1-6 友達の家
豊風市北区の住宅街にある五階建てのマンション。
そこの四階の角部屋――四〇一号室が、綿谷家の住まいとなっている。3LDKの造りの部屋が並んでいるマンションなので、周囲に住む住人たちも綿谷家と同様に家族連れがほとんどだった。
三月中は周りの部屋の退去や入居が頻繁に行われており、マンション内の空気がばたばたしていて落ち着かない感じだったのだが、四月に入ったことで、最近はだいぶ落ち着いてきた。
お隣さんも三月の途中まではいたはずなのだが、そのドタバタの間にいつしか姿が消えていた。卒業式の後あたりに一度挨拶を交わした覚えがあるから、その後に引っ越したということなのだろう。それほど面識があるわけでもないので、いなくなっていたことに気づいたところで、これといった感慨が沸くこともない。
そもそも隣人だった家族の名字すら思い出せないのだから、要はその程度の繋がりだったというわけだ。
四〇一と書かれた表札の前で立ち止まって、翔斗は家の鍵を取り出す。
「翔斗クンのお部屋を見るの楽しみだな~」
何が楽しいのか翔斗にはさっぱりだが、玄関の鍵を開けようとしている翔斗の横で、ユリアはウキウキとした様子で声を弾ませている。
「言っておくけど、面白いもんなんて何もねえぞ」
「いーの、いーの。こういうのは翔斗クンの家に遊びに来るっていう行為自体が大切なんだから。ボクにとっては、それだけで楽しくて面白いことなんだよ」
「そう言ってもらえると、もてなすほうとしても気が楽だよ」
玄関の扉を開けて、見慣れた我が家へと帰宅する。
「ただいま~」
その言葉に返ってきたのは、案の定沈黙だけだった。両親がいないことがわかっいても、家に入るとついその言葉を口にしてしまう。身についた習慣というのは簡単に取れることがないし、わざわざ取り去るつもりもない。
「お邪魔しまーす」
翔斗に続いてユリアも靴を脱いで玄関へと上がる。
「ボクね、こうやって友達の家に遊びに来るってことを一度やってみたかったんだ。元の世界じゃ、今のところ一度もできなかった経験だから」
さっきまでの浮かれていた調子とは打って変わって、ユリアは憂いを帯びた表情で呟いた。
「…………」
「ねえ、翔斗クン。今ボクのこと、友達がいない寂しいヤツだなって思ったでしょ?」
「いや、そんなこと……」
確かに、翔斗はユリアの言うとおりのことを思ったが、さすがにここで首を縦に振るのは躊躇われる。
「ま、友達が少ないのは事実なんだけどね。でも寂しいと思ったことはないよ。こう見えても、ボクは優秀な魔法少女だからね。訓練やら任務やらで、友達と遊ぶ暇がないほどに忙しい日々を送ってたんだよ」
ユリアの世界、ユリアの事情について何も知らない翔斗は、それに対して沈黙で返すことしかできなかった。翔斗の勝手な価値観や憶測で、ユリアの生い立ちについてとやかく言うことは間違っていると思ったからだ。
「ま、いつまでも玄関の前で話していても仕方ねえだろ。部屋に案内するからついてこいよ」
結局、沈黙に耐えきれなくなった翔斗は、逃げるようにして廊下を進んだ。
「とりあえずゆっくりしていけよ。どうせ俺は暇人だし、両親が帰ってくるのは、日付が変わる頃だ。することは何もないかしれないが、気の済むまでくつろいでくれればいい」
気恥ずかしくてユリアの顔を見られないので、翔斗は後ろを付いてきているであろうユリアに向けて背中越しに語った。
「ありがと。翔斗クン、優しいんだね」
ユリアがどんな顔をして、その言葉を呟いたのかはわからない。なぜならば、変に赤くなっている自分の顔をユリアに見られたくなくて、ユリアのほうを振り返ることができなかったからだ。
廊下の途中で右に曲がり、自分でも殺風景だなと思うくらいに何もない自室に案内した。
「へえ~、ここが翔斗クンの部屋なのかあ……」
