第十八話
部屋の軋む音を聞いて、天井を見上げる山井博士。
「どうやら、戦いを始めるための役者が舞台へと揃ったみたいだね。いや、君だけはここに居たか。」
ニコッと、向かいに座る人物に微笑む。
「君は参加しに行かないのかい?棚本君。」
「えぇ、私が行く必要はないと思っています。これは、彼等の任務ですから。」
「そうなのか・・・。」
山井はゆっくりと彼女の膝上にある本に目線を落とす。
「僕はてっきり、彼等に真実を伝えに行くものだと思っていたのだがね。」
「真実とは?」
「隠す必要なんて無いよ、僕は全て知っているからね。君の能力も。君が持っている、その本にどれだけの力が備わっているという事もね。」
「・・・・。」
「『メモリーズ・ディクショナリー』。記憶の辞書とはよく言ったものだねぇ。君も『伝説的能力者』なのかな。」
「いつになくお喋りですね。今日は」
相変わらずニコニコと笑顔を崩さない山井博士。
「君たちの世代にはいつも驚かされるよ。僕の頃には知られていなかった能力者達が、次から次へと現れてくれるんだから。おかげで、研究が楽しいんだよ。」
「私たちは、実験動物か何かですか?」
「おっとっと、そういうわけでは無いんだがね。ただ、まだ一人だけ分かっていない人がいるんだよ。」
「誰ですか?」
「大神ケント君さ。彼を知るためにありとあらゆる手を尽くしたんだがね。抜け目のない彼は、いまいちまだ掴めていないんだよ。」
「博士に分からない事が、私に分かるとでも。」
「近い存在だからこそ、分かる事もあるんじゃないのかね?」
「近すぎて、見えてなかったのかもしれません。」
「なるほど、『灯台下暗し』という事か。」
いや私の思いは、ケントではなくナイトに向いていたからかもしれないと、栞は心の中で思った。
おそらく、そう長い時間が経ったわけではないはずだ。だが、その場にいるものはケントと凍子から目線を外せずにいた。彼等が発する迫力に負けないように意識を保つのに必死だったのかもしれないが。煽るように、ケントが手をクイクイっと動かした。
「どうやら、皆待ってるみたいだぜ。ほら、かかって来いよ。」
「良いわ本気で戦ってあげる。後悔しても、知らないからね。」
凍子がふぅーっと深く冷たい息を吐くと、足に力を込める。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
キィンとケントの剣とぶつかる。
「はぁ!うぁ!どうだぁ!」
絶え間なく雄たけびを上げながら剣を振り続ける凍子。鬼気迫る彼女の表情は普段を知る者としては、驚きを隠せない。
(これが、本気になった凍子の力だって言うのかよ。ただでさえ能力が厄介だって言うのに。)
女性とは思えない力強さを感じていると、パッと両手持ちの剣から左手を離してケントの体に伸ばしてくる。慌ててその手を避ける。触れられたらかつてのサツキのように凍ってしまうからだ。
一度間合いを取ると、ケントの視覚に謎の残像が現れた。凍子の隣に立つ一人の女性。しかし、スゥっと煙のようにすぐに消えてしまった。
「あの人は・・・。」
誰だかをを思い出そうとすると、左目の付近に強い痛みを感じた。思わず手で覆っていると、再び凍子が距離を詰めてくる。
「戦っている最中に気を抜かないで!」
どうにか右腕一本で剣を振り、凍子の攻撃を受け止めるがすぐに押し切られて、吹き飛ばされる。立ち上がれない。
「これで終わりにしてあげるわ。」
凍子が左手の甲を輝かせて、床に手を着く。
ピキピキピキと音を立てながら、ケントに向かって床が凍っていく。ナイトが叫ぶ。
「逃げろ、ケント!立て、立つんだ!」
しかし、その声は空しくもケントには届かなかったようだ。彼の体を冷たい氷が完璧に覆ってしまった。
「嘘、だろ。」
足の力を失ったかのように、ナイトがその場に崩れた。
静けさを得た天井を見上げる山井博士。
