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三章 捻れた想いに散っていく涙

 自分に、こんな行動力があるとは思わなかった。

イリヨナは気がつけば、太陽の城経由で風の城の応接間に足を踏み入れていた。

「父様!」

「へ?イリヨナ?おまえ――」

ここに足を踏み入れるのは3度目だ。イリヨナは、140センチしかない身長を誤魔化すために履いている、20センチの厚底ブーツでも衰えない脚力をみせて、大鏡から十数メートルはあるソファーに走っていた。突進とも言う。

「アシュデルは!何をしているのですの!?」

「へ?ア、アシュデル?何って、あいつグロウタースだぜ?」

「ええ、ええ、そうでしょうとも!何に首を突っ込んでいるのか、聞いているのですの!」

ズイッと詰め寄ると、ソファーでデスクワークしていたリティルが戸惑った。

「気になるなら行って聞いてこいよ。巨人の捻れ角だぜ?ゲート開いてやるぜ?」

むむむ、立ち直りの早い!さすがにアシュデルに聞く勇気がないから、ここへ来たというのに、そんなことも見透かされているようだ。

 睨めっこしていると、何もないホールのような床の上に、突如ゲートが開いた。

「ただいまー!いやぁ、酷い目に遭いましたよぉ!」

ゲートを越えて帰ってくるなり、愚痴り始めたインジュはイリヨナに気がついていなかった。

「海の中で嵌まるとこでしたよぉ!アシュデル君、人使いが荒いんだからぁ!」

「アシュデル?インジュ、何をしてきましたの?」

「えっ!イリヨナ?どうしたんです?また誰か猫に変えちゃったんですかぁ?」

イリヨナに声をかけられ、インジュはソファーまでオウギワシの翼で飛びながら物珍しそうに見つめていた。

「変えてませんの!変えてても、さすがにもう元に戻せますの!それより、アシュデルのことですの!」

「今は会わない方がいいです」

「ん?何かあったのかよ?」

真顔になったインジュに、リティルが問うた。

「失恋で傷心なので、突いちゃダメです」

「はあ?……ああ、ツアナって()か。マジだったのか……」

リティルが愕然としている。風の精霊は恋愛感情に疎い。それがあのアシュデルではこんな反応にもなるだろう。

「ちょっと複雑ですけど……イリヨナはダメな気がします!って、どうしたんです?」

インジュの言っている「ツアナ」とのことは気になるが、それよりも今は巨人の捻れ角でアシュデルが何をしているのかということだ。

「あの、お祭りとはなんのことですの?」

「ん?おまえ、どうして巨人の捻れ角の祭りのこと知ってるんだよ?」

「そんなことより、百年に1度のお祭りとは、なんですの?危険があるのですの?」

「えっとですねぇ、女の子を突き落として殺すんです。海の中にドボン!です」

「!?」

想像以上だった。それでアシュデルは躍起になっているのか。イリヨナは寂しげな瞳のアシュデルのことを思った。

「インジュ、その言い方ないだろ?あのな、あの島は昔から生け贄で生き長らえてるんだ。アシュデルは、そのツアナが生け贄に選ばれちまうんじゃねーかって、島を開放するつもりなんだよ」

