第二章 闇の道徳 ■ 実力の差
■ 実力の差
夜力管理局執行部階級一覧(昇級基準は責任者および申請者によって異なる)
・二等墓守
・一等墓守
・上等墓守
・墓守長 (区隊長補佐)
・統括墓守 (区隊長)
・一等執行者
・上等執行者(指導員資格)
・統括執行官(軍部での中隊指揮資格)
・執行佐
・中等執行佐(軍部での大隊指揮資格)
・上等執行佐(軍部での連隊指揮資格)
・執行師
・夜力兆士(大連盟指名特役)
・夜力兆師(大連盟指名特役)
・副総帥 (大総帥指名特役)
・大総帥 (大連盟最高司令官)
「執行師……大連盟の特役を含めても、上から五番目だぞ」
「ラト。その考え方には無理がある。執行師すなわち管理局のトップと考えるのが普通だ」
「分かってる。分かってるんだがなジュンシャ。俺たちはその方に何と命ぜられた?」
「私も信じがたいが、『ノキリィと呼べ。』と」
「だろ? なんか俺、頭がこんがらがってきちゃって……もう一度組織の仕組みを見直したほうが良いんじゃないかと思えてきちゃってさ」
「それには同感だ。が、上官の命令は絶対だ。私は守る」
深夜の大総帥室。この世界の子供なら誰もが憧れる『執行者』の灰色装束に身を包んだ二人の少女の前で、ラトはジュンシャと顔を見合わせていた。
背の高いほう。少女というにはやや年齢のいった、この地では珍しい黒髪の女性は、サチ・サナヅキ上等執行佐。
艶のある黒髪はきれいにひとつで束ねられており、長髪ながら貞潔な印象を与える、風の大陸キバライの美女だった。黒く縁取られた眼鏡が、透き通るような白い肌に妖艶な雰囲気を醸し出している。
サチ・サナヅキ。この人は、世界的な有名人である。
対ラザクの管理局員には不向きとされるキバライの片手鎖剣術と、ホルベル連合軍共通の万殺体術の両方を極めた事で、夜力管理局と軍部の双方で知名度が高い。
墓守予備軍が使う指南書、とくに戦術や体術の模範などにも掲載されている、名のある女性武術家。ペメルン大墓山を守る執行者であるにも関わらず『武術家』と呼ばれるのは、高名な武術家であり軍部の将軍であった父の影響だろう。
一方、背の低いほう。こちらは見るからにまだ未発達な体の少女。
栗色の波がかった髪はよく手入れされていて、ちょこまかと動き回っても絡みつくことはなく、部屋の間接照明に照らされて金色にも近い輝きを放っている。膨らみ始めの胸と、まだ円みのないお尻が可愛らしい、まるで愛玩人形のような少女だった。
ノキリオル・ラディベルダ。表の情報には出てこない謎の人。
容姿も年齢も明かされていない、前大総帥の一人娘である。
ノキリオルの姿を見ても、このラディベルダ城で暮らす者以外は彼女が大総帥の継承権を持つ者だとは思わないだろう。というより、執行者の装束を身に纏っていなければ、こんなに幼い子(十二という実年齢より外見は幼いのだから)が管理局の人間であるということにすら気づかないであろう。
しかもただの執行者じゃない。
執行師。親の七光りだけでなれるはずもない、厳しい審査基準に基づいて行われる大連盟の試験が必要な、現場責任者の頂点に位置する階級だ。
「どうした? ノキリィと呼んでみろ。ほれ」
「の、ノ……」
やりづらい。
これなら、理不尽な理由を付けられて厳罰を下されたほうがまだ素直に従えるというもの。ラトもジュンシャも、そういう組織であるということを理解しているし、それが当然とも思ってこの山を登ったのだから、命令と階級に支配されて苦汁をなめる覚悟はある。
だが、この執行師は自らを「ノキリィ」という愛称で呼べというのだ。
(はて、どうしてこんなことになったのか……)
世界的に有名な大物二人を前に、ラトはほんの少し前の記憶をたどる。
