四章 蜂と呼ばれる鳥と見つけてもらえた花
アシュデルは、ローブの裾が濡れるのも構わずに、光貝に照らされた漁場に来ていた。
寄せては返す真っ暗な海のその先に、深みがある。
「君が恋した人は、どんな人だったの?」
波の音が打ち寄せ、光貝の光がユラユラと震える。
「同じ言葉を、持っていなかった?」
海水に浸かった足から、徐々に冷えていくのがわかった。
「ここにいると言わなければ、さすがに気がつかないよ?」
この海は、アシュデルから霊力を奪っていく。この場所に入ることを許されたとき、漁師のキンジから警告されていた。極たまに、海の中で急に倒れる者がいる。異変を感じたら、すぐに岸へ上がるようにと。
「君は、仲間がほしかったの?」
光貝の巫女に選ばれる者には、家族はあっても、恋人も、伴侶もいない。
しかし、隠れた共通点があったのだ。
「片思いしてる。なんて条件、わかるわけない」
ペオニサが、インジュと共にこの深みへ来て、そして聞いたのだ。ペオニサは「オレ、インファに片思いしてないよ!」と憤慨していたが、すかさずインジュが苦笑した「ボク、結婚してますけどぉ?」と。
2人が聞けたのは、インジュはオウギワシでとても耳がよかったというだけで、ペオニサは恋愛相談や恋バナを聞くプロだからだ。だから、2人はこの海に入っても、霊力を奪われない。2人とも、相思相愛な相手がいるのだから。
奪われるのはアシュデルだけなのは、アシュデルが意中の者の心を得ていないからだ。この海が力を奪えるのは、片思いの相手がいる者。それが、生け贄になれる条件だったのだ。
「ハハハ。でもいいよ?永遠には付き合えないけど、君が落ち着くまでくらいまでは、一緒にいたっていい。ボクの片思いは、今更だから、このまま片思いでもいいんだ」
足下に、細長い気配がにじり寄る。
「ねえ、だから、ボクを選べばいい。もらっても困るモノを、罪悪感抱えて細々と返さなくていい」
ツンツンと、何かが海中にあるアシュデルの足を、靴越しに叩いた。
「大丈夫だよ。少し寒いだけ。全部はあげないから、もらっていいよ」
パシャン!と足下で、何かが海中から跳ねた。
「君にも、ボクにも、少しの勇気があれば違う結末を選べたのかもね」
アシュデルはまた来るよと行って、冷たくなった足を引きずるようにして岸へ戻った。
「ボクはね、君のこと好きだよ?君の香りも、浮力を補う優しさも、奪うしかなくて、けれども光に変えてこの世界に返す奥ゆかしさも。君は、愛されていいと思う」
『…………!!――――――!……!――――!』
波に混じり、声にならない声を聞く。
「いいよ。弱いのは君だけじゃない。強く見えるだけで、ボクも怖い。たった1人、その人の心を得たくて、でも、怖くて好きだと言えない。そんなモノなんだ。君が、恋煩いで死にそうになったことを、後ろめたく思わなくていいよ。たくさんの命を乗っけてしまったのは、君の望んだ事じゃないんだから」
気配が諦めたように、消えていった。
アシュデルは、早朝の店に1人立っていた。
ガラスのフェアリアのいたその場所に、そっと彼女を置く。
虹色の光沢を返す白い肌の妖精。明るく微笑む大人びた少女の背には、蝶の羽根が生えていた。フワリと風に遊ばれた髪とスカートの裾が翻ったその時のまま、時が止まっている。彼女の抱えた花束の中で、時計が時を刻んでいた。
君がくるとは、思ってないよ。アシュデルはフェアリアのアシュデルを映さない瞳に、フッと微笑んだ。ボクがちょっといなくなったら、君は少しは驚いてくれるかなぁ?そう思って、意地悪だなぁと心底呆れた。君の心に、ボクがいるから、来てくれたこと、わかってるよ。それでも、泣いている風を放ってはおけない。
また後回しにして、ごめんね。わかってくれるなんて、自分勝手なことは思わない。遅すぎたとしても、帰れる自信はこれでもあるのだ。
時計の規則正しい音を消し去るように、呼び鈴が鳴った。
これには、アシュデルも驚いたが、何度も鳴るその音に、アシュデルは首を傾げながらも店の扉を開けた。
「フィーインさん?」
彼女は、頭にフードをかぶって、引きずりそうなほど長いマントを羽織っていた。
「アッシュさん、あの、少しだけでいいので、お話させてくださいませんか?」
切羽詰まったような彼女の様子に、警戒はしたが、アシュデルは店の中へ彼女を入れた。
「どうしたの?」
店に入ってこちらを振り返ったフィーインに、アシュデルはおもむろに問うた。
「あ、あの、わたし……」
いつもハキハキと元気がいい彼女が、俯いて歯切れが悪い。どうしたのか?とアシュデルは首を傾げた。
「わたし、あなたが好きでした!」
「は?」と言ってしまわなかった自分を褒めたい。
えっと、誰が誰を好き?フィーインさんが、あなたってことは、ボク?ボクなの?この娘いくつだっけ?二十……代、だよね?ボクっていくつだっけ?ああ42だよね?こんな若い娘がこんな陰気な叔父さんが好きなの?変わってるっていうか趣味悪くない?言葉が頭の中を駆け巡っていた。
「………………ええと、それは恋愛的な意味で?」
「はい。アハハハ。ああ、スッキリしました!聞いてくれて、ありがとうございます」
「え?はあ……」
「いきなりすみませんでした。わたし……海花の神の花嫁に選ばれたんです。あ、光貝の巫女って言った方が通りがいいですかね」
海花の神……か。やっぱり、雌なんだなぁ、あの人。アシュデルは、光貝の漁場で逢瀬を重ねている気配のことを思った。
