独り言は、静寂に飲まれて消えていった。
**********************************