制限時間ギリギリにペメルン大墓山の頂上へたどり着いたラトとジュンシャは、開け放たれたドアの前で、ノキリオル・ラディベルダ執行師とサチ・サナヅキ上等執行佐がまるで仲の良い子犬のようにじゃれ合っているところをうっかり目撃してしまったのだ。
その途中で何度も声を掛けたのだが、なにやら恋愛談義に華を咲かせるのに夢中になっているようで、ちっとも呼びかけに応えようとしてはくれなかった。
サチの体に纏わり付いて猫なで声でじゃれる幼い少女ノキリオルは、なんとラディベルダ家の一人娘。しかも、その若さで管理局の最高位に君臨する超エリートだ。確かに、大総帥の娘ならこの世に生を受けた瞬間から強さを求められ、一般人が想像もつかないような鍛錬を積むことであろう。
血筋による夜力も膨大。今こうして普通に会話しているだけでは感じ取れないのも、ノキリオルの術なのだろう。真に優れた墓守は、殺気を込めるまで夜力の質や量を悟らせないと聞く。
とすれば、ここにいるサチやノキリオルは、ラトたち見習いなど足下にも及ばない力を持ち合わせているということになる。
執行師……まだ体も出来上がっていない十二の少女が、この山の頂上。
しかし、彼女が本物の執行師である以上、それは揺るぎない現実なのだ。
「そんなに固くなるでない。任務や訓練の時だけ弁えれば良いのだ」
からからというノキリオルの笑い声で、ラトは再び現実に引き戻される。
「まさか、私のような子供が執行師だとは思わなかっただろう。良いのだ。私の体は、完成までにあと五年はかかるだろうからな。五年後はサチよりも胸が膨らみ、サチよりも良い香りを放ち、そしてサチよりも良い男を見つけて夫とするのだ」
「ちょっとノキリィ!」
サチが顔を赤らめてノキリオルを怒鳴りつけた。
後半の未来予想図は置いておくとして、ノキリオルの言い分は事実関係とラトの思考の二つの的を射ていた。はじめから徴章を身につけていたサチとは違って、ノキリオルは外見からは想像もつかないような身分と階級であったから、呆気にも取られたし、鳥肌が立つほどの緊張にも見舞われた。
だが、年相応という表情も見せる。
話してみると、案外普通の女の子らしい一面も感じ取れるのだ。
「あの、執行師……」
「だから、ノキリィと呼べ」
「ノ、ノキリィ……」
「うん。なんだ? ラト」
ソファに腰掛け、引き出しの中からチョコレートを取りだしてひょいひょいと口に放り込む執行師ノキリオル。いくら年下とはいえ、さすがに今日この業界に飛び込んだばかりのラトには非常にやりづらい状況である。
ジュンシャなら何とか……と思ってはみたものの、それは見当違いだった。
彼女はラトよりも即時判断能力に欠けるようで、目をぐるぐる回して胸ポケットから『墓守になったなら』というあやしげなハウツー本を取り出して必死にページをめくっている。
「まあまあ二人とも、そんなに緊張しないで。ノキリィは誰に対してもこうなのよ」
助け舟を出したのはサチだ。
「さすがに学校の生徒にはここまで砕いて話さないけど、子供の頃からノキリィを知っている教官や訓練士、現場の墓守は、みんな親しく接しているわ。あ、私はノキリィ以外とはそこまで大っぴらに馴れ合うことはしないわ。師匠が厳しくて」
「サチ殿にも師匠が?」
「『殿』もいらないわ。そうね、『サチさん』でどう?」
「は、はい、サチさん」
「さっちゃんじゃダメなの?」
「あなただってそんな風に呼ばないでしょうノキリィ」
サチは表情を変えずにノキリオルの両頬を挟んで、髪の毛をくしゃっと掴んだ。ノキリオルはうれしそうに顔を綻ばせるだけだった。
「私だって幼い頃からこの山で訓練を受けているもの。目指す師くらいいるわよ。いくつになっても追いつけないけどね」