「ああ、なるほど。ミモザ!今すぐキンジ連れてきて!」
「ふわぁい!いってきまふ……」
ガタン!バタン!と音がして、眠い目をこすりながらもミモザが走り出てきて、そのまま店を飛び出して行った。
「さてと、飛んで火に入るだね」
「あ、あの……」とフィーインは、戸惑っていた。
「ああ、心配しないで。悪いようにはしないから」
思わず笑みがこぼれた。
どうやって、男のアシュデルが光貝の巫女になるか。1番の問題が、こんなすんなり解決するとは思わなかった。
フィーインは、本当にアシュデルに告白するためだけに来たようで、監禁場所から出てきてしまっているので、帰らないと帰らないとと訴えていた。それを、シェラの紅茶でもてなしたりして、引き留め続けた。
結構必死だった。アシュデルには、どうしても彼女から光貝の巫女を譲ってもらわねばならないのだから。
光貝の巫女に選ばれることが、どういうことなのか知っているのか?と問えば、彼女は知っていると言う。生け贄になるというのに、こんなに普段と変わらない様子でいられるものだろうか。アシュデルは、フィーインにマントを脱いでもらい、どんな恰好をしているのかも見せてもらった。
うん。これは、マント必須だなと、アシュデルはすぐにマントを着せた。
フィーインは、透けそうなベビードールのような際どい恰好だったのだ。こんな今すぐ裸に剥いてください!と言わんばかりの娘を押しつけられていた、海花の神が彼女の性別を知っているだけに、もの凄くお互いに理不尽だなと思った。
程なくして、ミモザに連れられてキンジがやってきた。
「フィーイン……!」
フィーインが逃げ出したと思ったのだろう。ゲンコツを振り上げた彼の前に、アシュデルは立っていた。
「ゲンコツはいただけないよ。あなたをここへ呼んだのは、彼女を引き取ってもらいたいからじゃないんだ」
「アッシュ、何を聞いたかしらないが、今すぐ帰らせてくれ。これは、下層の民にとって、大切なお役目なのだ」
睨み付けるその瞳を、アシュデルは無表情に見つめ返していた。
「下層の人が守人だとは思わなかったよ。いくら探しても、見つからなかったわけだ」
「探していた?」
「その海花の神の花嫁だけど、譲ってくれないかなぁ」
「は?」「え?」親子は、まったく同じ表情で瞠目した。
「ボクは、百年に1度のこの祭りのことを調べていたんだ。生け贄を捧げることも知っているよ。生け贄を捧げなければ、島が死ぬことも知ってる」
「だったら、逃げ出すことはできないと――」
「逃げる手助けをするんじゃなくて、ボクが、その花嫁になるって言っているんだけど?」
「は?」「え?」親子は、またしても同じ顔で驚いた。
「どうやってかすめ取ろうか、悩んでいたんだ。フィーインさんがここに来てくれてよかった」
「しかし……アッシュが?」
キンジはアシュデルをマジマジと見つめ、無理だろうと顔をしかめた。
「これでも?」
アシュデルは、分厚い魔導書を左手に、すぐに消えてしまうミモザの花とともに取り出すと、ページが独りでに繰れた。
魔導書はあるページで動きを止めると、そこに書かれた文字が鋭い緑色の光で瞬いた。
キンジとフィーインが目を見開いた。
2人の目の前には、フィーインが立っていたからだ。
「どうかな?フィーインさんに見える?」
声だけはわざとアシュデルのままで喋ると、2人は目が落ちるんじゃないかと思えるほど見開いた。
「フィーインさんが、儀式の恰好で来てくれて助かったね。服も一緒に変えないと、変身を解いたら大変なことになるからね」
フィーインの姿で着替えて、アシュデルに戻ったら服が――と想像して、ミモザがぶっ!と吹き出した。まったく緊張感がない。
「ボクに任せてほしい」
「しかし……」
「大丈夫。ボクはこれでも、大魔導だから」
親子は、渋ったが、アシュデルの変身を見せられ承諾してくれた。フィーインに変身したアシュデルは、キンジと監禁場所に戻ることになり。フィーインはこの工房に隠れていることになった。
さて、君の意に反して、ボクの手筈は整ったよ?1人、2畳ほどの窓のない部屋に押し込められたアシュデルは、ニヤリと笑ったのだった。
ボクは、臆病な花だね。君の行動で、運命を決めようとしてるんだから
君を想うと、怖いんだ
君の知るボクと、かけ離れてしまった自分が
怯える君の瞳に映るボクが
君が、選んでくれなければ、とても、自分からは行けない
ボクのフェアリア
夜を越える度に募った想いは、この手から零れ落ちそうなのに、1つも落っこちてくれないんだ
君が好きだよ。好きなんだ……ただ、愛しくて、この想いが怖い
逃げてほしい
受け入れてほしい
矛盾だらけだ
来ないで、イリヨナ……
ボクは君が――
光貝の祭り。
百年に1度たった1日の為に、巨人の捻れ角島は、その装いを変える。
どこに隠していたのか、太陽が雲海から顔を出すと、天空の止まり木街は、真っ白な光貝に飾り立てられ雲海に負けず劣らず光り輝く。
祭りの主役である、光貝の巫女が乗った神輿が街を練り歩き、太陽がオレンジ色に変わる頃、巨人の角へと到着する。
フィーインは、時間が過ぎるのを息を殺して待っていた。だが、身代わりとなったアシュデルのことが頭から離れなかった。
彼は大丈夫だと言ったが、彼がいかに強い魔導士だとしても、いったいどうするというのか、見当もつかない。父のキンジは、もう、儀式の広場についただろうか。
儀式が失敗すれば、この島は……。それよりも、彼の命は?
