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僕は言えなかった

 着信音が鳴り響いた。僕の携帯電話ではない。そのまま目を閉じていたが、少し待っても彼女が出る気配はない。目を開けて、辺りが暗くなっていることに気付いた。また寝ていたのか?

 隣を見ると、彼女も眠っていた。ご丁寧に座席を倒して。寝る気満々だったらしい。起こしてくれればよかったのに。スマホは運転席と助手席の間にある肘掛けの上で鳴っていた。覗き込むと携帯ではなく固定電話の番号だ。もしかして自宅だろうか。

 そう考えているうちに、助手席でもぞりと動いたかと思うと彼女はゆっくりと起き上がった。

「電話? 誰?」という問いと同時に着信は切れて、僕はスマホを手渡しながら「さぁ。登録されてない番号だったけど」と答えた。

 彼女はスマホの画面を指で操作してから「あぁ」と小さく呟いただけだった。そして再び何かの操作をすると、その画面を僕に突きつける。

「美味しい焼肉屋さんだって。ここ行こうよ」

 それは僕が知っている焼肉屋だった。ついでに現時刻も確認。八時半。三時間以上寝てしまったらしい。彼女と会ってから快眠が過ぎる気がする。閉店時間は二十三時。場所はここの近くで、五分もあれば着く。時間も問題ない。

「じゃあそこにしよう」と言って車を発進させた。日中の駐車場は屋上でさえ満車だったけど、今ではすっかりまばらになっていた。

「そういえば夕方頃携帯電話鳴ってたよ」

 思い出したように彼女が言った。

「起こしてくれればよかったのに」

「どうせ出ないだろうと思って」

「それは確かにそうだけど」

 信号待ちの間に着信履歴を確認すると鹿屋の名前があった。それから、登録されていない固定番号。彼女のスマホに掛かってきたものと同じならば軽いホラーだが、明らかに違う番号だった。

「青だよ」

 その声に携帯電話をしまってアクセルを踏んだ。ショッピングモールから焼肉屋までの信号は二ヶ所だけ。もう一ヶ所で止まることもなく目的地に到着した。

 店は混んでいたが、すぐに席が用意できるということだったので入り口に置かれた椅子に座って待つことにした。十分くらいで店員が呼びに来て、店の奥の方の個室へ案内される。とりあえず飲み物、ということで僕は烏龍茶を、彼女はスクリュードライバーを注文した。

 それが運ばれてきたときに他の注文も済ませる。彼女は笑えるくらい高価な肉ばかりを注文した。

 僕も彼女も一時間も経たないうちに箸が止まって、デザートのアイスをすくうスプーンと飲み物のグラスだけが動くようになった。米も野菜も食べずに肉だけが詰まった胃にアイスが落ちていく。身体に悪いんだろうなと思ったけど気分は良かった。

 スプーン片手にカシスウーロンを飲み干した彼女は、襖を開き、そこへちょうど通りかかった店員にカルーアミルクを注文した。ちなみにカシスウーロンの前は芋焼酎といった具合に種類の違う酒ばかりを飲んでいる。悪酔いしそうなものだが、今のところその様子はない。

「ヤコウさん」酔っ払って舌足らずな声。「夕方の電話、誰からだったの?」

「鹿屋と固定電話の知らない番号」

「お昼ご飯食べてる時のメールは?」

「母親。予定通り明日帰るっていう報告」

「ふぅん。電話、掛けなおさなくていいの?」

「気付かなかったことにするよ」

「ふぅん」

 いきなりどうしたんだろう。今までそんなこと気にする素振りは見せなかったのに。軽い絡み酒なのだろうか。しかしあちらが訊いてくるのならこちらも訊いていいだろうか。

「君は? さっきの電話、無視してていいの?」

「別にいーよ」

「誰から? 携帯じゃなかったみたいだけど」

「家」

「君の?」

 彼女は頷く。娘が続けて無断外泊しても気にしないような家庭環境なのかと思っていたがそうでもないらしい。普通と考えるには連絡が遅すぎるけど。

「君がこういうことをしてるってことを家族は知ってるの?」

「こういうことってどれのこと? 神待ち掲示板のこと? 知らない男の人の家に泊まってること? それとも人を消してること?」

 最後のやつ。そう答えようとしたところで襖がノックされた。すぐに開き、店員がカルーアミルクを置いていく。彼女はそれを少しだけ口にした。そして僕が答えるより先に口を開く。

