⑧
初夏というには、まだ少し肌寒さを残していた。無数の小花で一を成す花が美しく雨と唄う……そんな季節だった。
―― 16年前の6月21日……
その惨劇は起こった。
「ちょうど、妃咲が産気づいた時だった」
目を瞑れば、今でも鮮明に思い出す事が出来る。否、戒都にとって、それは未だ“思い出”と呼ぶには程遠い未昇華の“後悔”だ。
「由隆が、一番に気付いた……元々、俺ら覇神一族に課せられた使命ってヤツが、“神剣天定”を守ることなんだけどな……その封印に異変があったんだ」
すぐさま、由隆と戒都は祠へと向かった。
「まさか……と、思ったさ。信じられなかった」
―― まさか……
まさか、古より語り継がれていた“因縁”が自分達の世代で交わるとは……
否、それは起こるべくして起きた、“必然”だった。新しく生を受け、今まさに産声を上げようとしている赤子こそが、命運を握る“終焉を穿つ者”だと、既に告げられていたのだから。
それでも、現実に起こるまでは俄か信じがたい事だった。彼の者の誕生に呼応するかの様に、闇が目覚めたのだ。
「一人は、“梵天”と名乗っていた。もう一人は“羅刹天”だと。“梵天”だと名乗った方に、実体はなかった」
身体を持たないその思念体は、だがしかし、圧倒的な力で由隆と戒都の前に立ちはだかった。
『我の刀ぞ。返してもらおうか』
それでも、渡す訳にはいかなかった。
『はっ、誰が渡すかよ……テメー等はここでしまいにしてやらあ!』
「“極咒殺法”を行使してな、由隆はアイツ等を弾き飛ばしてやったってワケだ。ついでに、この万象の気の溢れる龍穴まで飛んできて、結界を張ってやった。奴らが入ってこれないように。俺は、アイツ等と一緒に居た子分共を封じた」
―― その封印も解かれてしまったようだが……
その言葉は、辛うじて飲み込んだ。封印を施した本人にしか知り得ない事だ。もしかしたら、気のせいかもしれない。
―― そう……あの封印が破られるなんて、早々ある筈がない
十二神将……神の名を語る彼らは、なるほど確かにその名に恥じぬ力を以て、覇神の地を蹂躙し尽くした。倒す事なぞ、到底無理だった。その命を賭した術を以てしても、封じるだけで精一杯だったのだ。戒都の言葉に蕎は違和感を覚え、顔をしかめる。
「戒都はん、それはおかしいで。なして“極咒殺法”を使って、生きてはるんや?」
それは、蕎のみならず、翠琉や周も違和感を覚えたところだったらしく、神妙な面持ちをしていた。
「いや、その前に……ごく……ごくじゅ?」
聞き慣れない単語に、由貴は思わず首を傾げる。
「“極咒殺法”だ。……いわば、一撃必殺だな」
破魔の血を引く者ならば、一度だけ行使する事が許された絶大な力を持つ術だ。何人たりとも、“極咒殺法”を破る事は出来ない。
「ちょっと待て、“一回だけ”って……まさか……」
頬を引き攣らせながら、言葉を失った由貴に頷きながら、翠琉は続ける。
「“極咒殺法”は、術者の命と引き換えに発動する」
「じゃあ、何で……戒都さんは……?」
「さて、俺は何歳に見える?」
由貴の質問に、戒都は悪戯気な笑みを浮かべて、問い返す。その問いに、しばし頭を悩ませてから、由貴は自信なさ気に口を開いた。
「……20歳前半?いや、案外俺と同い年くらい?」
その答えに、戒都は満足したように笑う。
「だろう?実際は41歳だ」
「へえ……って、え!?41歳!?」
これまた、予想通りの反応だったのだろう。戒都は笑を深めた。逆に、珍しく蕎が顔をしかめた。
「身体ん時間を、止めはったな?どうやって?禁術やいう前に、そないな術使えるヤツ、今はおらへん筈や」
「少年。お前さん、京御三家の者だな?」