「サ、サチ殿が追いつけない相手など!?」
「サチさん、よ。ジュンシャ」
「さ、サチさん」
顔を真っ赤にしたジュンシャが、羨望の眼差しをサチに向けている。
「強い墓守を育てる為に、強い執行者がいる。強い執行者を育てる為に、努力だけではどうにも適わないような怪物が、この世界には存在するものよ。あなたのお父上も、その中の一人ではないのかしら? ジュンシャ・レイメイ」
「父のことをご存じなのですか?」
「もちろん。頭の固い大連盟の人たちには言えないことだけど、私はリュウホウ・レイメイを尊敬しているわ。実際にお会いしたこともあるのよ。ずいぶんと昔のことだけどね」
「こ、光栄であります」
「だから、そういう話し方はしなくていいの。この部屋では、ね」
ぱちりと片目を瞑るサチにんうんと大きく首を縦に振るジュンシャは、まるで田舎町の子供のような瞳をしている。
「そうか、サチ殿………サチさんは教本にも描かれているほどの有名人なんだよな。ジュンシャが憧れそうな人だ」
「ラト、君はサチさんに憧れていないとでも?」
「そんなわけないだろう。世界的に有名な人だぞ」
なんというか、サチについてムキになるジュンシャが案外可愛くて、ラトは思わず口元をゆるめてしまった。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
チョコレートの包み紙をゴミ箱に放り投げて、ノキリオルが立ち上がった。
灰色装束の襟元を正し、机の上に置いてあった金属のベルトを腰に巻き付けた。
「ラト、ジュンシャ。ここで私たちと話す時はそう固くならなくてもよい。だが、私もサチも、仕事をする時はこの徴章に見合った責任が発生する」
それは分かるな? と問うノキリオルに、ラトとジュンシャは眼差しだけで返す。
「お前たちは明日から高等学部で最もレベルの高いクラスで授業を受けることになる。学術部門、特殊戦闘術部門、それぞれの首席入学者だと、お前たちの級友は情熱と好奇心を持って接するだろう。世界中から選ばれた墓守見習いが、ラト・スイセンとジュンシャ・レイメイに一線を引く。これは間違いない」
ノキリオルの言う通り、このペメルン大墓山は世界で最も死に近い場所。そして、その頂上に位置するこのラディベルダ城は、世界各地に散らばる候補生育成学校の総本部、つまり、大陸、海域、秘境・魔境関係なく、選りすぐりの見習いがこのラディベルダ城に集結する場所なのだ。
その中でも最上位で入学するのが、『学術』と『特殊戦闘術』でそれぞれトップの評価を叩きだした二名。それがラトとジュンシャだ。
墓守になるための授業でも、とりわけこのラディベルダ城の選抜クラスが行うものは実際に現場で仕事をしながら、つまり命を危険に晒した状態で臨む訓練が大半を占める。軍部にも働き口が開けるような訓練も行うのことから、階級と命令を遵守した指導方針により、非常に厳しいものだ。
その訓練を通して、強い絆が生まれるのが本来あるべき姿なのだが、ノキリオルの言うように成績が優秀な二人は何かと目をつけられやすい。実力のある者が下を従えるという制度は、時として行き過ぎた競争意識を生むのである。
「良い目をしているわ」
言ったのはサチだった。
墓守や執行者特有の、警戒に重きを置いた立ち居振る舞いも見事なものだったが、サチはノキリオルとは違って、夜力を練る早さではなく、いつでも武器を抜けるようなその殺法立位のほうが美しかった。
この人は、ノキリオルと違う。と、ラトもジュンシャも感じた。
人を殺した経験があり、相手が泣き叫ぼうが無抵抗だろうが躊躇なく絶命させることのできる人種だ。
その人種といえば、軍部の兵隊。それも、何らかの特殊部隊員だ。
…………
……?
