序章・タンバリンを打ち鳴らす
ベルサイユで農民達が武器庫を襲った理由なら、判る。当然武器が欲しかったからだろう。同じ様に、銀行強盗が銀行を襲う理由も、判る。お金が欲しかったからだろう。
だけど、映画館を襲う理由はなんだろう。映画館を襲って手に入るものは一体なんなのだろう。映画だろうか。映画を手に入れる為に、映画館を襲うというのは、いささか非現実的ではないだろうか。
最初にその男の動きに気付いたのは、多分、僕だ。映画館、ゴシックホラーの金字塔『フランケンシュタイン』がリバイバル上映されている中、僕の斜め前に座っていた男が突然立ち上がった。
そこから先の男の動きは、余りに滑らかだった。早くも遅くも無い、優雅とさえ言える動きで、男は自分の腰に手を回すと、そこから一丁の拳銃を取り出していた。
当然、僕の様な一介の高校生の日常に、拳銃が介入する余地は無い。「え?」思わず声が出る。いや、冗談だろ?そう思っていた矢先、男はそのまま踊る様な足取りで、スクリーンの前に立った。
ドヨ、と映画館に居る観客達がざわめくのが聞こえた。そこから先は考える間すらなかった。いや、正直に言うと、僕はその男の動作に見惚れていた。踊っている。そうとしか思えなかった。動作の一々が優雅で、静かな波を思わせる。
男は、煙草を吸う為にライターを点ける様な自然な動作で、拳銃を天井に向け、
―――発砲した。
銃声と天井の照明が割れる音が混ざり合い、タンバリンの様な音が鳴った。皮切りに、観客達は我先にと立ち上がり、悲鳴を上げ、非常口へと駆け出した。劇場は一瞬にして濁流の様な騒がしさに包まれた。
直後、劇場の照明が一斉に光った。支配人か、スタッフが直ぐに異常に気付いたのだろう。男の顔があらわに成る。
濁流を生み出した張本人、銃を持った男の様子は、清流そのものだった。静かで、落ち着いていて、逃げ惑う人々など意に返さず、力強く両の足で地面を咬んでいる。
その男は、真っ直ぐ僕を見ていた。逃げ遅れた僕を、間抜けな野郎だとでも思っているのかも知れない。そんな事を考えている内に、男は一歩、また一歩と、突然起きた発砲事件に逃げ惑う人々を押しのけて、僕に歩み寄ってきた。
銃口を頭に向けられるという経験を、初めてした。まだ僕の頭が事態に追いついていないのか、それとも現実味が無い所為か、不思議と、恐怖感は感じない。
「やぁ」
軽い挨拶の後、男は僕の頭に銃口を向けたまま、静かにこう言った。
「俺と一緒にディズニーランドに行こう」
「え?」
こうして僕らは出会った。
高校生活最後の夏休み、映画館の中、僕にとってはなんの変哲も無い筈だった一日、一人の男が拳銃を片手に映画館を襲った。
これは誘拐劇で、逃走劇で、そして僕等の旅路でもある。
僕らはディズニーランドを目指す。
だけどその前に、僕が映画館に行く前の出来事を、男が映画館を襲う前の出来事を、ほんの少しだけ振り返ってみることにしよう。
とどのつまり、僕らがディズニーランドを目指した理由は、そこに有ったかもしれないからだ。
始めましての方も、そうでない方も、この唐突な序章に付き合ってくださって有難うございました。新シリーズ、「犬だって取引はする」スタートです。