②
「あらら、またほんの少し強かったようね!」
紗貴が悪びれた様子もなく、胸を張って言う。そんな紗貴に、蘭子はふっと息を吐くと腕組みをしてしれっと返す。
「いいんじゃないか?静かになったしな」
そんなやり取りを聞きながら、周は翠琉の身を案じるように口を開いた。
「姉様、もうお身体の方は大丈夫なんですか?」
周の声がする方へと翠琉は振り返ると、僅かに笑んで「ああ」と頷く。
「心配をかけてしまって、すまないな」
―― 昨夜……兄様の気配を感じた気がしたのだが……
翠琉は、己に宛がわれた部屋で目を覚まして、思わず首を傾げた。先ほどまで、とても懐かしい温もりに包まれていた気がしたのに、既にその気配はなくて。白銀に訊ねても頑ななまでに応えは返してはくれなくて。夢だったのではないかと思う。
―― 私を恨んでいる筈の兄様が……まさか、そんな事あるわけがない
そう言い聞かせる反面、夢現で交わした会話はやけに鮮明に脳裏に焼き付いている。
「そういえば、緋岐兄様にお会いになれましたか?」
周の言葉に、翠琉は思わず目を見開いた。白銀が顔をしかめる。
「……え?もっ……もしかして、言ってはまずい事でしたか?」
「否。そうではないのだが……黙っていて欲しいと、頼まれたのでな」
恐縮してしまった周に、白銀が苦笑を漏らした。
―― 勝手な事、言ってるのは判ってる
旅立つ前、緋岐は白銀に少し言いにくそうに、一つだけ頼みごとをした。
『翠琉には、自分でちゃんと話したい。向き合いたいんだ。だから……』
「黙っていて欲しいと。“翠琉を守れる力を手に入れて、兄として恥ずかしくない自分になれるまで”そう言われたので、黙っていたのです。すみません、翠琉……」
白銀の言葉を、半ば呆然と翠琉は聞いていた。
―― 信じられない……
そんな翠琉の心情を察知したかのように、紗貴が翠琉の肩を軽く叩く。
「ずっとね、後悔してたの。ずっと気にかけてたのよ、翠琉ちゃんのこと。だから……」
―― 許してやって?
そんな紗貴の言葉に、苦笑交じりの溜息を吐きながら蘭子が一言付け加える。
「どうしようもない、ヘタレだがな」
そんな二人の言葉に、翠琉は呆然と首を緩く横に振る。
「そんなっ……許すも何もっ……私が、兄様から……全て」
「はい、ストップ!」
言い募る翠琉の口を、紗貴は手で塞ぐ。
「もう、本当にどうしようもないくらい不器用ね」
思わず苦笑がこぼれる。
「はじめたいんだって、翠琉ちゃんと。一から。その為に、頑張るんだって……謝るくらいなら、受け容れてあげて?」
紗貴の言葉に、翠琉は動揺を隠し切れずに視線をさ迷わせる。だが、光のないその瞳に映るのは、どこまでも深い闇でしかない。
「まあ、いい。とりあえず私は一旦戻る。あっちのフォローを天海だけに任せるわけにはいかんだろう?」
その場の空気を換えるように、蘭子が言う。
「今回の戦い、私が行ったところで何の役にも立たないしな」
そう言ってから、未だ気を失ったままの由貴の元へと歩み寄って。
「何時まで寝てるつもりだ。起きろ」
容赦なく蹴飛ばした。
※※※※※
のおおぉぉぉ……
「いっ、痛いってば」
「いいか、この馬鹿。守衣さえ着ていれば、そういう無駄な怪我もせずに済むんだ」
いや、この怪我は服がどうこう以前の問題で、姉ちゃん達のせいっていうか……
「あ?何か言ったか?」
うわああっ!襟元鷲掴みして、どすの利いた声でそう言ってくる蘭姉ちゃんは、ガラの悪いチンピラそのものだ。
「怖いって!」
「おい由貴。今から行く神路山は、お前にとっちゃ試練の場所だ。しっかりと受け止めろ」
―― 負けるんじゃないぞ?
