1-3 恋の終わり
「……あのときの」
ようやく絞り出した翔斗の声。
夜風になびく肩口くらいの長さの髪、どこかおっとりとした感じの目元、そしてスッキリとした鼻梁に、形のよい唇。
その姿は間違いなく、あの日翔斗が桜の並木道で出会った少女に相違なかった。ただあのときとは服装が随分と様変わりしている気もしたが、それでも少女の醸し出す神秘的な雰囲気に変わりはない。
「……ん? ありゃりゃ、現地の人に魔力を有する人はいないって話だったんだけれど……」
少女はそう言うと、三階ほどの高さにある街灯の上から、なんでもないような調子で飛び降りた。
「なっ――」
肝を冷やした翔斗だったが、彼女は地面に降り立つ瞬間に重力を相殺するかのようにふわりと舞い上がり、ゆったりと地面に降り立った。
そんな訳のわからない飛び降りをして見せた彼女だが、そんなことなど彼女にとってはなんてことのないことなのか、誇る様子もなく翔斗を値踏みするような目つきで近づいてくる。
「キミって、魔法使い?」
「いえ、違います」
突然の質問に、翔斗は脳で考えるよりも先に、反射的にそう答えた。
魔法使いというのは女性と交わることなく三十という年月を過ごした人間のことを指すと聞いたことがある。
確かに、翔斗は齢十五において、女性と交わった経験はない。が、それでも魔法使いとなるための資格を半分しか満たしていないことになる。
そう考えると、せいぜい魔法使い見習いの見習いくらいが妥当なところだと自負している。さすがに魔法使いとなるためには経験値が少ないと言わざるを得ないだろう。
経験がない人が魔法使いになるはずなのに、経験値が少ないから魔法使いではないという表現はなんとも矛盾が生じている気がしないでもない。
「むー、でも結界の中でもこうして活動できてるってことは、間違いなく魔力は持っているってことなんだよね……。それじゃあ、魔力を有する現地人がいたってことかな……」
彼女は納得するように頷きながら、翔斗の周りをぐるりと回って、翔斗の全身をなめ回すような目つきで見回していた。
彼女の身長は一六〇センチ前後だろうか。翔斗よりは頭一つ分小さいものの、女の子としては長身に分類されるだろう。遠目から見ると、なぜか小柄に見えた彼女だが、間近で見ると印象よりも大きく見えた。
(ヤバイヤバイ。っていうか、なんで、俺のことめっちゃ見られてるの? しかも目つきがマジなんだけれど……)
憧れていた女の子に余すことなく全身を見つめられているということを意識すると、全身がゾクゾクするような不思議な気分で、翔斗は自然と直立不動の体勢になっていた。
「ま、とりあえずはキミの問題は後回しだね。それよりもやらないといけないことがあることだし。ところで、キミの名前は?」
身長差があるせいで、翔斗の前に立つと彼女は自然と翔斗を見上げる形になり、上目遣いになって聞いてきた。
その仕草があまりにも可愛すぎたので、そんな彼女を目の当たりにした翔斗の心臓に大きな衝撃を与えた。
「えーっと、あの……」
自分の名前をど忘れしたわけではないが、咄嗟に言葉が出なくなる翔斗だったが、彼女に変な人間だと思われたくない一心で、なんとか言葉を絞り出した。
「わ、綿谷翔斗――です」
「うん、翔斗クンだね」
告げると、彼女は翔斗の名前を口の中で転がすように反復した。
「うん。それじゃあ、翔斗クン。ボクからのお願いは二つ」
そう言って、彼女はピースを作って翔斗の目の前に示してみせる。
「堅苦しい敬語はやめること。それと、とりあえず今は、現状を受け入れて余計なことをせずに成り行きに身を任せてほしいってこと。説明は後からするからさ。とりあえずこの二つを守ってくれるかな? そうすれば、何事もなく元通りになるから」
口元を綻ばせながら首を傾げた彼女は、子どもをあやすような口調で優しく告げた。
「あ、ああ……。わかった」
彼女の意図が理解できなくとも、翔斗には頷くという選択肢以外なかった。
「それじゃあ、そういうわけで――」
彼女が言葉を紡ぎ終える前に、大地が大きく唸りを上げた。
「…………!!」
少しでも事態を把握しようと辺りを見回してみる翔斗だが、
「……な、なにが起きてるんだ――?」
結局、身の回りに起きていることの一パーセントも把握できなかった。ただおろおろしながら周囲を見渡すことしかできない。
「翔斗クン、悪いんだけれど、今は説明している暇がないの。だからテキトーに解釈して、最善の行動を取ってくれると助かるかも」
翔斗が抵抗する間もなく、彼女は翔斗の脇の下に手を入れると、地面から跳躍した。
「――な、なななな」
いきなり翔斗の身体が浮遊感に襲われ、その勢いのままに、彼女は五階建てのビルの屋上まで一気に飛び上がった。もちろん彼女に持ち上げられていた翔斗も、一緒に五階まで飛び上がった。
憧れていた女の子に持ち上げられるということを経験し、気恥ずかしさを覚える翔斗だったが、自分の身に起きている現象があまりにも突飛すぎて脳の処理が追いつかない。
(えっ……、何これ。ひょっとして俺、夢でも見ちゃってんの?)
