④
「誰だ……」
戒都は、低く唸る様な声で誰何する。
「霊場そのものを封として使ったか。中々に面白い考えだ」
―― 通りで、見付からぬ筈だ
だが、戒都の声も、存在すらも気付いていないかの様に、涼しい声音で愉しそうに青年が呟いた。
「そこの注連縄が、差し詰め最後の封印か」
一歩、青年が踏み出しただけで得も言えぬ威圧感に、全身総毛立つ。
そっと、注連縄に触れて青年は眉を顰めた。
「なるほど……中々に頑強な守りのようだ。宮毘羅、そして安邇羅の“穢れ”だけでは完全に破壊するには至らぬか」
予想だにしなかった男の言葉に、戒都は思わず目を見開いた。喉が渇いて、上手く息をする事が出来ない。
悪い予感ばかりが、脳裏を過ぎる。
「まさか……」
「ほう?中々に勘が良いようだ」
戒都の反応に、可笑しそうにクスクスと嗤う。
「元より、あやつ等が大人しゅう我が半身を返すなど、信じておらぬ」
きっぱりと言い放ってから、すっと戒都へと視線を写した。
―― 何だ?この感覚……この少年、前にどこかで……
既視感……とでも言おうか?初対面である筈の少年は、だがしかしどこかで会った事があると、戒都を昏い記憶が呼ぶ。
『我が半身』
不意に、その言葉がストンと胸の中に落ちて来て、パズルのピースが綺麗に嵌る様な感覚に襲われた瞬間、それまで感じていたプレッシャーを上回る怒りに支配されるのが自分でも判った。
「貴様ッ……梵天か!!」
「ほう?我を知っているとは……?ああ、お主は……我の半身を封じた童の片割れか」
久しぶりに逢う知己にでも挨拶をする様に涼しい顔でそう宣った少年 ―― 梵天を、戒都は忌々しげに睨み付ける。
「此処の結界を破る為に、てめえの部下を殺したっていうのか!!」
戒都が怒りも顕に声を荒げる。対する梵天は応えに辿り着いた事を褒める様に、目を細めた。
つまり、そういうことなのだ。覇神 由隆は、“極咒殺法”を以て、この神路山を不可侵の地とした。
戒都は偽りの命を手にした後、その遺志を継いで誰にも見付からない様、幾重にも複雑な封印を施した。この霊場の力を借りた封印は、どんな術者にも見付ける事が適わない様な、厳重なものとなった。
現に、今まで誰にも見付かった事がなければ、誰ひとりとしてこの山に訪れる事が適ったものはいないのだ。
その封印に亀裂を入れたのが“由貴”という存在だった。
血の成せる技とでも言おうか。絶対不可侵の領域とされていたそこに現れた侵入者は、戒都が長年待ち続けていた希望だった。
更に、紗貴が瀕死の重傷を負った。その際、翠琉がこの霊場に溜まった玄武の眷属の霊力を使い命を繋いだ。言い換えれば、それはこの場を守っていた霊力が失われたということ。
つまり、守りが徐々に解かれていた。
失念していたわけではない。この可能性を忘れていたわけではなかった筈だ。
なのに、まさかこんなに近くに来るまで気付けなかただなんて。どうやら思っている以上に、由貴との思わぬ再会で気が緩んでいたらしい。
―― 俺の“極咒殺法”も、やはり解かれていたか……
生前、戒都は“極咒殺法”を使用し、宮毘羅、安邇羅を剱岳へ、毘羯羅、波夷羅を立山へ、そして彼らのリーダー格である羅刹天を、富士山麓へとそれぞれ封じた。
封じた筈の彼らが眼前にいるということは、つまり、そういう事なのだろう。
「“極咒殺法”でも無理だったてワケか」
“極咒殺法”は命を代償とする唯一無二の、絶対を誇る最強呪術である。
その力を以てしても、十二神将という仮にも“神”の名を頂く者達を霊場へと転移、完全なる封印を施すのは、荷が重過ぎたのだ。
「しかも、由貴が作った亀裂を破り、此処の封印の力を弱める為に宮毘羅と安邇羅の“死”を利用し、清浄な場を穢したってところか」