いきなり、真面目な顔になってそう言う蘭姉ちゃんに「いきなりなんだよ」とか言えなくて。
「うっ……うん」
そう頷く事しか出来なかった。そんな俺の返事に満足したのか、笑うといつもの蘭姉ちゃんに戻った。
「じゃあ、私は帰るかな」
そう言うと、姉ちゃん達の方を振り返る。
「ちゃんと帰って来いよ?待ってるからな」
「もちろん。ちゃんと“おかえり”って出迎えてよ?」
姉ちゃんの言葉に、門に向かって歩き出しながら蘭姉ちゃんは片手を挙げて応えた。そして、門をくぐった瞬間、蘭姉ちゃんの姿は消えてしまった。どうやら、あのでっかい作りの門が、どこでも●アよろしくウチと繋がってるみたいだ。
「さて、ほしたら、道を繋ぎ直しとくさかい、由貴は着替えてきいや」
せっかく忘れてたのにっ!綺麗に忘れてたのに!
「由貴?ちゃ~んと、着替えてくるわよね?」
ああ、どうしよう……満面の笑みの姉ちゃんの後ろに、鬼の幻が見える。
「ハイ」
俺は頷く事しか出来なかった。
渡された守衣はどことやら袴っぽい。上衣は何枚か重ねて着る様になってるんだけど、袖はなくて、その代わり長めの手袋っぽいのを紐で腕にグルグルと巻きつけるようになってた。後は、足袋に草履を履いたら完了!
うん、良かった。思ってたよりも普通だ。でも、何となくこの姿で出るのは気恥ずかしい……何て考え、すぐにぶっ飛んだ。
俺達は甘かったんだ。敵さんが黙って待っていてくれる……そんなご都合主義は、まかり通らない。それが、現実。
―― ドオオォォォン!
部屋の外から響いたその轟音に、俺は部屋から飛び出していた。
※※※※※
「追っ手ッ!?」
周が己の武具である覇世神杖を構えながら思わず呟く。
「ここを、探り当てられたか……」
翠琉の言葉に呼応するかのように、神剣崇月が右手に現れる。そんな翠琉を背後に庇うようにして白銀が人型へなった。
「全く……“会いに来てね”なんて、熱烈なお誘い文句くれたのは、そっちじゃなかったの?せっかちさんは嫌われるわよ?」
冗談交じりな言葉とは裏腹に、紗貴からは迸る闘気があふれ出る。その手には既に絶風爪が装着されていた。
―― パンッ!
目には見えない強固な障壁が弾け飛んだ。その瞬間、辺りを不気味な緊張が包み込む。宙に佇んでいたのは、一人の青年らしき出で立ちをした男だった。
「こんなところに隠れておったとはなあ」
可笑しそうに男は呟く。正面から見れば、ただのおかっぱ頭なのだが、尾の様に後ろで結わえられた髪が風に遊ばれて揺れている。
「ちょっと、約束が違うんじゃないの?」
思わず逃げたくなる。
そんな心境だった。
それほどまでに、力の差は歴然としていた。そんな弱音を隠すように、紗貴は男を睨み付ける。
「約束?それは、我らとは関係なき事じゃ。あれは、奴らが勝手にしたこと……」
鼻で笑いながら男は階段を降りるような足取りで地に足を付けた。
「お前、一体何者だ。……地上の者ではないな?」
翠琉が目を細めて相手の気を探るように、問い掛ける。
「我は、梵天様を守護せし十二神将が一人、宮毘羅
―― 我が忠誠を誓うは、主上ただ御一人だけよ」
無防備に、ただそこに立っているだけ。それだけの男 ―― 宮毘羅に対して沸き起こるのは、純粋な恐怖だ。しかしここで引く訳にはいかない。
「そこな女を差し出せば、命までは取らぬ」
そういって視線が向かう先にいるのは翠琉その人だ。
「翠琉姉様に、指一本触れさせてなるものですかッ」
周が、自身へ叱咤する様に声を上げた。
「愚かしい抵抗は止めよ。無駄死にするだけ。歯向かわねば、命までは奪わぬ」
―― ただし……
「我が主上の剣を持ちし、そこな女は別だがな」
ニヤリと、陰惨な笑みが翠琉に向けられる。
「させはせぬっ!」
白銀が翠琉を守るように仁王立ちで前へと進み出た瞬間……
「隙ありっ!」
「何っ!?」
宮毘羅にとっても、思わぬ方向からの攻撃だったのだろう。その背後からの不意打ちを横飛びに交わしながらも、驚いたようにこの奇襲の首謀者を睨み付けた。
これが、戦闘開始の合図だった。どこから共なく出現した無数の醜が、襲い掛かって来たのだった。
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