フィーインは気がつけば、店を飛び出していた。
ガタンと1揺れして、神輿が下ろされたのがわかった。
いよいよ、あの広場についたようだ。
白装束の男に恭しく手を取られ、アシュデルは心許ない衣装を晒して神輿を降りた。
物悲しげに吹き鳴らされる笛の音。ゆっくりと打ち鳴らされる太鼓。アシュデルの手を取った白装束の男がゆっくりと歩く歩幅に合わせ、ウッドデッキの端まで歩く。
下から吹き上がってくる風が弱い。海花の神と呼ばれている精霊獣の力が弱まっているのだ。風の精霊ではないのに、この島に暮らす人々の為に、風を起こしているなんて、なんて無茶で健気な人なんだろうか。
さて、今君のそばに行ってあげるよ。アシュデルが裸足の足を踏み出そうとすると、背後が騒がしくなった。
何事と?と振り返ると、いつの間にか音楽が止んでいた。それだけではない、儀式に立ち会う白装束の者達が驚いて、アシュデルと誰かを交互に見ていた。
「アッシュさん!やっぱり、間違ってる!」
ええ?凄いな。それが正直な感想だった。今日という日を大人しくしていれば、もうこの島にいられなくなるとしても、命を繋ぐことができる。だというのに、彼女――フィーインはここへ来た。アシュデルはハアとため息をつくと、潔く変身を解いた。ざわめきが起こった。
「安心して。ボクはあなたの為に、この役目に就くわけじゃない」
アシュデルは両手を斜め前の空――黒く聳える巨人の角に向かって差し出した。
フワリと、白い花びらがその手から解き放たれた。皆の瞳が、弱い風に舞う、花びらに気取られる。
「あっ!」
フィーインが手を伸ばして、足を踏み出しかけた。アシュデルはフッと微笑むと、倒れるように、空へ身を投げた。
「アッシュさん!」
悲鳴に近い彼女の叫びが、風を切る音に掻き消えた。
バタバタと激しく風に煽られるローブの袖。アシュデルは海の中に開いた穴へ向かって落ちていた。その間も、白い花びらが空へ向かって解き放たれ続けた。
『――!………………!!』
声にならない声が聞こえた。そして、枯れ木のような心許ない黒い線が、下からアシュデルの体に伸ばされたが、落ちてくるアシュデルの体に触れるとそれは、脆くも折れて霧散していった。
無駄だよ。君じゃ止められない。海花の神が、アシュデルが海に落ちることを阻止しようと足掻いていた。だが、力を失い滅びの一歩手前にいる海花の神には、人1人を受け止める力もなかった。
アシュデルは、微笑みを浮かべると、目を閉じた。
どこで魔法を使おうが、この島は解放される。解放する自信があった。
――ごめんね。インファ兄、兄さん。お許しください。リティル様
このまま海へ落ちれば、2人は驚くだろう。事前の打ち合わせではアシュデルは空中で、魔法を使うはずなのだから。
「アシュデル!」
その声に、アシュデルはハッと瞳を開いた。そして、空を見上げた。
え?夢かな?現実味がなかったのはきっと、まだ太陽が出ている時間だったからだろう。彼女が店に来るのは、決まって夜だったからだ。腕を広げてこっちに向かって落っこちてくる女性は、紛れもなくツアナだった。
怒ったような黒い瞳が、伊達眼鏡の向こうからアシュデルを真っ直ぐに睨んでいた。あんなにオドオドしていたのに、今の彼女には微塵も恐れがなかった。空中で戸惑ったアシュデルの首に、華奢な腕が躊躇いなく回されていた。生え際で束ねられた2つの髪が風に激しく揺れていた。
「ははは……君は、いつも突拍子ない」
アシュデルはそっと、そのアシュデルからすれば小さくて華奢な体を抱きしめた。
「ツアナさん。いや、イリヨナ……」
その名を呼べば、腕の中の彼女が驚いたように震えた。まだ騙せていると思っていたのだろうか。そりゃ、直前まで騙されていたが。
「変身、解かなくていいよ。見られたくないでしょう?色々言いたいことはあるけど、今は、高度が下がりすぎるからね」
アシュデルは笑うと、左手の魔道書を開く。フワリと、透明な夕日を溶かしたような色の蓮の花が空中に咲き、2人の落下を止めていた。
「アシュデル……」
「うん。ありがとう、来てくれて。あとで、いっぱい話そう?逃げないでね?」
「……!……ああ、早まりましたの!」
アシュデルの行動は、イリヨナを促すためのものだったのだと思ったようだ。
「早くないよ?遅いよ?君が来なかったら、ボクは今頃海の中だったよ」
本当にギリギリだった。でも、あんな躊躇いなく飛び降りてくるとは思っていなかった。
「え?」
「タネ明かしはあとでね。今は、彼女を解放してあげないとね」
蓮の花の上、立ち上がったアシュデルは空に魔法を描いていった。
波紋のように広がる、精霊の言葉で綴られた言葉。高度すぎて、翳りの女帝のイリヨナでも、読めない文字があるほどだ。彼は、幼少期よりもさらに魔導の知識を深めていた。それを目の当たりにし、イリヨナは、離れていた時間の長さを知った。