夢だと断定すれば、今まで起きたことのすべての説明が簡単につく。
そんなふうに現実逃避をしている間にも、もう一度地面と大気が大きく揺れた。
「ねえ、翔斗クン。アレが見える?」
彼女は手に持っているステッキを使って、駅から伸びている線路のほうを指した。
(……。ええ、見えますとも……)
衝撃のあまり、口から音を発するのを忘れてしまった翔斗。
視線の先にいるのは、地面に脚を付けていながら、線路が走っている高架橋よりも高い位置に頭がある生物。
いや、化け物といったほうが正しいかもしれない。
しかも化け物は四足歩行の状態でその位置に頭があるのだから、仮に二足歩行になった場合は、このビルよりも背が高くなるのかもしれなかった。
そして、その姿形はファンタジーの世界でよく見かけるような恐竜だった。
土気色の体躯に、二本の大きな角、口の中から覗かせる牙は翔斗の身体を串刺しにしてしまいそうなくらいに鋭く尖っていた。
大きな尻尾を振りながら、現代の街を彷徨うその光景はなんとうか、異様としか言いようがなかった。
もしかして、というか、もしかしなくても、さっきから何度も響いている地震はあの化け物の足音なのだろうか。
(ああ、これは夢だわ。間違いなく決定的だわ。だったらいいや。このままテキトーに話を合わせておくか)
それは文字通り、現実逃避の思考だった。
翔斗は若干冷めた目つきで、こちらのほうに徐々に近づいてくる化け物を眺めていた。
「それじゃあ、翔斗クン、ボクはあの怪物をやっつけてくるから、キミはここでおとなしくしていてね。大丈夫、すぐに戻ってくるから」
翔斗の返答も待たず、彼女は桜色のシューズから羽を生やして、その羽で夜空へと羽ばたいていった。
超常的な現象が起きすぎているせいで、今さら彼女が空を飛んだことに驚くような翔斗ではない。
そのままものすごいスピードで化け物に接近した彼女は、身体を宙に浮かせたまま化け物の正面で止まると、彼女の横の空間にこぶし大ほどのピンク色の球を数個創り出した。
「――えいっ」
化け物に向けてステッキを差し出した瞬間、ピンク色の玉が一斉に弾丸のようなスピードで化け物へと向かってゆく。
化け物はその体躯に相応しい程度に動きが鈍く、彼女が発射した弾丸を顔面でまともに食らった。
激しい爆発音が鳴り響き、その衝撃が大気を伝わって、百メートル以上離れている翔斗のところまで届き、強い夜風が翔斗の顔に吹き付ける。
その威力は翔斗が想像できないほどにすさまじいものだったのだろうが、化け物は少しのけぞっただけで、すぐに態勢を立て直した。
おそらくは化け物は、その体躯に見合うだけの生命力を持ち合わせているということなのだろう。
あまりにも振り切れた出来事が続いているせいで、妙に冷静に状況をしている翔斗がいた。
「すげえ――」
さながらアニメでも見ているような気分で、翔斗は遠くからその戦いを眺めていた。
冷めていた目つきもいつの間にか熱の入った瞳へと変化し、思わず拳を握りしめるほどにその光景に見入っていた。
次に、化け物が大気を震わせるような咆吼を上げて、彼女の身体よりも大きな前足を振り上げて攻撃に出た。常人ならその咆吼だけでも身が竦んで動けなくなるのだろうが、彼女はそれに怯むことなく、月夜に大きく弧を描くように羽ばたいて、身軽な動きで化け物の攻撃を躱した。
夜空の星に溶ける彼女の姿は、夜空を羽ばたく天使を彷彿とさせる可憐さを携えており、翔斗は息を呑んで彼女を見守っていた。
攻撃を躱す際に一瞬だけ、彼女の身体が逆さまになったのだが、重力というのはあまり仕事をしないようで、スカートが翻ることもなく、よってその中身が見えるようなこともなかった。
(……いやいや、別に俺は残念がってないぞ)
見えない誰かに向けて言い訳の言葉を述べる翔斗。
見てはいけないとわかっていても、そこに視線を釘付けにされてしまう。それは悲しき男の性なのだ。
翔斗の欲望は一旦置いておいて、視線の向こうでは、彼女がさっきと同じように虚空に桃色の光弾を創り出した。
「光弾発射!」