「……なっ!?」
沈黙の後、ラトが思わず声を上げた。
それと同時、ジュンシャが、短刀の柄に手を掛けた。
サチの所作には何の変化もない。ノキリオルも、何もしていない。
だが、ラトとジュンシャは確かに感じ取っていた。重々しく、読み方によっては禍々しく、安全安心という下界に似た空気にその実態を隠しながら息を潜める――
――抗いようのない殺気を。
「ようやく気づいたの? 自分たちのが殺しの間合いに入っていることに」
「……いつから」
「うん?」
「いつからですか。私とラトを『得体の知れないもの』と認識したのは……?」
そう。ラトとジュンシャは、この人物に既に試されていたのである。
上等執行佐、サチ・サナヅキ。その殺気に気付いたのはラトもジュンシャもほぼ同じタイミングだったが――それは気づいたうちに入らなかった。
サチは何食わぬ顔で見習いの黒装束を見やり、
「あなた達が、ドアの前に立った時から、ずっとこれぐらいは『張ってた』わよ?」
その後、クスリとほくそ笑んだ。
ラトもジュンシャも、言葉を発することができなかった。
その場から動けず、自分たちと同じような若い体を前に、足ありラザクよりも強烈な痛み混じりの狂気を受けて――いや、この二人から発せられているものは、狂気ではない。
『強気』という、ペメルンの夜力と夥しい数の死戒虫が生んだ、悲しい現実だった。
「よく聞け二人とも。サチはな、私以外の者なら誰でも殺すぞ。必要とあらば、恋人さえ迷わず手に掛ける。永遠に適わぬと公言する自分の師が相手でも、命ある限り全力で戦う。死ぬと分かっていても、半分死んでいても、私を守る為なら戦う。その為に会得した治癒の夜力。自分の体を治しながら戦う。サチは感情のある兵器だ。愛を知る武力だ。お前たちを愛し、慈しみ、想うこともできるが、それらすべてを胸に抱いたまま私の命を最優先することができる、この世で最も優秀な訓練士が作り上げた――最強の闇人形だ」
別世界。別次元。
自分たち見習いと執行者の二人を比べて、簡潔に言い表すならその言葉がもっとも適切だった。
サチがラトとジュンシャを警戒しないわけがないというノキリオルの言い分はもっともだった。むしろ、温かく迎えられたからといって自分たちが信用されていると勘違いしてしまったことが、愚かな考えだった。
「そうだ。勘違いだ。私たち夜力管理局員は、敵国や反乱軍を殺せばいいだけの軍部とは違う。まあ、サチは軍部に行くこともあるが、本業は執行者だ。執行者や墓守、つまり我々は、いずれは互いに刃を交える関係にある。誰が早くラザクになってしまうか、その点だけを心配すれば良い組織なのだ。もちろん同じ部隊同士やフーラ間の信頼は必要だ。私も戦う時は隊の者を信頼するし、それを元に戦略を立てる。戦友は信頼しろ。この命令と規則はかならず守れ。守れぬのならひとりで死ね」
規則を読み上げるかのように語るノキリオル。その表情からは先ほどの無邪気な様子は感じられず、あのサチさえも圧倒する迫力と重圧が言葉のひとつひとつに込められていた。
「信頼はしても信用はするな。私もサチも、互いを完全に信用なんてしておらん。私がサチに騙されたらサチを殺す。サチに関しては、サチが私に騙されたら騙されたまま死ぬ。これは残酷な思考ではない。非情でもない。非道徳的ではない。私たち墓に住まう者、夜に生きる者は、これを道徳とする。――人間世界を死戒虫から守るために、我がラディベルダ一族と大連盟が貫いてきた道だ」
その覚悟があるか。
この『闇の道』を恐れるのなら、即刻山を下りるがいい。そして、二度と墓守になろうなどとは考えるな。
覚悟など、この山を登る前から決めているラトとジュンシャですら、やや狼狽えてしまうほどの気迫がノキリオルの言葉から感じられた。
「覚悟はあります」
「私もあります」
「よし……それなら良い。なにやら驚かせたようで済まなかったな。この質問は、入寮する者全てにしているのだ。にしてもさすがだな、即答できたのは、お前達を含めてたったの三人だけだった。それ以外の者は、みな数秒は考えたぞ」
話の最中、ラトは、ノキリオルの腰に巻き付けてあるベルトが気になった。なぜかというと、そのベルトにはラトの手のひらほどの小さな鞘が四つぶら下がっていたからだ。
(あの鞘はまさか……)
「ほう、コレが気になるか? そんなに気になるなら、見せてやっても良いのだぞ」