翔斗の部屋へと足を踏み入れたユリアは、興味深そうにキョロキョロと辺りを見回している。別段、誇るようなものが何もないだけに、翔斗はなんだか落ち着かない感じがした。
「ねえ翔斗クン。こっちに来る前にこの世界の文化の勉強をしたって話はしたよね?」
「ああ、聞いたよ。それがどうしたんだ? いきなり」
「そのときに見たものの中で、どうしてもやってみたいことがあったんだ。それを今やりたいんだけれど、ダメかな?」
「ああ、別に俺に出来ることなら構わねえぞ。それで? やりたいことってなんだよ」
「それはね……」
そこでユリアは勿体ぶるように言葉を句切った。
「――翔斗クンの部屋に隠されたエッチな本を読むことだよ」
その瞬間、数秒前までのシリアスな空気は、次元の彼方へと吹き跳んでしまっていた。
「…………」
頭を抱えたくなるような気持ちを堪えてその場で立ち尽くしていると、
「ん? どうしたの?」
翔斗の反応が意外だったのか、ユリアはキョトンとした顔で首を傾げた。
「あのなあ、そもそもこの部屋にそんなもんはないし、仮にあったとしても、なんでユリアに見せないといけないんだよ。絶対に嫌だよ」
部屋にそんなもんはない、というのはもちろんこの場を切り抜けるための嘘である。年ごろの男である以上、親に見せられないような雑誌の一つや二つ持っていて当然だ。だが、それを素直にユリアに見せるわけにはいかないというのも、また当然の理屈なのである。
古くからの友人である純太相手ならまだしも、見た目だけなら美少女であるユリアに自分の性癖を知られる、というのはさすがに抵抗がある。
「え~、男同士だと、そういうエッチな本を共有したりするんじゃないの? そういうのがやってみたくて、すごく楽しみにしてたのに~」
「ユリアが何を見てこの世界の文化を勉強したのかは知らんし、聞きたくもないが、そんなもんは漫画の世界だけだ。昨今の男子高校生ってのは、下ネタは大好きで興味津々だが、いざ自分のこととなると、口を噤むものなんだよ」
「残念だけど、そういうことならしょうがないか……。それじゃあ、少し真面目なお話でもしよっか」
ユリアが腰を下ろす位置をキョロキョロと探っていたので、ベッドの上に座るように促すと、ユリアはそれに従ってベッドに腰を下ろした。
翔斗も勉強机の椅子を引いてきて、ユリアの前に座った。
「エロ本云々よりかは、そっちの話のほうがよっぽどありがたい。そもそも今日はその話をするために、俺の家に来たんだろ」
「ま、そうなんだけどね。遊び心は大事かなって思ってさ」
「その考えには概ね同意だが、いかんせん、遊び心の内容の性質が悪すぎるんだよ」
「ゴメンゴメン、翔斗クンはそういうのを持ってないって言うし、潔く諦めることにするよ」
そのとき、ほっと一息ついた翔斗は、自分でも気づかないくらい無意識のうちに、視線を秘密の隠し場所へと向けてしまっていた。
そんな翔斗の視線を察したユリアは、このときに内心でほくそ笑んでいたのだが、翔斗はその表情に気づかなかった。
「それじゃあ、気を取り直していくね。ボクが集めているものが魔石、っていう代物だっていう話はしたよね? 厳密にはバラバラになってしまっているから、集めているのは魔石のカケラなんだけれどね」
「……ああ聞いたよ」
「魔石っていうのは、その名のとおり、魔力を帯びた石のことだよ。魔石のように魔力が帯びた物質のことを、ボク達はまとめて『過去の遺失物』って呼んでるんだ。とにかく、『過去の遺失物』は高濃度な魔力の塊といっても過言じゃないくらい、たくさんの魔力が詰められているの。そんなわけで、暴走する危険のことも考えて、見つけたらすぐにボクが所属する魔法協会で保管することになってるんだ。まあ実際は、よっぽどのことがないと、暴走なんてしないんだけどね」
「それじゃあ、俺の知らないところで、その魔石のカケラとやらは豊風市で眠ってたってことなのか?」
「ううん、そうじゃないよ。ボクが探しているこの魔石――」