「そうなのですの……だから――」

「?なんて言いましたぁ?」

地獄耳!イリヨナはその先を言わなくてよかったと心底思った。まだ、最後の勇気を持てないのだ。知られるわけにはいかない。

「えっ?なんでもありませんの!なぜ、生け贄が必要なのですの?」

「わからねーんだけどな、アシュデルがあの島自体が生きてるんじゃねーかって言うんだよな」

「食べているということですの?あの島は、光が強いですのよね……それに、花の香りがしていて、心地よい――」

「なあ、おまえ、どうしてそんなに、あの島のこと詳しいんだよ?」

くっやりにくい。これは、インファかペオニサに聞くんだったとイリヨナは後悔した。

「えっ?えっと、島が生き物かどうかなら、闇魔法でわかるのでは?アシュデル、得意でしたわよね?花の精霊ですのに」

「ああ、あいつは六属性使えるからな。魔導書書いてそっから魔法使うなんて、よく考えついたよな」

「さすが、大賢者・ゾナの弟子ですねぇ。イリヨナ、アシュデル君に闇魔法使えって言ってきてくださいよぉ。もしくは、イリヨナがやるかしてきてください」

行けるわけない!でも、イリヨナがやるというのは、正確さの面では1番のような気がする。

「えっ?そ、その……私!お仕事に戻らなければ!ですの!ごきげんよう!」

バッと飛び退くと、イリヨナはリティルが止める間もなく走って大鏡を越えていた。

「……脱兎って、ああいうのを言うんですよねぇ」

なんだったんです?とぽかんとしているインジュが、可愛く見えてしまったリティルだった。

「上手いこと言ってんじゃねーよ。あいつ、何かおかしいな」

「リティル、恋愛に首突っ込んじゃダメです」

「はあ、わかってるよ。闇魔法のことは、シェラに伝えてもらうぜ」

「そうしてくださいよぉ。ボク、しばらく寝たいです」

「……何があったのか、聞いてもいいか?」

「生け贄のドボン穴じゃない方の穴を覗いたら、何か話しかけられてるような気がしてですねぇ、もう少し聞いてみたかったんですけど、アシュデル君が寒いって言い出してですねぇ、慌てて工房に引き返したんです」

「!大丈夫だったのかよ?」

「はい。シェラがミモザの花から霊力抽出して、戻してくれましたよぉ。気になるのがですねぇ、今のところ、被害に遭ってるのがアシュデル君だけって事なんですよねぇ」

「ペオニサは海に近づいてねーんだろ?」

「……ペオニサ戻して、お父さんにアシュデル君診てもらった方がいいかもです。なんか、気になるんですよねぇ」

「わかった。伝えてみるぜ。ありがとな、インジュ」

「いえいえ。アシュデル君のためなら動くんで、何かあったら起こしてくださいよぉ」

インジュはそういうと、ヒラヒラと手を振って城の奥へ向かう扉まで飛んだ。そして、扉を開きながらリティルを振り返った。

「アシュデル君は、ボクの可愛い義弟ですからねぇ」

フフとインジュは笑うと、扉の奥へ消えた。


 目が覚めると、最近いつも真夜中だ。

アシュデルは、二度寝しよう。とは思わずに店の外へ出た。

天空の止まり木は、雲の上にあるため、雨は下から降り、いつでも太陽と月と星が出ている。

それにしても、この島が生物かどうか、闇魔法ならわかるのでは?なんて助言、もっと早くほしかった。それに気がつかなかったボクもボクだと思うが、なんかこう……ああもうやめよう。

 闇は、精神に関わりのある力だ。

それなりの知能のある生物なら、心が必ず存在している。この島自体に闇魔法をかけてみて、かかるかからないは別にして、魔法が作用する感触があれば、生き物だということだ。深く潜り込めれば、心と対話できるかもしれない。

アシュデルは1人、迷わずに巨人の角を目指していた。

心と対話しようとすると、触れた方がいいのだが、今は生物かどうかわかればいい。それくらいなら、立ち入り禁止の柵のこっち側からでも魔法くらいかけられる。

今夜は、満月とまではいかないが、月が丸い。ウッドデッキが明るく照らされて、明かりを持っていなくても、アシュデルの目に景色がちゃんと見えていた。

 目指す巨人の角は、黒々と聳えていた。その広い広場に、誰か……いる?

キョロキョロと巨人の角を観察している様が見える。そして、チョコマカと動いては、また観察を繰り返しているようだった。

……イリヨナみたいだ。でもイリヨナじゃない。きっと彼女だ。

「何しているの?ツアナさん」

アシュデルが声をかけると、まったく気がついていなかった彼女は「ひいっ!」と悲鳴を上げて、恐る恐るこちらを振り向いた。

「やっぱり、闇魔法使える魔導士だった……」

ミモザが巻かれるワケだと思った。花の精霊は闇より光と相性がいい。闇魔法を使われて逃げられれば、ミモザでは追いつけない。

「ア、アッシュ……さん?」

「もう、アシュデルって呼んでくれないの?あと、逃げないで。ボク今、ちょっと機嫌悪いから逃がしてあげられないから」

ツアナは身を固くしたが、観念したのか逃げる素振りはなかった。

「あの、アシュデル……さん、わたし、光貝の巫女には選ばれ、ません……」

「え?どうして?」

怖ず怖ずとツアナが口にした言葉は、意外なモノだった。なぜ彼女が、光貝の巫女のことを知っているのだろうか。あれは、そんなに広く認知されているものなのだろうか。しかし、だとしたら、島民があんなに楽しそうに、もうすぐ百年に1度の祭りがある。などと言わないのではないのか?ああ、知らないのだ。巫女が何をする存在なのか。