もお!ヒヤヒヤさせないでほしいのですの!アシュデルが大それたことをしでかすような気がして、追いかけてしまったが、私などが来る必要はなかったと、イリヨナは無力にため息をついた。
だけど……明るい夕暮れの太陽に照らされた、見上げるその横顔に、幼少期の面影を見つけて、ああ、アシュデルですの!と心に喜びが込み上げてくる。イリヨナも子供ではなくなったのだということを、アシュデルは気がついているのだろうか?想いが変わってしまったのは、アシュデルだけではないのだということを。
蓮の花の上にへたり込んだまま凜々しいその顔を見上げていた、ツアナに扮したままのイリヨナは、ハッと顔を上げた。どこからともなく、歌が聞こえるのだ。この声は、ペオニサ?その声に重なるこの声は、インファ?『風の奏でる歌』が島を震わせるのがわかった。
「君は海中の花――珊瑚の姿をした精霊獣だよね?風に恋して、こんなに高くまで出てくるなんて、その積極性があったのに、どうして声をかけなかったの?」
風は彼女に気がついたが、それだけだった。最後の勇気を持てなかった海花は、恋煩いで、徐々に枯れてしまったのだ。それを理解されるはずもなく、生命力と魔力を与えるために、人間は女性の魔導士を捧げ続けた。生物学上、雌である精霊獣は、同性婚を強要されたのだ。いや、それ以前に意中の相手がいたのだ。彼女的には地獄だっただろう。
「まあ、いいや。今度はちゃんと口説いてね?花を絶やしたら、すぐそっぽ向かれるから、そのつもりで」
アシュデルの書いた文字に、金色の風が吹き込まれる。渦巻く風に、アシュデルの放った花びらが溶ける。ブーンという音に、強風に瞳を閉じていたイリヨナは恐る恐る目を開いた。
「きゃっ!」
目の前には、小さな小さな鳥が、高速で翼を羽ばたかせて飛んでいた。
ハチドリ。蝶のように花の蜜を吸う小さな小さな鳥だ。ミイロタテハの羽根のように、色とりどりの羽根を持つ、空飛ぶ宝石だ。
「海花、愛される努力、怠らないでね?」
小さなハチドリたちが、島を埋め尽くすほどに咲いた花に向かって飛んで行った。
儀式を皆の想像だにしないやり方で終わらせたアシュデルは、力を取り戻した海花の伸ばした、薄桃色の珊瑚の枝を伝わって、下層へ降りた。
その、光の届かない場所にも、様々な花が咲き乱れていた。
これが、この島の固有種かぁ。珊瑚によく似た枝に咲く、地上の花によく似た、尖った流線型の5枚の花びらを開いた小さな花が、群れるように咲いている。
「――そうですの。では、もう生け贄は必要ないのですの?……あなたの声を神託として聞ける者がいるといいのですけれど」
花を観察していたアシュデルが、パキパキと形を変える、薄桃色の珊瑚の枝と会話するイリヨナにやっと気がついた。
「さすがだね。彼女の言葉がわかるの?」
「はい。闇の仕事は、生物の姿形を決めることですの!声帯は姿形に由来するものですの。だから、翳りの女帝はすべての生き物の言葉がわかるのですの!」
凄いでしょう?とエッヘンと言いたげに、未だツアナに扮したイリヨナは胸を張った。そんな、アシュデルにできないことを自慢して張り合う姿が、幼少期の彼女と重なる。
思わずアシュデルはフッと優しげに瞳を細めていた。
「ア、アシュデル……そのですの……」
顔を見上げていたイリヨナが、突然真っ赤になって俯いた。
え?何?いきなり。イリヨナの様子を、可愛いと思ってしまったアシュデルの心は落ち着かなくなった。
「私、美形には、免疫がありすぎるほどあると思っておりましたの」
俯いたままイリヨナは言った。
美形……そうだろうね。とアシュデルもそう思う。あのインファとペオニサを産まれた時から目の当たりにしていたら、そりゃ、顔面に惑わされないレディになるだろう。
「でも……でもですの!アシュデルのその顔には、慣れられそうにありませんの!」
「……それは、見られないくらい、酷いってこと?」
ガーンと、殴られたような衝撃が心を襲っていた。
知らなかった。イリヨナの目には、この姿は、悪鬼か悪魔か化け物に見えていたという事実に、アシュデルは蹌踉めきながらその場を辞そうとした。
「え?どうしてそうなるのですの!?格好良すぎて直視しがたいと言っていますの!」
イリヨナの小さな手が、アシュデルの大きな手を掴んだ。
んん?今、聞き慣れない言葉が聞こえた気がする。
「格好いい?誰が?」
疑問をすぐに口にしてしまうのは、昔からの悪い癖だ。
「あなたですの!もお!その嫌みなところも変わってませんの!なんなのですの!?ただの花の精霊なのに、あの魔法!お口があんぐりですの!それに、こんなに大きくなってしまって……手もほら、こんなに!背だって!猫背は変わりませんけれど。年も、私の予想以上に年上になってしまうのですもの!私、これくらいかな?ってこの年にしましたのに、なんなのですの!なんなのですの!?あなたはいつも意地悪ですの!」
イリヨナにキャンキャン下から怒りをぶつけられて、アシュデルは口も挟めずに唖然としていた。
