③
「間に合わなかったか……」
とにかく、自身の影に呪詠唱の時間を与えないよう、断続的な攻撃を仕掛けながら、翠琉は由貴が吹き飛ぶ音を聞いて呟いた。
「姉さま、どういうことですか?」
やはり、影と力の小競り合いをしながら、周が翠琉に問う。
「影もまた、自分の一部だ。分身と言っても良い」
普段、人は影に触る術など持ってはいない。
だから気付けない。そう、気付いていないだけで、実は本能で判ってはいるのだ。
影もまた、“自分”の一部であることに。
生きている“証”であるこに。
巷で噂される幽霊の見分け方にもそれは垣間見える。
足の有無の他に影が出来ているか否かで、生者なのか常世からの迷い人なのかを判断する。
誰に聞いた訳ではなく、周知の事実である。
そう、死者に影がある筈がないのだ。あくまでも、生きている者達の一部なのだから。
その影を攻撃すれば、同等の衝撃が自身を襲うのも道理というものだ。
「でも、だからってこのままだと先に進めないッ!」
紗貴が自身の影を押し返しながら、焦燥感に煽られたままに言う。
それは、その場にいる全員の胸中を物語っていた。
「こんなところで、時間食ってるわけにはいかないのにッ」
早くも復活した由貴も、言葉に歯がゆさを滲ませる。
その膠着状態は、だがしかし、予想外の終わりを迎えた。
「なっ!?」
「えッ……?」
「うわっ!?」
由貴、紗貴、そして周の3人が、戒都によって吹き飛ばされたのだ。
―― まさか、戒都さんが敵に操られて!?
一抹の不安が過ぎる。だが、それはすぐ杞憂に終わった。
「ここは、任せろ。先に進めッ!」
3人に背中を向けたまま、戒都が言う。
「あとは、この洞を真っ直ぐ進めば辿り付く。案内は必要ねえ」
そんな戒都の言葉に、とある事に気が付いた。
「影が……ない?」
周が、呆然と言う。そう、先ほどまで苦戦を強いられていたはずの影が、消えてしまっているのだ。
「そうか、結界を……注連縄を越えたから」
未だに侵入者を拒むように注連縄が張られている。その内側に広がるのは闇。影が出来る要素がない。
「ほら、少年と嬢ちゃんらも早く行きな!」
―― 行かねえって、駄々こねるようなら……あっちの3人みてえに吹き飛ばすぞ?
なんて、冗談に聞えない軽口を、安邇羅を牽制したまま叩く。
蕎は言葉もなく頷くと、影を大きく押しやってから注連縄の内側へと跳躍した。
「しかしッ、戒都さん……」
「行きましょう、翠琉。彼の恩を無駄にしてはなりません」
珍しく渋る翠琉を半ば強引に引っ張るようにして、白銀もまた洞内へと駆け込む。
「戒都さんッ!また、話聞かせてくれよな!絶対だからな!約束だからッ!」
「おう!絶対に、また会える……だから、今は前に進め!!……何があっても、諦めるんじゃないぞ」
由貴の、少し震える声に振り返ることなく、左手を挙げて応えた。
少年達が走り去っていく音を背後に聞きながら、すっと腰を低くして自身の武具を改めて構え直す。
―― 会えて、良かった……お前の息子は、お前に似て真っ直ぐで良い子に育ってたよ
『ありがとう、戒都……』
ふっと、従兄弟が笑った気がした。
「さて、既に俺は死んでる。影なんか出来ねえぞ?どうするよ?」
相手に尋ねながら、だが返事は待たずに駆け出した。
「小賢しいの、人の子よ」
忌々しげに舌打ちをすると、安邇羅は軽やかに跳躍する。
「しかし、まあ良い……我の役目は“影”の覚醒。封じられし、我が同胞の目覚めを促す事」
「逃がすかよ。その話、詳しく聞かせてもらおうじゃねえか?」
その跳躍した先を、一寸の狂いもなく戒都の矢が襲う。
「クッ……」
安邇羅は何とか横に避ける。戒都はその一瞬を付いて、今度は穿刺した。
「ちっ、これも避けられたか」
「その奇怪な武器……見覚えがあるぞ。貴様……あの時の……」
