①
午前7時45分。
「……よし!」
将は、玄関先で気合を入れ直すとアパートの鍵をしっかり閉めたことを確認してから、空を見上げた。何も変わらない日常がまた始まった。
……否、はじまったように見せなければならない。それが、将に与えられた役割なのだから。
「行こうか?」
「はい、マスタ―……あっ……」
“鴻儒緋岐”を象るソレが、あからさまに「しまった」という顔をしてから将を見る。
「ここではまだいいけど……気をつけようね?」
将が苦笑しながら言うのに、「はい」と素直に返事を返す“緋岐”に、思わぬ方向から声が掛かった。
「甘い!ヘタレはもっと人相は悪く、態度も横柄で最悪だっ!!それじゃあ、ただの良い人だろうが!」
何故かメガホンを構えて片手を腰に添え、監督よろしくカチンコまで持参している。
「蘭子さん!?何でここに……」
そう、蘭子は確かに彼らと共に旅立った筈だ。驚きを隠せない将に、蘭子はさも当然だと言わんばかりに息を一つ吐いた。
「天海だけに、こっちを任せとけるか。こっちの生活をサポートするのも、私たちの大切な仕事だ」
―― それに……
「今回の戦い。同行したところで、足手まといになるのは目に見えてるからな」
言いながら、死闘を繰り広げているであろう友人達を思うように、遠くへと視線を馳せる。将もそんな蘭子の視線を追って、遠くを眺めやる。
「きっと、大丈夫だよ。信じて待とう」
将の言葉に、蘭子は無言で頷いた。
――どうか、無事で……
願いは、唯一つだ。
※※※※※
―― 時遡ること、約二時間……
爽やかなぁ~な朝……
運命の扉は今、開く ―― に、
「俺は、ホントにノーサンキュー何だってばあぁぁぁ!!!」
「うっさい!つべこべ言わずに、大人しく着ろっつってんでしょうがっ!!」
―― ガコンッ!!
響く、俺の殴られる音。
「お前は、本当に往生際が悪いな、おい。さっさとしろや、こら」
ドタバタドタバタドタバタドタバ(以下略)
まだ、時計は6時をちょっと過ぎた感じだ。
いつもなら煩くなる目覚ましを止めて、さあラジオ体操でもしようか!!という時間帯に俺は。
「時代鎖国にもほどがあるんだよ!」
姉ちゃんと……
「アホかあ!ソレを言うなら、時代錯誤でしょうがあ!」
プラス、蘭姉ちゃんと
「来ないでいいってば!俺は、GパンにTシャツで行くって!!」
「いい加減、諦めて……」
「とっとと着やがれ、この馬鹿チビがあ!!」
今日の服装について、争っていた……っていうか、俺は逃げていた。
「チッ……仕方ないか」
「手加減してやれよ?」
「大丈夫でしょ。馬鹿は早々死なないって、相場で決まってるし?」
何だ?姉ちゃん’sは一体何をヒソヒソ話してるんだ?……って、アレレ??追いかけてこない?
「って、ちょっと待ってえぇぇぇ!!!」
俺、ピィーンチ!ひいぃぃいいぃいぃいいぃぃ!?後ろ、壁なんですけど!?逃げ場ないんですけど!!?姉ちゃん……いえ、お姉サマ……そのファイティングポーズは一体……しかも、何ちゃっかり絶風爪を装着しちゃってるんだよ!
「瑞智一統流 ――……」
「ちょっ……だからっ……」
「破荒斬拳!!(ほんのミジンコほど手加減ヴァージョン♪)」
――ドオォォォン!!!
「ぎゃあぁぁぁ!!」
「あれ?ほんの小麦粉一握り、例えるなら米粒一つ分くらい強過ぎたよーね!」
いっ……痛い。痛すぎるっ!壁突き破っちゃったよ!一瞬、本気でお花畑が見えたぞ?
「全く、数時間前に言った言葉をもう忘れたのか、この単細胞め!怪我をしても、安易に治してもらえると思うんじゃない!」
ああ……頭がフラフラする。蘭姉ちゃんが怒ってるのが判るんだけど、でもね?俺、悪くなくねえ?俺、自分が可哀想に思えてきたぞ。何か言い返したいんだけど、頭がフラフラして立つのが精一杯……ってことで、目で訴えてやる!
「何、一人で変顔大会やってるの?」
「家屋を壊してはならぬのではないか?」
えっと……怪我してフラフラしてる俺見て第一声がそれですか?周サンに白銀サンや。
更に目で訴えてみる。
「……ゾンビの物まね?」
周に、とっても不思議そうにそう訊かれてしまった。
「そうなのよ。もうねえ、ここまで来るとホント、馬鹿の中の馬鹿よねえ~」
姉ちゃんっ!酷すぎる!もういいよ、俺はグレてやる!いじけて、隅っこでのの字を書いてやるっ!!
「何をしているんだ?」
……って……この声は……
「翠琉!?」
って、こんな笑い方したっけ?っていうか、こんなに表情明るかったっけ?
