三章6・たかが夜の終わりの話
唐突に飛び込んできた水面の輝きが眼に痛い。杉の木々に囲まれ、星を写す湖は、乾いた雑踏の中に現れた水溜りの様な違和感と、貫禄を備えていた。
湖に反射する星明りの所為か、対峙する銀哉と、その父親の姿はハッキリと見えた。銀哉は銃口を父親に向け、引き金に指を掛けている。対し、銀哉の父親は全てを諦めたかの様に、ただ呆然と突っ立っているだけだった。
「秋……」
銀哉が顔だけをこちらに向け、唖然と口を開いた。僕の登場を予想だにしていなかったのか、「なんで」とかぼそい声を出した。
僕は、呼吸が落ち着くのを待ってから、
「朱花さんから、全部聞いたんだ」
言うと。銀哉の表情がみるみる変わった。始めは目を丸くして、それから、崖から突き落とされた様な、重大な裏切りを受けた様な、泣き出しそうな表情を作った。歯を食いしばっているが、耐え切れないのか、「そうか」と、涙交じりの声で言った。そうか。そうか。そうか。と。
「俺は、どうすればいい?」
曖昧で、漠然とした質問だが、銀哉の言いたい事は判った。判ったが、どうすればいいのかなど、僕が知っている訳も無い。ただ、それでも、父親を殺す事こそが銀哉のやるべきことだとはどうしても思えなかった。
「どうすりゃいいんだよ」
「僕が知る訳無いだろ」
じゃあ、何しに来たんだよ。と、自分の事ながら、呆れた。
「だけど、撃っちゃ駄目だ」
「こいつが憎くないのかよ」
こいつ、と銀哉は父親を見て、顎を上げる。「こいつが居なけりゃ、春風ちゃんと秋は、仲良くディズニーランドに行けてたんだ。お前、許せるのかよ。春風ちゃんは、生きたまま心臓を抜かれたんだぞ? 許せる訳が無いだろうが」
「当たり前だ!」
自分の大声に、驚く。驚くが、もう止まらなかった。
「僕は許さない!許さない。僕の心臓が止まっても、未来永劫、許さない。――だけど」
身体中から、力が抜けていく。肩がガクリと下がった。
「もう、手遅れなんだろ」
これは、手遅れの物語だ。最初にそう言ったのは、銀哉だ。
「撃っても、何も解決しないじゃないか」
「俺の望みは解決じゃない」
言いながら、銀哉は憎悪を纏った眼で、父親を睨む。
「銀哉、撃て」
そう言ったのは、銀哉の父親だ。全くの暗闇、という訳でもないのに、彼の表情は見えなかった。「撃て。撃って、終わらせろ」
「てめぇに言われなくても、撃つっての」
「―――銀哉!」
飛び出そうとした瞬間、銃弾が僕の足元で跳ねた。血走った眼の銀哉が、僕を睨んでいる。
「動くんじゃねぇよ」
苦しそうに、心臓を押さえている。心臓の発作が始まったのだ、と直ぐに判った。足元はふらつき、手が震えている。
「あんまり長引かせる訳にも……いかねぇ。話は終わりだ」
そして、銃口を再び父親に向ける。
「―――いままでありがとう、とうさん」
僕は走り出していた。地面を蹴り、それこそ、犬の様に。
銀哉が直ぐに僕の疾駆に気付く。父親に向けていた銃口をこちらに向けた。撃たれるだろうか。自分の身体に穴が空く痛みを想像して、ゾっと血の気が下がる。そんな想像を踏み散らす様に地面を踏み散らす。
視線が交錯する。
「勝手に」
意図も無く、叫んでいた。
「勝手に人殺しになるんじゃねぇよ!」
腕を銀哉の首元に伸ばす。唖然とした銀哉の表情が直ぐ近くにあった。胸倉を掴み、そのままの勢いで銀哉を押し倒す。意図した動きではない、殆ど、衝動だった。倒れこんだ拍子に、銀哉が銃を落とした。
「こ、の!」
銀哉の左手が顔に伸びてきた。ぐいぐいと押されながらも、僕は拳銃に手を伸ばし、それを掴むと、今度は頭に銃口を突きつけた。
銃口を向けられた瞬間、銀哉の動きが止まった。最初とは、まるで逆の立場だ。
そして、銃口を頭に向けたまま、ゆっくりと立ち上がる。銀哉はまだ、地面に腰をつけたままだ。
チ! と銀哉が舌打ちをする。「なんだよ、それ。――くそ、油断した」
初めて持った拳銃は、想像以上に重たかった。物理的な重さだけではなく、人殺しの道具だという重みも加わっている。持っているだけで、腕が痛くなった。
ふん、と銀哉が鼻を鳴らして、苦笑する。
「お前ってさ、のんびりしてそうだけど。結構速く動けるんだな」
そんな軽口を叩きながらも、銀哉はこちらを射殺す様に睨んでいる。「それで、どうするんだ?」
「決まってるだろ」
僕は言う。
「僕と一緒にディズニーランドに行こう」
朱花が居ないシーンは、書くのが難しいです。
彼は一番嫌な奴だけど、一番気に入っているキャラだったりします。