3-1 面倒見のよい先輩
「そういや、昨夜、いつものように叔父の店でアルバイトしていたら、面白いことっていうか、ちょっと変わったことがあってさ」
翌日の昼休み、翔斗の向かいで机をくっつけて昼食のハムサンドを囓っている純太が、切り出した。
昨日、入学式を終えたばかりで、授業が始まってまだ一日目ということもあり、教室内はお互いに様子を探るような余所余所しい感じの雰囲気に包まれている。
そんな中でも積極的にクラスメイトに話しかけてゆく人間もいて、そういう人間はすでにグループの中心になっていたりする。
ちなみにユリアのことだ。
ユリアは女子数人と机を並べておしゃべりに興じながらお昼を食べている。性別は男だが、容姿的には美少女なので、ユリアが女子の輪の中に入っていてもなんら違和感がない。
むしろ男子の輪の中にユリアがひとりいるほうが、ビジュアル的にいろいろと違和感が生じることだろう。
「純太の叔父さんの存在自体がすでに十分面白いし、変わっていると俺は思うけどな……。それで、何があったんだ? ついにゲテモノ創作料理が、お客さんに絶賛されたとかか?」
翔斗自身も最近はいろいろと面白いことが取り巻いているが、その内容は無闇に公言ができるものではないので、ここは聞き役に徹することにする。
「それは絶対にないよ。たとえどれだけ物好きであろうとも、あれを好んで食する人間がいたとしたら、俺は正気を疑うね」
真顔できっぱりと言い切る純太。
(こいつは相変わらずきっぱりと物を言うんだよなあ。ま、毎回試食に付き合わされているみたいだし、割と本気で嫌がってんだろうな……)
翔斗はそんな純太の心中を察して息を吐いた。
「普通にしてたらそれなりに評判の店になりそうなのにな……。まあ、あの純太の叔父が普通になんてできるわけがないんだろうけどさ……」
「まあね。とにかく面白いことってのはそんなことじゃないんだ。実はさ――」
そして、純太は昨夜の出来事を語った。
店先で倒れていた金髪の美少女を拾ったこと。その子が無一文だったのでそばをごちそうしてあげて、さらに誰も使ってない店の三階を寝床として提供していること。その対価として、今朝から店をお手伝いしていること。
(金髪美少女ねえ……)
金髪という単語から最初に連想されたのは、昨夜戦った、魔導と後継者と名乗るクリスという男だった。だが、純太が出会ったのは美少女ということだったので、クリスを男だと思い込んでいる翔斗は、その想像をあっさりと打ち切った。
その瞬間、二人はまったくの同一人物を連想していたにも関わらず、その認識が一致することはなかったというわけだ。
「あれ? なんか食いつきがイマイチだね。可愛い女の子の話ってことで、翔斗はもっと興味津々で乗りかかってくるもんだと思ってたけれど」
「いや、そんなことはないぞ。それよりもその子って、俺らと同じくらいの年齢だって言ったよな。学校とかは通ってないのか?」
「さあ……」
「さあ、って……。寝床も提供して、店のお手伝いもさせてるってのに、それでいいのかよ……。随分と曖昧なヤツだな。そのあたりのことを聞かなかったのか?」
「そういえば聞かなかったかな。別に興味がないわけじゃないけれど、事情があるっぽいのは明らかだったし、俺も叔父も相手のことを詮索するのってあんまり得意じゃなくってさ」
「それはなんとなくわかるけどな……まあでも、そんなもんなのか……」
「まあね。まだしばらくは滞在するみたいだし、機会があれば話してくれるんじゃないかな。別に俺はあんまり気にしないけれど、そういうのって、こっちから一応聞いた方がいいのかな?」
「少しは気にした方がいい気もするんだけれど……。純太がいいならそれでいいんじゃねえか。俺が口出すようなことでもなさそうだし」
「んじゃあ、別にいいか。悪い人だったら困るかもしれないけれど、とてもそんな風には見えなかったしね」