「そんなに、そんなに先へ行っては追いつけませんの!バカ!アシュデルのバカぁ!」
ブワッと泣き始めたイリヨナに、ギョッとしてアシュデルはオロオロしたが、どんな外見の者もあやすように抱きしめるリティルの姿が浮かんで、それに習うことにした。
「ボクを、そんな低俗な言葉で罵るのは、君くらいだよ」
「きいいいい!バカぁ!!!」
顔を上げないまま、イリヨナはアシュデルの腹をポカポカ殴った。
「ごめん……ボクも、こんなはずじゃなかった……成人しても、君と、友達でいられると思っていたんだ。それなのに、ボクはすべてを裏切った。合わせる顔がなくて……」
「好きが、変わってもいいじゃない!私……嫌われたらどうしようってそればっかりで、苦しくて苦しくて――ああああん!アシュデルのバカああああああ!」
「ごめん……謝るからそれやめて?」
「うえええええ!どおせ!私は子供っぽいちんちくりんの幼児体型ですわですの!大魔導の島を救った英雄様にはふさわしくありませんの!」
「違うよ。ああもお……何これ?可愛い……」
えい!とアシュデルはイリヨナを持ち上げていた。本物のイリヨナは、140センチだが、ツアナは160センチは身長があった。だが、アシュデルにはまだまだ低い。
「ふえ!?ああああああのあの?」
イリヨナを自分の頭上へ持ち上げ、大人しくなった彼女を抱きしめる。
「ボクのフェアリア……」
会ってみれば、何も変わらなかった。姿も歳も、何もかも関係なかったのだ。ただ2人、少しだけ勇気が足らなかっただけなのだとわかった。
「ひえ!?」
耳元で、愛おしそうに囁かれ、イリヨナの心臓はドクンッと跳ねていた。
フェアリア……?この人、私のことフェアリアって言った!?イリヨナの脳裏に、妖精少女のラフスケッチが思い出されていた。幸せそうに笑う顔しかなかったフェアリア達。少し大人になった彼女の、寂しげな微笑みに、アシュデルの思いを感じていた。
どんな気持ちで、会わない選択をしていたのか、フェアリアの表情でわかってしまった。
好きだよ?好きなんだよ?でも……好きなんだ……好きだ。切ない思いを感じる、その横顔だった。
本当に、あれは、私なのですの?信じられない。あんな、狂おしい感情を、こんな静かな瞳の奥に秘めているだなんて、何かの間違いだと思った。イリヨナの知っている幼少期の彼からはまったく想像できない想いだ。
「だから嫌だったんだ。手に入れたくなるから……手に入れたら、もう、君が嫌だって言っても手放せなくなるのが、わかってたから。イリヨナ……ボクのモノになって?どんな君でもいい。君がほしい。ほしいんだ!」
「待って待ってですの!わ、私今、か、顔、顔が……」
越権行為の罰で、イリヨナは今、顔が闇だ。視線は感じるらしいが、その顔は、穴、のようで不気味だ。さすがにアシュデルも引くと思う。アタフタしてると、アシュデルが言った。
「関係ない。罪が許されるまで待ってもいいし、ああ、ダメだ、待てないや。2人きりになったら見せて?君が引け目に感じるなら、贖罪の方法探すから。逃げないで。ボクから逃げないで」
グイと顔を上げさせられたイリヨナは、為す術なく引き寄せられて、抱き上げられたままアシュデルに唇を奪われていた。
こんなキス犯則だと思う。アシュデルの熱い唇が、イリヨナの思考のすべてを奪い去って、何もかもどうでもよくなってしまった。
その後、タイミングを見計らったかのように、ペオニサとインファが現れた。
イリヨナは、サッとアシュデルの巨体に隠れてしまい、守人達が集まる頃には逃げてしまっていた。
アシュデルがことの顛末を説明したが、やはりすぐに信じてもらえずに、さてどうしようかと思っていると、海から、あの桃色の珊瑚の枝がパキパキと伸びてきた。
それが、アシュデルを庇うように懐くように彼の体に絡むのを目の当たりにした守人達は、「海花の神」と口々に言い、跪いた。
彼女が意を決して存在を誇示してくれたおかげで、その後の話はすんなりと受け入れられた。アシュデルは、なんとか意思の疎通ができる方法を探してみると約束して、今は海花の解放と島の存続を祝ってほしいと告げて、やっと解放されて店へ戻ったのだった。
はあ……と、カウンター奥の椅子に崩れるように座ったアシュデルに、ついてきたインファとペオニサがホッとした様に笑った。
「お疲れ様でした」
「あ、うん……ごめん。イリヨナが来なかったボクは、海花としばらく一緒にいようと思ってた」
秘めているのが嫌で、アシュデルは正直に告白していた。インファは苦笑したが、ペオニサは、バンッとカウンターに手をついて怒りを露わにした。
「だと思ったよ!感謝してよね?オレがイリヨナちゃん呼んでやったんだよ!」
「ああ、兄さんだったんだ……。けど、飛び降りるとは思わなかった」
あのまま2人して海中に落ちても不思議はない事態だったのに、イリヨナに躊躇いがあったようには見えなかった。
