二章4・拳銃を持っても無駄な事もある
僕らは大勢の人々が見守る中、再びおんぼろボルボに乗り込んだ。見守る人々は、唐突に失った現実味を探すかの様に、眼が泳いでいた。が、誰も彼もが「自分は撃たれない」という根拠の無い自信を持っているのか、離れていかない。銃を恐れるどころか、好奇心の熱を発している。むしろ彼らは、この場に居る、自分以外の誰かが撃たれる事を望んでいるのかもしれない。そんな事を思った。
「鬱陶しいな」
そう呟く銀哉の声は、かつて聞いた事が無い程、冷たかった。表情も険しい。視線だけで、周りを囲う野次馬達を殺そうかという勢いだ。何かに耐えているかの様に、唇を噛んでいる。
そして、銃口を、野次馬達に向ける。その瞬間、野次馬達は波が引く様に、一斉に下がった。
「銀哉……」
今にも引き金を弾きそうな銀哉に、声を掛ける。「行こう」
「人を一人殺せば」
と、銀哉が言う。
「何千、何万という動物が救われる。そんな気がしないか」
震える語尾を掻き消すかの様に、銀哉は続ける。
「殺すべきだった」
「何を言っているんだよ」
「俺は狂ってる」
そう言う銀哉は、相変わらず野次馬達を睨んでいる。誰に向けた訳でもないだろうその呟きは、まさに、真実に聞こえてしまった。
「銀哉」
「判ってる。行こう」
銀哉は空に向けて、叫ぶかの様に、弾丸を放った。
おんぼろボルボは、つまり僕らは、あっという間に街を離れた。街灯から離れ、外灯一つ無い、暗いというよりも黒いと評した方が正しい様な闇の中を走っている。両脇に、杉が連なっているのが判った。どこまで逃げても、無駄だ。暗がりの中、薄ぼんやりと空を突き刺している杉は、そう言っている様に見えた。
「どうしたんだよ」
不安を隠しきれずに、聞く。先程の銀哉の様子を思い出す度に、寒気がした。血走った眼で拳銃を握る姿は、まさに、危険な狂人そのものにしか見えなかった。実際、あの場で野次馬達に向けて発砲しても、なんの不思議も無かった。それ程危うい場面だったかもしれない。
銀哉が押し黙ったまま答えようとしないので、僕は更に続ける。
「さっきのニュース?」
今度は首肯した。
「子供の頃を思い出した」
銀哉は、打って変わって穏やかな口調に成る。
「俺さ、あんまり親父との思い出って無いんだよな。だけど、これだけはハッキリと覚えてる」
銀哉は、父親を撃った。撃ってから、ここに来た。
「親父が俺の眼を真っ直ぐと見ながら、『お前は間違って生まれてきた』って言い放ったんだ。俺、その頃はまだ小学生のガキだぜ。信じられるか?」
小学生の銀哉にとって、それは、神からの宣告に等しかったかもしれない。人生が歪に捻じ曲がる様な、大きな一言だっただろう。回復不能の、一言だ。僕なら耐えられるだろうか。無理だ、と断言する事も出来ないが、ゾっとする。
「で。死のうと思った。間違って生まれた俺に、居場所は無いと思ったんだ」
「だけど、君は生きた」
「そうだ。親父が止めたんだよ。ビルの屋上から飛び降りようとした俺を、殴って、蹴って、泣きながら止めた。『死んでどうするんだよ』なんて言って、喚いてた。何が何だか判らなかったな、あれは」
その時の光景を思い出しているのか、銀哉の眼が細く、線の様になっていく。
「一貫性が無いというか。思慮が浅いというか。とにかく、あの人は、いつも気付くのが遅いんだ。で、ギリギリになって慌てる。宿題を溜め込むタイプだな」
「それでも、君のお父さんは君を救ったじゃないか」
そして君は、そのお父さんを撃った。どうしてだ?そう聞こうとしたが、止めた。悲しい事に、人が人を撃つ理由なんていくらでもある気がした。それが例え、親と子であってもだ。理由なんて、知りたくもない。
「それはどうなんだろうな」
銀哉は、お茶を濁す。
「今回も同じだ。まただよ。また、あの男は」
そこから先は、殆ど独り言だった。呪詛にも聞こえる。誰に対しての呪詛だ?父親か、それとも、父親を含む、全ての人間か?
「病院から消えたって言ってたけど、大丈夫かな」
「大丈夫なもんか。俺は、腹を撃ったんだ。心臓の辺りを狙ったけど、当たり所が良かったのか、悪かったのか」
僕は、会ったことも無い銀哉の父親を想像する。実の息子に撃たれ、生と死の境を彷徨いながら、何を思っているのだろうか。
「手遅れだ」
唐突に、銀哉が言う。声は、闇に染み込むかの様だった。銀哉の様子を見る。銀哉は爪を噛みながら、肩を揺らしていた。落ち着きを無くし、そこに憎むべき敵が居るかの様に暗闇を睨んでいる。
「何が?」
「全て、手遅れだ。廃棄ガスを抑えても、公害の垂れ流しを抑えても、世界は滅びる。俺達はデッドラインを超えた」
どうしたんだよ、銀哉。銀哉に対する恐怖感からか、背に汗が流れた。
「同じだ。俺達も手遅れだし、親父も手遅れだ。俺達は、何にも間に合わなかった」
「どういう意味?」
「俺達は、無駄な事をやっているという事だよ」
「人を連れまわして、そんな言い草は無いじゃないか」
「秋色も物好きだよな。逃げ出す機会なんて、いくらでも会ったのに」
「僕だって答えが知りたい」
「答えなんて大したものじゃない」
「それでも知りたいんだ」
そうとも。ここまで来て、降りる訳にはいかない。いや、降りられない。洪水の力は巨大だ。巨大で、飢えている。夢の国は、洪水を受け止める事が出来るのだろうか。
僕は時速四十キロで後方に去り行く杉を眺める。他に見るものが無かった。月は雲に隠れているし、今にも壊れそうな銀哉を見るのは辛かった。朱花は、人形の様に押し黙ったままだ。
「俺も人間だよな」
銀哉が、ポツリと言った。
「俺も取引をするし。車を走らせる。拳銃を握るし、道を歩けばアリを踏む」
下手糞な詩を読むかの様だった。「犬になりてぇよ」
「無理だ」
そう言ったのは、久々に声を発した朱花だった。余りに冷たい声色だったので、銀哉も僕も押し黙る他無い。「お前も人に過ぎない」
「だよな」
そして、程なく、銀哉が口を押さえて、
「車を止めてくれ」
と、朱花に懇願した。
「吐きそうだ」
多分。車に酔っただけではないだろう。とはなんとなしに判った。
そろそろ後半戦です。盛り上がる場所の無い小説だなと感じている方も、喋ってばかりで動きの無い小説だなと感じている方も、良ければ最期までお付き合いくださいませ。