話が一段落ついたところで、純太は手に持っていたタマゴサンドの残りを一気に頬張った。
「そういえばさ、翔斗って、部活はいつ入部すんの? 高校でも野球やるんでしょ。さっそく入部届を出しに行っちゃう?」
さも決定事項のように話を進める純太だが、翔斗はあまり乗り気ではなかった。
(野球かあ……)
確かに、高校入学と同時に野球部に入部するということは、入学前から立てていた計画ではあるのだが、いざ入学式を迎える直前でいろいろと事情が変わったのだ。
ちらりと横目で、女子のグループと盛り上がっているユリアの姿を覗き見る。ユリアも翔斗の視線に気がついたのか、視線が合うとニコリと微笑み掛けてきた。
(カケラ集めと部活動、俺には両立できそうもないよなあ……)
どちらかに力を注げば、どちらかをおろそかになる未来しか見えない。
部活とアルバイトを両立していた中学時代の純太のように、要領良くやれば両立も可能なのだろうが、あまり器用ではない翔斗にはきっと厳しいだろう。
もし両立しようとしても、今の自分の状況を鑑みると、どちらに力を注いで、どちらを疎かにするのかはなんとなく想像が付く。
「いや、しばらくはやめとくわ。とりあえず学校の授業に慣れるまでは、勉強に専念して様子見ってところかな?」
もっともらしい理由を並べる翔斗だが、実際その理由はまったくの嘘っぱちというわけではない。
涼成高校は県下でもそれなりの進学校となっていて、勉強の進度もハイペースだと聞いている。スタートダッシュで出遅れないためにも、授業に慣れるというのはとても大切なことなのだ。
ただし、勉強に専念するという点に関して言えば、まったくの嘘っぱちとなってしまうことは否定できない。
「ふ~ん、翔斗はそう思っているかもしれないけれど、周りがそれを許してくれるとは限らないよ」
そう言って、純太は含みのある笑みを見せた。
「それは、どういう意味――」
「綿谷、綿谷翔斗はいるかー!!」
純太に聞き返そうとした瞬間、教室の外から馬鹿でかい声が聞こえてきたと思うと、勢いよく教室の扉が開かれた。
クラス中がにわかに騒然となり、その視線が扉を開けた一人の生徒へと一斉に注がれる。しかし、山のように体格のいい男はそんな視線を気にする素振りすら見せずに、教室の入り口に立ったまま辺りを見渡していた。
(山岸先輩か……)
その男は、翔斗と純太の中学時代の野球部の先輩である。
元々面倒見の良い先輩で、翔斗は中学時代とくに面倒を見てもらった。年は翔斗たちよりも一つ上で、入学試験に合格したときも山岸には報告の連絡をしたほどに親交のある先輩だった。
そんな山岸は翔斗の姿を見つけると、大柄な身体に相応しい大股でこちらに歩み寄ってきた。
「山岸先輩、こんにちは。お久しぶりですね」
まずは純太が鬱陶しくなるくらいの爽やかさで、近づいてくる山岸に挨拶をした。
「おっ、成道か。久しぶりだな。おまえも元気そうでなによりだ」
「先輩のほうこそ、お変わりないようで。少し安心しました」
「フハハ、俺から元気を取ったら顔の良さしか残らねえからな」
その瞬間、教室中がしらっとした空気に包まれたのだが、その理由は敢えて言及しない。
ある意味で空気が読めている山岸は、教室の空気を気にする素振りもなく、翔斗に話を振ってきた。
「さて綿谷、これから野球部のミーティングがあるんだ。どうせおまえは入部するんだろうし、顔見せは早い方がいいだろうからな。迎えに来てやったぞ」
(なるほど。これが純太の言っていたことの意味か……)
どのように対処しようかと悩んだ翔斗だったが、ここは嘘を言ってごまかすよりも、きっぱりと断ったほうが得策だろうと考えた。
「あの~、山岸さん、その件についてなんですが、ちょっと一身上の都合がありまして、入部の話はなかったことでお願いします」
山岸は翔斗の言葉が理解できなかったのか、一瞬キョトンとした顔をしていたが、すぐに翔斗の言葉の意味を理解するとともに翔斗に詰め寄ってきた。
