4.願い蝶の危機
〈4〉願い蝶の危機
シュマはわたし達を助けようとしていた。わたし達というよりも、わたしを、だ。妖精喰いに追われ、《嘆き》から逃げ惑うわたしを助けようとして、風になって力を放ったという。シュマの力はよく分からない。でも、ヴィアがシュマの力を借りて、大きな風を起こしたのを見た事があるから、少しだけ想像ができた。きっと、ヴィアの反対を押し切って、わたしを助けようと飛び出したのだろう。
ということは、これは、わたしの責任でもあるわけだ。
「《無》に捕まった……シュマが……」
わたしは固まった。
シュマは飛び出し、そのまま、《無》の懐に飛び込む事になってしまったらしい。すべてはヴィアを手に入れる為。大きな力を手にする為に、シュマに目を付けた。
ヴィアは、もう半分、《無》に捕まってしまったかのようだった。
捕まったシュマがどうなっているのか、全く分からない。
ただ、ヴィアには声だけが聞こえるという。
「シュマはどうにか逃げようとしてる。だけど、《無》はあやふやで、何処から何処までが体かも分からない。逃げ切ったと思っても、すぐ傍にいるんだそうだ。可哀そうに、とうとう逃げる気を無くして、《無》の懐でずっと泣いているよ」
ヴィアはわたし達とは目を合わさずに言った。
「でも、生きてはいる。まだ生かされている。これだけでも有難いことだ……」
生きてはいる。
それは、わたしにとっても救いの情報だった。でも、シュマが捕まったのは、きっとわたしのせいだ。彼女の涙は、わたしの責任だ。
わたしはそれ以上、ヴィアを見ていられなくなった。
「お前のせいじゃないさ」
ヴィアはわたしの心を読み取ったのだろうか。
「全部、この私の所為だ。私があの子をそっとしておけば、《無》はあの子に目をつけなかったというのに……」
ヴィアが泣いた。
あの魔女が。あの大蛇が。大きなぎょろりとした目を涙で輝かせ、思いを馳せる精霊の名を呼んで、呼んで、呼び続けた。
わたしも、アランシアも、ヴィアにかける言葉を無くした。
何を言っても、シュマが戻ってくるわけではない。《無》に勝てる訳ではない。状況は何一つ変わらないのだ。
それでも、ヴィアの心を和らげられやしないか。
そう思って、わたしはひとこと声をかけようとした……のだけれども。
わたしの視界がぐらりと揺らぎ、一瞬にして、風景が変わった。
そこは、別の森の中。もう既に、何回か見た場所。夢の中の風景。でも、今度は違う。わたしは確かにわたしとして、別の存在として、それを見ている。
蜘蛛の巣にひっかかった、蝶々の娘。
「ねえ、お願い、あたしの話を聞いて!」
そう叫ぶ声を、わたしは知っている。
「あなたは利用されているの!」
ウィスだ。願い蝶のウィスだ。ウィスの目の前には、巣の主がいる。長い紫の髪を垂らした、蜘蛛。静かに手を伸ばし、ウィスの頬に触れる。微かに見える口元が、少しだけ緩んだ。
ウィスは目を閉じて、また、叫んだ。
「違う! 違うったら! あたしは別の蝶なの! 分かってるんでしょうッ!」
威嚇するも、蜘蛛は全く動じていない。
ゆっくりと手を伸ばし、ウィスの頬をひと舐めしていった。
これは何だろう。
何の光景だろう。
どうしてわたしはこんな光景を見ているんだろう。
さっきまで、ヴィアやアランシアと喋っていたんじゃなかったっけ?
どうして、ウィスがいるの?
どうして、蜘蛛の巣にかかっているの?
ウィスを見つめる蜘蛛の目が怪しく光った。その目を見つめて、ウィスは顔を真っ青にして、慌ててもがき始めた。
「いや、やめて、お願いッ! やめて――ッ!」
「おい!」
わたしは揺さぶられて、はっと目を見開いた。
目の前にいるのは、ヴィアだ。アランシアも見える。二人とも、心配そうにわたしを見つめていた。
わたしは目をきょろきょろとさせてみたけれど、もうウィスの姿も、蜘蛛の女の姿も見えなかった。
ただ、わたしの耳について離れないのは、ウィスの悲鳴。
そして、ずきりと痛む、胸元の感覚。
何が起こっているのだろう。
ウィスは何処に居るのだろう。
ぼんやりと考えるわたしを、ヴィアは複雑な眼差しで見つめると、低く、深く、息を吐いてから、ぼそりと呟いた。
「時間がない」