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終章前半・犬だって笑う

 「朱花さんには、二度と秘密を話したりしない。秋、お前も、今後あの人と関わる事があるなら気をつけた方がいい。口が軽いとか、そういうレベルじゃないだろ」

 「もしかしたら、秘密を話さないと死んでしまう病気に掛かっているのかもね。映画の結末を先に喋ってしまうタイプだ」

 杉と、闇を掻き分ける様に進みながら、進むべき方向など見失いながら、僕らはずっと言葉を交し合っていた。映画の話だったり、最初の恋人の話だったり、様々で、しかも他愛の無い話だが、とにかく途切れる事無く会話を続けていた。沈黙が怖かった。辺りが静まり返った途端、「本当に、これでいいのか?」と尋ねてくる誰かが、杉の合間に潜んでいる様な、そんな予感があった。「憎くはないのか?」「今からでも、あの男を殺せばいい」と。

 「大体、さっさと一人で逃げるなんて、薄情だ」

 奇妙な事に、たかだか一日行動を共にしただけで、僕は朱花や銀哉に仲間意識を持っていた。その朱花の鮮やかな退場に、憤る。

 「まぁ、あの人は元々、俺が雇っただけだし。それに、警察に捕まったりすると、俺達よりもずっと面倒なんじゃないか?」

 「叩けば埃が出そうな人だしね」

 「埃より、とんでもないものが出てくるかもしれない」

 ありえる、とさえ思った。

 そこで会話が途切れて、僕は慌てて言葉を捜す。

 「そうだ」

 と、僕は声を上げる。最初からずっと疑問だった事を聞く事にした。

 「どうしてわざわざ、映画館で僕を誘拐したんだ?」

 「それは」と言いづらそうに頭を掻いた。「どちらかと言えば、偶然なんだ。急いで行動を起こした結果、と言うべきかな」

 「つまり?」

 「俺は、親父を撃った。当然、殺すつもりだった。二年前、春風ちゃんの心臓が俺の身体に移植されたと知ってからずっと親父を殺す機会を伺っていたけど、それがたまたま、あの日だったんだ」

 銀哉が心臓を抑える。先ほどから、時折苦しそうに顔を歪めるが、今、この場には薬は無い。車に置きっぱなしらしい。

 「キッカケは忘れた。空が青かったからかもしれない。いや」

 と、一間置き、続ける。

 「流れ星を見たからだったからかもな。――とにかく、俺はあの日、親父を撃った。それから先はもうパニックだったさ、直ぐに朱花さんに連絡をとったんだ」

 「それはよっぽどパニックだったんだろうね」

 朱花に助けを求めるなど、よほど混乱していない限りはやらないだろう。

 「そうだな。で、朱花さんと合流した後、直ぐに秋を見つけた。偶然だよ」

 「え?」

 「カフェテラスで、ディズニーランドの話をしていただろ」

 「ああ、あの時」

 それは正しく、僕が銀哉と出会う直前の出来事ではないか?

 「俺の心臓移植の件は、全部朱花さんに調べてもらったんだ。その辺は、聞いているか?」

 「ああ、それらしい事は言っていた気がする」

 「まぁあの人は、ああ見えて、いや、見たままかな? そういう調べものが得意なんだ。探偵とかが向いてそうだよな」

 「秘密をべらべら喋る探偵なんて、問題があると思うけど」

 「だな。まぁとにかく、俺は予め、秋の事は知っていたんだ」

 「なるほど」

 「ここから先は、馬鹿らしい話になるけどいいか?」

 と、前もって銀哉が言う。僕は話を促した。

 「運命を感じたんだよ」

 「そう来たか」

 苦笑する他無かった。この誘拐騒ぎは、別に前々から計画されていた事ではなく、突発的に発生したものだったのだ。この流れだと、朱花も、どちらかと言えば巻き込まれた側に感じた。