「光を使える魔導士の女性が、選ばれるの、です」

「光?そういえば、この島……極端に闇の力が弱いよな……。他には、知ってる事ある?」

フルフルとツアナは首を横に振った。

「ところで、何してたの?」

「え?い、いえ……。なぜそんな理不尽な儀式があるのかと、思ったのです」

「首を突っ込むと危ないよ?」

「それは、あなたも同じではありませんの!」

突然早口に声を荒げられ、アシュデルは驚いた。

「あ、ご、ごめんなさい」

「……ボクは、大魔導って呼ばれてる魔導士なんだ」

「えっ?」

「ようはね、凄く強い魔導士って事。そりゃ万能じゃないけど、君よりはマシかなぁ?世の中には、知らない方がいいことがある。今すぐうちに帰って、このことは忘れた方がいい」

島民は、百年毎の祭りの存在は知っていても、光貝の巫女が生け贄であることは知らないのだろう。しかし、ツアナはなぜか知っている。彼女は「理不尽な儀式」と言ったからだ。

それは、他の、祭りを心待ちにする島民の反応とは違う。

「理不尽なことを、しなければならない理由があるんだ。それを守る者の正義が、君の命を脅かすかもしれない。危険なことはやめて」

繰り返されてきた悲劇があるのではないか?儀式で死ぬのは1人だが、その儀式のために死ぬ者が、今までにもいたのではないのか?

犠牲となるのは年頃の女性だ。恋人、家族がいる可能性もある。巫女の命を惜しいと思った誰かが、助けようと抵抗すればどうなる?生け贄を捧げねば、島が滅びるとあっては、儀式を遂行する者が行う方法は、邪魔する者の排除ではないのか。

そう思い至って、思った以上に業が深そうだと息を詰めた。

「ツアナさん、この島を出るんだ。その方がいい」

「アシュデルさんは、戦うのですのよね?」

「うん。でも、儀式を止める気はないよ」

「巫女を見殺しにするのですの?」

「この島の人達を、巻き込めない。だから、突き止められなかったら、ボクが巫女の命を背負う」

この島の維持のためには、犠牲が必要だ。それを花の精霊が肩代わりしても、永遠でないことはすでにわかっている。だったら、インファがしてきたように、犠牲となった者の命を背負いながら探すしかないのだ。

「きれい事に聞こえる?だったらボクが代わりに死ねばいいと思う?解き明かせばその先の犠牲者を救えるんだ。だったらボクは、犠牲を踏み越えて進む道を選ぶ」

「アシュデル……わかりましたの。私、手を引きますの。けれども、これだけは手伝わせてほしいのですの」

そう言って、彼女はアシュデルに背を向けた。

何をするつもりなのかと見守っていると、辺りの闇が濃くなった。ハッと身構えると、どこからか心臓の鼓動を感じた。

「これ……この島の鼓動?じゃあ、この島はまだ、生きてるんだ」

「本体はもっともっと下ですの。この岩は、一部ではありますけれど、髪の毛や爪のような部分といいますでしょうか?ともかく下ですの。……アシュデル、花が咲くために必要なモノは、血ではないと思いますの」

ツアナの伊達眼鏡越しの瞳が、真っ直ぐにアシュデルを見ていた。

意見を求めているようなその瞳に、アシュデルは僅かに瞳を見開き、苦笑するように歪めた。ため息が漏れた。ああもお、ボクは何をやっていたのか?と。あの人にツアナが似ているはずだ。だってこの人は――

「……君が何者でも、もう、いい」

ツアナが首を傾げた。

無防備だね。今は、君の好きにしたらいいよ。アシュデルは彼女の頬に手を伸ばした。

「――今度からは、ちゃんと逃げて。ありがとう」

アシュデルは、ツアナの手で触れていない側の耳元で囁いた。本当は、伝えたい言葉があったが、今はまだ、言えないと言葉を飲み込んだ。

そして、踵を返すと彼女を置き去りにして、去ったのだった。

「え?ええ?」

ツアナは、感触の残る頬を押さえて、狼狽えていた。押さえた頬には、間違うはずのない感触が残っていた。

彼の――アシュデルの唇の感触。頬にかかった温かな吐息の温度。

ツアナは、頬に口づけされていたのだった。


 唇を奪わなかったことは、褒めてほしい。

「なんてことしたんですか!師匠!それ、もうツアナさん来てくれませんよ?」

「あー、かもね」

「かもねって、いいんですか?」

「まあ、うん」

「そんな、淡泊な!」

なぜこんなにミモザに責められているかというと、ミモザが「ツアナさん、最近来ないですね」と言ったからだ。心当たりのあったアシュデルが、頬にキスしたことを話すと、ミモザが怒りだしたのだった。

