⑥
「そよ風か?」
軽々と翠琉の剣戟を受け止めた梵天が微笑むが、翠琉が不敵な笑みを浮かべた。
「その、そよ風に気を取られたな?」
「小癪なッ!!!」
翠琉の声と、羅刹天の苛立ったような声が重なった。
誘われるように振り返れば、一瞬の隙をついて、羅刹天が掴んでいた髪を切り、そのまま紗貴を抱きかかえたまま洞の隅に移動した由貴の姿がそこにはあった。
「紗貴さんは、返してもらったぞ?」
「虫けらの分際で……」
「虫けらじゃないッ!!!私たちは、お前の玩具ではない。返してもらうぞ、真耶の身体をッ!!!」
言うなり、グッと力を込めて押し返す。
「助けに、行かないと!!」
周が一歩踏み出そう賭した瞬間、前に出てきたのは毘羯羅。
「私が相手ですよ。幼き術師達よ」
言葉が先か、土が盛り上がって襲い来るのが先か。
一方、翠琉の言葉に酷薄な笑みを浮かべた梵天は、嗤う。
「真耶、のう?……確か、この身体の元の名であったかな?……主とこやつの葬儀、形だけで行われたそうではないか。魔に憑かれたなど一族の面汚し。名の体面の前に、命の価値など無に等しいということではないか?」
「黙れッ……黙れ、黙れ、黙れ!!!」
その言葉に焚きつけられたように、翠琉は何度も、何度も梵天に斬りかかる。
―― どれだけ、……どれだけ、私の中で大切だったか知りもしないくせにッ!!
『 翠琉よ』
神羅一族宗主……翠琉の祖父が目の前に現れたのは、年もあけて随分と経った、三月末のことだった。
祖父は、翠琉の痛々しい姿に僅かばかりに辛そうな面持ちになった。だが、首を一振りして息をひとつ吐き出してから、静かに口を開く。
『翠琉よ、梵天は生きておる』
それまで、何に対しても反応がなく、まるで人形のようであった翠琉が少しだけ反応する。
『今から言うことは、破魔一族でも限られた者しか知り得ぬこと』
そう、前置きをしてから徐に口を開いた。
『奴は、天定に封じられし、古の己が力を取り戻しに行くだろう。……が、それだけは避けねばならぬ。それこそが、我ら破魔一族に与えられし業。……そして、その業を負うのは崇月の主。仮初とはいえ翠琉、其方が使い手となった今、その使命もお主のもの。やってはくれぬか?』
それは、翠琉にとっては願ったり叶ったりだった。
強い意志を宿した、何も映すことのない瞳に胸が痛むが、感傷に浸っている場合ではないと、更に残酷な現実を口にする。
『表向き、真耶もお主もあの夜に死んだこととなっておる。だがしかし、本家の人間はお主らの生存は周知の事実。故にお主が此処を出れば追っ手も来よう。それでも……』
理不尽の塊のような提案だと、神羅 慶士郎は承知していた。
梵天を討つため、この座敷牢の扉を開く。
誓いを果たす為、一歩その足を踏み出した瞬間、罪人として追われる身となる。
―― それでも……
世界の命運がかかっていた。
否、そんなことはどうでも良かった。目の前の孫娘が、ただ、静かに壊れ、死に向かうことをどうにかして止めたかったのだ。
だがしかし、そんな本音はそっと隠して冷酷な提案をする。
これ以上、この腐った一族に未練を抱かせないために、ただ、前に進むための道しるべを示すために口を開く。
『どうせ、表向きは死人の身。それが嘘か真かの違いです。それよりも、感謝せねば』
そこまで言うと、獰猛な笑みを浮かべる。
『ヤツに……梵天に復讐できるだなんて』
―― 復讐……
たったその一言が、翠琉をここまで突き動かした。
すさまじい轟音と共に、力と力がぶつかり合う。
それでも、梵天には今一歩のところで届かない。
「さて、戯れもそろそろ終いにするか。飽きたぞ?」
言うなり、梵天がそれまでとは比べ物にならない質量の衝撃波を翠琉に向かって放つ。
「くッ……」