「え? いや……」
「そうだわノキリィ、せっかく活きのいい新人とお近づきになれたんだもの。武器のお披露目がてら、まずは力を見てあげたらどうかしら?」
空気は変わらず、ラトとジュンシャの鼓動だけが早まった。
間違いない。あれは世界五大難術『四刃短刀術』のオリジナルナイフだ。五大難術にはサチの扱うキバライの鎖片手剣術も含まれているが、ノキリオルの四刃短刀術は数百年前に大連盟の夜力兆士たちが編み出した対ラザク専用の武術だ。ラトはもちろん、あのジュンシャでさえ戦った事のない流派だろう。
「ラト、ジュンシャ。私と手合わせだ。本当はサチに任せようかと思ってたけど、私だってちゃんと仕事してるんだってところ、ラトとジュンシャにアピールしたいからな」
ノキリオルは腰に巻き付けたベルトからナイフを二本抜き、手慣れた様子で弄ぶ。
もちろん実戦ではないので、恐怖はそれほど感じない。
ただ、ラトもジュンシャも、体を震わせていた。
ゾクゾクするのだ。武者震いというものだろうか。
「これは……滅多にないチャンスだぞジュンシャ。執行師、しかもあのマスィオネル大総帥のご息女に力量を見てもらえるんだ」
「そうだな。同期の仲間には申し訳ないが、ここで引き下がれるわけにはいかないだろう。もっとも、私はサチさんにもぜひお手合わせを願いたいのですが」
ジュンシャはそう言ってサチに目配せをした。サチはジュンシャに「機会があればそのうちね」とだけ告げてソファに腰掛けた。
サチがその言葉にどんな意味を込めたのか、ジュンシャは分かっていたのだろうか。
いいや分かっていない。なぜならジュンシャは、サチの前にまずはノキリオルと刃を交えておこうと、夜力を研ぎ澄ませて小太刀に手をかけていたからだ。それがいかに浅はかであるか分かっていないのだ。
だがラトも、正直言って、この時点では気づかなかった。サチの言った「機会があれば」の意味に、ではない。
計る。という行為が、どれほど簡易なものであるか、という点にだ。
「私が二つのナイフを天井まで放り投げる。それらが床に落ちる前までに、ラトとジュンシャのどちらとも戦闘態勢を保てていたら……明日から墓守に任命してやろう」
「なっ!?」
ノキリオルの気まぐれかと思い、ラトはサチを見やるが、サチは、
「ええ。ノキリィだけではなく、私からも推薦書を書いてあげるわ」
と、平然と言ってのけた。
「ルールを説明する。私は今手にしている二つのナイフを天井へ向けて投げる。残りの二つは鞘から抜かないと約束する。また、ナイフが落ちるまでにお前たちに対する私の攻撃動作は、回避動作と合わせて最大二歩までとする」
「二歩!? それだけ?」
「言っておくが、私の攻撃はサチより速いぞ? それに、これは本来一人用の試験だ。だからどちらか片方でも私に制圧されたらダメという条件を付けているのだが……これは逆に一人で回避するより難しい。……以上。ヒントはここまで」
そして、考える時間を今から十秒やる。とノキリオルは言い残し、何とも楽しそうな顔でナイフで曲芸を始めた。
ラトにとって、十秒は短かった。
(連続攻撃も連続回避もされない条件だが、戦闘にかかる時間によっては……)
「あっ!」
考えて考えて、ラトはなんとかこの試験の本質の近くまでたどり着くことができた。
だが、この十秒という時間は、何一つ考える事をせずに武器を構えているジュンシャに試験の罠を伝えるにはあまりにも難しすぎた。
「時間切れだ。始めるぞ」
あのサチが見届ける中、ノキリオルの実力テストは始まった。
ノキリオルは、両手に持っていたナイフを二つ同時に、天井へ投げ上げた。
ジュンシャは夜力を全開にし、逆手一文字を二つに構え、守りの十文字でノキリオルの刹那に備えた。
やっぱり。ジュンシャはこの試験の罠に気づいていない。
「ジュンシャ! 構えるな! 逃げ回れ!」
「?」
ラトはとっくに部屋の外へ向かって駆けだしていた。ドアを開けて、廊下に逃げ出した。
ジュンシャはラトの行動を理解することができず、ノキリオルの動きに集中しているだけ。ジュンシャの読みは、まだまだ浅い。この試験に、『二歩』という条件はあっても、ノキリオルが『時間』という制約からは逃れられないと思ってしまったのだ。
(ノキリィのナイフが床に落ちるまでが制限時間。退いても狭い部屋の中では二歩で十分攻撃が可能。逃げるより、一撃でも止めるほうが可能性は高い!)