「彼女の居場所に心当たりあるから、もう、いいよ」

「え?ツアナさんの家、突き止めてるんですか!?いつの間に、そんな仲に……あの、師匠……」

「変な顔して、どうしたの?」

「もう、手出しちゃったりとか?」

「あのね、ミモザ……」

「はい!何も言いません!卒業おめでとうございます!」

「何言ってるの?だから――」

「頬にキスしただけだって」と続けるはずだった。

「こんにちは!キンジ便です。どうしたんですか?」

「あ、こんにちは、フィーインさん。あのですね、師匠に春が来たんです!」

「ミモザ」

弟子を咎めるアシュデルを遮って、フィーインがミモザに問うた。

「春?」

「はい!恋人ができたんです!やたー!」

「ミモザ、どうして万歳?ごめんね、フィーインさん、今サインするから」

どこから出したのか、紙吹雪をまき散らして両手を振り上げたミモザに苦笑いしながら、アシュデルは受け取りにサインすると、ミモザを急き立てて工房へ荷物を運ばせた。

「ありがとうございます」と言った、フィーインの顔が強ばっていることに、アシュデルは気がつかなかった。

「あ、シェラ!お帰りなさい!」

インファと情報交換してくると言って、1人外に出ていたシェラが、フィーインと入れ替わりに帰ってきた。

アシュデルは、すれ違ったフィーインの後ろ姿を振り返るシェラの様子に、首を傾げた。

「どうかした?」

「フィーイン、どうしたの?怖い顔をしていたわ?」

「ミモザが五月蠅かったからかな?」

「ええ?それは言いがかりですって!それより、聞いてくださいよ!シェラ!師匠についに、恋人ができたんです!」

「え?」とシェラが目を丸くした。

ああ、よけいなことを……。シェラはイリヨナの母親だ。娘とアシュデルが仲がよかったことを知っている。イリヨナを避けるアシュデルを、見守ってもくれていた。

アシュデルはすぐさま否定した。

「違うよ。ミモザの早とちり」

アシュデルは、ミモザに閉店の札を出すように指示してから、シェラに視線を戻した。

「この島が生き物で、花に必要なのは血じゃないって教えてくれたのは、ツアナさんなんだ。彼女の闇魔法は無詠唱だった。あの力は、翳りだ。シェラ様ならその意味、わかるよね?」

シェラはパチパチと瞳を瞬いた。そして、信じられないとその瞳は言っていたが、信じてくれた。

「あら……ご、ごめんなさい。アシュデル」

アシュデルは恐縮するシェラに、首を横に振った。

「ボクを欺くなら、無詠唱はまずかったね。無詠唱で魔法を使えるのは、精霊か、精霊にやたら好かれた魔導士しかありえない。精霊にやたら好かれてたら、ボクがわからないはずはないからね。いっぱいヒントはあったのに、ここまでわからなかったなんて、ハハハ、ボクの目も曇ってたね」

「どうするの?」

「どうもしないよ。彼女がくれた情報を無駄にしないだけ。それより、インファ兄わかったって?」

「ええ。ルディルが覚えていたわ。あなたの推理通りだったわ。精霊獣の解放は、ペオニサがすると言っているわ」

「そうだね、兄さんの『風の奏でる歌』なら、解放できるね。あとは、どうやって島を存続させるかだね……それが1番の問題だけど」

うーんと唸りながら、アシュデルはノッソリと席を立った。

「ごめん。しばらく考えてくる」

それからアシュデルは、三日三晩工房から出てこなかった。


 闇の領域・闇の城。もう1人、部屋から出てこなくなってしまった者がいた。

「申し訳ございません。女王陛下は、仕事はしてくださいますが、どうにも籠城しております」

ペオニサが闇の城に様子を見に行くと、腹心のルッカサンが申し訳なさそうに頭を下げてきた。それでも彼は、イリヨナの部屋の前までは案内してくれた。イリヨナは、今部屋に籠城中なのだ。