ステッキの先端を化け物へと向け、気合いを入れ直すためなのか、さっきは発していなかった号令を発すると同時に、一斉に光弾が化け物へと襲いかかる。
さっきと同じように、まともに光弾を食らった化け物は、苦しそうにうめき声を上げたが、それも致命的な一撃には至らなかったようだ。
さっきよりも大きな衝撃がこちらまで届いたが、化け物は緩慢な動作で身じろぎをしてから態勢を立て直した。
その一撃が決して軽いものではないことは、少し離れたこの場所にも衝撃が伝わってくることを考えるとよくわかる。しかしあの巨体を仕留めるには、それだけでは足りないということなのだろう。
「……んにゃ、こりゃまた一段としぶといなあ。いいよ。そっちがその気なら、こっちにだって考えがあるんだから」
彼女は攻撃が通じていないことに対して、とくに焦った様子も気負った様子もなく、気楽な調子で夜空に浮かんでいた。
「一発ぶちかますからね~」
彼女が弾んだ声で言うと同時に、彼女の足下の空間にピンク色の魔方陣が生まれる。
魔方陣に描かれている六芒星のおどろおどろしさに、今から彼女が何か大きな技をやろうとしることは素人の翔斗でもわかった。
(素人って、なんの素人かっていう話なんだけどさ……)
化け物も本能で危険を察したのか、前足で攻撃を試みるが、彼女にあっさりと躱されてしまう。
魔方陣が展開されてから少し経つと、宙を舞う彼女の周囲に光の粒子が渦巻き始めた。やがて光の粒子はその濃度を増し、彼女のステッキの先端へと集められる。
「ちょっぴり痛いかもだけど、そこは勘弁してね」
いつの間にか杖の先端が、夜空に瞬く星々に負けないくらいの輝きを見せていた。
あるいは、彼女自身も夜空に燦然と輝く星々の一つなのかもしれない、と翔斗はそんなことを思った。
「天に輝く星の光よ。今こそ我にその力を貸したまえ。破壊砲撃!!」
気合いの一声とともに、杖の先端から発射された閃光は、夜空を切り裂くような勢いを持って、化け物へと迫る。
『グ、グルルルルオオオオオーーーーー!!!!!!』
雄叫びを上げて砲撃と対峙しようとした化け物だったが、一瞬にしてその閃光に飲み込まれてしまった。
あっさりと標的を消滅させた砲撃だが、その勢いは留まることを知らずに自身の障害となるものを、すべてなぎ倒して進んでゆく。もちろんその先に並んでいる建物や道路も例外ではなく、砲撃によって抉られた街は見るも無惨な姿に変貌していた。
「よしっ、これで任務完了だね……」
街の変わり果てた姿には目もくれずに、彼女はさっきまで化け物が立っていた空間へと近づいた。
目を凝らして見ると、そこには指先程度の大きさの宝石のカケラみたいなものが、二つほど浮いていた。
二つの蒼色のカケラはうすぼんやりと輝いていたのだが、彼女がそのカケラを手中に収めて何かを呟くと同時にその輝きは失われた。
翔斗が口を開けた馬鹿面でその様子をぽかんと見つめていると、ようやく彼女がこの場に戻ってきた。
「翔斗クン、おまたせ。これで一件落着だよ」
「いやいや、俺には何がなにやら……。それよりも、これ、どうすんの……?」
引きつった表情のまま、翔斗は戦いの爪痕を視線で指し示す。
無人となってしまった上に、駅前の通りや線路は完全に破壊されてしまっている。そこに広がっている景色は、豊風市の駅前とはまったく別のモノと成り代わってしまっていた。
「ん? それならなんの心配もないよ。こうなっても平気なように、結界を張ってたんだから」
「結界……?」
意味がわからず、翔斗はその言葉をただ反復する。
「まあ、百聞は一見にしかずってことで、とりあえず結界を解除してみよっか。それじゃあ、結界解除!」
ステッキを天に掲げて叫ぶと、周囲を覆っていた不気味な感覚が消え去り、いつも通りの街の喧騒が戻ってきた。
「「「「「――――――――――――」」」」」
すると、そこにいなかったはずの人たちもいつの間にか姿を現し、何事もなかったかのように活動を再会し始めている。
眼下には、翔斗の知っている豊風市の光景が戻っていた。
