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一章・おんぼろボルボが走り出す

 「俺と一緒にディズニーランドに行こう」

 「え?」

 聞き返しながら、「これは何か、珍妙な夢の可能性が有るぞ」と考えていた。もしかすると、映画が始まって直ぐ、眠ってしまったのかもしれない。突拍子が無いという事は、夢の専売特許に思えた。

 銃口を頭に向けられたまま、僕は動けない。ぽかんと口を開け、その男の顔をじっと見る。細身で、長身の若い男だった。ただ、細長い、というよりは、引き締まっているという表現の方がしっくり来る、少々日本人離れをしたモデルの様なスタイルの男だ。拳銃を構える様子すら、サマに成っている。

 「あ、貴方は?」

 まだ夢の可能性も捨てていないが、これが現実の可能性も無い事は無い為、礼儀の為に一応聞いた。

 「俺は、(ぎん)()

 銀哉と名乗った男は、拳銃を玩具の様に振り回して、それから僕の肩を掴んだ。

 「立つんだ。急がないと警察が来る」

 それは、僕にとって、願ったり叶ったりなのだが。そう思いながらも、結局僕は立ち上がった。これが夢だろうが、現実だろうが、拳銃が恐ろしかったからだ。

 立ち上がった瞬間、銀哉と名乗った男の左手が僕の首に絡まった。右手は僕の頭に拳銃を向けたままだ。

 成すがまま銀哉に引き摺られ、遅れて気付く。僕は人質に成った、そういう事か?まるで人質の手本の様に、何も出来なかった。この有様を見れば、世界中の強盗やテロリストが、僕を人質にしに来るかもしれない。

 「ちょ、ちょっと待って」

 「後でゆっくり話そうじゃないか」

 「あ、貴方は、一体」

 「さっき名乗ったろ?」

 「いや、そういう事じゃなくて」

 「ああ、判ってる、判ってる。だけど、今は時間が無い。とにかく、急ごう。警察が来たら面倒だろ?ディズニーランドに行けなくなるじゃないか」

 ディズニーランドが、そんな殺伐とした状況で向かうべき場所だとは、どうしても思えなかった。

 「とにかく、下手な抵抗はしないでくれ。出来れば、誰も傷つけずにこの場を収めたいんだ」

 それは、「最悪の場合、誰かを傷つけますよ」という宣言にも聞こえた。ゾっと血の気が下がって、それから嫌な汗が出た。頭の回転が鈍くなり、半ば夢見心地のまま、銀哉と名乗った男の言うとおり、歩く。

 気が付くと、シアター内に人の姿は残っていなかった。座席の下にカバンやごみが散らばっている。ただ、それでも、「フランケンシュタイン」の上映だけは続いていた。照明が点いている所為か、画面は白んでいて、殆ど見えない。

 「映画の邪魔をした事は、悪かったと思ってるんだ」

 銀哉は、誰に、と言う訳でもないだろうが、そう弁解した。ただそれは、僕の頭に銃口を向けている事は、悪い、とは思っていない。という意味にも聞こえた。

 「さぁ、行こう。外で車が待っているんだ」

 「く、車?」

 訳が判らず、オウム返しをする他無かった。慌てている僕を他所に、銀哉は落ち着いた様子で、それがまた、現実味が無い理由の一つだ。

 「歩いてディズニーランドに行くつもりか?」

 「さっきのあれ、本気なのかい?」

 「サッキノアレ」

 さっきのあれとは、なんの事だ?と言わんばかりに、銀哉が顔を歪める。

 「でぃ、ディズニーランド。どうして、君は、一体」

 鈍った頭は、日本語すらまともに出力しない。ただ、それでもなんとか汲み取ってくれたのか、銀哉は、「ああ」と首肯した。

 「そうだ、俺達は、ディズニーランドに行くんだ。ミッキーと会うんだよ」

 「こんな事しなくても、ディズニーランドくらいいつでも行けるじゃないか」

 「ただ行くだけじゃ駄目だ。お前が必要だったんだよ」

 「だから、その意味が判らないんだってば。そ、それに」

 「それに?」

 「これは、誘拐の作法としては、大きく間違ってる気がする」

 別に僕自身、「誘拐の作法」なんてものに詳しい訳ではないが、誘拐というものは、もっと静かにやるべきものだ、とは思う。白昼堂々、映画館で発砲して、大勢の人間に目撃されながら誘拐するなんて、もっての外だろう。それくらいは、判る。