「イリヨナちゃーん!何かあったの?大丈夫?」

ペオニサは、扉をノックしながら呼びかけた。

「ペオニサ……私どう解釈したらいいのかわからなくて、大混乱中ですの!なので、そっとしておいてくださいですの!」

答えが返ってくるとは思わなかった。だが、扉は開きそうにない。

「ええ?どしたの?」

「ペオニサ!あの、あのですの!」

「う、うん?話聞くからさぁ、ここ開けて?」

隣から「おお」とルッカサンの驚きの声が聞こえた。ペオニサの前で、扉がちょっとだけ開いたのだ。これだけであの笑い顔を崩さないルッカサンが歓喜するとは、よっぽど天の岩戸だったのだろう。そして、イリヨナの真っ白な手がニュッと出てくると、力なく手招きした。ペオニサは「うん、ホラー」と思ってしまったが、その手に導かれるように、部屋に滑り込んだ。

 部屋の中は、真っ暗だった。

あまりの暗さに足を出せずにいると、そっと腕を掴まれた。「ひえ!?」と悲鳴を上げると、ジッと見上げる瞳と目があった。

「脅かさないでよ……イリヨナちゃん」

本当に気配がない。イリヨナを、闇の中見つけ出すのは、不可能だなとペオニサはいつも思う。

「ごめんなさいですの。でも、今は顔を見られたくないのですの……」

「わかった。それで、どしたの?」

「……頬にキスすることは、お礼と捉えていいのですの?」

「……はい?な、なに?イリヨナちゃん、誰にそんなことされたの?」

「い、いえ!私ではなく!え、ええと……ありがとうと言われたということは、それ以外の心はないのでしょうか……?」

「……いや、それ、下心ありまくりでしょう!?オレ、インファにそんなことされたら融解する自信ある!だってさぁ、そんなことするの、絶対恋人モードのときだしね」

「では、告白されたのでしょうか?」

「相手男なの!?ダメだよイリヨナちゃん!君可愛いんだから、無防備に手の届く範囲にいちゃ!」

「今度はちゃんと逃げてって、耳元で言われましたのおおおおお!」

「ガチだ!誰?イリヨナちゃんにそんな不埒な真似したヤツ!」

「されたのは、私ではないのです」

「あ、そなの?」

「ツアナですの!」

「あー……もしかしてだけど、アシュデルに情報提供したのって?」

闇の中で、頷くような気配がした。

「イリヨナちゃん……」

「もう、手は引きましたの!約束したのですの……。でも……」

「あのさ、顔見られたくないって、顔なの?」

再び、頷くような気配がした。

「オレ、闇の力の百パーセントなんだよ?オレにやらせとけって、そうならないの?」

「ごめんなさいですの……」

「戻るよね?顔」

「戻らなくても、化粧でなんとか……」

「そんなのダメだ!いいの?ツアナちゃんで!」

「選ぶのは、私では……」

「見せて」

「……」

「見せて、顔!オレなら癒やせるかも。女の子が、笑えないのはダメだよ!」

ペオニサは、かすかに見える白い腕を頼りに、イリヨナの小さな肩を掴んだ。

「ペオニサ……うう……私が、愚かなことをしたのですの……風の王以外の元素の王が、無断で王の力を使うのは危険なことですの……わかっていましたの……」

闇の中、彼女の黒いドレスから伸びた白い腕が、辛うじて見える。下へ視線を動かせば、ミニスカートから覗く、白い足も。しかし、首から上がどうしても見えない。

「これは、罰ですの。越権行為に対する、世界の下した罰ですの。癒やせるものでは、ないのですの」

彼女の瞳だけが、闇の中、ペオニサを真っ直ぐに見上げていた。

「ペオニサ、お願いがありますの。インジュが聞いたという声を、聞いてほしいのですの」

「インジュが聞いた声って、光貝の漁場にある穴ってやつ?」

「そうですの。闇を研ぎ澄まし、声に耳を傾けてくださいですの。誰かを想う心は、時に醜く見えることを、知っていますでしょう?」

「……わかったよ。怒らないで聞いてみる。報われない想いも、呪いたい気持ちも、オレ、散々書いてきてるからね」

「お願いしますの。私の顔、無駄にしないでくださいですの」

明るい声で言う彼女が健気で、ペオニサは思わず抱きしめていた。強く強く、イリヨナが「痛いですの!」と言うまで強く。


 ペオニサは動き出さねばならないことは、頭ではわかっていた。