そう言って、ユリアはポケットから昨夜回収した魔石のカケラを取りだして翔斗に見せた。
「これは元々こことは別の世界、そしてボクが住んでいる世界とも別の世界で発見された代物なんだ。それでこの魔石を発見した部隊の人が、その場でしっかりと封印処理も施して、協会に持ち帰ろうとしたんだけれどね……」
そこで一度言葉を切って、ユリアは翔斗が話に付いてきているか確認するようにこちらと視線を合わせた。
「次元を航空して、魔石を輸送している最中に輸送船が事故に遭っちゃってね。船は無事だったんだけど、運が悪いことに魔石を次元の狭間に落としちゃったんだよ。それで、落としちゃった魔石が次元の狭間を通って、最終的に流れ着いた先が、たまたまこの地球という星の日本という国の豊風市という街だったっていうわけなんだよ。次元の狭間を彷徨っているうちにどうやら魔石が砕けちゃったみたいで、今、ボクはカケラとなった魔石を探してるってことなんだよ」
ユリアの説明の中に、聞き慣れない単語がいくつか出てきたが、そのへんはいちいち深く訊ねるよりも感覚で理解するのが正しいのだろうと判断して、深く聞き入ることはしなかった。
それに理屈を並べられても、どのみち理解できないだろうな、という思いもあったのだが。
「それで、魔石のカケラが落ちている場所ってのは、すでに把握しているのか?」
「詳しい場所を絞るとなると、もう少し時間はかかるんだけけれど。カケラのすべてが豊風市に落ちてるってことまでは絞り込めてるんだ。たださっきも言ったけれど、よっぽどのことがない限り、その力が暴走することはないだろうから、そんなに焦る必要はないよ。そもそも本当に危険な代物だったら、回収要因がボク一人なわけがないからね。ま、ボク一人に任せることで、『過去の遺失物』の紛失という過失を大きくしたくないっていう協会の思想もあるんだろうけどね……」
どこか面倒くさそうな様子で唇を尖らせるユリアに、魔法少女ってのも色々なしがらみがあるんだな、と翔斗は思った。
「危険がないとは言うがなあ……。昨日のアレはどうなんだ? 街中でめっちゃでかい化け物が暴れてたろ。あれも危険じゃないってのか?」
「あれはね、ボクが結界を張ったことによって、その魔力を感知したカケラが、それに反応してああなっちゃったの。だから、何もしない限りは問題ないんだよ。だいたい、この世界じゃ魔力そのものがほとんど存在しないわけだしね」
「まあ、確かに。あんな化け物が街中をうろついていたら、間違いなくニュースになってるだろうってのに、学校でもテレビでも、そんな話は一瞬も出てなかったもんな。要するに、誰もあの化けものを目にしてないってわけだ」
「そういうこと。だから、この世界での日常生活を乱すことのないように、ボクは学校が終わってから、夕方から夜にかけて魔石のカケラを探そうと思ってるんだ」
「まあ、それはいいんだけれど、こう言っちゃなんだが、俺と違って、ユリアはわざわざ学校に行く必要なんかないんじゃないのか? そうしたら一日中カケラ探しに集中できると思うんだけれど」
「明るいうちだと、どうしても人目につきやすいからね。だからどのみち昼間は回収作業をできないし、暇になっちゃうんだよ。そういうわけで、その時間を利用して異文化交流でもして、見識を広げるってのは決して無駄なことじゃないと思うけど」
理に適っているといえば、理に適っているのだろうが、その理由がとって付けたもののように感じるのは気のせいなのだろうか。
「現地の人にご迷惑をお掛けせずに、人目を忍んで行動するのは、魔法少女の鉄則であり、常識だからね」
「いろいろと改ざんして、高校に潜り込んだのは、迷惑をかけたとは言わないのか?」
「それはほら、ボクが涼成高校に通うことになって、誰かが不利益を被ることはないよね」
