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2.ダイヤモンドの瞳

 2.ダイヤモンドの瞳


 同日同刻――

 宵闇迫るゲントホテルの裏手、湿地帯の広がるホテルの壁沿いにヒロアキとキュータとピーコが立っていた。

「ほらあそこ。有刺鉄線が切れてるでしょ。あそこからリス出てってたんで覚えてる」

 ボサボサの茶髪を揺らしながら、大学生くらいの、やつれたような小柄な女――ピーコが指を差したので、キュータはそこに携帯電話灯モバイル・トーチを向けた。

「ほんとや。よう見つけたなー」

 長身でピーコと同世代とみえるこれもボサボサ頭のヒョロッした若者が、2メートルほどの壁の上に有刺鉄線の切れ目を見て、のんきな感嘆の声をあげた。

 2人をサングラスの奥から冷ややかな目で眺めて、もうひとりの大柄な中年男ヒロアキはアロハシャツの胸ポケットから取り出したタブレットを口に放り込み、水も無しでガリガリ噛んで飲み込んだ。

「ふん。あれなら肩車したら届くな。ピーコお前上に乗れや、ロープ忘れんなよ」

 ヒロアキが傲慢な口調で言うとピーコは彼を睨むように言い返した。

「偉そうに言わないでよ。なんであんたに命令されないといけないわけ」

「なんだ。調子に乗ってると顔面ボコボコにするぞ。そこの鉄線の切れ目教えるだけで分け前取ろうってつもりかてめえ」

 ヒロアキは凶悪な顔つきで凄んだ。目が座っている。

 さっき服用したのは何らかのドラッグなのかも知れない。

 ピーコがとたんに怯えて後じさりする。

「ヒロさんやめてくださいよ。どのみちこんな所でケンカしてもしかたないですやん」

 へらへらとキュータが割って入る。

「そもそも分け前ってどういうことよ。私たちは帰国費用をゲントさんに借りたら帰るわよ」キュータの背に隠れながらピーコも震えた高い声で言いすがる。

「お嬢ちゃんよ。それこそ、こんな所から忍び込んでフツーに金借りるつもりなわけねえだろ。お前もこのキレメ教えた時点で共犯なんだよ。日本にマトモに帰りてえならいう通りにしろや」

 ヒロアキは言ってサングラスを外した。額から耳のあたりに、ミミズの這ったような傷跡が現れ、さらに凶悪な人相になった。

「はやくせいやコラ」

 ヒロアキは切れ目の下の壁に手をついて肩を揺らした。

「ピーコちゃん」おろおろとキュータがふりかえる。

「わかったわよ。なんで」ピーコは言葉を飲み込んだ。

 キュータも同感であった。

 ――なんでこんなやつとこんなところに。


 なんでこんなやつと居るかといえば。

 三人はナミビア共和国の首都、ウィントフックの日本人宿「キャット&マウス」で知り合った。

 キュータもピーコもそれぞれ関東の某大学生で――キュータは実家が関西なので方言が抜けていない――休学してアフリカ大陸縦断旅行を始めたバックパッカーであった。

 まず、ふた月ほど前、キュータとピーコはそれぞれの旅の途中、ケニアの「ポレポレハウス」という日本人宿で知り合った。

 日本人宿というのは、日本人割引があり、また日本の本の図書室があり、まれには簡単な日本食を提供できるなど、とくに日本人にとって居心地の良いように特化した宿で、アフリカ諸国のみならず世界各地にこのたぐいの安宿がある。ゲントホテルもそのひとつである。

 日本人どうしが集まると、彼らは長居しやすくなるので、宿にとっては割引をしても得になるわけだ。

 アフリカ大陸の中部から南部にさしかかるケニアまでやって来ると、そういう溜まり場宿にも日本人がすくないことが多く、実際ふたりが出くわしたときには、ポレポレハウスには、彼らしか日本人は居なかった。

 アフリカ旅行は長旅になる。目玉である砂漠やサバンナの野生動物観察ツアー、少数民族の村を訪ねるトレッキングやボランティアツアーを組み入れるとなおさらだ。

 そのうえ、移動にも時間がかかる。

 このケニアのゲストハウスの名前となっているポレポレという言葉は、スワヒリ語でゆっくりのんびりという意味で、民族性を代表するような言葉である。

 列車やバスが遅れたくらいでは誰も怒らず、つまりポレポレしている。

 長距離移動は実際くたびれる。旅行者は長距離移動のあとにはとにかくホテルに飛び込んで、しばらく逗留して文字通りポレポレと休むものだが、そういうときに居心地のいい宿で久しぶりに日本人に会ったりすると、情報交換と称して旅行談義に花が咲く。

 これも旅の楽しみだ。

 この場合、キュータとピーコは年齢が近い大学生で、しかもお互い別の方向からアフリカの国を回ってケニア入りしたため、未知の情報を交換出来た。

 共通の話題も多く、すっかり意気投合したキュータとピーコは、それをきっかけにいっしょに周辺国を回ることにした。治安が決して良くないアフリカ大陸では、なにごとも一人より二人の方が都合良くことが運ぶ。