「さすがオレの妹ですね。と言うしかありませんかね?あなたが落ちてすぐ、あの広場に乱入しまして、1直線にダイブしたそうです」
「止める間もなかったってさ。人騒がせだねぇ。2人とも」
兄さんに言われたくない。と瞬間思ってしまったのは内緒だ。
「これから騒がしくなりますね」
「そうだね。どうやって海花と話そうかなぁ」
苦笑を浮かべるインファの言葉に、アシュデルは真面目に返していた。
「いえ、海花のことではなく、あなたとイリヨナのことですよ。無愛想な中年美形の時計屋と、うら若き乙女の恋ですからね。華やかな祭りの雰囲気も相まって、噂になっています」
「恋に効くおまじないのアイテム、伊達眼鏡がくるとみたね」
フンと鼻息荒く、ペオニサが未だ仏頂面で言った。
「うわ……それちょっと……逃げていいかなぁ……」
解放されたが、まだまだ心細いだろう海花のそばにもいてやらなければならない。それはつまり、しばらく巨人の捻れ角島から出られないことを意味していた。
しかし、イリヨナともゆっくり話したい。放っておくと、また逃げるような気がして、今のうちに逃げられないようにしておかなければならないからだ。
「ダーメ!おまえは責任持ってピエロでいてよね。ああ、そうだ、海花ちゃんのことなら、オレが声聞けるかもよ?インジュに付き合ってもらって、イリヨナちゃんの助言受けるくらいでいけるかな?インファは、今後のことだよね?」
「そうですね。祭りは神に力を与える事のできる大切な儀式です。海花はすでに、信仰と呼べるものを手に入れていますから、花を咲かせる為に使ってしまう霊力を、祭りから吸収できるでしょう。その頻度、内容、新たな伝説――整備しなければならないことは多いですね」
「忙しくなりますね」そう言いながらも、インファは明るい顔をしていた。そんなインファに、ペオニサはよかったよかったと言いたげにニコニコ笑った。
「……イリヨナと話ししてきてもいい?」
「いいですよ。むしろ、そちらが先ですかね?」
「インファ、許していいの?こいつ、しばらく闇の城から帰ってこなくなるよ?」
「帰ってこなくなる内容については、黙認しますが、この島のことを思うと自重してくださいと言わざるを得ませんね」
インファはすまさそうに苦笑した。
「じゃあ、1日経ったらオレが迎えに行くよ」
「2人とも……気が早すぎない?」
やっと両思いを確認し合ったところで、さすがにそれは……。
「何言ってんの!おまえの精神いくつよ?イリヨナちゃんも大人だよ?精霊は手順踏まないとできないんだから、即行結婚するしかないでしょ!」
「婚前交渉はいけませんよ?」
「それ、本気で言ってる?それとも揶揄われてる?」
「現状を見ての助言ですかね?婚姻の証は、指輪がいいと思いますよ?」
「そだね。おまえグロウタースに殆どいるし、虫除けは必要だよね」
これ以上この2人といると、体格差を考慮した営みのレクチャーまで入りそうで、アシュデルは早々にイシュラースへ逃げた。
恋愛感情なんて、精霊には無意味だ。
この感情は、命を繋ぐために無理がないように生まれた、言わば、グロウタースの民の為の感情だ。花が司るのは、実を結ぶ営みだが、花の精霊が恋愛感情を持っていなくてもいいのにと、アシュデルは、幼少期から思っていた。
「愛とは、何も男女間だけにあるモノではありませんよ?愛を持つためには、恋愛感情も必要なのだと、最近、オレも考えるようになりました」
成人し、ツアナとイリヨナに翻弄されたアシュデルは、珍しく1人で時計屋を訪れたインファに思いを吐露した。そして、返された答えがそれだった。
「風の精霊には、特に愛という感情が必須です。これがなければ、世界を慈しめません。少々暴走気味なのが玉に瑕ですが。死の側に立つ風の精霊が愛を理解しているんです。生の側に立つ花の精霊が持っていないのは不自然ですよ」
理解はできたが、それでも、苦しくて時に思考を奪うこの感情は、アシュデルにとって邪魔なモノだった。
翳りの女帝・イリヨナの統治する闇の領域は、太陽王の統治する太陽の領域の隣にある。
アシュデルは、鍵を使って風の城に戻り、大鏡を抜けて太陽の城に入ると、そこから一旦外に出て闇の領域を目指した。久しぶりに使うミイロタテハの羽根だったが、キチンと空気を掴んでアシュデルを闇の領域まで運んでくれた。
城の扉を開き、中へ入ったアシュデルは、幼少期の思い出がどっと押し寄せて、エントランスを楽しそうに走り回る、幼いイリヨナと自分の幻影を見た。
「アシュデル様?」
ハッと懐かしい声に我に返ると、翳りの女帝の腹心である中年男性、影法師の精霊・ルッカサンが驚きの表情を作っていた。
「久しぶり。ずっと会いに来なくてごめん。ルッカサン」
「それは……しかし、ご立派になられましたな……」
涙ぐまないでほしい。こっちももらい泣きしそうだ。
「ハハハ、中年仲間だね。イリヨナは?」