と、ジュンシャは考えていたからだ。ナイフはすぐに床に落ちる、と。
ところが、ノキリオルの投げたナイフは、床に落ちなかった。
なぜなら、二つのナイフは天井に突き刺さっているから。
「残念。正解はラトだけだったな」
捕まったのはラトだった。ノキリオルは固く守るジュンシャには目もくれず、真っ先に部屋を飛びだそうとしたラトをちょうど二歩で捕まえて、床にねじ伏せた。
「ジュンシャは、強敵とは戦えるが、大して強くもない敵に意表を突かれて部隊を危機に追いやるタイプだ。指揮官には向かないな。どちらかといえばラトが指揮官向きだが、もうちょっと速く動けるようにしないとな」
「俺を狙ってきたからクリアできると思ったのに……」
「二人でこの試験をクリアするには、ラトとジュンシャが一歩目で同時に異なる方向へ飛び退いて、二歩目でまたそれぞれ同時に真逆の方向へ飛び退く必要があるのよ。それでもノキリィの二択が正解すれば捕まっちゃうけどね。でも、ラトはよく気付いたわ」
ぱちぱちと手を叩いて、サチがラトの元へ歩み寄る。ジュンシャは口をぽかんと開けて、自分の何が間違いだったかを懸命に考えている。
「天井を見てごらん、ジュンシャ」
ラトはジュンシャの肩に手を当て、この試験の罠を見破るわずかな判断材料を指さした。
天井には、いくつもの刺し傷がついている。おそらく、ノキリオルが過去に試験した際についたもの。
そう。ノキリオルは「ナイフが床に落ちるまで」としか言ってない。つまり、ナイフが床に落ちなければ、攻撃の二歩をどう使うかにじっくりと時間を掛けられるのだ。まともに戦って勝てるのなら良いが、この狭い部屋で時間制限なしに執行師が相手では、すべてが一撃必殺の間合いの中。しかも二撃連続で防ぐのは難しい。それだけでなく、防御したまま時間を掛ければ、強大な夜力を練ることが可能だ。ノキリオルが何らかの夜力を使ったら、それまでである。
「天井の傷と、部屋の構造からこれらの事を推察するのに三秒、残り七秒あれば飛び退く方向などを十分に打ち合わせできはずだ。二人での試験は難しいというのは、こういう事」
やられた。ジュンシャは手で顔を覆い、己の頭の固さをラトに詫びた。
「まあ、これで今年の寮生全員の力を計ることができたのだから、本来の目的は果たせたと言えよう。ジュンシャ、そこまで気にすることはない。この試験の仕組みを十秒で理解し、正確な判断を下せたのは、ラト以外にたった一名だけだ」
「しかし、私はその一名に負けたということです」
「それもそうだが、その者はもっと早い時間に私に捕まった。身体能力と即時判断能力の二つが同時に備わっていなければ、墓守は務まらない。そしてそんな見習いは、いない」
時計を見ると、夜の十二時を回ったところ。ラディベルダの外にある第九区墓地からは、先輩の墓守たちが点呼を取り、夜勤の配置確認を行っている声が聞こえてくる。
「ジュンシャは、その『一名』と同室にするとしよう。互いの弱点を補い合い、女同士バディになれるよう励むがいい」
前触れもなく、ノキリオルは寮の部屋割りの話を持ちかけた。
「入学と入寮の手続きだ。書類はできているのだから、後は同室のバディ候補を選定し、その者に最適な環境で共同生活を送れるようにする。そこまでは私の仕事なんだ」
「待ってください。そういうことなら、私は……ラトと同室を希望します」
「ん? ……へ?」