「夢じゃ……、なかったんだな……」
現実感のある現実に戻ってきたところで、ようやく翔斗は自分がこれまで目にしてきた光景が現実のものであることを理解した。
「え……、あれ……?」
そして、彼女の砲撃によって抉られた街並みも、同じように何事もなかったかのように元の姿に戻っていた。
頭の中が疑問符で満たされている翔斗だが、彼女はなんでもないような調子で、くるりと一回転しながらこちらへと向き直る。
「……あっ、そういえば、ボク、まだ名乗ってなかったよね」
彼女はなにかに気づいたようにぽんっと手のひらを叩いた。
「これは、これは。一方的に名前を聞いてしまって失礼しました」
そう言って、彼女はスカートの裾を持ち上げて、可愛らしい頭をぺこりと下げる。
「ボクの名前は、ユリア・ローレント。こことは別の世界から来た――」
そこでユリアは一旦言葉を句切って、人なつっこい笑みを浮かべる。
「――魔法少女だよ」
(な、何を言ってるんだコイツ……)
と、素直に思った翔斗だったが、ただそんなことが些細なものに思えるくらいに、彼女の笑顔は今まで見てきたどんな笑顔よりも可愛らしく、夜という闇を切り裂いてしまうのではないかと思うくらいに魅力的に輝いていた。
「…………」
返す言葉を失ったのは、目の前の少女の言葉の意味がすぐに理解できなかったから。そして、それ以上に、彼女のその笑顔に見とれてしまっていたから。
――こうして綿谷翔斗は、桜の散りゆく季節に彼女と再会した。
「ねえ翔斗クン。今って、少し時間あるかな? 夜景でも眺めながら、少しお話しない?」
可愛い女の子からのお誘い、そんな魅力的な話が目の前に転がっている。
いつもの翔斗であれば、飛びついてでも話を受けていただろうが、目の前の少女は明らかに普通じゃない。ここで話を聞いてしまえば、かなり厄介なことに巻き込まれるのは明々白々だ。
けれど、危険とわかっている蜜にこそ、人間というのは手を伸ばしたくなるもので、翔斗の心は揺れ動いていた。
「ふふっ、そんなに怯えなくてもいいのに。それにね、ここでキミがボクの誘いを断ったとしても、話を聞くのが少し先延ばしになるだけ。キミは結局ボクの話を聞くことになるんだよ。だってそれは運命なんだから」
月明かりに反射した彼女の顔は、ゾッとするほどに美しかった。翔斗は直感的に、自分はすでに厄介なことに足を突っ込んでいることを悟り、それから彼女の放つ見えない何かで絡め取られていることに気がついた。
ただし後者にいたっては比喩でもなんでもなく、本当に見えない何かに動きを縛られ、手足が動かせなくなっていたのだ。
「ふふっ……、そもそも、キミはここから逃げられないんだけどね」
ユリアは、楽しそうにケラケラと笑いながら、翔斗の鼻先をツンとつついた。
「な、俺の身体に何をした……?」
翔斗は、徐々に近づいてくる美しい彼女の美しい顔に。思わず赤面しながらなんとか言葉を絞り出すことしかできなかった。
ユリアはそんな翔斗の質問に答えもせずに、灼熱の瞳で翔斗を焼き尽くそうと迫ってくる。
「顔が赤くなってるよ。ふふっ、大丈夫、心配しないで。痛くはしないからさ」
ユリアは悪人のように口元をつり上げて、翔斗の頬に手を伸ばした。
彼女ほどの美少女になると、そんな悪人面もまた似合ってしまうのだからズルイと思う。
(いやいや、俺は何を感心してるんだ――)
ユリアのしっとりと熱を帯びた手が翔斗の頬を包む。
触れられた頬が溶けていくような甘い感触があったが、それが錯覚かどうかを判断できないほどに翔斗の脳内が真っ白になっていた。
このまま彼女のなすがままでいるっていうのも、それはそれで中々に魅力的ではあるのだが、本当の意味で何をされるかわからないという恐ろしさがある。
見えない何かから逃れようと、翔斗は手足に力を込めた。
「――くっ!」
すると、翔斗の手足を締め付けていた枷が外れ、すかさずユリアから距離を取ろうと後ろに跳んだ。
そんな翔斗の様子を見て、ユリアはその場に立ち止まって目を白黒とさせている。
