言葉はいらない
言葉が浮かばない。
何も他のことを考えられない。
しばらく波の音だけが聞こえた。
ただ悲しい。
僕には彼女の悲しみの全てを理解することが、できないのだ。
ただ悲しい。
なぜだろう。
彼女がふと僕を横目に見て、また水平線に視線を戻した。
彼女の気持ち。
今の彼女の気持ち。
あの綺麗に光が揺れるひとみは、悲しみだけには見えないけれど、僕はただ悲しいと感じる。
悲しい。
寂しかっただろう。
泣きたい。
悔しい。
どうして。
なぜ。
後悔。
どれにもあてはまって、そのどれでも満たされない。
着地点のない答えを求めてしまうことが、どれほど辛いことなのか僕は想像できない。
すごい。
君はすごい。
その華奢で僕より小さい体で、どれほどの感情を抱えて今ここにいるのだろう。
どうして僕にその気持ちを伝えてくれたのだろう。
悲しい。
嬉しい。
気づけば僕は涙が流れていた。
すぐに拭く。
鼻が出て、すするしかない。
また彼女がちらりと僕を見た。
泣いてしまうことが申し訳なかった。
何か言わないと。
何を言えばいい。
僕は彼女の悲しみの全てはわからない。
つらかったね。
そんな空虚な言葉は絶対に間違っている。
もっと何か。
大きくて。
このたぎる彼女への気持ちは、なんというのだろう。
想像もつかない。
ただ、彼女の彼への想いは一生無くならない。
乗り越える、乗り越えない、という話でもない。
彼が彼女を助けた理由。
目の前で大切な人が、亡くなったこと。
その事実は今、これから、何をどうしても変わらない。
僕は彼女を見た。
彼女が僕を見た。
視線があう。
なにも言葉は出てこない。
僕は彼女が好きだ。
彼女もきっと僕に好意がある。
彼女が彼に罪悪感を抱いていることもわかっている。
そして、いま揺れていることもわかっている。
「僕は、」
自然と言葉が出た。何も考えていなかった。
「僕は、そのままの有栖さんが、好きです。」
彼女は一瞬俯いた。耳が赤い。
照れではないと僕は思う。
彼女はすぐに水平線を見つめ直して、またすぐに僕を見た。
「私も、雅人くんが、好きです。」
僕は衝動的に彼女を抱きしめた。
涙が止まらなかった。嬉しいのではない。
それ以上に悲しくて、悔しくて、入り混じったぐちゃぐちゃの感情を、心の箱にぎゅうぎゅうに押し込んだような。
それから嬉しさが込み上げた。
嗚咽の代わりに息を吐くと体が震えた。
彼女も僕の肩で静かに泣いている。
「一緒に歩きたい。砂だらけになっても、心のあるままに、有栖さんと歩きたい。」
返事をする代わりに彼女は僕をきつく抱きしめた。
打ち寄せる波の音は、ずっと同じ音を届けている。