辛うじて受け身の姿勢を取ることは出来たが、ただそれだけのことだった。軽すぎる翠琉の痩身はそのまま吹き飛んで岩に打ち付けられた。
「さあ、小娘。次はお前が我が一部……我が力となる番だ。崇月と共に、我の裡へ回帰を果たすがいい」
言いながら、更なる攻撃が翠琉を襲おうとした、まさにその時。
「翠琉!!」
白銀が寸でのところで間に割って入った。
梵天と翠琉の激しい攻防が始まってから、何とか翠琉の助けに入れないかと機会を伺っていたのだ。
白銀が展開した防護壁は、確実に二人を守っている。
「し、ろ……白銀、駄目だ!!術を解いて私に変われッ……命令だ!!主人の命令は絶対だろう!!?」
白銀の胸元に拳を押し付けながら、翠琉は必死に言い募る。そんな翠琉を安心させるように、なるべく優しく、まるで駄々をこねる幼子に言い聞かせるように白銀は残酷な言葉を紡ぐ。
「翠琉、貴女は判っているはずです。私がどのような存在か……お教えしたではありませんか。私にとって……私たちにとって、貴女の命を守ることが、何よりも大切なことなのですよ」
「いやだ、白銀!!止めろッ!」
訴えるように叫ぶと同時に、翠琉の両隣に砂埃と共に衝撃音が響いた。
その瞬間、防護壁も解かれてしまう。
「蕎?……ッ……周!!!」
岩の壁に容赦なくたたきつけられたのは、ほかでもない、蕎と周だったのだ。
梵天の隣にストンと舞い降りるように佇むのは毘羯羅だ。
「虫二匹如きに、何を手間取っておるのだ?」
淡々としたその責めるような言葉に、毘羯羅は頭を下げる。
「あいすみませぬ」
「この場はお前に任せる。我は先に天定を解き放つ」
言うなり、梵天はその場を離れた。
蕎と周は衝撃が強すぎたのか、気を失っており微動だしない。
現状を打破するため、翠琉は前に出ようと一歩踏み出したその瞬間、激痛が全身を走り、口元から血が零れ落ちた。
器なくして力は使えない。“翠琉”という器が、限界を迎えたのだ。
それでも、どうにか立ち向かおうと崇月を構える。
その翠琉を背に庇うように立ちはだかったのは、白銀その人だ。防護壁を展開して、毘羯羅からの攻撃を全て防いでいる。
「どけ!白銀ッ……」
「……貴女に命令されるのは、これで二度目ですね」
場違いな、穏やかな声が耳に届く。
「貴女は、忘れてしまったかもしれませんが、私は覚えています」
『さま、づけは……なんだか、イヤだ。名まえをよんでほしい』
今も、鮮明に思い出される。幼子が舌足らずな声で一生懸命訴えてきた。主従関係にあるのだから、敬称を付けねばならいのだと説明しても、頑として聞き入れず。
『なら、めいれい だ』
誰に似たのか、そう頑固なまでに言い張る翠琉に折れたのは白銀だった。
『判りました……翠琉……』
そう、名を呼んだ瞬間に見せた、花が咲いたような満面の笑顔は、白銀にとって大切な宝物だ。
「翠琉……判っていますね?」
まるで、駄々を捏ねるように目に涙をためて必死に首を横に振る翠琉に、優しく、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「せめて、私の存在を意味のあるもにしてください……」
「だからと言ってッ……」
「どうせなら、敵をひとりでも道連れにしたいのです」
白銀の裡に封じているモノが、目覚めかけている自覚はあった。これ以上力を使えば、壊れてしまうことも判っていた。
―― だが……
(翠琉を死なせはしない)
(ココデオワラセルワケニハイカナイ)
決して重ならない筈の二つの意思を、翠琉という存在が結びつけた。それでも、このまま封印が解ければ翠琉を傷付けてしまうという未来は変えられない。
―― それなら……
ここで、終わらせることを白銀は選んだのだ。