“妖”といわれる類の者は、その命潰える時に“怨気”と呼ばれる毒素を放つ。十二神将ともなれば、その“怨気”も力を相当な力を持つのだろうということは、容易に想像出来る事だ。
清浄な霊場ともなれば、それだけで場は穢れて力を失うだろう。内側から穢されたとなれば、それは致命的なダメージに直結する。
くどいようだが戒都は既に死人である。死人には“怨気”の毒素も関係ない。故に安邇羅が消え失せても何ら身体に異変が起きなかったのだ。
更に言えば、翠琉が紗貴の一命を取り留める為とはいえ、場に溜まっていた力を借りてしまった。不可抗力とはいえ、それもここまで闇の侵入を許してしまった一因であることは否めない。様々な悪条件が、まるで予定調和だとでも言わんばかりに重なった結果が、この現状を作り上げていた。
―― 何はともあれ……
「仲間の命を使って、封印の効力を弱めたってことかよ。最低だなオイ」
敵側の内部事情とはいえ、気分の良いものではない。仲間の命を何食わぬ顔で利用するという外道を、はいそうですかと流すことがどうして出来よう?
「大義の前に、そのような瑣末を気にする必要がどこにある?」
だが、梵天は全く意に介した様子もなく、事も無げに言ってくる。そして、微笑んだまま言葉を続けた。
「男、お前に名誉をくれてやろう」
その微笑みの、なんと冷たいことか。
「お前の命を……血潮を以て、この封印を破り捨ててやろうぞ」
残酷なまでに美しい笑を湛えて首を傾げる様に、戒都は息を詰めた。
「羅刹、毘羯羅……」
名を呼ばれて、後ろに控えていた羅刹天と毘羯羅が一歩前へと踏み出した。
「さっさと封印を解け」
「御意」
「主のお望みのままに」
浅く一礼してから、二人は一斉に戒都へと刃を向ける。
―― これは……
まずい、逃げろと本能が告げる。16年前の悪夢が……左目を塞ぐように走る大きな古傷を疼かせる。それでも、ここから退く訳には行かなかった。ここで逃げれば、全てが水の泡だ。何の為に耐えてきた。
何の為に縋り付いた。
一度は終を迎える筈だった命。
無様に、みっともなくも縋り付いたのは、今この時の為ではないか。
しっかりしろと、自身を叱咤する。
「大義の為とはいえ、同胞がヒト如きにやられるとは、口惜しや」
何の感情も見せない淡々とした口調で毘羯羅が呟く様に言う。
改めて見ると、艶やかな出で立ちの見目麗しい女性だ。トンと地面を軽く蹴ると軽やかに宙へ浮く。まるで、舞でも踊る様だ。
黒装束を身に纏った羅刹天が、すっと手を翳す。すると、まるでその仕草に応えるかの様に、ひと振りの大鎌がその手の内に現れた。
「一介の術師風情が、よくも俺を封じてくれたな。今、借りを返してやろう」
1対1でも、まともに戦えば勝てるかどうか判らない。しかも、今の戒都には切り札すら何もない。更に言えば、相手は1人ではなく2人だ。
「分が悪すぎだろう」
乾いた笑いしか出てこない。それでも、諦めるわけにはいかない。目を閉じる訳にはいかない。
「やるしか、ない」
―― 大丈夫、きっと彼らなら乗り越えられる……願いに応えてくれる、だから
「俺は、俺に出来る事をしよう」
―― 由隆……お前は守れなかったけど、お前の“想い”は守りたい
誓いを立てるように、迅雷悍弓の柄に額をコツリと合わせる。それは、祈りにも似ていた。
―― 由貴……あとは、頼んだぞ……
そっと、希望へとその願いを託すように、ほんの一瞬目を閉じる。瞼の裏に浮かんだのは、屈託のない少年の笑顔だった。
そして、すべての雑念を捨て去るように一度、大きく深呼吸してから、眼前の敵を睨み据えたのだった。
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