宿世の邂逅①
時はちょうど、宮毘羅に由貴達が辛勝した頃合にまで遡る。
―― “無洞窟”か……
緋岐は一人、苦笑を漏らした。
紗貴達と別れ、緋岐が単身乗り込んだのは、海岸沿いの岸壁にひっそりと祀られた祠の裏に広がる洞窟だ。
その名の通り、そこに広がるのは無窮の闇、闇、闇。一切の音、光の存在しない空間は、時の流れと平衡感覚を奪い去る。
隔絶された真の闇に耐えられる人間が、どれほどいるだろうか?
―― それでも、進むしかない
一体、どれくらいの時間自分が歩いているのか、最早緋岐には判っていなかった。否、自分が前へ進んでいるのかすら判らない。
この“無洞窟”では、火を点ける事すら叶わないのだ。更に、破魔術の一切も行使する事が出来ない。何らかの強い力によって張り巡らされた結界によるものだという事は、足を踏み入れた瞬間、理解する事が出来た。
一歩足を踏み入れた瞬間、周りの空気が豹変したのだ。それは、何とも形容し難い変化で。
威圧感……とでも言おうか?
―― 試されている
そう、緋岐は直感で感じた。それはつまり、この道の先に覇者の力を持つ武器が眠っているという証拠だ。
とにかく、前へ進むしか道はない。
―― 戦っているのは、俺だけじゃないんだ
怯みそうになる自身の足を、叱咤する。何も見えない永久の闇を挑む様に見据え、たゆまぬ足で突き進む。
『行ってらっしゃい』
愛しい少女のその言葉と温もりだけが、今の緋岐を支えていた。
―― 待ってろ、紗貴……翠琉……
“護るから、絶対に……”
それは、自分に立てた誓いだ。一度拒んだ過去を、消し去る事は出来ない。だが、共に歩んで行く事なら出来る。
たった一人の妹は、だが生きながらにして“未来”を諦めていた。だからこそ、“力”が必要だった。妹の歩む過酷な試練の道を共に行く為には、今のままでは駄目なのだと判っていた。
大切な人達を守る力を手に入れるまでは、倒れる訳には行かない。
「これは、思ったよりも堪えるな」
そう言う声音は、だが言葉よりも追い詰められていないと知れる。守る為の力を得られるのなら、どんな試練も苦ではない。
―― 本当に辛いのは……
「力が及ばない事だッ!」
そう言った瞬間。突如、周りを包む気が変わった。同時に、眩いばかりの光が一気に広がる。
「なッ!?」
光の洪水は、緋岐を容赦なく飲み込んでいった。思わず、顔を両腕で庇う。光が収まった頃合を見計らい手を下ろして、緋岐は自分の目を疑った。
「何だ……ここは……?」
呆然と呟くも、応える声はない。人は目の前に居るのに……緋岐の声だけが通り過ぎて行く。
―― 俺……じゃ、ないんだよな?
