1-5 下校の時間
本日は入学式ということもあり、授業もなく学校は午前中で終了し、翔斗はユリアとともに帰路に就いていた。
現在二人が歩いている場所は、翔斗の家の近くの住宅街である。ユリアが放課後に翔斗の家に遊びに行きたいと言って聞かなかったので、家に招待することになったのだ。
両親もどうせ帰ってきてないだろうということで、翔斗は渋々それを了承した。
太陽は一番高いところで二人を照らしており、四月特有の柔らかい日差しが二人を包み込んでいる。空は雲一つない快晴で、新たな生活のスタートを切った翔斗たちを祝福しているかのようであった。
今も翔斗の隣を当然のように歩き、そして当然のように学校に溶け込んでいたユリアだったが、翔斗のように入学試験を突破してきたわけではないという。
昨夜、翔斗と別れたあとに、ユリアはすぐさま翔斗が通う高校を独自の方法で調べ上げて、自分もそこに通うことを決めたそうだ。パートナーである以上、なるべくそばに居続けられるように、とのことらしい。
もちろん、入りたい、という理由だけで入学が許可されるのならば、入学試験という制度が根本から破綻してしまう。
だが、魔法少女であるユリアに翔斗たちの一般常識はまったく通用しないのだ。結局、ユリアは入学に至るまでの複雑な事情を、昨夜から朝の間にどうにかしてしまったらしい。
朝一でユリアと思いがけない対面を果たした翔斗は、その場にユリアがいることにまず驚いた。さらにユリアから入学に至るまでの経緯を聞かされたときには、驚愕を通り越して唖然としてしまった。
そして魔法という存在が、どれほど便利なものであるかを痛感したのであった。
(便利というか、都合が良いというか)
いちいち詳しく聞く気にはならなかったので、どんなふうに魔法を使って教師陣を騙したのかは聞かなかった。
(ただ、結果として、ユリアは翔斗と同じ高校に通うことになった。それでいいだろ……)
世の中には知らない方がいいものがあり、そこで納得してそれ以上追求しないのが賢い生き方だと思ったからだ。
ちなみに自己紹介の時の、外国から来ました、という設定は翔斗が考えたものである。あの場でいきなり魔法少女だとか、異世界の話なんかし始めたら、間違いなく電波的な意味でただの危ない人認定されてしまう。
一部のマニアな人間にはそれで受けるかもしれないが、今後の学生生活を考えると、マニア層の支持を獲得することにメリットはないと考えた。
ユリアがクラスメイトに危ない人と認識されることで、翔斗に被る不利益があるわけではないのだが、そこはお供のマスコットとして主人の身の振りを案じて提言させてもらったわけである。
ユリアのほうも、「魔法少女っていうのはクラスメイトにその存在を隠すものだからね」ということで、割とノリノリでその設定に乗っかってくれた。
「そういえばさ、ユリアってさ、自己紹介のときに、言葉は通じるとかって言ってたけど、ユリアが住んでる世界とこっちの世界じゃ言葉が違ったりするのか?」
「そんなの当然だよ。だいたい住む世界どころか、住む国が違うだけで、話してる言葉なんて変わってくるでしょ? 当然、ボクが普段使っている言語だって、この国の言葉とは別のモノだよ」
「へえ~、じゃあ、こっちに来るときにわざわざ日本語を勉強したのか?」
「そんなわけないでしょ。異世界に旅立つ任務なんて度々あることなのに、その度にいちいちそこで使われている言葉を覚えてたら、それだけであっという間におじいちゃんになっちゃうよ」
(いや、俺はおじいちゃんになるユリアなんて想像できないんだけれど……)
そんなどうでもいいことが頭をよぎったが、当然問題とすべき箇所はそこではない。
「でも、現に今もこうして、ユリアは俺と言葉で意思疎通を図れているじゃないか」
「ふふ~ん、翔斗クン、ボクは魔法少女なんだよ。言語の壁なんて魔法を使えば簡単に超えられるんだよ」