京都弁から予想したのだろうか、疑問系にはなっているものの、それは確認に近い響きを帯びている。そんな戒都の言葉に、蕎は頷く事で答えた。戒都はそれを受けて、質問を重ねる。
「それなら、存在くらいは聞いた事あるんじゃねえ?」
―― 歴史の傍観者……
「あれは、ただの噂や。実在するわけがあらへん」
真っ向から否定する蕎を見て、戒都は「だろうな」と一人納得した。
「俺達だって、実際に会うまで本当に“居る”なんて思ってなかったさ」
それは破魔一族に伝わる、伝説だ。有事の際、一族を導かんと歴史の傍観者と自らを呼ぶ“黒い法師”が現れるという、根も葉もない伝承。
その“黒い法師”は、普通ならば知り得ない“未来”を宣託する。進むべき道を示し、或いは忘れ去られていた古の知識を説いた。
『ほう?“極咒殺法”を使ってまで、一族に課せられた“使命”を果たすとは……見上げた根性だ』
気のない拍手を送りながら、その“伝承”は突如として現れた。
『“極咒殺法”により、確かにこの結界は強固なモノとなり、何人たりとも近付けないようになった。神剣の在り処を、外から探すことは不可能だろう』
―― でもね……
『それでは困る。いずれ、神剣は在るべき場所へと還らねばならない』
―― しかし、この結界では、誰も立ち入る事は出来ない
『まさに、絶対防御……ここは、不可侵でいて不可視の聖域となってしまった。今、ここに自由に出入り出来るのは、私ぐらいのものだろうさ』
「それじゃあ、困るんだって、言いやがった」
『君には生きてもらうよ?“鍵”となって、やがて来る“覇神一族”最後の当主一行を迎え入れる役を担ってもらうとしよう』
「そして、俺は仮初の命を手に入れた。神剣は……梵天を完全に浄化することはできなかったが、半分封じることは出来た。……が、情けねえ事に、神剣の鞘を奪われちまってな。剣に封を施す為に……そして、梵天の力を封じる為に、由隆が鞘になった」
―― 鞘となり、今も尚、神剣をその身に梵天の御力を封じている
その、梵天に対抗しうる力を持つ者こそ、“終止を穿つ者”だとされていた。
つまり……それは、由貴以外の何者でもなく。
「封印を、由貴……お前に解いてもらう日を、待ってるんだ」
「……父さん、が……?」
そう、ポツリと呟いた由貴に、優しく頷いた。
「ああ、そうだ。……由貴、これだけは判ってくれ。由隆も、妃咲も……俺だって、お前が生まれてくるのを楽しみにしてたんだ」
妃咲も、必死だった。
「妃咲もな、守りたかったんだ。“彼”が、教えてくれた……妃咲の最期だ」
屋敷に悲鳴と怒号が響き渡る。火の手があちらこちらから上がっていた。
『可愛い、私の坊や……ごめんなさいね……』
母親の気持ちが……今からしようとしている事が判っているかのように、母親の腕の中で、赤子は声を上げて泣いていた。
『もう、あなたを抱き締めて上げることも、名を呼ぶことすら出来ない。怒る事も、頭を撫でてあげることすらも出来ないなんて……』
―― 隠しても無駄だ!
声を荒げながら、略奪者達が壊していく。
『さようなら、愛しい、愛しい私の坊や……』
言うなり、妃咲は詠唱を始めた。命と引き換えに、大事な大事な愛し子を守る為に。
「妃咲は、お前を守りたかった。“母親”で居たかったんだ。“お前の為”に死んだんじゃない。親の身勝手さ。守りたかったんだよ」
―― だから、どうか……
「俺たちの“死”を“自分のせいだ”って、苦しまないで欲しい」
言ってから、泣きそうになっている由貴を見て、思わず苦笑を漏らした。優しく……愛おしむようにそっと由貴の頭を撫でる。
―― その時だった……
『誰か……誰か、生きてはる人は……』
それは、過去の映像だった。由貴に施された封印の視せる、戒都の知り得ない“あの日”の出来事だった。