「まぁどれでもいいや。私の親は何も知らないよ」

 内緒、とでも言うかと思っていた。

「君はいつから人を消すようになったの?」

「中学の時」

「なにかきっかけが?」

「ねぇヤコウさん」

「なに?」いきなりあれこれ訊き過ぎただろうか。

「日本って世界的に見てすごいストレス社会、自殺大国なんだよね」

「らしいね。僕はあんまり実感したことないけど」

「でも治安はすごくいいんだよね。殺人事件とかすごく少ないんでしょ?」

「うん」

「ストレスで人を殺す人っていないのかな」

「いないことはないと思うよ」

「でも自殺を選ぶ人の方が多い」

「自分が死んでおしまいだからね。同情もされるだろうし。殺人なんかしたら自殺の比じゃないほどの迷惑が家族とか知り合いにかかる」

「そっか。だからみんな自殺するんだ」

「ストレスだけが原因ってわけじゃないと思うけどね」

「病気とか?」

「あと単純に『もういいかな』って思ったりとか」

「それって病気じゃないの?」

「病気かな」

「私はそんな風に思ったことないもん。生への執着がないなんて生物としておかしいから、やっぱり病気だと思うよ」

「死にたいなぁとか思ったことない?」

 あるでしょ? と言外に匂わせたが、彼女は眉間に皺を寄せながら首を傾げた。本当に理解できないといった表情だった。

「ないよ」

「一度も? 子供の頃にも?」

「うん」

 他の国ならいざしらず、この日本で生きていて『死にたい』と思ったことが一度もない? 僕からすれば、そっちの方が病気に思える。

「殺したいならあるけど」と彼女は言った。

「殺すって、誰を?」

「ストレスの原因」

「緒方舞?」

「うん」

「だから消したの?」

「うん。殺してやろうかと思ったら、消せるようになったから、消した」

「他には何人くらい?」

「まぁ色々」

 その点――今まで何人も消してきたということに関しては彼女の嘘だと僕は思っている。嘘吐きは人の嘘にも敏感なんだ。根拠がある訳じゃあないし、僕は彼女のことが嫌いじゃないから、少しでも好い人なのだと思いたいだけなのかもしれない。そう思っていたいだけだから、彼女に事実確認をすることもない。

 彼女はグラスを手に取って軽く揺らした。氷が鳴る。

「死にたいって思う人がよく分かんないんだよね。私は、自分を消すより先に、その原因になった誰かを消そうって考えるから。ねぇヤコウさん。ストレスが原因で自殺する人、殺人を犯す人の違いってなんなのかな」

「考え方、性格の違い。くらいしか思い付かない」

「じゃあどっちが正しい?」

「どっちも正しくないよ」

「どっちの方がマシ?」

「場合による」

「どっちが死ぬべきだと思う?」

「死ぬべき?」

「うん。ストレスで人を殺す人達と自殺をする人達」

「生物として強いのは前者だろうね」

「じゃあ自殺をする人達が死ぬべき?」

「いや、両方だよ」

「両方?」

「ストレスでおかしくなるような人達はそうじゃない普通の人に迷惑を掛けるだけだからね。両方死ぬべきだ」

「ふぅん」

 納得したのかしていないのか。彼女はグラスを口に付ける。コクコクと喉が動いた。

「君はどうして家出を?」

「んー。今は内緒」

「そのうち教えてくれるってこと?」

「気が向いたらね」

 あと数時間のうちに気が向いてくれることを祈ろう。

 二十二時半に店を出た。今から家に帰れば二十三時を過ぎる。そろそろ帰っても大丈夫な時間だろう。今度はさっさと車を発進させる。彼女はすぐに眠ってしまい、車体が軽く跳ねるたび頭をどこかしらにぶつけていた。

 予定通りの二十三時過ぎ。前方に見えてきた自宅の前に車の影が見えた。見覚えのあるシルエットに、まさか、と思ったが、ここで引き返すのはどう考えても怪しい。携帯電話をポケットから取り出して座席の下へ投げ込んだ。そのまま車を駐車場に停める。セレクトレバーをPにいれて、サイドブレーキを上げる。そうしているうちに車のドアが開く音が聞こえて、顔を上げると人影がこちらに向かってきていた。