そう言って、ユリアは真っ平らな胸を張ってみせる。男なのだから、胸が真っ平らなのは当然だ。
「相手と意思疎通を図るための翻訳魔法と言えばいいのかな? そういうのを使ってるんだよ。そうすると、ボクが発する声にフィルターが掛けられて、自然と現地の言葉に変換されるようになってるんだ。逆もまた然りだね。翔斗クンたちが話す言葉が耳に入る直前でフィルターが掛けられて、ボクの知っている言葉に変換されるんだよ」
「なんつー、デタラメな」
(もし、俺にも使えるんだったら、俺の苦手な英語もあっという間に克服できるじゃねえか)
真っ先に、そんな浅はかなことを考えてしまう自分の乏しい想像力に、翔斗は少しだけ惨めな気分になった。
「とまあ、もっともらしい理屈を並べてみせたけれど、一番シンプルで翔斗クンも納得できる理屈があるんだよ。それを教えてあげよっか?」
ユリアが翔斗よりも一歩前に踏み出して、見せつけるかのようにその場で回ってスカートを翻した。
「ボクが魔法少女だからだよ。だから、異世界に訪れようと、そこで出会った人と不自由なく言葉を交わすことが出来るんだよ」
「ははっ、またそれか……。文字通り『魔法の言葉』だな。でもまあ、その理屈は、妙な説得力があるから不思議なもんだ」
翔斗は思わず苦笑してしまう。その言い分にも慣れたもので、今さらいちいちツッコミを入れるつもりもなかった。
「それじゃあ、試しに魔法を解いてみせよっか? きっと、ボクが何言ってるかわからなくなると思うよ」
「ああ。それでも、一度聞いてみたいな。異世界の言葉とやらにも、少し興味がある」
「それじゃあ……」
そう言って、ユリアは勿体ぶるように一度咳払いをする。
「――――――――――――――――」
「え、なんて?」
「――――、――――――――――――」
聞き返すと、少しゆっくりめな調子で話してくれるユリアだが、当然それでも何を言わんとしているのかはまったく理解できなかった。
ユリアがもう一度咳払いをすると、次にユリアの口から発せられた言葉は翔斗の聞き慣れた日本語だった。
「こんな感じだよ。とてもじゃないけど、素の状態じゃ会話なんて成り立たないでしょ?」
「ああ、まったくわからなかった。ちなみにこっちの言葉でなんて言ってたんだ?」
「えーっと――、それはね……」
翔斗から目を逸らして顔を赤くするユリア。翔斗にはどうしてユリアがそんな反応を示すのか見当もつかないので、疑問符を浮かべながらユリアの言葉を待った。
「翔斗クン、愛してるよ」
意を決したような瞳で、ユリアは翔斗をまっすぐに見つめてくる。
「――わっ、ばかっ。急になにを言い出すんだよ」
(だから、コイツは男だって言ってんだろ。いい加減慣れろ、俺)
それでも身体から飛び出してくるような鼓動を、翔斗は制御することができなくなっていた。
精一杯の抵抗として、翔斗はユリアから顔を背けることしかできなかった。
「だから、ボクの世界の言葉で『翔斗クン、愛してる』って意味の言葉を言ったんだよ。どうしたの~? そんなに慌てて」
視線を戻すと、ユリアが口元に手を当てて悪魔のような笑みを浮かべていた。
「そ、そんなことはわかってたさ……。っていうか、それにしたって、言葉のチョイスが悪趣味すぎんだろ」
「ふふっ、もしかして翔斗クン、本気にしちゃった?」
「んなわけあるか。だいたい、どうして男に愛してる、なんて言われなきゃならんのだ」
「大丈夫だよ、翔斗クン。ボクには翔斗クンの愛を受け止める覚悟ができてるから」
「やめろ! おまえが言うと、シャレにならねえんだよ」
それは、ある意味でバラ色の高校生活を予感させるような一幕。
この場におけるバラの意味は想像にお任せする。
とにかく、知らず知らずのうちに、ユリアのノリに慣れつつある自分がいることに、翔斗はまだ気がついていないのであった。
「ああもうわかった。その魔法とやらで、こっちの言語が十分に伝わることは理解できた。だからこの話はもうやめにしよう」
