4-9 お別れの時間
目が覚めたとき、まず翔斗の視界に広がったのは見慣れた自室の天井だった。室内は人工的な明かりに満ちており、窓の外は暗闇と静寂が支配していた。
「あっ、翔斗クン。おはよう」
翔斗が目を覚ましたことに気づいたユリアが、いつもと変わらぬ様子で挨拶をしてきた。
「ああ、おはよう」
時間帯的におはようという挨拶は相応しくない気がしたが、それに対していちいちツッコミを入れる気にもならなかったので、そのまま挨拶を返した。
「ぶっ倒れた俺をここまで運んだのはユリアか?」
「そうだよ。こう見えてもボクは男だし、腕っ節の強さには多少の自信があるからね。翔斗クンをおんぶして運んでくるなんて朝飯前だよ」
「そうか、ありがとうな――とにかく、こうして帰ってきたってことは、無事に終わったんだな?」
「うん、翔斗クンのおかげでね」
「そりゃあ、よかった。これで、今度こそ任務完了か?」
「そうだね……。だから――」
そこでユリアが一度言葉を句切ると、その顔から表情が失せた。
「目的が完了した以上は、ボクはこの世界から去らないといけない」
「そう……だよな」
理解していたとはいえ、いざその言葉を聞かされると、心臓に棘がチクリと刺さるような痛みが襲った。
「いつ出発するんだ? さすがに今すぐってわけじゃないだろう?」
「ううん、今すぐだよ。だから、翔斗クンに別れを告げるために、こうして翔斗クンが目を覚めるのを待ってんだ」
「今って、夜じゃないか。何もそんな急いで帰らなくても……」
「くすっ、翔斗クン。別れを惜しんでくれるのは嬉しいんだけれど、時間帯とか、そんなのは関係ないことなんだよ。任務が終わったんだから、すぐに帰還しないとね。それにさっき魔石を回収したことを協会に報告したら、すぐに戻ってくるように言われちゃったからさ」
「そうか……、それならば仕方ない……な」
「そんなわけで、なんかしんみりしちゃいそうだし、ボクはさっさと退散することにするよ。それと最後に一つだけ、実はね、ボクがこの世界にいたっていう記録を消去しなくちゃいけなくなっちゃたんだ」
「ちょっと待て。それって――」
「文字通り、この世界でボクと接した人に対して、ボクに関するすべての記憶を消し去るってことだよ。ボク自身は元々そんなことをするつもりはなかったんだけれど、上官の命令には従わないといけないからさ……」
「ちょっと待て。記憶消去とか、さも当然のごとく語っているが、そんなことができるのか?」
「ふふっ、翔斗クン。忘れちゃったの? ボクは誰にも不自然と思われることなく、翔斗クンの学校に通ってたんだよ。確かに、入学式の直前にいろんな記録は改ざんしたけど、それだけじゃ記録と、関係者の記憶に齟齬が発生してしまうでしょ。だからボクは関係者の記憶をいじって、自然と涼成高校の一員になったんだよ」
「ああ……、そうだったな。あそこにユリアが通っているのは、本来は不自然なことなんだよな……。それにしてもだ。どうして、わざわざ俺たちの記憶を奪う必要があるってんだ!?」
「さあ……。なんでだろうね。ボクが知らなかっただけで、上の連中は最初からそのつもりでいたのかもしれないし、はたまた回収作業の際にボクの知らないところで不手際があったのかもしれない。でも原因がどうとかは関係ないんだよ。ボクはその命令に従うだけだからね」
「じゃあ、俺もおまえのことを――」
その続きを遮るように、ユリアの手が翔斗の口を塞いだ。
「大丈夫だよ、翔斗クン、絶対に大丈夫だから。それじゃあ、翔斗クン。よい子はそろそろ寝る時間だよ。それと、翔斗クンに貸していた予備のデバイスは返してもらうからね」
声を出したくても、ユリアに口を塞がれているせいで、翔斗はまったく声が出せない。それどもろか、喉すら振るわせることが出来ないことを考えると、ユリアは魔法で翔斗の声を奪っているのだろう。
「おやすみなさい。そして、さようなら」
ユリアが小さな手をそっと翔斗の頭に乗せた瞬間、翔斗は急激に瞼が重くなるのを感じた。
(待ってくれ、ユリア。俺はもっとおまえと――)
翔斗は薄れゆく視界の中で、ユリアが部屋から出ていく姿を眺めることしかできなかった。
――その夜、ユリア・ローレントはこの世界から姿を消した。