しかし、闇の城から風の城に戻る道中で、冷静になればなるほど、怒りなのか、哀しみなのかわからない感情に支配されてしまった。

「うわ!は?ペオニサ?どうした?」

大鏡を抜けてソファーまで飛ぶと、そのソファーにはデスクワークするリティルの背中があった。ペオニサは巨体をねじ込むようにして、リティルの背中に抱きついていた。

「リティル様……!リティル様ああああ!」

「おいおい……豪快な泣きかただな。インファじゃなくていいのかよ?」

「今、インファいらないからあああああ!」

「わかった、わかった。まあ、しばらく泣いてろ。それで落ち着いたら話せよ?」

「うん、うん…………うううう、あああああああ!」

リティルはペオニサに巻き付かれたまま、大声で泣く彼の頭を撫でた。

スウッと息を吸うと、リティルは瞳を閉じて歌い始めた。子供をあやすような優しい歌声で『風の奏でる歌』を、ペオニサの為だけに歌ってくれた。こんな優しい歌、泣き止めないよ!とペオニサが、リティルの肩を涙で濡らしているとインファとインジュが戻ってきた。大の男が子供のようにリティルに縋って泣く姿に、2人は驚いていたが、リティルが歌いながら唇の前に人差し指を立てたので、音もなく向かいのソファーに舞い降りた。

――誰かを想う心は、時に醜く見える……

「……だけど……!だけど、イリヨナちゃん……!」

 ペオニサが悔しげに叫んだその言葉に、インファはインジュに目配せした。インジュは頷くと席を立ち、音もなく中庭へ出られるガラス戸を開けて外へ出て行った。ガラス越しに見える彼が、水晶球で誰かと通信しているのが歌うリティルからも見えていた。

ああ、やっちまったのか。イリヨナ……。おまえも、オレとシェラの娘だな。想う者へ、形振り構わなくなる狂気を、リティルは知っている。ペオニサのこの傷つきようからいって、イリヨナの様子は悪いのだなと思った。

「リティル様……ごめん……」

「はは、オレ、みんなの泣き枕だからな。よくびしょ濡れにされるぜ?顔洗ってくるか?」

なんとか泣き止んだペオニサは、涙と鼻水でグチャグチャだった。

「うん……インファは来なくていいから」

しょげているくせに、インファのことはキッパリ拒絶して、ペオニサは逃げるように城の奥へ向かう扉に向かって飛んで行った。

 そんなペオニサを見送っていると、インジュが入れ替わるように戻ってきた。

「イリヨナが、やっちゃったみたいですねぇ。部屋から出てこないそうですよぉ?ルッカサンが心配してますけど、仕事は完璧らしくてですねぇ、凄いの一言です」

「インファ、あいつからの情報提供はなんだったんだ?」

「イリヨナからは何も。しかし、あの島が生き物であるという確信と、花に必要なのは血ではないと、アシュデルが教えてくれましたが、あれは、イリヨナだったというんですか?」

「悪いな。オレは把握してねーよ。それだけの情報で、越権行為とみなされちまったとすると、あの島、相当深いな。あの儀式を作ったのは魔導士だって話だよな?調べたか?」

「ええ。島に伝わる伝説では、海から現れた化け物を魔導士が鎮めたと。その伝説を元に、行われているのが百年に1度のあの祭りです。しかし、伝説では魔導士は死んでいません。化け物も海に帰っているんです」

「どんな伝説なんだ?」

リティルが問うと、インファは語り始めた。


 昔々、巨人の捻れ角島は、こんな細長い姿はしていなかった

今のような姿になってしまったのは、海から化け物がやってきたからだ

化け物は、島を食み、島民は抵抗したが為す術なく、島と一緒に食べられていった

ついに、リンゴの芯のような細い大地しかなくなったとき、1人の魔道士がやってきた

魔導士は化け物を海へと追い返した


「あの島は、産まれた時からあの形だぜ?伝説はデタラメか?」

「生け贄の儀式を隠すために、作られたものなのかもしれません。それから、ルディルの時代と今とでは島の様子は明らかに違います」

「光貝がいなかったんだろ?」

「それだけではないんです。現在のあの島には、花が咲かないんです」

「ん?プランターに咲いてなかったか?」

「その土は、他の場所から持ち込まれたモノなんです。他の場所から大量に土を持ち込み、作物の栽培を試みたこともあるようですが、成功していません。故に、農作物は輸入に頼り、プランターでの家庭菜園を推奨しています」