「わわっ! えっ!? ホントに?」
少しだけユリアから離れたものの、その距離が翔斗の限界だった。自分の立っている場所が五階建てビルの屋上で、周囲のフェンスを背に立っている状態である以上、この場から逃れるためには、ビルから飛び降りるか、彼女の背後にある扉を通らなければならないからだ。
「わかったよ。時間もあるし、話は聞く。だから訳のわからない力で、俺を抑えつけるのはやめろ」
「ふふっ、そういう素直な子、ボクは好きだよ」
好き、という言葉に反応して、一気に鼓動が早くなったが、その言葉に他意はないだろうということを理解して、翔斗は表情に出さないように必死に耐えた。
「それじゃあ、簡単に説明するね。ボクは魔法少女で、さっきの化け物をやっつけたときに落とした、宝石みたいな石――通称、魔石。そのカケラを回収するためにこの世界に来たの。ただ魔石のカケラを回収する時にその力が暴走することがあるから、あらかじめ結界を展開して人払いをして、暴走した力を抑え込み、二つのカケラを回収したってわけ。説明終了――」
ずいぶんあっさりした説明が終わった。
その説明を受けて、翔斗の脳内で整理を図る。
「腑に落ちるかどうかはともかくとして、そもそも、俺に理解させようという気にない説明だったよな」
「まあまあ、そんなことはないんだけどね。とにかくわかんないことがあるんだったら、質問してよ。答えられる範囲できちんと答えるからさ」
「それじゃあ……その人払いの結界とやらのおかげで周りに人間が消えていたってことなんだろ? だけど、どうして俺がその結界の中に巻き込まれたんだ? なんかミスったのか?」
「いやいや、そんなことはないよ。これでもボクは優秀な魔法少女だからね。ボクが張った結界は、生物や無機物問わず、魔力を帯びたモノを結界の中におびき出すものだったんだよね。ちょっと見方を変えると、魔力を持たないモノを一旦世界の外に追い出す魔法ってことだよ。そういうわけで、魔力を持たないものを世界の外に追い出したってわけ」
「ああ、なんとなくだがイメージはできた」
「理解してくれて何よりだよ。まあとにかく、そんなわけで、翔斗クンと、そして魔石のカケラによって生成された化け物がボクの結界に取り込まれたというわけだよ。それ以外に魔力を持たない生物なんかは、結界の外に追い出されたってワケ」
あのとき、突然翔斗を襲った頭痛、あれはユリアが結界を張ったことによって起きたものだろう。そして、その結果、世界から人が消失したという解釈で間違いないはずだ。
「それじゃあ、その説明によると、俺は魔力を持っているってことになるのか?」
「ま、そういうことになるね。この星ではさ、魔力っていう概念自体が空想のものだっていう認識らしいし、そもそも魔力を有する人間なんていないって言われていたから、結界一つで人払いができると思ったんだけどね。そういうわけだったから、ボクの結界内で翔斗クンと出会ったときに少し驚いちゃったのはそういうことだよ。ふふ、きっと翔斗クンは特別なんだね」
悪びれる様子もなく下をペロリと出すユリア。
その仕草も可愛らしくて、自然と翔斗の口元がだらしなく緩みそうになる。
「なあ、その話を聞いて思ったんだが、もしかして俺も魔法が使えたりするのか?」
魔法、それはとても甘美な響きで、誰しもが一度は憧れるものだろう。
自分の身に起きた不思議な出来事自体よりも、自分がその不思議な力を使えるかもしれないという方向に、翔斗の興味は注がれた。
「まあ、そりゃあね。魔法ってのは、魔力が蔓延っていないこの世界ではあまり見られないものかもしれないけれど、ボクにとってはかなり身近なものなんだよね。だから魔力を持っている翔斗クンなら、魔法を使う訓練をすればきっと使えるようになると思うよ」
「じゃあ、ついでにもう一つ。結界が解けたときに、ユリアの魔法で跡形もなくなった建物が元に戻ってたよな? あれはどういう原理なんだ?」