ノキリオルが素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。普通、部屋割りに文句を付ける生徒などいないからだ。。ましてや、原則的に男女は分けられるという寮規則があるのに、異性同士で同室を希望するなど。
ただ、寮規則にはひとつの例外が存在する。
「私とラトは、フーラです。正式にフーラの契約をしていれば、同室は可能なはずです」
「そうかそうか。フーラか。サチもキャッティオとフーラになれば……って……え?」
「私とラトは、ペメルン七番街で足ありラザクを倒し、互いの力と魅力に心を開き、迫り、フーラの契りを交わしたのです」
「なっ……」
「ふ、ふ、ふ、フーラっ!? ラトとジュンシャが!?」
「はい。なあ? ラト」
「まあ、本当のことです」
「まだ見習いだというのに、フーラの契りを……」
ジュンシャのこの発言には、サチも思わず目を丸くする。
そうなのだ。フーラの関係にある男女は、強い子を生み育てるという墓守の使命に則り、常に共にあることを優先させられる。
そのくらい、墓守にとってフーラとは重要な関係なのだ。
「ここに血書があります。本日より私ジュンシャ・レイメイとラト・スイセンは、結婚を前提として、フーラとなる約束を交わしました。在学中、特別任務、すべてにおいて一蓮托生であることを誓い、また管理局のご配慮を希望いたします」
「そ、そんなバカな……」
「本当です。ラトの血書もここに」
「サチ、これは……どうするべきだ?」
「どうするって、私にフーラの関係を覆す権限なんて……」
一変して、ジュンシャに会話の主導権が渡る大総帥室の入寮試験。
サチとノキリオルは、ラトたちが部屋に入るまでにしていた恋愛談義の最中かのように頬を朱に染め、まるで見たことのない人種に対峙したかのように目を大きく見開いた。
「認める! 認めるぞジュンシャ!」
ノキリオルはすぐに飛び上がって、ジュンシャの両手を取った。
とても、うれしそうに。
そして、とても楽しそうに。目を輝かせてジュンシャに飛びついたのだった。
「ああ、なんて美しい純愛なのだ! そうか、フーラか。ジュンシャもサチみたいにおっかない軍人なのかと思ったけど、そうじゃないんだな!」
「ちょっと、誰がおっかない軍人ですって?」
「お前だばかもの! いやーんそれよりサチぃっ! どうしよどうしよっ♪ こーんなにおっきくて、こーんなに無表情なジュンシャが、ラトの、ふ、フーラだって!」
「大声を出すんじゃないの。はしたない」
「乙女だ乙女。もうジュンシャに『乙女』の徴章を付けさせよう! なあジュンシャ、二人はどこで知り合ったのだ?」
「七番街。ラトが『足あり』に襲われていたところを、私が助けた……」
「っきゃあっ、ねえ聞いた聞いた? これって運命だよね? サチが読んでいる小説に書いてあるような、刹那の恋、芽生えた感情は人生をも揺るがす。ってやつ! しかもラトったら女の子に助けられて! すっごぉい! ねえねえジュンシャ、そのときのお話、もっと聞かせてっ?」
「か、かまわないが……」
「ごめんなさいねジュンシャ。ノキリィはまだ『おこさま』だから、恋だの愛だの、そういうものを美化するのに夢中な年頃なのよ」
十二歳の執行帥は新しいおもちゃを見つけた子供のように、サチとジュンシャを行ったりきたり。ノキリオルにとって、新人見習いの戦力を計る事よりも、その者たちが既にフーラという男女の関係にあるという事実のほうが重要なのだろう。厳密にはフーラとは男女の恋愛感情が主ではないのだが、この時代では恋人以上の関係にあるという暗黙のルールがあることは否めない。
