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三章5・たかが旅の終わりの話

 「ああ、警察が来たな」

 朱花が僕の肩越しを見て、そう言った。

 振り返った視界に、赤い光がいくつも連なっているのが見えた。「ペンションで、カップルに挨拶をされただろ? 多分、あいつらが通報したんだろうな」

 朱花は更に続ける。

 「それで、俺達の位置は、警察からの裏情報として浩二さんに漏れた。そんな所か。まぁ、呆気無いと言えば呆気無いが。旅は終わりだ。俺はそろそろ降りるよ」

 「銀哉はどうなるんですか?」

 「さぁ? ああ、だけど、君はここで警察を待ってるといい。君はあくまで、俺達の共犯者じゃなくて、人質なんだから」

 合点が行った。銀哉がわざわざ、この誘拐騒ぎを大袈裟にしたのは、僕には一切の罪が及ばないようにする為だった。

 自分が何故逃げ出さないのか、不思議だった。本当なら、今すぐにでも、絶叫を上げて走り出したかった。逃げるといっても、どこへ逃げていいのか判らないのだけど。逃げるといっても、何から逃げていいのか判らないのだけど。

 「安心しろ」

 朱花は言う。

 「復讐は成される。銀哉が、君の敵を殺す」

 言ってから、わざわざ、嫌味たらしく、「春風ちゃんの心臓を持った銀哉が」と言い直す。

 不思議な事に、そして、恐ろしい事に、朱花が嘘を言っているという可能性については考えなかった。全てが、真実に聞こえた。

 銀哉の心臓は、春風の心臓だ。断定し、飲み込む様に、自分にそう言い聞かせる。人は取引をする生き物だ。犬は取引をしない。最大の違いにして、最大の、罪だ。

 「銀哉の適合者は、最期まで現れなかったらしい」

 朱花が言う。

 「銀哉は二度と目覚めないつもりだった。己の寿命が尽きた事を知ったんだ。永遠に眠り続けるつもりで、眼を閉じた」

 「だけど、眼を覚ました」

 朱花の代わりに、言う。「そして、自分が生き延びた理由(ワケ)を探したんですね」

 「辿り着いた先は、偶然、最期の日に病院に現れた君の妹だった」

 その辺りの事は、俺が銀哉に雇われて調べたんだ。と朱花は付け足した。

 それからも、朱花がなにやら言い並べていたが、殆ど耳に入ってこなかった。代わりとでも言う様に、銀哉の声と春風の声が、同時に聞こえた。


 俺と一緒にディズニーランドに行こう。

 ディズニーランドに行こうよ。


 それから、

 これは俺が見ている夢かもしれない。


 「どんな気分なんでしょうね」

 不意に、口からそう漏れていた。朱花が、「ん?」と首を傾げる。

 「銀哉は、どんな気分で生きていたんでしょうね」

 実際には、口に出した後、そう思った。他人を殺し、他人の心臓を奪い、他人の代わりに生きる事になった銀哉は、どんな気分で生きているのか。

 「なんだ、俺の話を信じたのか」

 朱花は、若干意外そうに言った。

 「俺はもっと、信用されていないと思ったんだがな」

 「不思議な事に、嘘に聞こえませんでした」

 正直に言う。それから、「僕はどうすればいいんだろう」と、呟いた。呟いた時には、足を踏み出していた。朱花の脇を通り抜ける。

 「もしかして銀哉は、春風の最期の願いを、自分が代わりに叶えようとしたんですか?」

 ディズニーランドに行く。それが春風の最期の願いだ。

 「馬鹿らしいだろ?」

 「馬鹿らしいですね」

 馬鹿らしいが、銀哉を笑う事なんて出来る訳も無かった。

 「どこへ行く?」

 ただ、ディズニーランドに行くだけですから。僕はもう一度、そう答えている。朱花は僕を追ってくる事も、それ以上呼び止めようとする事も無かった。



 杉と、そして暗闇の合間を、僕は走る。真っ直ぐ走っているつもりだったが、油断すると足がよろけて、道が逸れていた。なるほど、と僕は思う。真っ直ぐ走る事も出来ないのに、真っ直ぐディズニーランドに向かう事が出来る筈も無い。

 「どうするつもりだ?」

 と、声が聞こえた。誰か居るのか? と疑ったが、なんの事は無い、自分の声だった。

 「銀哉を止めるんだ」

 「朱花の言っている事が真実だとして」僕は言う。「止める必要がどこにある?」

 「判らない」

 渋々、認める。そもそも、どこへ向かって走ればいいのかすら判っていない。乱立する杉はどこを見ても同じ景色にしか見えないし、自分が立っている場所すら判らない、そんな有様だった。

 光といえば、頭上に見える星明りくらいしかなかった。暗い、というよりも、黒い。眼が慣れても、そこには暗闇しかない。暗闇の凶暴さ、残忍さを、街の光に慣れすぎて忘れていた。余り長く居ると、自分も暗闇の一部に溶け込んでしまうのではないか、とさえ思った。もしくは、乱立する杉の一つに。

 日の光は、二度と昇らないのではないか。と、そんな漫然として不安と、圧迫感があった。

 どれだけ走ったのかも、どこを走っているのもかも判らない。五分程度だろうか、それとも一時間は経ったのだろうか。時間の感覚を見事に失い、前に進んでいるのか、来た道を戻っているのか、それすらも完全に見失っていた。

 乾いた土を蹴り、どこかに向かって走る。枯れ草なのか、それとも小枝なのか、脆い何かを踏み散らしながら、僕は進む。

 その内に、トクントクンと、鼓動が聞こえた。心臓の音にも、水のせせらぎにも聞こえた。特に算段があった訳でもないのだが、気が付けばその音を追っていた。

 その、鼓動に混ざり、声が聞こえる。


 『全て、お前の為だった』


 杉の森全体が発しているかの様な、出所が判らない声だった。

 『私は、許されない事をしたのだろうか』

 『今更そんな事を言ってるのかよ』

 銀哉の声も混じる。

 『もう遅い。手遅れだ。アンタはいつも遅いんだ』

 『失いたくなかったんだ』

 泣き出しそうな声だった。

 『お前に判るか? 我が子を失う事が、どれほど恐ろしい事かなんて』

 『お前が言う台詞かよ』

 呆れた様な、諦めた様な、溜息交じりの声で銀哉が言う。それから、撃鉄を上げる音が聞こえた。

 『いいか』

 声だけで撃ち殺す様な鋭さで、銀哉は続ける。

 『俺は、許さない。許さない。お前が死んでからも、呪い続ける。未来永劫、この心臓が止まっても、お前を許さない。


 一心不乱に憎み続ける。お前は、許されない』


 そして次の瞬間。視界が突然開けた。湖から流れる風が、僕の身体に一斉にぶち当たった。

 星明りを反射して、きらきらと輝く湖は、場にそぐわず、ただひたすら綺麗だった。


 作者にとって、杉は花粉を撒き散らす強敵です。

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