二章・拳銃を持って道を違う
永遠に伸びるアスファルトの道路があった。車通りも人通りも一切無く、悲劇的な詩人の様にポツンと立つ電柱が印象的な、道路だ。
永遠に伸びる道路など在るわけが無いのだから、夢を見ているんだな。と、かなり初期の段階で判った。
どうやら僕は眠っているらしい。それは判った。ただ、いつの間に寝たのかも、目を覚ました自分が一体どこに居るのか全く判らなかった。
目を覚ました僕は、おんぼろボルボに乗ってディズニーランドを目指しているのだろうか。それとも、映画館の暗がりの中で、映画の途中で眠ってしまったなぁと後悔するのだろうか。
それとも、あるいは、元々全てが夢なのか。
「これは俺が見ている夢かもしれない」
不意に頭を過ぎるのは、銀哉の声だ。そうかもね、と僕はこっそり思う。そして、眼を覚ます事にする。
眼を覚ますと、僕は暗がりの中に居た。正面、遥か遠くに星が見えて、それが少しずつ横に移動している様に見えた。背中からは不規則な振動が延々と響いていて、そのせいか、身体中が痛かった。痛がる身体を宥めながら、僕はなんとか上体を起こす。
電柱が次々に、後ろに流れている。特徴の無い、似た様な住宅がいくつも並んでいて、それも次々と流れていく。どこかの住宅街だろう。
僕は、相変わらずおんぼろボルボでディズニーランドを目指しているらしい。
「起きたか」
パトカーが来る直前に寄ったコンビニで買ったのか、それとも、僕が眠っている間に別の場所に寄ったのか、銀哉はいつの間にか小さな酒瓶を手にしていた。顔が若干赤らんでいる。朱花の口からはイカの足が飛び出していた。「食うか?」と、朱花がイカの足を薦めてきて、それから銀哉が「飲むか?」と、お酒を勧めてくる。
「ここは、どこ?」
僕はイカの足も、お酒も無視して、そう聞いた。聞いてから、一体どういう算段でここがどこか、などと聞いたのか判らなくなった。ここは夢か、それとも現実か、僕達は人生に置いて、一体どこに居るのか、そういった曖昧な質問だったのかもしれないし、それとも単純に、日本地図上の現在位置が気に成ったのかもしれない。
ただ、なんにせよ、銀哉は意外な事を口走った。
「丁度今、ここがどこかという話題で持ちきりだった所だよ」
赤ら顔ではあったが、銀哉の声は相変わらず良く通った。「ここはどの辺りだろうな」
「迷子という事?」
「道が俺達を迷ったんだ」
朱花がイカの足を咥えたまま、そう言った。「人は皆、迷い子とも言える」とも付け足す。
「朱花さんは絶対に認めないけど、迷子に成ってしまいましたとさ。もう三時間はうろうろしてるよ。本当なら、とっくにディズニーランドに着いてる筈だったのに」
「悪いな」
朱花が、ちっとも悪くなさそうに言う。
「別に、急いでる訳じゃないから良いんだけど」
「ねえ」
溜まらず、僕は口を挟んだ。その瞬間、銀哉の表情が若干曇る。僕が何を言い出すか、予期したのだろう。
「さっきの話なんだけど」
「春風ちゃんの事か?」
「うん、そう」
混乱と言うものに許容量が有るとすれば、その許容量はとっくに超えている。そのせいか、僕は自分でも驚くほど淡白だった。
「殺された、っていうのはどういう事?」
春風は風邪をこじらせた。僕はそう聞いていた。いや、しかし、余りに唐突だった事は覚えている。それが根拠という訳でもないが、銀哉の話を聞かずにおんぼろボルボを降りるつもりは無かった。
「殺された。珍しい話じゃないが、許しがたい話だ。そうだろ?」
「だって、お医者さんが、春風は風邪をこじらせたって」
「嘘だ」
銀哉は即答した。「その医者は嘘を吐いている」
「それって、もしかして、あの医者が犯人だって事?」
言いながら、不意に、医療ミスという単語が頭を過ぎる。医療ミスの隠蔽。ありえそうな話では、ある。ただ、現実味は伴っていなかった。
「そいつも犯人だ」
果たして、銀哉はそう言い切った。
「も?という事は」
「大勢だよ。何人が春風ちゃんの殺害に加担しているか、そこまでは知らない」
「本気で言ってる訳?」
「信じてないのか?」
「信じろって言われても……」
「信じろとは言っていない。ただ、それが事実だ」
正直に言うと、狂人の戯言にしか聞こえなかった。「大体さ」と僕は続けて言う。
「もし仮に、百歩譲って、銀哉の言うとおりだとして」春風が殺された、という事実を、僕はまだ受け止める事が出来ない。