降参するように両手を挙げる翔斗。このまま言い合いを続けていたところで、どう考えてもこちらに分が悪いことは明らかだったので、負け戦からはさっさと降りることにした。
「ふふっ、とりあえずわかってくれて何よりだよ。異世界を渡り歩く魔法少女にとっては、意志の疎通を計るために必須の魔法と言えるだろうね」
「つくづく魔法ってのは、俺が思っていた以上に便利なものなんだなと実感したよ」
「まあね。それでも、こうして自分が住んでる世界とは別の世界に来るときは、一通り現地の文化なんかは簡単に頭に入れてくるんだよ。もっとも、十五年間この世界で暮らしてきた翔斗クンに比べたら、無知もいいところなんだろうけどね」
「なるほどな、そのへんの知識がないと文字通り話にならないもんな」
少しずつ、ユリアという存在について理解しつつある翔斗だったが、もっとユリアのことを知るためにも、ひとつだけどうしても聞かなければならない質問があった。
「なあ、すげえ今さらな質問をひとつしてもいいか?」
「ん? いいよ、どうしたの?」
「えーっとさ、ユリアって……、魔法少女――なんだよな?」
「そうだよ。何度もそう言ってるじゃん。まだ信じてくれてなかったの?」
「いやそういうわけじゃないんだけどさ。だってさ、魔法少女とか言ってるけど、ユリアって男なんだろ? それって少女じゃないじゃん」
あまりにも当たり前すぎる理論であったが故に、翔斗は昨日から気にはなっていたものの、中々口に出すことができなかったのだ。
それに対して、ユリアは心底呆れたようにため息をついて、大げさに肩を竦めた。
「あのさあ……、翔斗クンは視野が狭いなあ。かわいらしい衣装に身を包んで、魔法を使って平和を守る、その存在が魔法少女なのであって、少女が魔法を使うから魔法少女ってわけじゃあないんだよ」
「なんだよ、その理屈は。それじゃあ例えば、よぼよぼのじいさんが魔法少女っぽい服を着て、魔法で街の平和を守っていたら、そいつを魔法少女って呼んでもいいってことなのか?」
「もちろんそうだよ。たとえ魔法少女がどれだけ年を重ねようと、魔法少女は魔法少女であって、少女の心を持っていればいい年になっても魔法少女であることに変わりはないんだよ。誰だって魔法少女になれるんだよ。もちろん翔斗クンだってね」
そこにはユリアなりの誇りや意地があるのだろう。この場でどれだけ翔斗が「少女」ではないユリアが「魔法少女」というのは間違っているじゃないか、と主張してもきっとユリアは頑としてその主張を曲げてくれそうになかった。
そのため、翔斗はそれ以上「魔法少女」について言及するのをやめた。
「ま、そういうわけなら、別に魔法少女でいいかもな。うん、どうやら俺が間違ってみたいだ」
「うん、わかってくれて何よりだよ」
ユリアは腕を組んで満足そうな表情で頷いていた。
それはとても穏やかな昼下がりの光景。
魔法少女という得体の知れない存在に巻き込まれた翔斗であったが、何事もない平穏な日常を過ごしている。
――その時。
「…………!!」
ユリアが突然、平穏に相応しくないような怪訝な表情を作って、背後を振り返った。
「……ん? どうかしたのか?」
思わず、ユリアの視線を追うようにして、背後を確かめて問い返す翔斗だったが、翔斗の瞳にはこれといって気になるようなものは映らなかった。
「いやなんでもないよ。気のせいだったみたい。気にしないで」
そう言って、正面に顔を戻す頃には、ユリアの表情はさっきまでの緊張感のないものに戻っていた。
気のせいだと言うくらいなのだから、本当になんでもないのだろう。よって、翔斗も気にしないことにして、歩みを再開した。
「…………」
そんな二人の背中を見つめている双眸があったことに、ついぞ翔斗は気がつくことはなかった。
「あれは、僕のものなんだ。絶対に誰にも渡さない……」
翔斗たちから少し離れたところで、一つの影が、拳を握りしめながら怨念の籠もったような声で呟いていた。