⑤
―― 何か、ちょっと失礼な事言ってない?あのバカ
自分がどこに居るのか、判らない。ラジオを聴いている様な感覚だ。弟が、大変失礼な事を言っているのが判る。
―― 戻ったら、倍返し決定ね
心にそう固く誓う。
“嫁の貰い手がなくなる”だの“もう少し、おしとやかにした方がいい”だの“PTAを弁えろ”だの、余計なお世話だ。しかもだ。PTAを弁えるとは、どういう事だろう。
それを言うなら、“TPO”だろうが。渾身のツッコミを入れてやりたいのに、それが適わない状態がどうにももどかしい。
『おい、しっかりしろ』
誰かの……懐かしい声がする。
『こんなところで終わってイイのか?』
良い訳ない、約束した。“必ず戻る”って……その約束を果たせないまま、終わりたくない。でも……負けてしまった。宮毘羅の術に嵌ってしまった。
―― そうだ……身体の自由のみならず、私は精神を……魂を壊された……
……ん?あれ……?おかしい。
それなら、何で今私は色んな感情を抱いているの?
『目を、覚ませ』
私を呼ぶのは、誰……?
懐かし香りが私を包んでいることに、今更ながらに気付く。
『ホント、危なっかしいな』
気配で、笑われたのが判った。
その、懐かしい香りに、温もりに……気配に……私はある考えに至って、キュッと胸を締め付けられた。
『もう、大丈夫だ』
また、守ってくれたんだね。
『当たり前だ。約束しただろう?“お前達は、俺が必ず守ってやる”って』
それは、かつて彼が私達に……私と、緋岐くんに言った約束だ。
―― ありがとう
そう言ったら、彼が笑った。
『礼は良いから、早く行けよ。……んで、フザケた野郎を、ぶん殴って来い』
―― そうだね……
意識が浮上するのが判る。それに伴って、身体の節々に走る痛み。特に、左肩が焼ける様に痛い。その痛みが、私に“生きている事”を実感させてくれる。
自分の手は汚さないで、人の尊厳を脅かす、最低野郎を、高い物見席から引きずり下ろして……
「ぶん殴ってやらないと、気がすまないわ」
そうして私は、私の意思で振り返った。
※※※※※
―― おかえり
そんな、おざなりな言葉は必要ないと、由貴自身が一番判っている。
「あ、ちょっとアンタ便利そうなの付けてるじゃない……ちょっと貸して」
言いながら、由貴の腕に巻き付けられていた紐を半ば強奪すると、負傷した左肩に少しきつく巻き付けて、止血を施した。
「……ほら、反撃するわよ?」
「おうっ!」
紗貴の言葉に破顔一笑。元気に応える由貴に紗貴は思わず、フッと笑む。だが、返って来た言葉は、由貴の予想を斜め横を行くものだった。
「アンタが言いたい放題言ってくれた事も、ちゃんと覚えてるから。後で覚えといてね?」
ニッコリと満面笑顔で言う紗貴に、身に覚えのある由貴は顔を青に染めて、引き攣った笑いを浮かべたまま「おう」と応える。その言葉に覇気は全く感じられない。
由貴の隣に立つ見知らぬ青年に、紗貴は首を傾げる。
「えっと……あなたは……」
「自己紹介は後にしようか。まずは、こいつをぶっ飛ばすッ!」
戒都の言葉に導かれるように、紗貴は宮毘羅に視線を向け、そして一瞬言葉を失った。
「え?何で?」
切り落した筈の腕がないのだ。それどころか、相対する宮毘羅には傷など一切ない。無論、腕も両方しっかりと付いている。
「言うた筈ぞ?我は十二神将の名を冠する者だと」
―― 矮小な主らの攻撃など効かぬわ……
だが、そんな安っぽい挑発に乗るほど、単純でも……
「なんだと!?てめえッ!」