「はい。執務室におられます。お話は伺っておりますよ?お帰りになってから女王陛下は、それはそれはご機嫌が麗しくて。あなた様が来られたとしれば、お倒れになるかもしれませんね」
大袈裟な。と笑ったが、ありえそうだから怖い。
「アシュデル様、この城はあなた様のモノです。このルッカサン、朗報を期待しております」
深々と腰を折り、執務室まで案内してくれたルッカサンは、意味深な言葉を残して影に紛れるようにして去った。
そんな期待されてるの!?精霊は婚姻推奨な種族じゃないと思うんだけど?と、アシュデルは心臓の鼓動がおかしくなりながらも、執務室の開き慣れた扉を開いた。
「ロロン、ノックをしなさいと言っていますのですの!……アシュデル!?」
開いた扉を見ないで、彼女には大きすぎる執務机から顔を上げないまま咎めたイリヨナは、従者のちびっ子精霊・ロロンと気配が違うことに気がついたようだ。顔を上げて、目を丸くした。
「……君の顔が見られるかと思ったんだけど、こんにちは、ツアナさん」
伊達眼鏡の奥で、長いまつげに縁取られた黒い瞳がパチパチと瞬いた。
「しかたありませんの。変身していないと、ナナ達が怖がるのですの。でも、良いこともありますの。ツアナは、厚底にしなくても身長が160もありますの!裸足でいられてらくですの!」
え?裸足なの?と思って、アシュデルはクククと笑ってしまった。
「いいじゃありませんの!どうせ、机で見えないですし、足がプラプラしていますと、厚底は地味に重いのですの!」
「姿が自分で決められるなら、もっと身長伸ばせばよかったのに」
遠慮なく部屋を横切り、アシュデルは重厚感溢れる机を挟んで立った。机越しにアシュデルを見上げていたイリヨナは、この机……この人にあげたほうがいいのでは?と思ってしまったことを、アシュデルは知るよしもない。
「……操作できたのは、年齢だけですの」
「あ、そうなんだ?えっと、精霊的年齢27だっけ?兄さんより年上って、ハハハ、ごめん……なんか……違和感……」
遠慮なく笑うアシュデルに、イリヨナはプウッと頬を膨らませた。
「それは思いましたけれど!アシュデルはきっと、ペオニサより年上になると思いましたもの。まさか、ダンディな中年男性になるなんて予想外でしたの」
「ボクも予想外だったよ。でも、この容姿だと大魔導だって名乗っても、ああ、うん。ってみんな納得してくれるから楽かな?」
アシュデルだ。これまで会えなかったことがチャラになってしまうなんて、安い女だなとイリヨナは思ってしまった。それにしても、ゆったりした抑揚で話すアシュデルの声も、耳心地よくてますます好きになってしまう。あれだけ会うことを怖がっていたのに、嘘みたいだ。
しかし、本当に予想外だ。こんなに年上になってしまうなんて。
「……必然ですの……ああん、私……落ち込んでしまいますの……」
「そう?」
机に突っ伏したイリヨナの上に、濃い影が落ちてきた。顔を上げたイリヨナは、額にキスされていた。
「大人びた君なんて、想像できない。ねえ、今の君を見せてよ」
この人……誰ですのおおおおお!?物静かなで哀しげな外見からは、想像できない積極性を感じた。無表情からいきなり浮かぶ薄らとした笑みが、得も言われぬ色気を醸していた。
危険では?いや、アシュデルに限って?とは頭をよぎったが、イリヨナは自分でも驚くべき事を口にしていた。
「……ここでは、皆の目があるのですの。ですから、私の寝室へ、行きましょう?」
それを聞いたアシュデルは、フッと妖しげな光を浮かべた、切れ長な瞳で微笑んだ。ああ、私、自らお皿の上に乗ってしまいましたの。イリヨナは静かに生唾を飲み込んだ。
アシュデルはというと、実は邪なことは一切考えていなかった。
どういうつもりだろう?とイリヨナに試されているのなら、受けて立つけど?とそんなことを考えていた。経験はなくとも、精霊的年齢42だ。今更、彼女に触れることを照れたりはしない。望まれるなら、喜んで与えるだけだ。
しかし、違うだろうなぁ。と思う。
花の精霊のボクに、敵うと思ってるの?アシュデルはいつも無謀な勝負を挑んでくるイリヨナに、人知れず舌なめずりした。
寝室。と一口に言っても、部屋の中にあるのは、ベッドだけではない。
本棚や机、椅子、寛ぐために必要なモノが揃っている。
「誘ったんだから、こっちでしょう?」
アシュデルはヒョイッとイリヨナを後ろから攫うように抱き上げると「え?え?」と横抱きにされて混乱しているイリヨナを無視して、ベッドに腰掛けさせた。
そうやって、最大限意識させておいて、アシュデルは遠慮なく彼女の隣に腰掛けた。
「ほら、変身解いて。それとも、解いてほしい?」
グッと顔を近づければ、イリヨナはバッと顔をそらすと「自分で解きますの!」と耳を赤くしてそう言った。
「取り繕わなくても、結構ですの!わかりまして!?」
「わかってるよ」