豪奢な装飾の施された部屋に佇む青年は、自分と瓜二つだ。
『雄飛……と、呼び捨てにしては、もう失礼かしら?韋駄天殿?』
含み笑いを潜ませた、良く透った女性の声に緋岐も振り返る。そこには、たおやかな笑を浮かべた、見知らぬ女性が立っていた。
2人共、明らかに現代の人間ではない。その身に纏う衣装は、どことやら古い時代の東アジアを思わせる。そんな女性の悪戯気な様子を、“雄飛”と呼ばれた青年が苦笑混じりに諌める。
『お止めください。今まで通り、“雄飛”とお呼びください』
しかし、どうやら女性は納得がいかないらしく、少しだけ頬を膨らませた。
『あら、ならば貴方こそ敬語を止めて頂戴な』
そんな女性の言葉に、雄飛は困った様に溜息を吐く。
『これは、けじめです。上司である貴女に私が礼節を欠いては、部下達に示しが付きません』
女性は、そんな頑なな雄飛の態度に観念したという様に肩を竦めて苦笑を浮かべた。
―― そう……このやり取りを、俺は何度もした……
「あれ?何で……“知っている”って、思ったんだ?」
緋岐は、自分の中に沸き起こるデジャヴにも似た郷愁に、戸惑いを覚えずにはいられなかった。
『ところで、この様な場に私を呼ばれるとは……何かあったのではないですか?』
“この様な場”とは、恐らくこの部屋を指しているのだろう。どうやら、ここは女性の執務室らしい。いつもは人の往来が絶えない部屋も、今は人払いがされているらしく静寂が広がっていた。尋ねた雄飛に返って来たのは、だが、予想に大きく反するものだった。
『相談があるのは、貴方の方ではなくって?』
“何を、またいきなり……”そう言い返そうとして、雄飛は言葉を飲み込んだ。
―― あの方に真っ直ぐと見つめられると、俺は逆らえないんだ
緋岐は、思わず自分の胸を抑えた。そして、一度大きく息を吸って自身を落ち着かせる様に、肺を満たしていた空気を一気に吐き出した。雄飛が緋岐に同調する様に、深呼吸をしてから口を開く。
『生涯を共に歩みたいと願う女人に出会いました』
―― 嗚呼……そうか……これは……
緋岐は、雄飛の言葉を聞いて、全て納得した。
“これは、俺の前世なのだろう”
……と。
そしてこの記憶は、自分が取り戻しに来た半身が、相棒が、兄弟が、大切に守って来てくれたものなのだと ――……
『あら、素敵じゃない!』
上官である女性が、花が綻ぶような笑を浮かべて、まるで我が身の事の様に喜ぶ。だが、反して雄飛の顔は曇ったままで。
『ですが……彼女は“地上人”なのです』
―― そうだ……俺はッ……
かつて、天と地がまだ1つだった頃。“有翼人種”と呼ばれる者達と、翼を持たない“人間”を総称して“地上人”と呼んだ時代があった。
“有翼人種”は、自らを“神族”だと名乗りを上げた。
彼らにとって“地上人”の一生はほんの一瞬に過ぎないものだった。故に、天と地に棲まう者が契を交わす事は、固く禁じられていた。
―― それでも、どうしても手放せない存在に出会ったんだ……
ほんの僅かな時でも構わない。
少しでも長く……共に過ごしたい。
そう願う女性と出会った。
『どんなに願っても、貴方は置いていかれるわよ?』
―― 言われなくても、判ってた……きっと、彼女は俺を置いて年老いて行く……
『置いて行かれる方も辛い……でも、置いて行かなければならない方も、辛いの』
―― そんなの、判っている……それでも、俺は……
『刹那の時間でも構わない。共に生きたい』
―― 彼女に生がある限り、俺は一緒に生きたいと思ったんだ
「思い……出した……ッ……」
自ら、両翼を捨てた。“地上人”として共に歩む道を選んだ。有していた強大な力は数珠と、そして大切な半身に託した。彼なりの、けじめだった。
本当に、偶然だったのだろうか?
半年前、神羅の手の者が緋岐を迎えに来た。
血臭が鼻をつく。
牢に繋がれていたのは、痩せ細った妹の姿。
その瞳は虚ろで、本当にそこにただ在るだけの“人形”。
—— そして……
その手に握られているガラスの破片は
左手首に深く
食い込んでいて……
思わず、視線を逸らした。
それほどに、直視できないほどの惨状だった。
神羅の次代宗主であった真耶が死んだ。
その代替品として緋岐が必要だったのだ。
そのことを正しく理解していた緋岐は、言われるがままに西方守護総代神羅一族宗主に受け継がれる継承武具“楼華来数珠”と契約を結んだ。
「まさか、その楼華来数珠が“鍵”だったなんて……」
独り言を零しながら、そっと楼華来数珠を構えれば、まるで空間が呼応するようにそれまで広がっていた常闇が嘘の様に晴れ渡り、目の前に微笑みを浮かべた青年が現れた。




