0.夢
〈0〉夢
わたしがその蝶に会ったのは、星の埃が雪の様に降っている涼しい夜だった。
星の埃が一体何のことか、詳しくは私にも説明できない。でも、その時のわたしには、その光が星の埃であるとすぐに分かった。私はその星の埃に見惚れながら、さらに、その蝶の美しい姿にも見惚れてしまった。アゲハ蝶だろうか、否、ルリタテハだろうか。
全く違うはずの二つの蝶が、その姿に重なっていた。きっと夢の中だから、こんな姿なんだろう。と、わたしはふと思った。
――夢の中?
どうして、分かったのだろう。どうしてか、わたしには、これが夢だとはっきり分かった。
蝶は美しい黒真珠の様な目で、わたしを見ていた。わたしはその目に引き込まれ、すっかり蝶の心の奥に囚われてしまった。どうしてだろう。彼女の傍に居たい。彼女の傍に居たら、安心する。良い事がある。きっと、悪い事は起こらない。そう思った。その深い、深い、瞳の奥に、わたしを安堵させる何かが潜んでいるのだ。
蝶は美しく、安心感を与える娘だった。わたしよりも少しだけ年上のような気がした。
わたしはすっかり、彼女の虜だった。
彼女はそんなわたしを見つめ、両手で包み込んでくれた。仄かに温かく、仄かに冷たかった。彼女は教えてくれた。
(あたしは願いの蝶。
あなたが価値あるものを譲ってくれたら。
あたしはいくつか願いを叶える。
あなたに相応しい数だけ)
彼女はわたしをぎゅっと抱きしめ、翅を揺らした。とても綺麗な翅だった。黄色ともいえず、青色ともいえない不思議な色。絶えず、焼きついてくるその色。これが、彼女がこの世界のどの蝶とも違う存在であることをわたしに知らしめている原因だった。
彼女の黒真珠の目が、わたしを覗き込んだ。
(あなたは何をくれるの?)
わたしを見つめて訊ねた。訊ねている。でも、彼女は知っている。わたしも知っている。彼女が貰うものを。彼女が欲しいものを。それが何なのか。そして、彼女はもうすでに掴んでいる。わたしには分かる。掴まれているわたしには、よく分かる。わたしには、一つしか選択肢がない。この先、どう足掻こうと。わたしはこれを拒否できない。否、足掻くすべすら、わたしにはない。
わたしは固唾を飲んで、彼女の手を少し握った。冷たさの裏に、暖かさがある。少しも怖くはなかった。寧ろ、安心が広がる。大丈夫、恐がらなくてもいい。わたしは自分に言い聞かせ、彼女との間に、一つの契りを結んだ。
彼女は微笑み、光輝く鱗粉を振りまいた。星の埃が鱗粉に退けられて跳ね返った。
光と光のぶつかりが、とても美しかった。
(ありがとう)
彼女が言った。
(きっと守るのよ、その約束)
彼女が消えた。辺りに残ったのは、光だけ。そう、光だけだった。