戒都が憤るのに合わせて、由貴も思いっきり顔をしかめて睨み付ける。
「ワイショウなんて言葉の意味は判んないけど、馬鹿にされたのは判ったぞ!」
しかも、何とも情けない事を言っている。……訂正しよう。しっかりと相手の挑発に乗る単純馬鹿が2名、ここに居た。
「はい、落ち着いてね?相手の挑発に乗らないでね?……自分で、自分の腕を操っているって訳ね?」
しっかりちゃっかり相手の挑発に乗っかったお馬鹿に釘を刺しつつ、紗貴が宮毘羅に言い放った。
「だから?それで何が出来るっていうの?……不死身な訳でもないでしょうに……」
逆に小馬鹿にした様な紗貴の言葉に、宮毘羅の顔が怒りに染まっていく。
「小物の分際でッ……傀儡として使うてやろうと考えておったが、もう良い……ここで死ね」
「2回も同じ相手に遅れを取るほど、まだ腑抜けちゃいないわよ」
言いながら、腰を落とす。それに倣うように、由貴と戒都も腰を落とした。
「よかろう。ならば、相手をしてやろうぞッ!」
その言葉と共に、宮毘羅が消えた。
「なっ!?」
神経を研ぎ澄ませたまま、当たりを見回す。
―― 姿形は視界から消せても、気配まで完全に消す事は出来ないはずッ!
否、消せたとしても攻撃を繰り出す瞬間まで、気配を消す事は出来ない。そう踏んでいたのだが。
目の前に現れたのは、何十体もの宮毘羅だった。
「さあ、どれが我か……主らに判るか?」
「うわ、キモッ!」
口を揃えて、一言一句違わずに一斉にしゃべる宮毘羅に、間髪入れずに由貴が素直な感想を述べる。これは、由貴ではなくとも気持ち悪いだろう。現に、紗貴と戒都も嫌悪感を隠そうともせずに顔をしかめている。
「どれが本体か判らないなら……全部叩き切るッ!」
言ってからまず先陣切って駆け出したのは紗貴だ。しかし、どうやら言葉だけではないらしい。無数の宮毘羅は、ひらりと紗貴の繰り出した一閃を交わしながら、逆にカウンター攻撃を仕掛けてくる。
「姉ちゃんッ!」
防ぎきれないと舌打ちをしたその瞬間、絶妙なタイミングで由貴が紗貴を狙う宮毘羅の攻撃を防いだ。その隙を逃すものかと、戒都が矢で仕留めた瞬間 ――
「!?由貴伏せて!」
言いながら、地面にめり込む勢いで弟の頭を押さえつけ、自身も上体を屈める。
「フガッ!?」
そんな蛙がひしゃげるような呻き声と、容赦ない爆音とが重なった。何と、戒都が射抜いた宮毘羅が爆発したのだ。
「残念だったのう」
「それは、我ではないぞ?」
「我の爆風を喰ろうたな」
「じわりじわりと、身体の奥より毒される感覚に」
「我の前では無力な己に」
「打ちひしがれるが良い」
それは、ただの宮毘羅の分身ではなかった。どうやら、人形のようだ。しかも爆発する際には神経麻痺の毒素を撒き散らすと言う厄介な代物で。紗貴の咄嗟の機転でその爆風を何とかやり過ごした由貴も、めり込んだ地面から何とか頭を起こす。
「卑怯だぞ!」
「心外だのう。戦略と、言ってもらおうか?」
これでは迂闊に攻撃を加える事もままならない。下手に攻撃をして誘爆すれば、辺りが毒素で満ちていく。そうすれば、全員身体の自由を奪われてしまうだろう。その時点で、勝敗は喫す。
「くそっ……どうしたら……」
由貴が拳を握り締める。そんな弟を見て紗貴は溜息を付いた。
「……その前に、アンタは鼻血を拭きなさい」
……そう、先ほど地面にめり込んだ際、鼻血を出してしまったのだった。
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