「翔斗クンだって、普段自分が当たり前のように使っているものの原理なんていちいち考えないでしょ。だからボクが使っている結界っていうのも、同じようにそういうものなんだよ。結界を張る前後で、周囲のものには影響を及ぼさない。言っておくけど、複雑な原理があって、それを忘れたとかじゃないんだよ。それに理屈を説明をしても翔斗クンが理解できないだろうしね」
少しムキになって答えるユリア。
(知らないんだな……)
とはいえ、それを口にすれば、さっきみたいにいきなり拘束されたりするような危険性を孕んでいるので、黙っておくことにした。
「さて翔斗クン、質問はこのあたりでいいかな?」
気を取り直すために、ユリアは一度コホンと咳払いをした。
「散々質問をぶつけておいてなんだが、俺は理屈がどうこうとかで物事を理解するタイプじゃないしな。それに難しいことを聞いても理解できないだろうし、まあ、このへんでいいや」
「うんうん、殊勝な心がけだよ。それじゃあ、本題に入ろっか」
「……本題? まだ何かあるってのか?」
「もちろんだよ。一番大事なことだからね」
綺麗に並んだ白い歯を見せてニッコリと微笑むユリア。その笑みを見た翔斗は、嫌な予感が駆け上がり、背筋が寒くなった。
「翔斗クンには、ボクのパートナーになって欲しいんだ」
そう言って翔斗に手を差し伸べる彼女は、この夜空に瞬くどんな星々よりも輝いて見えた。
(パートナー? いや、パートナーって、それは――)
中学時代までは野球というスポーツに明け暮れ、男臭い日々を過ごしてきた翔斗。
そんな翔斗にとって、美少女のユリアからの提案は一気に血液が沸騰しそうになるくらい衝撃的なものだった。
その一瞬の間に、翔斗はユリアともに過ごす様々な生活を妄想した。
これから、美少女とともに過ごす三年間の高校生活。
そしてその先も……。
翔斗が桃色な妄想に浸っていることを知る由もないユリアは、きょとんした顔で翔斗が手を握り返してくれるのを待っていた。
「――お、俺でよければ喜んでっ!」
今までのことをすべて忘れて、翔斗は本能の赴くままに彼女の手を両手で握りしめていた。
「えっ――、えっ?」
その勢いに、今度はユリアが狼狽えてしまっている。
「……いや、ゴメン。なんでもない。忘れてくれ」
彼女の反応を見て、我に返った翔斗はすぐにその手を離した。
「えーっと、それじゃあ、翔斗クンはボクのパートナーになってくれるってことでいいんだよね?」
「それは――」
数秒前は、つい勢いで頷いてしまったものの、魔法少女という得体の知れない存在に付き合える自信はない。
「ねえ、ダメ……なの?」
うつむき加減で翔斗を見つめるユリア。身長差があるせいで、自然と上目遣いになっており、しかも目の端にはうっすらと涙が貯まっている。
「うっ――」
美少女のそんな仕草を目の当たりにして、無碍に断れる男はこの世にいるのだろうか。もしいるとしたら、そいつは男の風上にも置けないヤツだろう。
非常に残念なことに、綿谷翔斗は男以外の何物でもない。
よって、翔斗の返答は、
「ふう……、わかったよ。男に二言はない」
諦めたように告げるという選択肢しかあり得なかった。
「やったああーー!! ありがとう翔斗クン!」
歓喜に満ちた笑みとともに、ユリアが両手を広げて抱きついてきた。
「――――っ!」
あまりに突然のことで、翔斗は抵抗することも、言葉を紡ぐこともできなかった。
彼女の暖かと柔らかさがが翔斗の全身を包み込み、女の子特有の甘い香りが翔斗の鼻腔をくすぐった。
(やべえ、俺、生きててよかった……)
五感すべてで生の喜びを味わう翔斗であった。
(いや、味覚と聴覚は関係ないけどな)
けれど、そんなことはどうでもよくて、彼女の頼みを受けて心の底から良かったと思った瞬間だった。
綿谷翔斗はとても扱いやすい単純な男なのだ。
(ん? あれ――)
触れ合っている彼女の身体から何か引っかかりを感じたが、完全に浮かれていた翔斗はその引っかかりを違和感まで昇華することはなかった。
そんな束の間の至福の時間も終わり、ゆっくりとユリアが身体を離した。
「ふう、それじゃあ、翔斗クン、改めてよろしくね」