 トイレひとつ行くにしても、連れ合いが居ると荷物を互いに見張ることができる。個室をシェアすれば安く荷物の安全を確保できる寸法だ。

 それに時間もたっぷりある。ふたりで物価の安いビザ不要の国で、時間と費用という旅の「寿命」を伸ばしているうち、いつしか男女の関係になったキュータとピーコは、青春を謳歌するうち、ふたつの寿命のうちひとつ――つまり資金が心もとなくなってきた。


 日本の大学生はアフリカなどを旅している限り、決して貧しくはない。彼らも同様、長期アルバイトで小金を貯めて旅行をしているのだが、南アフリカ方面にまでやってくる間にはさすがに旅費が底をついてきた。

 入国に必要な予防接種証明イエローカード入国許可証ビザ、たまにはいいホテルに泊まり、日本食レストランでのスシもどき、野生動物ツアーや少数民族の村へのトレッキングツアー。アクティビティを楽しむうちに、安さのあまり、手持ちの資金が削られてきていることに気付くのが遅れた。

 そしてここ、ナミビア共和国の首都、ウィントフックに到着したときである。

 手持ちの現金が無くなったら、クレジットカードで航空券を買って帰国するというのが彼らの計画であったのだが、そんな時に限ってピーコのクレジットカードが鉄道駅のATMに吸い込まれたまま出てこなくなった。

 これはアフリカに限らず意外によくある落とし穴で、悪意ある者がATMに細工して後でカードを奪う手口もあるのだが、この場合さいわい単なる機械的トラブルで金銭的な被害はなかった。

 しかし代行カードはナミビアでは発行できず、再発行は日本に帰ったあとであるという規約だ。

 とりあえず二次被害を防ぐためカード機能を停めてたが、手持ちの現金で帰国の航空券をやりくりせねばならない羽目になった。

 しかし帰国費用としては手持ちがまったく足りず、ピーコはたちまちパニックに陥った。

 そのような不幸を受けなかったキュータも、行きがかり上ピーコの面倒を見なくてはならなくなったのだが、彼女の帰国費用を自分の予算に組み入れてみると

『足りへん』

 となった。

 さすがにベッドを共にした女を見捨てて行くわけにもいかず、ナミビア出国期限も迫っている。 

 とりあえず複数の国境かーある北東のカサネ市に行き、いずれかのビザ不要国に出入りするビザランという手段を使って時間を稼ごうということになった。

 そんなときに、ウィントフックの日本人宿キャット&マウスで、この中年日本人ヒロアキに声をかけられたのである。

 見るからに怪しい、ずんぐりとした身体をヨレヨレのアロハシャツで包み、金縁のサングラスに伸び過ぎたパンチパーマ。長旅で埃をかぶったようにうす汚れた、全身に我こそはチンピラでございと書いてあるような風態の色黒の男だった。

 ヒロアキはいわゆるベテラン旅行者――しかも極めて悪質な――である。

 こういうやからを日本の古語で『ゴマのハイ』という。

 5年前に日本を出てからタイからインド、中東を流れ歩いてエジプトからエチオピアに行って南下を始め、とにかく費用のかからない国を渡り歩きながら、ほかの旅行者にタカり、特に「ちょろい」大学生が愛好する安い日本人宿を渡り歩いてしのぎとしているタイプのチンピラ・バックパッカーである。

 安くて食事まで世話してくれるキャット&マウス・ゲストハウスには、その手のカモ学生が集まりやすいこともあり、彼にとっては格好のシノギの舞台で、違法スレスレのビザランを繰り返すヒロアキにとってはまさに狩場そのものであった。

 さて、このキャット&マウスゲストハウスの共用スペースで、ぬるくなったコーヒーをそっちのけに携帯電話と首っ引きのキュータとピーコの前に、ヒロアキは小さな紙コップをふたつ置いた。

 冷蔵庫から取り出したばかりの、よく冷えた瓶ビールをそこに注ぎ、残ったビールを自前の大きなジョッキに注ぎきる。

 ふと目を向けた二人に

「おす」

 人の良い笑いを向ける。

「日本人だろ? まあカンパイしようや」

 三人はビールをポレポレと掲げてカンパイした。せこい撒き餌だが、前述したように日本人宿ではこういうときはお互いフレンドリーに接する不文律がある。

 彼らは名乗り合い、互いの旅程についてしばらく語り合ううち、ヒロアキのそれとない誘導で、キュータとピーコは、どちらからともなく、まんまと、いまの窮状について、打ち明けてしまっていた。