 ただ、銀哉は、「心外な」と言いたげに、眉を潜め、

 「これは誘拐じゃない」

 と嘯く。「お願いだ」と拳銃で頭を小突いてきた。

 「誘拐じゃないなら脅迫じゃないか」

 僕にしては、中々の食い下がり様だったとは思う。自分の耳にも良く聞こえない程度の声量だったが、それでも、なんとか必死に声を出した。

 銀谷は動じない。

 「良いから良いから」

 と、笑顔を見せる。何も良くないんだけど。

 銀哉は僕を引き摺ったままシアターのドアを蹴った。両開きのドアが勢い良く開く。


 シアターと受付を繋げる、長い廊下に出て、僕は息を呑む。正面に、戦々恐々と、あるいは興味津々といった調子で見守る、数十人もの人だかりが有った。中には信じ難い事に、携帯電話のカメラ機能でこちらを写真に収めている人も居る。がやがやと、騒がしい。目の前の人だかりは、壁にしか見えなかった。

 「道を開けろ!」

 銀哉が、そう叫んだ。

 「こいつの頭を吹っ飛ばすぞ!」

 それは、人質の扱い方としては、正しい部類に入るかもしれない。ここに来て、漸く僕の頭が状況に追いついてきた。もしかすると、僕は今日死ぬかもしれない。そう思った訳だ。残念ながら、これは現実の様だった。

 人だかりが真ん中から割れ、道が開く。中には、今なお携帯のカメラでこちらを収めようとしている者も居る。

 「撮影?これって、撮影?」

 胸のはだけた服を着た女が、隣に居る色黒の男の腕に擦り寄っているのが見えた。その光景に憤る。僕が殺されそうに成っているのに、なんでいちゃいちゃしているんだよ、とそう思った訳だ。

 銀哉は僕を引き摺ったまま、お構いなしに進む。

 心臓が、叙々に高鳴るのを、僕は感じている。銃口よりも、好奇の視線の方が怖かった。誰一人状況を掴めていない。中には、楽しんでいる人間も居るに違いない。

 「お、落ち着きなさい」

 不意に、グレーのスーツを着た禿頭の中年が正面に飛び出してきた。汗の所為なのか、妙にテカっている頭を撫でている。

 「銃を下ろすんだ」

 へっぴり腰では有るが、ハッキリとした口調で、禿頭の男がそう言った。両手を前に出して、猛獣との距離を測るかの様に、僕らが前に一歩出る度に、一歩後ろに下がっている。

 「どいてくれないか?」

 銀哉は「本物だぞ」と銃を見せびらかす。それから、

 「アンタ、支配人だろ。お客様を守ろうってのは、立派だ。中々真似出来ない。尊敬に値するよ。だけど、アンタがそこに居ちゃ、また誰かを撃たなきゃ成らなくなる」

 また、と銀哉が言っていたのを、僕は聞き逃していた。

 「もう警察は呼んだか?呼んだよな?」

 銀哉の問いに、支配人らしき男は顔を引き攣らせる。判りやすい反応だった。「ならモタモタしてられないな」と呟くと、銀哉は再び銃口を天井に向け、発砲した。

 脳髄を揺さぶる轟音に、展開が再び動き出す。


 もう何日も外を見ていない気がした。僕は相変わらず、銀哉に引き摺られたまま何一つ抵抗出来ないで、そのまま無理やり映画館の外まで連れて来られていた。映画館の隣に、大きな時計が見えた。四時丁度を指している。僕が映画館に入ってから、二十分しか経っていなかった。銀哉が僕に拳銃を向けてからは、五分も経っていない。

 警察はまだ到着していない様だが、驚くべき事に、一局だけとはいえ、テレビ局が到着していた。マイクを持った女性リポーターと、カメラをバズーカの様に構える男の姿が見える。テレビ局が早すぎたのか、それとも警察が遅いのか判断は付かないが、警察よりも先にテレビ局が到着するのは大きな問題に思えた。

 「あれが俺の車」

 と、銀哉が銃口を僕の頭から一瞬だけ離した。

 視線の先に、おんぼろのオープンカーが有った。元々の色は銀色だったのだろうが、傷なのか錆なのか判断が付かない黒色が所々で自己主張している。廃車の山に埋もれていそうな車だった。

 運転席には、赤い髪の男が居る。銀哉の仲間だろうか。その男の投げ出された右腕に、しっかりと拳銃が握られているのが見えた。

 「ボルボのC70」

 銀哉は、自慢気だった。

 「乗るんだ」

 「あの、一つ言っておくけど」

 「なんだ?」

 「僕を誘拐しても、得な事なんて一つも無いんだ」

自慢ではないが、僕の家は清々しいくらい貧乏だ。両親は不味くて量の多い事が売りのラーメン屋を営んでいて、最近近くに出店されたファーストフード店にお客を取られてばかりいる。そのお陰で、僕は大学進学への夢すら絶たれている。僕の両親から巻き上げられるものといえば、ラーメンの無料券くらいのものじゃないだろうか。いや、半額券かもしれない。その旨を告げたが、銀哉は怯まなかった。