 鹿屋だった。そういえば電話がきていたなと思い出す。

 ドアを開けて外に出た。鹿屋も足を止める。

「よっ。出掛けてたのか」と鹿屋は作り笑いを浮かべながら車を覗き込むように背伸びをした。その動作が不快で、わざと車の窓に背中をもたれながら口を開く。

「どうした、こんな夜中に。日馬の方でなんかあったとか?」

「いや……、夜行、携帯は?」

「持ってるけど――ってあれ?」

 上着のポケット、ズボンのポケットを叩く。当然、携帯電話はない。

「どっか忘れてきたか落としたっぽい」

「マジか。電話してみる?」

「頼む」と言うと鹿屋はスマホを操作して耳に当て、数十秒待ってから離した。「駄目だね。誰もでない」

「まぁしょうがないか。明日探しに行ってみる。それで用事は?」

「あぁそうだ。夜行、昨日あれから大和と話した?」

「話したし、直接会ったけど。俺の家で酒飲みながらゲームしたりとか」

「マジか。もしかして今も家にいる?」

「いや、朝――って言っても昼近かったけど、起きたらいなくなってた。帰るって書き置き残して」

「何時ぐらいに帰ったか分かる?」

「さぁ。朝の六時から十二時の間ではあると思うけど。もしかして、あいつ家に帰ってないの?」

「そうなんだよ。大和のお母さんが心配してるって話をうちのお祖母さんが聞いてきて、それで昨日のこともあったから夜行に連絡とろうとしたけど繋がらないし」

「そういうことか。ごめん」

「いや、それはもうしょうがない」

「どこ行ったんだろうな、あいつ……。あ、警察に連絡は?」

「まだ。大和のお母さんは、明日の朝まで帰ってこなかったらするって言ってる。俺としては今すぐにでもした方がいいと思うんだけど……」

「俺も同感だけど、家族の意見を無視するわけにもいかないからな」

 鹿屋はやるせない面持ちで頷く。その顔は昨日よりもやつれた気がした。疲れが溜まっているのだろう。鹿屋はストレスで自殺するタイプだろうか。それとも人を殺すタイプだろうか。強いていうなら前者な気がした。

「今日はもう鹿屋も休んだ方がいい。明日になったら俺も探してみるから」

 鹿屋は頷いた。俺は「じゃあ」と軽く片手を上げてから助手席側に回り、ドアを開いて彼女の肩を揺すった。しかし、目を覚ましても意識は朦朧としていて足腰立たないといった状態で、仕方なく、背中に腕を回して身体を支えながら引っ張り出した。

「親戚の子、酔っ払ってるの?」まだ鹿屋はそこに立っていた。「あぁ」と適当に返事をしながら横を通りすぎようとした時だった。

「手伝うよ」

 その言葉と同時に鹿屋の腕が彼女に向かって伸びてきた。その瞬間、僕の頭を埋め尽くしたのは真っ黒な拒絶だった。

 空いている方の手で、伸びてきた二本の腕を大きく振り払う。ぱしん、という小さな音が夜の空気を揺らした。

 我に返ると、目の前には驚き固まった大和の顔。斜め下からは翻訳不可能な寝言が聞こえてきていた。

「ごめん」と鹿屋が謝った。

「いや、こっちもごめん」

 何か嘘を吐いて今の行動を正当化しようと思った。彼女は男性恐怖症なんだ。真っ先にそんな言葉が浮かんだけど口にする気にはなれず、その謝罪を最後に鹿屋に背を向けた。

 鍵を開けて家に入る。外から車のエンジン音が聞こえた。

 リビングに入り、とりあえず彼女をソファに座らせる。すぐに横に崩れ落ちてしまったが、気にせずカーペットの上に布団を広げた。彼女の背中に手を回し、抱き抱えて布団に移す。いつもよりどこか間抜けな寝顔を見下ろす。

 その場を離れ、水を一杯飲み、その後はシャワーを浴びた。そうしてリビングに戻ると、酒と焼肉の臭いが鼻についた。その発生源はリビングの中央で気持ち良さそうに眠っている。換気のため窓を開けて、ソファに座った。今夜は妙に暖かい。家の中なら半袖でも過ごせるくらいだ。室内に吹き込んだ風が心地好かった。

 何をするでもなく、一時間ほどそうしていた。ぼんやりとしていた僕を現実に戻したのはひとつのくしゃみだった。そして彼女がのそりと身体を起こす。

「ごめん、寒かった?」

 立ち上がって窓を閉めていく。臭いは消えたのか慣れたのか気にならなくなっていた。

「何時?」細い声。ぼんやりとした瞳。

「零時を回ったところ」ソファに座りながら答える。

「ふぅん」

 訊いておいてどうでもよさそうだった。

「ヤコウさん」

「なに?」

「あと二人消せるよ」

「うん。もう決めてる」

「誰?」

「僕と君だよ」

 彼女は何も言わず、ただ僕を見上げていた。

「一緒に消えよう」

 やっぱり彼女は何も言わないまま、布団に横になった。そのまま僕を見上げて、隣の空いたスペースをぽんぽんと叩いた。

「そこに寝ろってこと?」

 首肯が返ってきて、僕はそのスペースに仰向けに寝た。隣からはアルコールと焼肉の臭い。

 そのまま天井を眺めていた。横目に隣を見ると、彼女も同じだった。

「どうして家出したと思う?」

 唐突に彼女は言った。いくつか考えていたうちの最有力候補を口にする。

「お金がほしかったから」

「ブー。外れ。それじゃ援交じゃん」

 似たようなものだろう。

「正解はね」と彼女はくすくすと笑った。「セックスをしてみたかったから」

「意外。経験ないんだ」

 そのくせ男を同じ布団に寝かせるのだから肝が据わっている。

「あるよ。何年も前だけど」

「なんだ、あるんだ」

「でも性行為と性交渉は違うでしょ?」

「どういうこと?」

「じゃあこれは宿題ね。次に会った時、答え合わせしよう」

「次に会うことがあるのかな」

「さぁ。それこそ、誰にも分からないよ」

「する?」

「ヤコウさんはしたい?」

「うん」

「残念。私はしたくない」

「僕の意見を訊いた意味……」

 彼女は可笑しげに笑った。そしてその笑みを僕に向けて、

「おやすみ」と言った。




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