男と女、しかも自分とそれほど変わらぬ年齢の墓守見習いが、ペメルンの山を登る前にフーラの契りを結び、そして『足あり』のラザクを討伐し、ここに来て公的なフーラ許可を求めてきたというのだから、ノキリオルが夢中になってしまうのも無理はないだろう。
ノキリオルはサチに迫っていた時のように、「それは恋愛感情なのか?」、「どきどきしたのか?」、「第一印象で決まるのか?」と、ラトとジュンシャを攻め立てた。
それはそれは楽しそうに。
暗黒の運命を背負わされている子供とは、想像もつかないほど、ノキリオルの瞳は純朴で、光に満ちあふれていた。
そんなノキリオルの様子を見て、ラトは思わずジュンシャの目を。
同じタイミングで、ジュンシャもまたラトの目を見つめていた。
視線と視線がぶつかって、自然と笑顔がこぼれ出る。
吹き出すような笑いではなく、どこか心温まるような、優しい笑みだと感じた。
「ラトもジュンシャも、お似合いのフーラだな。お前たちの長所と短所は、まるで仕組まれたかのように真逆なのだから」
「きっと、一つになるものというのは、あらかじめ二つに分かれているんだ。……いつか、一緒になった時、絶対に離れないように」
ラディベルダ城の夜は更ける。
新人墓守見習いのラトとジュンシャは、フーラとして同門を潜り、同室で過ごす。
希望に満ちた春だった。誰が見てもこの部屋の四人は「幸せな人たち」に見えるだろう。
だがその「幸せ」は、誰の基準で、どのような数量で計られたものなのだろうか。
その答えを、何となく知っているのは――
「ノキリィ、墓地の様子は私が見てくるわ。今夜はこのまま寝室で眠りなさい」
――愛する主人に『闇人形』と言い切られたサチだった。
「じゃあ、このままジュンシャとお風呂に入る」
「そうするといいわ。私は軽く九区の巡回をして、師匠のところへ行ってくるね」
「風呂か。あ、ならラトも一緒に……」
「ばっ、バカか君は! いくらフーラだからって風呂まで一緒に入るわけないだろうっ!」
「ダジャレを言ってるのか?」
ラトは風呂になんか入らなくても既に茹で上がったような顔色をして、仲良く肩を並べて部屋を出て行くジュンシャとノキリオルを見送っていた。
サチは、窓の外、無数の墓石が並ぶ山の斜面と、そこを巡回して番に当たる若い墓守たちを見下ろして、深いため息をついた。
深い深い、いつか自分が埋められるであろう国家指定墓石よりも深い闇に包まれたため息が、楽しげな笑い声の中にもしっかりと響き渡った。
「…………『夜力と共に』」
雑念を取り払い、灰色装束の帯を締め直して。
剣柄から伸びる鎖を引き、その先端にある頑丈な手錠を、剣を持つ手に強く掛けた。
キバライの片手鎖剣術は武器を奪われても敵の間合いから逃げない。逃げられない。
それが、サチ・サナヅキ上等執行佐の、唯一の誇りだった。
哀れな妹の盾となり、恐怖を退かせる矛となる。
『私はこの世界の誰よりも、何よりも、強くなる人間です。父よりも、大総帥よりも……あなたよりも強い、ノキリオルの盾と矛になるのです』
厳しかった軍部の父が死に、新たな師として迎えた今の恩師に誓った言葉を、サチは忘れない。絶対に忘れない。
それが、サチの歩く夜道を照らす、唯一の灯火だった。
たとえ、世界を脅かす凶悪なラザクになったとしても、絶対に忘れない。
そう信じている――この山に生きる者は、皆、そう信じている。