「街路樹も全部か?」

「はい。土の成分を調べました。翼鯨の運行している島や大陸由来のモノでした。それが、ルディルの時代では固有種が存在していたんです」

「絶滅したのかよ?植物だけが全部?」

「そのようですね。そして、鳥がいないんです」

「鳥?鳥か……ルディルは何か言ってたか?」

「いたと思うと、言っていました」

「アテにならねーな。巨人の角の正体はわかったのかよ?ゾナが調べてただろ?」

「骨のようだと。珊瑚に似ていると言っていましたね」

「珊瑚って、動物だよな?」

「え?植物じゃないんです?」

「イソギンチャクやクラゲと同じ、動物ですよ」

「へえ、そうなんです?ボク、海の中の花だと思ってましたよぉ」

「海の中の……花……?」

リティルはなぜか、ゾッと背筋が寒くなった。だが、なぜなのかわからない。

正体のわからない不安と、気持ち悪さが襲ってくる。

「父さん?」

「いや、なんでもねーよ」

インファが怪訝そうに、案ずるような視線を向けてきた。

 あの島は、危険だ。そんな確信があるが、今更インファに手を引けとは言えなかった。しかし……だが……インファの顔を見ると、息子は「どうしました?」と言いたげに首を傾げた。

「あっはは!空気重いねぇ!ねえねえ、オレの話聞いてよ!」

バーン!と扉を開け放して、ペオニサが声を明るく張り上げた。そして、華奢な蝶の羽根で飛んできた。

「おまえ、すげーな。あの顔よく戻せたな」

ペオニサの笑い声が、リティルを掴んでいた不安を跡形もなく消していた。

「オレ、治癒師!あっはは、ごめん……あんな泣いちゃってさ」

ペオニサは、頭を掻きながら苦笑いを浮かべながら、リティルに謝罪した。

「言っただろ?オレ、みんなの泣き枕なんだよ。泣きたくなったオレの所来いよな!」

「わーお!リティル様男前!」

ペオニサは、リティルの隣に腰を下ろした。

「それで?何があったんだよ?」

リティルが問うと、ペオニサはさすがに笑顔を収めた。

「うん。実はね、イリヨナちゃんの顔がなくなっちゃっててさ……」

「……それで部屋から出られないんです?まさかのホラーな展開でしたねぇ」

「そうなんだよ……アシュデル、何しちゃってくれちゃってるかなぁ!」

「え?アシュデル君のせいなんです?でも、イリヨナ、いつアシュデル君に会ってたんです?」

巨人の捻れ角で、イリヨナの影なんて見たことないけど?とインジュは首を傾げた。

「まさか、失恋したことがわかったから、アシュデル君に今更焦って、です?」

「失恋?イリヨナはアシュデルにフラれていたんですか?」

インファが驚いている。そんなインファを、インジュがジトッとして目で見つめた。

「フラれていたんですか?ってお父さん!アシュデル君、ツアナさんにフラフラしてたじゃないですかぁ!」

「はあ」

インファは、それが何か?と言った態度だった。

「ん?まてよ……?ツアナって()、イリヨナに似てるって言ってたよな?おまえら、会ったことあるのかよ?」

リティルは、話にしか聞いていない。アシュデルは、『フェアリア』のファンだと言っていた。そして、イリヨナに似ているから落ち着かないとも言っていた。

「ボク、1回だけ見掛けましたよぉ?アシュデル君がお見合い勧められてるって話ししてたら、いつの間にかいて、すっごい勢いで逃げて行っちゃったのを、アシュデル君が追いかけて行きましたねぇ」

「え!?アシュデルのヤツ、現地民にお見合いとか持ってこられてんの?」

「そうみたいですねぇ。ミモザ君も早く落ち着いてほしいとかなんとか。ミモザ君、アシュデル君が精霊だってわかってるんですかねぇ?」

「ははは……あいつ、淡々と躱してるんだろうな。それにしても、アシュデル、ツアナを追いかけたのかよ?」

それはまあ確かに、アシュデルはツアナに気があると取られてもおかしくない。だがなんだろうか?このかみ合っていないような空気は?