 「そう来たよ。親父を撃ったその日に、秋を見つけた。秋がディズニーランドの話をしていて、その後で映画館に入った。しかもフランケンシュタインだ。誰かに、背中を押されている気分だったな、あれは。それに、親父を撃った事はもう警察にばれてたし、急がなくちゃならなかった」

 「それで銀哉は、映画館を襲った」

 「ディズニーランドに行けば、何かが変わると思ったんだ。映画館は好都合だったよ、いやでも目立つし、そこで秋が人質だという事を強調すれば、秋に迷惑が掛かる事も無いだろ」

 「掛からない事も無いけど」

 「時は来た。おおげさに言えば、そんな気分だった」


 杉の森を抜けると、外灯が申し訳程度に設置されている仄暗い道路に出た。車通りは無い。両脇に杉の森を置く、ただひたすら真っ直ぐに伸びる道路だ。夢に出てきた道路にも似ていた。向かうべき方向を見失いながらも、ジっと道路の先を見詰めていると、その内地平線すら見えてくるのではないか、とそんな気分にさせられる。

 しばらく、呆然と立ち尽くす。

 「この先はディズニーランドかな?」

 銀哉がそう言ったと、ほぼ同時だった。

 子供がぐづついている様な、猛り狂う獣の様な、不規則なエンジン音が後ろから聞こえてきた。銀哉と顔を見合す。振り返る必要さえなかった。世界広しと言えど、ここまで調子の悪そうなエンジン音を響かせる車など、他に無い様に思えた。


 ボルボのC70。

 僕らのおんぼろボルボだ。

 時は来た。おおげさに言えば、そんな気分だった。



 そして僕らはおんぼろのボルボに乗ってディズニーランドに向かっていた。もう遠回りの必要も、迷う必要も無かった。最短に、ただひたすら真っ直ぐに、ディズニーランドを目指しておんぼろボルボを走らせる。

 他の事は、もう何も考えたくなかった。春風の事も、銀哉の父親があの後どうなったのかも、銀哉の心臓の事も。全て。

 おんぼろボルボのやかましいエンジン音が聞こえる。眼を閉じると、閉じた筈の視界に不思議な光景が広がった。真っ直ぐに伸びる道路、僕らのおんぼろボルボがゆっくりと空を飛ぶ。眼下に道路を置いて、正面には地平線が見える。高度が上がるにつれて、色々なものが零れ落ちていくのを感じた。飛ぶしかない。そう思った。飛んで、全てを忘れればいい。

 「ライカ」

 朱花の声が聞こえた。始めは何を言っているのか判らなかったが、直ぐに合点がいった。これは、合流してから殆ど会話の無かった僕らに対する、朱花なりの気遣いだったのかもしれない。

 「シーズー」

 今度は銀哉の声だ。夢見心地の様な、眠たそうな、そんな声だった。銀哉も僕と同じ光景を見ているかもしれない。

 「柴犬」

 僕も続ける。祈る様に。

 「パピヨン」

 「ダックスフンド」

 「シベリアンハスキー」

 「チワワ」

 「紀州犬」

 「ミニチュアピンチャー」

 「ポメラリアン」

 誰が言い出した事でもないのだが、犬の名前を並べ続ける。途切れる事は無かった。陳腐で馬鹿馬鹿しくても構わなかった。ゴールデンレトリバー。ブルドック。ラブラドールレトリバー。言っている内に、全てを忘れていく。気休めでも構わない。何も考えなくても済む事が、これほど心地良いものだとは思わなかった。

 チャウチャウ。マルチーズ。土佐犬。おんぼろボルボの高度が更に上がる。眼下、真っ直ぐに伸びる道路に、犬の姿が見えた。車は無い。犬達が自由に駆け回り、尻尾でアスファルトを叩きながら眠っている。驚くほど穏やかな世界が、そこには広がっていた。僕にも見えたよ。とこっそり思う。

 ヨークシャーテリア。パグ。マルチーズ。

 これが僕らの、僕らなりの、祈りだった。

 そして僕は、ゆっくりと眼を開ける。

 時は、来た。


 次で最後です。

 よければ、最後までお付き合いください。

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