どうやら初対面ではなかった様で、戒都は安邇羅の言葉にニヤリと笑む。
「漸く思い出してくれたか、て嬉しいねえ」
一見すると戈と矛の両方を併せ持った長武器……いわゆる、戟に見える。
だが、その戟身は一度戒都が構えを変えれば弓なりに弧を描く。
―― そう……
戒都の継承武具“迅雷悍弓”は、戟と弓という相反する武器としての役割を果たす武具なのだ。
「なあ、一旦退く……とか、つまんねえ事言わねえよな?久方ぶりに、相棒も暴れたがってるんだよ」
言いながら、迅雷悍弓 を担ぐ様にして肩をトントンと軽く叩く。
「ほら、来ないんだったら俺から行くぜ?」
「妾を倒せると、本気で思うておるか」
だが、こちらもまだ余裕を滲ませて言い放つ。
「別に?簡単に倒せるなんざ、思っちゃいねえよ。でもよ……」
―― せっかくなんだ……
「少しは、楽しませてもらわねえとなあ」
安邇羅の纏う空気が圧迫感を増す。軽口を叩きながらも、戒都は一層警戒を深めるように相手を睨み付けた。
「今一度、黄泉の道へと送ってやろうぞ」
言うなり、安邇羅が姿を消した。
「何ッ!?」
辛うじて振り返り様、迅雷悍弓を構えるも余りの衝撃に後方へと吹き飛ばされる。両足で踏ん張り、何とか勢いを殺して耐える。
「ほう、躱すとは中々やりおるわ」
クスクスと不快な笑い声が辺りに木霊する。
―― 成る程な……
「影に潜ったって事か」
つまり、そういうことだ。
影の中に身を潜ませ、渡り歩き不意を付いて攻撃を仕掛ける。
更に、他者の影を具現化し、自由自在に扱う事も出来る様だ。否、目に見えている“安邇羅”自体が、偽物である可能性も十分に考えられた。
今の戒都は監視の目を張り巡らされた檻の中にいるようなものなのだ。
「くっ」
またもや、戒都の死角から影による攻撃が繰り出される。
「これは愉快よの。妾の意のままに、踊るが良いぞ。宮毘羅の弔いも兼ねて、貴様の首を頂戴するとしよう」
安邇羅は言うなり、四方から攻撃を繰り出す。何とか紙一重で躱すも、全てを防ぐ事が適うはずがない。
避け切れなかった残撃が、戒都の身体を傷付けていく。それでも、戒都は眉1つ動かさない。
「死人に、痛覚があるとでも思ったか?なあ?」
由貴達の前では見せなかった、獰猛な笑みを穿くと迅雷悍弓を戟の形へと変化させて一閃し、影ごと薙ぎ払った。
「何ッ!?」
「影に隠れちゃあ居ても、その影ごと切り裂いたら、どうなるんだろうなあ?」
姿を現した安邇羅に、戒都が目を細めた。
「ああそうだ。前にお前と対峙した時は、迅雷悍弓を使う前に“極咒殺法”で封印しちまったからなあ……相棒、紹介してなかったんだっけ?」
まるで、その言い様は今日の天気予報でも語るかのようだ。
「俺の相棒“迅雷悍弓”は、全てを切り裂く。目に見えるもの、見えないもの……“在る”ものは、何でもだ」
―― 見付けたぜ?影の中に隠れてる“ホンモノ”を……
それは、死刑宣告だった。すっと細められた目は、どこか猛禽類を思わせる鋭さが宿っている。
「くっ……人の子の分際でッ……」
安邇羅が焦燥感に駆られるまま、戒都へと無作為な攻撃を仕掛ける。だが、それすら戒都には一切のダメージを与えてはいなくて。
「闇の中に沈みな」
―― ザッ……
言うなり、“安邇羅”を象るモノには目もくれず、その後ろに伸びる影を切り裂く。
―― あああぁぁあアアァ……
闇に響く断末魔に、戒都は薄く嗤ったのだった。
「さて、追い掛けるとするか」
由貴との約束を果たすために、注連縄の奥へと足を進めようと洞へ身体を向けた瞬間。
「なっ!?」
言い知れないプレッシャーを感じてバッと振り返る。今までの比ではないくらい、空気が張り詰めていく。
緊張が全身を刺す様な感覚に、思わず冷や汗を掻いた。ゴクリと生唾を飲み込み、再度腰を低くして刃牙を構えた。
プレッシャーに押しつぶされない様、睨み付けたのだった。