 ちょろいと言えばちょろいものだが、ヒロアキは海千山千だ。

 「こういう手合い」をカモってシノいでいる人物である。

 …そしてこんな輩はアフリカや東南アジアなど古今東西を問わず、世界中どこにでもいる。


「……というわけなんです。もちろん渡航のときは往復航空券で入国したんですけど、形式的に入国に使っただけなので、とっくに期限切れで…」

 ピーコが恥じらいに顔を真っ赤にして白状すると、ヒロアキは深い同情を込めてため息をついた。

「そうかあ。それでいまの予算で日本に帰れるルートを一所懸命探してたんだなア」

「クレカでいつでも航空券を買えると思ってたから、なんかもう詰んじゃって」

「だよな。で、彼氏の方は」

「僕も似たようなものですわ。クレカは無事なんすけど、彼女の分の航空券まで買うとなると限度額に引っかかって買えへんのです」

「そりゃいけねえな。いまから帰るとして、どれくらい足りないの? 」

「いちばん安い、エジプトに飛ぶやつ経由してタイから帰る格安ルートでも、1000ドルほど足りません」

 ピーコは消え入りそうな声で言った。

「1000ドルなあ。大金だな。この国の平均年収知ってるか、250ドルだぞ」

 ヒロアキが重い声でいうと、二人は深くうつむいた。

 その様子を内心あざ笑うように見下ろしてヒロアキはアゴを上げて尋ねた。

「で、どうすんの、とりあえず」

「ぼくら2人ともビザ切れてまうんで、カサネまで行って陸路でザンビアかジンバブエに入ってまた考えようと思ってます。ね? 」

 キュータが言ってピーコの顔をうかがうと、ピーコは少し考えて答えた。

「私前にジンバブエからナミビアに入ったから、少し通貨が残ってるんです。だからとりあえずジンバブエに戻るつもりです」

 ほう、と感心したようにヒロアキが声を上げた。

「ジンバブエから? カサネ国境で? 」

「はい、だから土地勘もなんとなくあるし、カサネには日本人宿もあって相談に乗ってもらえるかもしれないって思って」

「日本人宿! 」わざとらしいほどの大声でヒロアキは応じた「あれか、あそこか、『ゲントホテル』」

「あ。はい。ご存じでした? 」

「長く旅してるからね。そうだ、ゲントくんなら何とかしてくれるかもしれんな」

 ひとりうんうんと頷く「1000ドル貸してくれるかも知れない」

『え? 』ふたりはヒロアキを反射的に見返した。

「そんな。私なんか一泊しただけですぐここに来ちゃったから、知り合いってわけでもないんですよ」

「だからあ、おれが一緒に行って話してやるよ。あそこには沈没してたからよ。ゲントとはマブダチなんだよ」

 ヒロアキは胸を張るついでにビールをグッと飲み干した。

 沈没とはバックパッカー用語で、ゴロゴロ長逗留することである。

「おれが行きゃ絶対だよ。大丈夫大丈夫」ビールのゲップを吐きながらヒロアキはニヤついた。

「でも1000ドルなんて」

「大丈夫だよ。奴はそこそこカネ持ってるぜ。それにダ」

 ヒロアキはそこで急に口をつぐんだ。

「だ? 」

「だ、大丈夫だっつってんの。それよりおれが口きいてやる代わりに、二人にはちょっと手伝ってもらいたいことがある。かまわねえな? 」

 二人はすっかりヒロアキのペースに巻き込まれていた。どのみちカサネ国境からジンバブエに行くつもりであったから、彼の同道に異存はない。

「よし、いつ出発する? 明日の始発で行くか? 善は急げというぜ」

 とにかく勢いに呑まれるように若いふたりは頷くのだった。


 『ダ、イヤモンドがっつり持ってるんだよ、奴は』

 あぶねえあぶねえ、言いすぎるところだった。


 実のところ、こういうことである。

 ――ヒロアキはゲントの宿で沈没する時にドラッグを持ち込んで、それをキメてぐうたらしながら、やって来る客にもそれを売りつけてシノギにしようとして、宿泊客と揉め事をおこし、出入り禁止になっているのだ。

 それを逆恨みしてゲントのことを嗅ぎまわり、ひょんなことから、ゲントが首都に買い出しに来るときに、いつもダイヤモンドのかけらを両替商に売って資金にしていることを突き止めたのだ。

 確かにこういうものは首都の方が高く売れる。

 それに人口七千五百のカサネ市で、外国人が、宝石を売ることを繰り返すとどうしても目立つ。

 ひとり暮らしの外国人がこのようなことで目立つのは、金目のものあります、泥棒してくれ、というようなものだ。ゲントは彼なりに注意を払っていた。

 しかしヒロアキはゲントを執念深く尾行し(なんたるヒマ人! )ゲントの資金源を見つけたのだ。

 それで、恨み半分金欲半分、いずれ誰かをダシに使ってゲントからダイヤモンドを巻き上げようと企んでいたのだが、どうやらその機会がやってきたようだ。

 さあ。どうやってこのカモな大学生を利用しようか。彼の邪悪な脳髄はフル回転を始めていた。

 彼のギラギラとした目は、もうダイヤモンドになっていた。

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