 「金銭は人類最大の失態だ」

 まるで、自分だけがそれを知っている、と言わんばかりの口調だった。自信満々に、胸を張り、辺りを見回す。「金が目当てじゃない」

 「ラーメンの無料券?」

 混乱していたのか、僕はそう聞いた。銀哉は「それは欲しいかもしれない」と笑った。

 「さぁ、行こう。グズグズしてる暇は無いぞ」

 「ちょ、ちょっと待って」

 僕に残された唯一の手段は、グズグズする事だけだった。グズグズしている間に警察が来てくれないものか、と祈る。祈りは通じない。

 「本当に、ディズニーランドに向かうの?冗談だよね」

 「どうして冗談だと思う?」

 心底不思議そうな表情だった。どうしても何も、こんなの、ディズニーランドに行く手順としては、大きく間違っているからだ、と指摘してやりたかった。

 「もしかして、ドッキリ?」

 言いながら、テレビ局のクルーを見る。「大成功!」と書かれた看板を持っていないものか、と探した。ただそこで、一介の、貧乏ラーメン店の息子をドッキリで陥れても視聴率は望めない事に気付く。


 銀哉は僕を引き摺りながら、ボルボに近付く。

 テレビ局は、カメラを回し続けていた。この、自分の間抜けな様子が全国に放送されているのかと思うと、笑ってしまう。

 「これから、この少年を誘拐させてもらう!」

 銀哉はテレビに向かって、高らかに宣言した。誘拐とは、こんな大々的に宣伝していいものなのだろうか。誘拐とは、秘密裏に行われるものではないのか?

 「ほら、お前も、折角にテレビに出てるんだ、何か言った方が良いんじゃないか?」

 「え。えっと、なんだか、誘拐されるみたいです」

 「そんな声じゃ、誰にも届かない」

 銀哉はそう言って、それから、「煙草税を下げろ!」と喚いた。「恋人募集中!」とも言った。そして再び車に向き直り、「さあ、行こうか」と僕を離す。

 「乗るんだ」

 目の前の銃口が、獰猛な猛獣の口に見える。僕は渋々、銀哉に従った。後部座席のドアに手を掛ける。すると、赤い髪の男が口を開いた。

 「悪いけど、ドアは壊れてる」

 「え?」

 「上から乗ってくれ」

 結局僕は、ドアを跨いで、おんぼろボルボに乗りこんだ。心臓の高鳴りが聞こえる。おい、本当に、行くのか?身体が震えて、幼い頃の貧乏揺すりの癖が再発した。不意に、両親の顔が思い浮かぶ。「なんだか、誘拐されるみたいです」と心の中で唱えた。

 車を囲う様に、大勢の人が居た。これだけ大勢の人間が居るのに、こんなにも派手で馬鹿らしい誘拐劇を、誰一人止める事が出来ないという現実が、不思議だった。

 続いて銀哉が颯爽とドアを乗り越え、おんぼろボルボの助手席に乗り込んだ。「出発だ」と宣言する。呼応するかの様に、エンジンが重低音を上げた。壊れるんじゃないかと心配に成るほど激しい振動が伝わってくる。


 そして、不意にエンジンの振動が止む。

 「抱歉<すまない>」

 赤い髪の男が、何かを呟いた。なんと言ったのか、聞き取れなかった。それから、弁解する様に、

 「マニュアルは久しぶりなんだ」

 「しっかりしてくれよ。本当に大丈夫なのか?」

 「実はオートマも苦手だ。俺は免許を持ってない」

 自信満々に、そう言い放つ。僕はシートベルトを探した。が、見つけたのは千切れて使い物に成らない元シートベルトだけだった。ていうか、シートベルトって、千切れるものなのか、と感心する。

 「改めて出発だ」

 エンジンの回転は、お世辞にも滑らかとは言えない様子だった。後に成って思うのだが、この不恰好なエンジンの回転は、正に、これから始まる、おんぼろな旅の象徴の様なものだった。

 「頼むぜ、ほんと」

 「一応シートベルトはした方が良い。殺してしまうかもしれない」

 「あの、すみません。こっちのシートベルト、壊れてるんですけど」

 一応申告しておいた。赤い髪の男が、こちらを見ながら「ふむ」と言った。

 「出来るだけ気をつけるよ」


 そしておんぼろボルボが走り出す。

 <ライブラリ>に引き続き、赤い髪の男登場。同じ世界のお話では有りますが、内容は一切関係が有りません。多分。

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