「おはよう、由貴。どうかしたのか?」
うっ……ななな……何か、めっちゃ優しい笑顔付きで言われると、何っつーか。照れるよなぁ……顔、まともに見れないんですけど。
「いや、その……えっと……」
口ごもる俺に代わって答えたのは、何と蘭姉ちゃんだった。
「ガキみたいに、駄々こねてんだよ。服着たくないってな」
のおおぉぉぉ!!大きな声で言われたら、何だかすっごく恥ずかしいんですけど!?
「ああ、守衣がいやなのか」
一瞬目を見開いてから、クスリと笑う。それが、また何とも可愛い。しかも、近寄ってきたと思ったら、俺の顔に付いた血を拭きながら優しく言う。何かもう別人みたいだ。
「あの服は、“守衣”と言ってな。鋼鉄よりも頑強な守りを誇る。しかしその軽さは絹の如しと謳われているんだ。着るだけで、ダメージを軽減出来る。私はお前に不用意な傷を負って欲しくないのだ。着てはくれまいか?」
うん、昨夜聞かされたから知ってはいるんだけど。すごいな、おい。聞けば聞くほどミラクルだ。一体全体、どんな布で作ったら、そんなファンタジーな服が作れるんだ?……いや、人が飛んだり、ワープしたりするんだ。この際、もう何が起こったって不思議じゃないっ!
「……由貴、着てはくれぬのか?」
だんまりしてしまった俺に痺れを切らしたんだろう。翠琉が再度、目をウルウルと潤ませて訊いて来る。いやいや、これは反則だろう!?
「ああいいさ!ちょっとコスプレチックで、すげえ抵抗あるのはあるけど!着てやるさ!!はぁ―っはっはっはっはっ!!!!」
哄笑と共に、無意味にポーズを決めてみたりして。
「何アレ」
「周ちゃん、聞かないでやって?多分、あれは照れ隠しだから。馬鹿な弟なりの」
外野が何だかうるさいけれど!
今の俺には関係ない――……
「……うるさい。何を揉めている?」
「って、えええええ!!!!????」
ちょっと、何のマジックだ!?前言撤回してもいいかな!?何が起こっても驚かない的な事言ったけどさ!
驚いてもいいかな!?
だって、翠琉が2人になったよ!?
「まさかのゴスペルシンガー!?」
「はいはい、何でそういう変な単語になるんだか判らないけど。“ドッペルゲンガー”だからね?何を歌い出す気よ、この音痴」
姉ちゃんがちょっと酷い、お約束なツッコミを入れてるのが判るけど、今の俺はそれどころじゃない!
だって、だって、翠琉が二人ッ……そんな俺の動揺を気配で感じ取ったのか、翠琉が深い溜息を吐くとくるりと後ろを振り返った。
「京御三家の札使いか。いい加減、出て来たらどうだ?」
うん。時々忘れそうになるんだけど、本当に翠琉って目が見えてないのかな?
見えてない分、気配に敏感なのかな?翠琉の言葉に応える様に、ついさっきまで何も居なかった筈の場所に蕎が浮き出てきた。そして、さっきまで居た優しい翠琉が消えてしまった。消えた後には、ひらひらと一枚のお札が宙を舞ってたりして。もう、俺は唖然呆然だよ。
っていうか……
「蕎の仕業かよ!?」
俺の叫びに、ふっと浅く笑って応える。
……こっ……こいつっ!!
「いつから居たんだよ!?」
「最初から」
「お前、先祖が忍者とか聞いてないぞっ!」
「それは、俺も初耳やわ」
ぬぬぬっ……いつもよりも黒く見えるのは、きっと着ている守衣のせいだけじゃないっ!滲み出るオーラが黒いっ!
「っていうか……相模さんは、京の高野山のお坊さんだって昨夜言ってたじゃない。アンタ、本当に馬鹿ね?」
何だろう?年下の女の子に喰らう攻撃ってさ、結構キツイよね。しかもだ、攻撃はこれだけじゃ終わらなかった。まさかの連続切りだ。
「因みに、隠れたんは札術や。さっきの翠琉の幻も札や。対象の願望を具現化する術やで」
「うわっ、ゆきりんこ最低っ!あんた、あんな事を翠琉ちゃんにされたいとか思ってたわけ!?お姉ちゃん悲しいわ」
「まさかのムッツリだったとはな。お前、馬鹿だけでもどうしようもないのに、ムッツリ助平とか、もう本当に救い様がないな」
姉ちゃん’sのダブル攻撃だけでも、俺のピュアハートはズタボロなのにさ、周と白銀が止めを刺してくる。
「いかがわしい目で見ていたとは……なんてはしたない」
「サイッテー!ちょっともう馬鹿菌移るから、近寄らないで!」
何でかな。もう、泣いてもいいかな?いいよね?
―― っていうか……
「お前らの血は、緑色なんだぁっ!だからそんな冷血な事が平気で言えるんだあ!」
「な~んて言いながら ――……」
え?……うそ!?
「ちょっ、姉ちゃん?」
「走り去らないの」
そっ……そんなっ……満面の笑みで、技かますなんてっ……ゲフッ……
俺は、そのまま気を失ってしまったのだった。
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