「どうして銀哉が、その事を知ってるの?いや、そもそも、春風はどうして殺されたの?」
銀哉は黙った。朱花は、先程から一言たりとも話に参加しようとしない。沈黙を押しのける様に、僕は更に続ける。「もしかして」と前置きをして、下手な推理を披露する事にした。
「もしかして銀哉は、春風と付き合ってたとか?」
「ん?」
銀哉が心底不思議そうな顔をする。
「こう言うのもなんだけど、春風は結構大人びてたから、銀哉みたいな年上の恋人が居てもおかしくは無いと思うんだ」
馬鹿馬鹿しくなって、早口になる。
「それで、春風が死んで、君は怒って、春風の死の真相を調べ始めた」
「ほうほう」
「そして銀哉は、ディズニーランドに犯人が居る事を突き止めた、とか」
「犯人は誰だ?」
「アヒルの水兵か、ネズミの王様か、どちらか?」
「素晴らしい」
銀哉が手を叩いた。うっすらと笑みを浮かべて、
「そして復讐をする為に、俺達はディズニーランドに向かっている」
と、銀哉が僕の下手な推理に乗ってきた。
「おんぼろボルボで」
と、僕も乗る。
「拳銃を持って」
叙々にヤケクソに成ってくる自分に、僕は気付いている。
「俺は春風ちゃんと会った事は無いよ」
銀哉が、そう言った。それからこう続ける。
「時が来たら、全部話すよ」
「本当に?」
「だけど、もう少し待ってくれ」銀哉が寂しそうな笑顔を見せた「俺もまだ、覚悟が出来てないんだ」
「覚悟?」
「全てを語る覚悟だよ」
恥ずかしそうに、そう言った。
「ディズニーランドに着いたら、全部話す。それまで待ってくれ」
言いながら、銀哉は酒瓶を口に向かって傾けた。それから再び、「飲むか?」と聞いてくる。
「僕は、未成年なんだけど」
「大丈夫、俺の隣の人なんて不法入国者だから」
その言葉に、朱花が、ふん、と鼻を鳴らす。それから「お前なんて、免許も持ってないじゃないか」と自分の事を棚に上げて銀哉を攻めた。
僕は酒瓶を受け取った。強烈なアルコールの匂いが鼻を刺す。匂いだけで、気分が悪くなった。これ、毒か何かじゃないよな?と半ば本気で思う。
意を決して、一口だけ含んだ。大人に成ればお酒は避けて通れない道だし、高校の友人の中には、酒飲みである事を自慢するものも居る。酒飲み自慢が居るくらいなのだから、匂いはともかく、美味しいのかもしれない。そう思った。が、実際には、匂いをそのまま味に変えた様な味で、「おえ」と嗚咽した。
「なんでこんなの、好き好んで飲んでるんだよ」
「秋色にはまだ早かったか」
銀哉は、嬉しそうだ。対して、朱花は不満そうに、
「俺も酒は嫌いだ」
と、頷いていた。
それから程なく、銀哉が振り返り、何を言いかけたのか笑顔のまま口を開いたが、直ぐに眼を丸くして、
「どうした?」
と、聞いてきた。
「え?」
「何を泣いている?」
「泣いてる?」
「そんなに不味かったか?」
訳も判らず袖で眼を拭うと、うっすらと袖口が濡れた。あれ?ともう一度眼を拭う。また濡れた。そこで漸く自分が泣いている事に気付いた。そして次の瞬間、決壊した。思えば、洪水はずっと続いていたのだ。ここまでダムが耐え切れた事こそが、奇跡だ。とめどなく溢れる涙を、僕は止める事が出来なかった。
く。と顔を両手で抑え、俯く。
「春風、春風にも」
嗚咽しながら、言う。「ディズニーランドに誘われたんだ」
ディズニーランドに行こうよ。春風にそう誘われた時、僕はなんと答えた?覚えていない。どうしてだ?どうでも良かったからに他ならない。
あれが最期だなんて、思わなかった。
「大丈夫だ」
銀哉の声が聞こえる。
「俺達は、ディズニーランドに行く」
眼を拭って、鼻水を啜る。なんて、ザマだ。「それで何か変わる?」
「何も変わらない」
渋々認めるかの様な口調だった。
「行こう」
そう言ったのは、間違い無く僕だ。
「イコウ?」
「ディズニーランドに」
「最初からそう言ってるじゃないか」
銀哉が苦笑する。
本当に行くのか?この狂人の戯言を信じるのか?そう、何度も尋ねてくる利己的な僕も居るのだけれど、僕はそれに気付かない振りをする。
ディズニーランドに、向かう事にした。
このお話はフィクションです。作中の登場人物が走っている街は、実在しません。
ディズニーランドに向かう道筋も、実在のものと大きく違っています。
ディズニーランドも、別のものかも知れません。