⑧
事態は一刻を争う……それほどまでに、紗貴は危険な状態だった。毒を身体に受けたことは、自分自身判っていた筈だ。それでも尚、宮毘羅に一矢報いる為に動き回った結果、毒の進行を早めたのだ。
それでなくても宮毘羅の毒素は人の体にとっては猛毒だ。唇は青紫色に染まり、脂汗が吹き出し、身体が痙攣を始めていた。
「姉ちゃん!姉ちゃんしっかりしろっ!」
由貴が懸命に叫ぶ。
「一緒に帰るって、約束したじゃんか!“信じろ”って……言ったじゃんか!」
「いき……なさいッ……」
由貴に応えて居る様で、だが紗貴の視線は定まっていない。
「姉ちゃんッ!」
「はや……く……」
「一緒に行くんだろ!」
紗貴の言葉を遮るように、由貴が語気を荒げて言い募る。
「どけ、由貴」
気が動転してしまっている由貴に、まるで冷水を掛けるような冷静な声が届く。誰も、一歩も動けない……短い間とはいえ、共に戦った仲間の死を目前にして、固まってしまったのだ。そんな中、翠琉の落ち着いた声音が響いた。
「そこをどけ。紗貴さんを助けたいのならば」
淡々と冷静に、だが揺るぎない意思を持って、翠琉が告げる。一体何をしようとしているのか皆目検討が付かない面々の中、唯一白銀だけが悟ったようだ。
「いけません翠琉!それだけはッ……人の前に“ソレ”を晒してはならないっ!」
「許せ、白銀。その禁を犯してでも、今は早急に行わねばならない……紗貴さんを、みすみす死なせる事は出来ない」
謝罪を口にしながらも、その言葉には一切の迷いはない。そこにあるのは、揺るぎない信念だった。
「護摩を焚く時間は……ましてやそれに匹敵する術式を施す猶予はない」
―― ならば、方法はこれしかない!
「我望まんは、一切の無。其が真なる姿顕彰せし刻望むは虚無。汝を澄みし面に映しださん !此処に顕現せよ!八咫鏡!」
詠唱に呼応するように、翠琉の破魔武具である“幻如来数珠”が鏡へと姿を変えたのだ。
「玄武との盟約の証を今此処に印さん」
言ってから、何の躊躇いもなく自身の手の甲を手頃な石で傷付けた。そのまま血を数滴鏡の上へと滴らせる。
『いいか、翠琉。四神は決して“傷付ける為”に在るのではない』
誰だろう?……懐かしい声が、耳にこだました。
「此処へ集いし玄武が眷属へ命ずる」
『正しく使えば、どのような死病も治す事が出来よう』
翠琉の呪に呼応するかの様に、辺り一帯の木々から平安時代を思わせる装束に身を包んだ老若男女が姿を現し翠琉の元へと集り、そして、次々と彼らは鏡へと吸い込まれて行く。
―― それでも……救えなかった“命”がある
脳裏を過るのは、追惜の彼方に居る父、真耶そして優しく儚い笑みを浮かべる母だ。
「彼岸と此岸を反転せよ。
冥道を刹那緘せよ。
此者を蝕え尽くす汚穢物を祓い清め気の流動を清規へ、恢復せよ」
言いながら、紗貴に向かって印を切った瞬間 ―― 鏡から目が眩む様な光の筋が放たれた。それはやがて一筋の光となり、翠琉の切った印に導かれる様に、紗貴へと向かう。
そして、周りを囲う様に円を描いたかと思った次の瞬間、紗貴を中心とした五芒星の魔法陣が顕れた。そのまま光の柱が立ち上る。
「神、魄、魂、意、志……扶正袪邪!!」
翠琉が、1つ1つ印を切る。それに応える様に、光の柱を更なる光が迸った。最後に印を結んだ瞬間、今度は風をも巻き起こさん勢いで光の柱が四方へと飛散し、一連の事象は幕を閉じたのだった。
―― 幕を閉じたと同時に……
「……ッ……わた……し……」
誰もが目を疑った。それもその筈、一度は死別を覚悟した少女が、何事もなかったかの様に上体を起こしたのだから。
「姉ちゃんっ!」
