第二話 中編
一歩、踏み出したはずだった。
手には、まだスポンジの感触が残っている。
なのに、次の瞬間、立っていたのは見知らぬ大地だった。
乾いた風が頬を打つ。
「……あれ?」
振り返る。
誰もいない。
「……みんなどこ……?」
返事はない。
代わりに、背後で雪を踏み砕く音がした。
振り向いた瞬間、灰色の影が跳ぶ。
迫る。
息が潰れる。
足がもつれる。
「……やだ……」
牙が迫る。
「助けて――!」
横から何かが走った。
鋭い一閃。
獣は雪に転がり、そのまま動かなくなった。
立っていたのは、一人の男だった。
血の付いた刃を振り、雪を払う。
「日本人か?」
唐突な問い。
「え……は、はい」
「そうか。着いてこい」
それだけ言って、背を向けた。
岩を積み上げた壁の裏に、わずかな空間があった。
煤の跡。
乾いた薪。
整えられた道具。
ここで暮らしているらしい。
男が荷を下ろす。
焚き火の明かりに照らされた横顔を見た瞬間、胸がざわついた。
どこかで見た顔だ。
だが、違う。
もっと柔らかい目をしていたはずだ。
目の前の男は、硬い。
静かで、隙がない。
それでも。
「もしかして、登山家の佐伯さんですか?」
男はすぐには答えなかった。
薪が崩れ、火の粉が跳ねる。
男は一瞬だけ目を閉じた。
「ああ」
短い肯定。
「……知ってるのか?」
「はい。あの……佐伯さんは、エベレストで……」
言葉が止まる。
男は焚き火に薪をくべる。
火が揺れる。
「……死んだか?」
遥は答えられない。
沈黙。
「クレバスに落ちた」
視線は火に落ちたまま。
「そしたら、ここにいた」
それだけだった。
遥は、火の向こうの男を見つめたまま、何も言えなかった。
指先に、まだ現実の感触だけが残っている。
⸻
【エベレスト遭難】佐伯剛史 Part1
1: 名無し 2025/05/03(土) 18:42:11.87 ID:mavdh8
エベレスト西稜でクレバス転落ってマジか…
12: 名無し 2025/05/03(土) 19:02:54.31 ID:kx91de
単独行動だったのが痛いな
24: 名無し 2025/05/03(土) 19:21:33.04 ID:ru82jd
GPSログ3分消えてるって記事見た
31: 名無し 2025/05/03(土) 19:40:12.55 ID:ae77lp
滑落なら即死もありえる?
46: 名無し 2025/05/03(土) 20:15:08.92 ID:qwe921
あの人なら生きてる可能性あると思いたいけどな…
58: 名無し 2025/05/03(土) 21:03:47.18 ID:df09gh
この時期の気温でクレバスは無理だろ
低体温で終わり
73: 名無し 2025/05/04(日) 00:12:26.63 ID:zpl482
まだ捜索続いてるらしい
奇跡待ちだな
102: 名無し 2025/09/14(日) 21:18:03.44 ID:fjpjeu
続報ないな
118: 名無し 2025/09/14(日) 21:52:11.67 ID:bxk904
生きてたら今頃南極遠征の準備してたよな
131: 名無し 2025/09/14(日) 22:15:39.82 ID:uo221x
スポンサーどうなるんだろ
146: 名無し 2025/09/14(日) 22:48:07.03 ID:rt91az
奇跡生還パターンはさすがにないか…
159: 名無し 2025/09/15(月) 00:03:55.16 ID:plk778
もう四ヶ月か
早いな
201: 名無し 2025/12/22(月) 19:07:14.22 ID:6zqiyz
南極で見つかった遺体、ちょっと似てないか?
207: 名無し 2025/12/22(月) 19:19:33.87 ID:sd882k
氷壁越しの写真だから分からん
214: 名無し 2025/12/22(月) 19:41:55.60 ID:lk992v
輪郭は似てる気もする
223: 名無し 2025/12/22(月) 20:05:44.02 ID:ye71mm
場所違いすぎだろw
236: 名無し 2025/12/22(月) 20:44:18.31 ID:qp008x
DNAはまだ本国に届いてないらしい
248: 名無し 2025/12/22(月) 21:12:02.77 ID:ax771p
氷で歪んで見えるだけだろ
261: 名無し 2025/12/22(月) 21:36:49.10 ID:gh120l
服装なんか違和感ない?
268: 名無し 2025/12/22(月) 21:48:10.92 ID:re33nm
凍結でそう見えるだけでは
279: 名無し 2025/12/22(月) 22:14:58.03 ID:ty88ds
中世の鎧っぽく見えたんだがw
286: 名無し 2025/12/22(月) 22:18:44.71 ID:ji009q
は?ファンタジーかよ
294: 名無し 2025/12/22(月) 22:31:07.65 ID:wr621b
異世界人とか言い出すなよw
⸻
【遙の転移から15年】
荒野。
巨大な異形が崩れ落ちる。
土煙の中。
「……終わった、かな」
遙が杖を下ろす。
「核は砕けた。再生はない」
佐伯は短く言う。息は荒いが立っている。
「相変わらず冷静ですね」
「慣れだ」
「慣れたくないですよ、こんなの」
遙は苦笑する。
遠くで空が歪み、黒い霧が散っていく。
「あと、何体でしたっけ」
「三」
「まだ三も?」
「正確には、三“確認済み”だ」
遙は肩を落とす。
「先生みたいな言い方やめてください」
「事実だ」
少し沈黙。
風が吹く。
遙がぽつりと。
「……ねえ、佐伯さん」
「なんだ」
「向こう、どうなってると思います?」
佐伯は少しだけ視線を落とす。
「進んでるだろ。俺たちがいなくても」
「……ですよね」
「だから、焦るな」
遙は笑う。
「焦ってませんよ。ただ」
「ただ?」
「帰れたら、ちゃんと挨拶したいなって」
佐伯は少し間を置く。
「……帰れたらな」
遙は即答する。
「帰りますよ」
⸻
【2026年5月 山岳協会事務所】
事務所の窓は閉まっているのに、
どこか風の音がする気がした。
机の上に一枚の書類。
――DNA鑑定結果:一致。
誰もそれを裏返さない。
「……確定だってさ」
低い声が落ちる。
返事はない。
壁には遠征隊の集合写真。
酸素マスクを外し、笑っている男が中央にいる。
「ほんと、佐伯さんはせっかちだよ。俺たち置いていくなんてさ」
笑うつもりだった。
だが最後の語尾が揺れる。
誰かが鼻をすする。
「でも、今回は一人じゃ無かったし、良かったんじゃねぇ? ……なぁ佐伯さん」
写真に向かって言う。
南極。
氷壁越しの、歪んだ輪郭。
「ルート違いすぎだろ……」
「ほんとだよ」
沈黙。
時計の秒針だけが進む。
「……来年、どうする?」
「どうするって」
「南極だよ」
間。
「行くに決まってるだろ」
それが彼らの答えだった。
もう一度、写真を見る。
「先に行きやがって」
長い沈黙。
やがて、ぽつりと。
「……冒険、したんだよな? な? 佐伯さん」
窓の外で風が鳴る。
机の上の書類は動かない。
壁の写真の中で、
佐伯はいつものように笑っている。