「おいおい、どうしちゃったんだよ……。高校に入ったら、一緒に甲子園目指そうって約束はどうなっちまったんだよ」
傍から見たら上級生が新入生をいびっている図に見えるのかもしれないが、山岸本人が決してこちらを威圧する意図がないことは、付き合いの長い翔斗は理解している。
それでも山岸の身体の大きさや顔の迫力からつい目を逸らしてしまうのは、生物としての本能に近いものがある。
(合格の報告をした時に、高校でも一緒にやりましょうって言っただけで、そこまで言った覚えはないんだけどな……)
そもそも涼成高校野球部は、ここ数年間の公式戦の勝率が五割未満であり、間違っても甲子園に顔を出すような強豪校ではない。つまりは、甲子園を目指してます、なんていうのを憚られるくらいの弱小校だ。
「綿谷、おまえまさか、女でもできたんじゃねえだろうな――?」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか核心を突かれたような、そんな気分になって心臓が跳ね上がった。
「いやいや、そんなんじゃまったくないですよ……」
否定の言葉を並べた瞬間、どういうわけはユリアの顔が脳内をよぎった。
(いやいや、確かに彼女ができたって言葉に嘘はないし、ここでユリアが出てくるのは、おかしいだろ。あいつは男であって、そういうのは関係ないんだから。っていうか、俺は誰に対してこんな言い訳を連ねているんだ……)
「じゃあ、なんだって言うんだ……?」
山岸は諦める様子はなく、頑としてその場から動こうとしない。純太に助け船を期待して純太のほうを見たが、頼りにならない友人はすでに無関係を決め込んで、昼食を再開している。
(くそっ、純太の野郎……)
胸中で悪態をついていると、意外なところから翔斗を助ける船がやってきた。
「あの、すいません。翔斗クンも困っているようなので、そのあたりにしておいてもらえませんか?」
ちょんちょん、と山岸の背中を叩いて声を掛けたのはユリアだった。
「むっ、あなたは?」
ようやく山岸の視線が翔斗からユリアへと移り、翔斗はほっと息をついた。
(いや、なんか妙に嫌な予感がするんだが……)
息をついたのも束の間、どうにも話がさらにややこしくなりそうな気がして、翔斗は気が気じゃなくなった。
「ボクは、ユリア・ローレントと申します。翔斗クンはクラスメイトであり、仲間です。そんな仲間が困っている様子だったので、こうして口を挟ませてもらいました」
女の子のように華奢な身体のユリアと大柄な山岸では、例えではなくて頭一つ分くらいの身長差がある。だが、そんな山岸を前にしてもユリアは怯む様子はいっさいない。
そもそも普段は、魔法少女として山岸より何倍も身体の大きな相手と対峙しているのだから、山岸に怯える理由はないのかもしれない。
「ユリアさんと言いましたか? 俺から一つあなたに伝えたいことがあるのですが、よろしいですか?」
なぜか下級生であるはずのユリアに対して、敬語を使い始める山岸。翔斗の感じている嫌な予感は、すぐそこで手ぐすね引いて待っていた。
「……? いいですけれど、それを聞き入れたら、翔斗クンを解放してくれますか?」
「もちろんです。男、山岸保。綿谷翔斗を解放すると誓いましょう」
このあたりで、翔斗は何やら二人を取り巻く空気感がおかしなものになっていることに気がついた。とはいえ、翔斗がここで口を挟めば、ただでさえややこしい事態が余計にややこしくなる気がしたので、口を噤んでいた。
「わかりました。話を聞きましょう」
ユリアが言うと、山岸は目をカッと見開いてユリアの手を取った。
「ユリアさん、あなたにマネージャーとして、野球部に入部していただきたい」
「えっ、えっ……」
困惑しているユリアをよそに山岸は勝手に話を進める。