「でもですよぉ?お別れしてきたみたいでしたよぉ?本気だったんじゃないんですかねぇ?泣いてましたし。切なくなっちゃいましたよ……」

「え!?泣いたの?うあおおおお……」

ペオニサはなぜか悶絶して、頭を抱えてしまった。

「大丈夫です?もの凄く変な声出てますけど」

挙動不審なペオニサの精神状態を、本気で心配しているようなインジュに、場違いな空気のインファが微笑んだ。

「フフフ……もう、明かしてしまっていいのではないんですか?」

「なんです?妹の失恋が楽しいんです?」

インジュに睨まれて、インファは苦笑した。「ペオニサ」とインファが声をかけると、頭を抱えていたペオニサが観念したように顔を上げた。

「あ、あのさ、ツアナちゃんは――」

ペオニサの告白を聞いたインジュとリティルは「はあ?」と目を丸くしたのだった。


 恋心を拗らせていいことは何一つない。

本当にそうだよ。アシュデルは、彫刻刀で虹色の光沢を返す白い石を彫っていた。

ボクと同調している君は、未だに片思いなの?だとしたら、哀しい。

言えなかったのは、終わらせられなかったのはなぜなのか。アシュデルは、手を止めた。

「ボクも同じだったね。君が、この世界のどこかにいればいいって、想いに蓋をして、忘れたフリをしただけだ」

アシュデルは、彫りかけの石をそっと撫でた。

「ここまできて、何もしないほうを選ぶボクは、ここで、朽ちる方を選んだ君と、似てるよね」

アシュデルは、石に彫刻刀を滑らせた。真っ直ぐ見上げるように微笑む、少女の顔が彫り上がっていた。

「ねえ、賭けない?君の限界までに、彼女がもう1度、ボクに会いに来てくれたら、素直に生きてみる。会いに来てくれなかったら、君のそばに、行ってあげるよ。君がもう、望まない人ばかり宛がわれないでもいいように、君が身代わりに選んだボクが、癒してあげるよ?」

月光の差し込む工房の中、窓から月を見上げながら独りごちたその様を、アシュデルは観察されているとは知らなかった。

 扉の外で、アシュデルを伺っていたミモザは、青くなって震えていた。

「シェラ様……し、師匠が……」

「大丈夫。アシュデルは、リティルを悲しませることをしないわ」

「で、でも……」

「信じて。……信じているわ、アシュデル」

シェラは、睨むような瞳で、石を彫るアシュデルの姿を見ていた。


 彼女の手から、貝殻が落ちていた。

石の床に落ちて砕けていく貝殻が、色とりどりに明滅していた。普段光貝をこんな粗末に扱おうものなら、容赦のないゲンコツが飛んでくるところだったが、父は――キンジは娘を思い詰めたような表情で見つめるばかりだった。

「わたしが――光貝の巫女に……?」

フィーインは震える瞳で、父を見返した。

「そうだ。おまえが選ばれた」

神妙に呟いた父の言葉が、フィーインから血の気を引かせた。

――わたしが……海花の神の花嫁に……

それが何を意味しているか、この下層に住んでいる者は皆知っている。上に暮らす者達が、百年に1度の祭りに心躍らせていく中、下層は暗く沈んでいく。

あの祭りの本当の意味を知っているのは、この、下層に住む者だけだ。

アッシュさん……。届かないとわかっている。あの人は寂しげだが、それを誰かで埋めようとはしない、高潔な人だ。

「――卒業おめでとうございます!」

不意に、弾んだミモザの声が蘇った。「何言ってるの?」と呆れ顔のあの人。

春が来たと小躍りするほど喜んでいたミモザに、フィーインの心臓は信じたくない思いに早鐘のように打っていた。

「恋人ができたんです!」とミモザはそう言った。とても嬉しそうに。その様子から、かねてから応援していたことが伺い知れた。始終呆れ顔のあの人からは、それが事実なのかミモザのいつもの早とちりなのか、伺い知ることはできなかった。

宝城十華とその恋人の影に隠れがちだが、時計屋のアッシュは上層のみならず、下層でも知らぬ者はいないほどの有名人だ。彼の寂しげで人を寄せ付けない冷ややかな美貌に、遠くから見つめていたい者多数だ。しかし、時計屋を営む彼は、決して人嫌いではない。物静かで口数少ないが、突然に緩むその微笑に皆心を奪われる。

フィーインは思い知った。

フィーインはただ、数多咲き乱れる花々と同じように、目の留まることをただひたすらに待っていただけだ。あの人を、誰のモノにもならないと安心して、特別扱いして、彼もわたしと同じ人なのだと本質を見なかった。

あの人にとってフィーインは、特別ではない。

あの人の恋人となった人は、彼の前に立ち、彼の視界に入り、彼と彼だけのために言葉を交わしたのだ。

だから、特別となれたのだ。

数多咲き乱れる花々の中から、彼に、見つけてもらえたのだ。


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