確かにユリアが裏技を使おうが使うまいが、入学試験で振り落とされた人はどうせ涼成高校には通えることはないし、翔斗たちを含めた入学試験を突破した生徒が、涼成高校に通うことは変わりない。
ただそこにユリアという存在が加わるか、加わらないかの違いしかないわけだ。
それでもどこか腑に落ちない気持ちが残るのは確かだが、そこは納得するしかないのだろうと、諦めることにした。
「んじゃあ、その話はそれでいいとして。こうして思いっきり現地人である俺に事情を話してるんだけれど、人目を忍んで行動する魔法少女として、それは大丈夫なのか?」
翔斗が言うと、ユリアはなんの躊躇いもなく、
「翔斗クンは別だよ――だって、翔斗クンはボクの特別な人なんだから」
その言葉が耳を通過して脳に届くと同時に、翔斗の顔が一瞬にして熱を帯びた。その反応を見て、ユリアは楽しそうに笑みを浮かべている。
「……へ、変な誤解を生むような言い方はやめろ」
「え~、誤解じゃなくて本当のことなのに……。それにしても、ボクと翔斗クンは男同士だっていうのに、どうして翔斗クンはそんなに顔を赤くしているのかな? もしかして、変な想像でもしちゃったの?」
「アホか。男同士だからって、そんな言い方は普通しないんだよ」
「ふ~ん、そうなんだ。それは知らなかったよ。ほら、ボクってこの世界に来て間もないからさ。その手のものには疎いんだよ」
ユリアは白々しい調子で言う。
都合のいいときだけ、こうして自分の生い立ちを持ってくるのはなんというかズルイと思う。だって、それを言われてしまえば、返す言葉はないわけだし。
「とにかく、放課後から夜にかけてのカケラ探しは俺も出来る範囲で手伝ってやるよ。ただあんまり遅い時間までは手伝えねえけどな」
「人目を避けるためだったら、誰もいない深夜帯にやるのが一番なんだろうけど、ボクもそこまでやるつもりはないよ。だって、ボクみたいな子が深夜にうろつくって、それはいろいろと危ないでしょ。だから高校生として健全な時間には、お開きにするから大丈夫だよ」
ユリアには自分の容姿が周りからどのように見られているか、という自覚がしっかりとあるらしい。というか、ユリアの場合、そのへんをしっかりと自覚しているからこそ、いろいろと厄介というか、敵わないというか。
「ふう、ま、事情が一通り掴めたところで、ここらでひと区切り付けて昼飯にでもしようと思うんだが、ユリアはそれでいいか?」
「う~ん、そうだね。話し出したらキリがなくなっちゃいそうだから、このへんで一息つこっか。ご飯はどうするの? 近くに買いに行く?」
「いや、いちいち買いに行くのは面倒だし、テキトーに作ってやるよ」
「ホント? 翔斗クンの手料理が食べられるの?」
ユリアが期待の籠もったキラキラとした瞳で見上げてくる。
「過度な期待はするなよ。それと食えないもんがあったら、今のうちに言っとけ」
「好き嫌いはないし、それに翔斗クンの愛情が籠もっている料理なら、それだけでボクにとっては、最高の料理になるんだよ」
相変わらずの調子で冗談めかして言うユリアだが、対する翔斗も、そう何度も簡単に心を乱されるわけにはいかない。
「へいへい、残念ながら愛を込めるつもりは微塵もないけどな。んじゃあ、焼きそばが残ってたはずだからそれにするか」
「ボクも何かお手伝いしようか?」
「そんなところで気を遣わなくていいよ。難しいモノを作るわけでもないし、客人はテキトーにくつろいでいてくれればいい」
「うん、それじゃあ、楽しみに待ってるね」
ユリアの返答を聞いて、翔斗は料理に取りかかるために自室を後にした。
部屋に残されたユリアは、翔斗の気配が遠くまで行ったことを確認して、小さく口元を歪めた。
「それじゃあ、調査開始と行きましょうか……」
気合いを入れるために拳を軽く握りしめて、ユリアは小さな声で一人呟いた。
――このとき、翔斗はまだ知らなかった。
部屋に残されたユリアが、翔斗にとって心臓部とも等しい場所へと手を伸ばそうとしていたことを。