堪らず由貴が、紗貴の首筋に抱き付く。流石の紗貴も、今回ばかりは弟を無碍には扱えなかった。
「ごめん、心配掛けて」
言いながら、優しく背中を撫でてやる。そんな光景を横目に、蕎が珍しく感心した様に口を開いた。
「あないな蘇生術、見た事ないわ」
そう、翠琉が施したのは、治癒の上位術……蘇生だ。無論、一度息絶えた者を蘇らせられる様な代物ではない。あくまでも、瀕死の重傷を負った者に対して施せる術を指す。……が、その存在は広く知られてはいても、実際に行使出来る祓師が現存するなど前代未聞だ。
神、魄、魂、意、そして志とは、五臓の異称である。その五臓に扶正……自然治癒力や、抵抗力を司る正気をまずは助け。生命維持活動を自身の力で出来るよう補った後、破邪……紗貴を蝕んでいた毒素を内側より根こそぎ昇華したのだ。
「流石、姉様です!」
周は感動したのだろう、目を潤ませている。
「……私の力ではない。ここが、神剣を封じていられるような霊場であったこと……何より、随分と昔からこの地を守って来た“自然”の力を借りたからこそ成せた、荒療治だ」
翠琉の言葉が終わるか否か。突如、周囲の木々が色褪せていった。一見、枯れ果ててしまった様にしか見えない。
「なッ……これは……」
周が思わず声を詰まらせる。由貴、紗貴、そして蕎も目を見開いた。
「枯れた訳ではない。膨大な力を借りたからな……しばしの間、深い眠りにつくだけだ」
その言葉によくよく見てみれば、なるほど……確かに、枯れた様に見えるのは、翠琉の詠唱に応えるが如く、老若男女が浮き出て来た木々だ。
「ありがとう」
紗貴は辺りを見回して、命の恩人達にそっと礼を言って、頭を下げた。
「……すまない、白銀」
険しい顔のまま視線を彷徨わせている白銀に、翠琉が心底申し訳なさそうに謝る。
「約束を、違えてしまって……」
そんな主の姿に、白銀は苦笑を漏らした。
「翠琉、良いのですよ。結局、隠し通したいと願うのは、私のエゴなのですから」
そんな2人のやり取りを険しい表情で見つめていたのは、戒都その人だ。
―― 有り得ない……
そう、幾ら霊場に恵まれたからといって、あんな蘇生術が可能な祓師が居る訳がない。
―― 四神召喚だけでも、有り得ねえって
四神とは、四大元素の長として伝わる伝説上の召喚獣だ。少なくとも、戒都の知る祓師には、召喚出来る様な腕を持つ者はなかった。
しかもだ……翠琉が“自身の破魔武具だ”と言わんばかりに手にして見せたのは、これまた誰にも扱う事は不可能だと言わしめた破魔武具“八咫鏡”だ。
三種の神器として奉納されている物は、全てレプリカ……模造品だと言われている。三種の神器も、元を質せば“破魔武具だ”と言われている。真の使い手が現れるまで、然るべき場所にて封印されている……とか、真承武具ゆえに、使い手が転生するまで現れない……等、様々な憶測が飛び交う始末で。
実のところ、真実は闇の中なのだ。だがしかし……翠琉が先ほど手にした“八咫鏡”は、「本物だ」と五感が訴えて来る。
「いや、あれは“破魔武具”なんてものじゃない……“神器”そのものだ」
生唾をゴクリと飲み込んだ。
「お前は、一体……」
そんな戒都の視線を感じたのだろう。翠琉が戒都へと振り返った。
「すまないな……戒都殿……私には、幼い頃の記憶がない。だから……私自身、私が何者なのか、判らない」
それ以上は、聞いてはならない気がした。苦笑を浮かべて戒都は翠琉の頭を軽く撫でる。
「気にしなさんな。俺が今気になるのは、お前さんの事よりも何より……」
言葉の先に居たのは……何故か、敵襲に合った時よりも無残な状態と成り果てた由貴の姿だった。
※※※※※