「俺と一緒に甲子園を目指しませんか? 今のままじゃ厳しいかもしれませんけれど、あなたの応援があれば甲子園も夢じゃありません。そんな気がします」
がっちりとユリアの両手を包み込みこんで、目をキラキラと輝かせている山岸。
「あ、あの……、勘違いしてるかもだから、いちおう言っておきますけれど、ボクはこう見えても男ですよ」
「えっ……」
その事実を知らされた山岸は、明らかに狼狽えたような声を漏らして、その顔に陰が差した。
(まあ、ユリアを初めて見て、男だって看破できるヤツなんているわけないもんな。山岸さんもお気の毒に……)
山岸に対して妙な仲間意識が芽生えている翔斗は、胸中で彼に対して慰めの言葉を並べた。
しかし、そんな翔斗の心配をよそに、山岸の顔からその陰が消え、途端に決意を秘めたようなキリッとした表情になる。
「性別なんてのは、ほんの些細な問題です。誤差のようなもんです。なんの問題にもなりません。むしろこの場合、ユリアさんはマネージャーだけでなく、選手としても一緒に活躍できる可能性があるのですから、むしろプラスと考えるべきではないでしょうか?」
「……えーっと」
光明を得たり、とばかりに目を輝かせている山岸に対して、今度はユリアが困ったような表情になり、翔斗に助け船を求めるような視線を送ってきた。
「山岸さん、ユリアが困ってるんで、そのへんにしておいてもらえないですか?」
「綿谷、俺を止めてくれるな。おまえについては、泣く泣くではあるが仕方がない。諦めることにするさ。ユリアさんと約束した以上は、引き下がることにする。だが、ユリアさんに関しては、どうしても引き下がるわけにはいかないのだ――ユリアさん、どうでしょうか? 考えるだけ考えてもらえませんか?」
ユリアは山岸の熱意に負けたのか諦めたようにため息をついた。
「わかりました。ただし一つだけ条件があります。その条件を満たしていただけるのであれば、ボクは野球部に入部します」
「おう、何でも言ってくれ。必ずやその条件とやらを達成してお見せ入れよう」
任せろとばかりにドンと胸を叩く山岸。
「条件と言っても難しいことじゃありません。ボクの条件は翔斗クンが野球部に入部ことです。翔斗クンが入部をするのならば、ボクも一緒に野球部に参加することにします」
「それじゃあ、綿谷――」
これ幸いと満面の笑みでこちらに向き直った山岸だが、その機先を制するようにユリアが言葉を発した。
「先輩、さっき翔斗クンは強引に勧誘しないって約束してくれましたよね」
「はっ――」
山岸は、巧妙に張り巡らされたユリアの罠に気づき、息を呑んだ。
「ぐぬぬ、だがここで、綿谷を野球部に引き入れることは我が野球部の戦力アップにも繋がり、さらにユリアさんが入部してくれるという、一石二鳥なのだが……。綿谷を強引に勧誘するわけにもいかないし……。どうすれば――」
八方塞がりになってしまった山岸は頭を抱えて唸り始めた。
「うむ、仕方ない……。いい手が思い浮かばない以上はこの場は退こう。だが綿谷、いずれはおまえを引き入れて、ユリアさんにも野球部に入ってもらうからな」
捨て台詞のような言葉を残して、山岸は教室を後にした。嵐が去った後は、翔斗たちに向けられていたクラスメイトの視線も消え去って、ようやく翔斗は一息つくことができた。
「くくっ、なんだか、これからなんか面白くなりそうだね」
高みの見物をしていた純太は、おかしそうに笑っている。
いっそのこと、どうにかコイツを盾にして逃げればよかったな、と翔斗はちょっぴり後悔した。
「翔斗クンの先輩、面白い人だったね」
山岸が出て行った扉を見つめて、ユリアがくすっと笑う。
「俺も中学時代は何度も世話になったし、悪い人じゃないんだよ。ただちょっと強引なところがあるっていうだけで……」
ともかく、開始早々こんな事態に巻き込まれているのだから、自分の三年間は平穏という言葉とは無関係な時間を過ごすのだろうな、ということは容易に想像がついた翔斗であった。