「振動が収まった。どうやら、何かしらの決着が着いたみたいだね。」
「様子を見て来ればいいのですか?結果は見えてると思いますが。」
「それをどうするかは君の自由だね。僕の予想としては、ケント君達の勝利だと推測する。」
「もし、その逆ならどうですか?」
ふぅむと少し考え込む山井博士。
「それは困ったね。しかし、物語の主人公が戦いに負けることはあまり無いと思っているんだ。」
すると栞がフッと怪しく微笑む。
「時々は負けてみるのも良いのではありませんか?負けから学ぶこともありますし。」
「『失敗は成功の基』という事だね。その言葉は僕も気に入っているよ。」
「私は失敗する事がありませんけどね。」
「素晴らしいね。ではその素晴らしさに併せて、そろそろ教えてくれるかね?『あの日の真実』と君に与えられた『特別な任務』の二つを。」
「良いですよ。どちらから話しましょうか?」
「じゃあ、まずは『特別な任務』。」
「分かりました。」
山井博士は視線を栞に向けたまま、じっくりと聞き入った。時折、驚いた表情も見せつつ、
「たしかに、君だから与えられた。いや、君にしか出来ないからこそ与えられた任務だったのだね。」
「えぇ。運命を感じていますよ。この能力だからこそ出来たんですから。」
「じゃあ次は、僕だけじゃなく関わった人全てが知りたいと思う『あの日の真実』を教えてくれるかな。」
こくりと頷くと、栞が再び話始めた。話を終えると、両者は満足そうな表情を浮かべる。
「なるほど。これでまた一つ、クエスチョンがアンサーに変わった気がするよ。あの日、あの時、あの場所にいた人達はずっと、真実の片面しか見えてなかったんだね。」
「本当に。人が知らない事を知っている優越感はありましたね。」
「だが、その優越感に浸るあまりに気づけずにいたことだってあるみたいだけどね。」
「何ですって?」
「僕は君の正体を知っていたんだ。だから上で重要な戦いをしているのにも関わらず、君をここに呼んだのさ。だからあの日も、彼らと君は一緒に居た。そうだろう?『WPKP』の棚本栞君。」
広い空間の中で一人、玲奈が乾いた拍手を送る。
「素晴らしい戦いだったわ。でもケントのおかげで、十分な時間は稼げた。準備もご覧の通り。」
部屋の奥にある魔法陣の中に寝かされるユイナ。
「氷山更四郎が描こうとしていた、平和ボケして腐りきった世界は終わりを迎えるのよ。今日、ここでね。」
玲奈が合図を送る。頷いたカラスが黒い本を取り出して何やら呟き始めた。
魔法陣が濃い紫色に妖しく輝き始めると、地面が揺れ始めた。
「こ、これは・・・・。」
「一体、どうなってやがる。」
「さぁ、新しい世界を・・・皆で観に行きましょう?」
しばらくして、揺れが収まる。今度はずっと眠りつづ下ていたユイナが、ついに目を覚ましたのだ。
「・・・・。」
無言のままゆっくりと体を起こすと、ナイト達の方を向き、一人一人顔を見ていく。。
「ユイナが、目を覚ました。」
彼女はスッと左手を掲げ、掌を向けてきた。見えない圧力が突風のようにぶつかってくる。
「なっんだこれ。」
「体が、重い・・・。」
ユイナの能力を受けた壁や床にヒビが入り始める。
「このままじゃ、この部屋が崩れて押しつぶされちまうぜ。どうするよ。」
「そんなことは、させない。」
凍子が左手を輝かせて、なんとか床に押し付ける。氷が地面を這うが、先ほどよりも勢いが弱弱しい。
「力が、入ってねえ・・・。」
「どうやら私たちは、力を吸い取られたみたい。ナイト、一時休戦よ。力をかして。」
「分かった。」
武器を構え直す凍子達を無表情で見つめるユイナ。チラッとケントの方を見るナイト。
(せめて、ケントがあんな状態じゃなければな。溶かす方法はねえのか。)
思いが通じたのか、ケントの体にまとう氷がピシッピシッと割れ始める。その中で、ずっと、絶え間なく名前を呼ばれ続けていた。
『ント・・・ケント・・・。』