アシュデルは居住まいを正すと、またあの顔で薄ら笑った。イリヨナは、ゴクリと生唾を飲み込むと、フッと軽く息を吐いた。フワリと、頭の上の方で縛ったツインテールが現れ、その頭に金の王冠が現れた。服装も、裸足ではあるものの、黒のレースをふんだんに使ったミニスカートのドレスに変わっていた。
「うん……これは、確かにホラーだね。見えてるの?」
ゆっくりと顔を上げたイリヨナの顔は、まさしく穴だった。髪の毛が縁取っているので、辛うじてそこに顔の輪郭があることはわかるが、額や鼻の凹凸もなにもないのだ。しかし、その穴から確かに視線を感じた。
「風の仕事に、他属性の王が要請もなく干渉することは、かなり大きな罪なんだね。ボクは、風の王の配下だから、あそこまでやっても影響なかったのか……リティル様の恩恵は、思ったより大きいなぁ。やっぱり風一家に入っておいてよかった」
マジマジと、アシュデルはイリヨナの顔を覗き込んだ。
「あの」
「うーん……にしても、どうなってるんだろう?一寸先は闇状態?顔だったことに、意味あるのかなぁ?」
顎に手を置いて、切れ長な瞳を眇め、アシュデルはイリヨナの顎に指を沿わせると、遠慮なく角度を変えながらなめ回すように見つめていた。
「あの!」
「後にして。これが、風の呪いなら、リティル様なら解き方わかるかな」
「アシュデル!近いのですの!私、恥ずかしいですの!」
触れそうなほど近くに寄ってきたアシュデルに、ついにイリヨナは叫んでいた。その瞬間、アシュデルはハッと瞳を見開いて慌てて距離を取っていた。
「ご、ごめん……魔導士の性が……。…………触っていい?君の顔に」
「ええ?呪いが移ったら――」
「いいよ?同じように顔がなくなったら、リティル様達が慌てて何とかしてくれるかもね。ハハハ、自分の顔なら遠慮なくいろいろ弄くれて便利だよね。よし!この呪い移そう!」
「バカ!これは、わたしの負った罰ですの!あげませんの!」
ベッドを降りようとしたイリヨナを、アシュデルは後ろから抱きかかえた。
「そう言わずに、ボクを頼ってよ」
放せ!と抗議するイリヨナは、耳元で囁かれた言葉に動きを不自然に止めていた。
「狡い……そんな声で、こんなふうにされて言われたら……」
「うん。絆そうとしてるから。こっち向いて」
顔を上げないイリヨナの顎に手を添えると、やっと彼女は顔を上げた。その、頬に触れる。指をゆっくりなぞらせると、顔の凹凸が指の腹に感じられた。
指が、彼女の唇を探り当てた。少しだけ力を入れて開かせたその唇に、アシュデルは極々自然に唇を重ねていた。
1度場所がわかってしまえば、目を閉じていたって、口づけできる。舌で唇をなぞりながら、何度も口づけるうちに、2人はベッドの上に体を沈ませていた。
「ア――シュ、デル……!ダ・メ……!」
イリヨナが悲鳴に近い声を上げていなかったら、服を脱がせていたかもしれない。
「あ、ごめん」
「バカ!スカートに手を入れるなんて、何するつもりだったのですの!」
アシュデルの下から這いだしたイリヨナは、めくれ上がったミニスカートを慌てて直していた。
「あ、触ってた?太もも?無意識だったよ。勿体ない」
というか、上からじゃなくて下からいったのか、ボク。とどれだけガッついてるんだ?と申し訳なくなった。
「バカぁ!こ、ここここんなに……気持ちいいなんて、知らない!」
「ハハハ、そうだね。ボクも気持ちよくて……もっともっとって、自制が効かなくなったよ。ハハハ」
「バカぁあああああああ!」
うーん。早くこの呪い解こう。絶叫するイリヨナの表情が見たいなと、アシュデルは怒るイリヨナをよそに「ハハハ」と楽しそうに笑っていた。
「イリヨナ、ボクは君がほしいんだ。君は?」
狡い!とイリヨナはカッと怒りが湧いたが、それを心の中に押し込んだ。
「そんな卑猥なこといいませんの!けれども、好きですの。アシュデル、たまにでいいのですの。私のところに来てくれません?」
そういうと、アシュデルは意地悪く微笑んだ。
「君が来てよ。ボクは、グロウタースのどっかにいるから」
はいと、アシュデルは、リティルが持っているのとは先端の飾りが違う鍵を、イリヨナに渡した。
「アッシュの鍵。これをどこでもいいから扉に使えば、ボクのいるところに繋がるから」
イリヨナは受け取ると、その鍵を胸に押し抱いた。
「……この寝室……使わなくなってしまいますの……」
「へえ?毎晩来てくれるの?」
それは驚いた。ベッド大きくしないとと、アシュデルが揶揄うと、イリヨナは飛び上がるほど驚いた。自分の口から出た言葉にだ。
「ひえ!?私、なんてこと!?」
「いいんじゃない?幼少期は、一緒に寝てたし」
今だって、たぶん寝られる。たぶん触るが。
「あああん!だから嫌なのおおお!アシュデルは私の恥ずかしい失敗も全部知ってるから!」
「君も知ってるんだから、いいでしょう?」
顔を覆って首を振るイリヨナの頭を、アシュデルは大きな手でポンポンと叩いた。