「ああ、とはいっても、俺は何すればいいんだ? 俺にも魔力があるらしいが、その使い方なんて知らないぞ」
「ああ、そんなことね。それは心配しなくていいよ。ほら、魔法少女といえば、お供のマスコット的な動物がいるのがテンプレでしょ? 翔斗クンにはそれになってほしいんだ」
一片の曇りもない瞳で見上げてくるユリアに対して、翔斗はため息をついて頷くことしかできなかった。
どうして異世界から来たユリアが、この世界の魔法少女のテンプレを知っているのかはわからないが、もしかしたら、ユリアの住む世界でも魔法少女とお供のマスコットは一対の存在なのかもしれない。
「まあ、なんでもいいさ。それで気が済むのならば好きにすればいいよ」
もはやどうにでもなれ、という気分で、翔斗は諦めたような気分でぼやく。
「んで、結局、俺がすることは、そのマスコットみたいに魔法少女の活動を見守っていればいいのか?」
いちいちツッコミを入れていてもキリが無さそうだったので、翔斗は甘んじてそのポジションを受け入れることにした。
美少女のマスコットという立ち位置も実はかなり美味しいポジションなんじゃないか、と思ったのは内緒だ。
「そういうことだね。ただ、もちろん魔法の使い方は教えてあげるよ。いざというときには、翔斗クンに守ってもらいたいからね」
「ああ、そっちのほうがいい。女の子が戦っている横で、何もせずに突っ立てるなんてのは、あまりにも情けないからな」
「女の子……?」
何を言っているのだろう、というような表情で、キョトンと首を傾げるユリア。そしてすぐに納得がいったという感じで、目を大きく見開いた。
「あ~、よく勘違いされるんだけどね。こう見えてもボクって、男なんだよ」
あたかもなんでもないことのように、ユリアは天地がひっくり返るような、あまりにも衝撃的な事実を突きつけてきた。
「えっ……」
今までのどんな突拍子のない説明よりもさらに意味がわからずに、翔斗は言葉を失ってしまった。そのときの表情は自分でもわかるくらいに呆けたような間抜けな面をしていたことだろう。
「さてと、あんまり長居はできないし、それじゃあ、ボクはそろそろ行くね。それじゃあ、翔斗クン、また会おうね」
そう言って、彼女もとい彼は、意味がわからず呆けている翔斗に背中を向けた。
その時翔斗が思い返していたのは、ユリアに抱きつかれたときの感触。思い返してみれば、あのときに感じて引っかかりはユリアの胸、否、胸板のあたりによるものだった。
そのときは、完全に浮かれていたせいで、特に気にしなかったのだが、あまりにも真っ平らだったそれは、よく考えればおかしな点だったのだ。
「おっと、この格好でうろつくのはマズイよね」
呆けている翔斗をよそに、ユリアは自分の全身――象徴的な魔法少女の姿を見つめて呟いた。
「解除」
呟くと、ユリアの装いが魔法少女らしい衣装から、以前桜の木の下で見かけた、清純そうな白いワンピースに変化した。手にしていた可愛らしいステッキも、小さなペンダントへと縮小して、ユリアの手のひらに収まっていた。
おそらくは、さっきまでの衣装は魔法少女のテンプレに漏れず、戦闘用の衣装ということなのだろう。
「それじゃあ、バイバイ」
手を振って、ユリアはスカートを翻して扉の向こうへと消えていく。その姿は桜の咲き誇るころに見かけた、いいところのお嬢さまの姿そのものだった。
あのとき見とれたユリアの横顔も、今となっては別のモノのように思えてきた。だってその時のお嬢さまの正体は、男だというのだから。
そして、建物の中にユリアが消えたことで、屋上には翔斗だけが残されてしまった。
「う、嘘だろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーー!!!!!!!!!」
駅前通りに佇むの廃ビルの一つ、誰もいない屋上で叫ぶ翔斗の声は、誰に聞かれることもなく夜空にかき消えたのだった。
――こうして綿谷翔斗の片思いは、思いを伝えることも出来ずに、桜とともに儚く散っていった。