力求む
朝もまだ明けない、早朝と呼ぶにはまだ早い時分。緋岐は、一足先にここを発とうとしていた。
遡ること、数時間前。まだ月が空高く昇っていた頃合、白銀は緋岐に問うた。
『力が手に入ると言ったら、どうする?』
その問いに対する応えは、考えるまでも無くて。決意を顕に深く頷けば、白銀は徐に口を開いた。
『何故、神羅一族の当主たる証に数珠が渡されるか‥‥その真意を知っているか?』
それは緋岐にしてみれば、突拍子もない質問だった。
『いや。そもそも、何か理由があるのか?』
その純粋な問いに、白銀はしばし逡巡した後、重い口を開いたのだった。
『お前達の祖先は、元々地上の者ではない。“高位次元”と呼ばれる、この世界とは別空間に存在する“セカイ”の者達が、地上に降り立った。それが起源だ』
―― そう、それは人々が“神”と崇拝する対象になっている者達を指す。何故なら……
『“高位次元”の事を、“天上界”と呼ぶ。そして、天上界に住む者たちを“天上人”と呼ぶ』
―― 彼らは空を舞う羽を持ち、超常の力を行使するのだ
余りの言葉に緋岐は返す言葉を失い、ただ黙って話を聞くしかない。
『彼らは、地上に生きる人では到底考えられぬ永い時を生きる。力もある。だからこそ、“天上人”と“地上人”の交わりは禁じられていた』
―― それでも“想い”に蓋をする事は叶わなかった。彼らは出会ってしまった
『そうして、隠れるように地上で生活を始めた者達が居た。しかし“天上人”の力は余りに強大だったゆえに、抑止する必要があった』
――力を抑止する為に、自らの翼を捨てた
それだけでは不十分だった為、武器形状を“数珠”へと変えた。
『それが、まだ“破魔”の名を語る以前の……“破魔一族”の起源となった“里”の長だった男の武器だ』
もう誰の記憶にも残されてはいない“里”の証。それが、代々受け継がれる“数珠”の語りし“破魔”の裏歴史なのだ。
―― その男こそ、“破魔一族”の始祖と謳われる“珠美姫”の父親
『恐らくお前の御魂だ』
『……俺の……?』
訝しげにそう繰り返す緋岐に、白銀は一つ頷いた。
『居たのではないか?半身が』
白銀の言葉に、思わず目を見開いた。
今はもう話すことすら叶わない、かけがえのない半身。
確かに存在していたのに、その証はとてもあやふやで。
緋岐の反応に、白銀は確信を得た様に言葉を続ける。
『里の長だった男の武器は、その男の魂を分け与えられた……意思を持つ武器だったという』
―― 人型にもなれたといわれるその武器は、主と瓜二つだった
『魂の抜け殻となった武器本体……それが封ぜられている場所を、私が知っていると言ったら……どうする?』
その武器は、破魔武具に非ず。
地上のものに非ず。
天の御原にて鍛えられし、最強武具。
―― その名は……
※※※※※
無論、その力を手にするということは、それ相応の代価が必要だという事は判っていた。それでも構わないと思った。
―― 守る力が手に入るなら。
忌部と対峙したとき思い知らされたのは、力の差。
更に圧倒されたのは、妹の力。
その覚悟を目の当たりにしたとき、悟った。
―― 今の俺じゃ、何も守れない
そう、自分自身すら守れないだろう事は明らかで。
己れすら守れない者に、どうして他を守ることが出来ようか?
無力を嘆く事は簡単だ。“誰か”を恨む事がどんなに楽か、身を持って知っている。
その先にある後悔の深さも。
「“運命”とやらに逆らう力が手に入るなら、俺は……」
どんな代償も、安いものに思えた。
それでも、ここを発つ前に一目会いたくて。
―― 会ってしまったら、決心が鈍ってしまいそうで……
心の中に葛藤が生じてしまい、部屋の前で立ち往生していた。
と、そのとき部屋の襖が静かに開いた。
「緋岐くん?」
そこに立っていたのは、紗貴だ。
「悪い……起こしたか?」
寝間着姿の紗貴を何となく直視出来なくて、微妙に視線をずらせば、相手が苦笑を漏らすのが気配で判った。
「行くの?」
「……ああ……」
天の御原にて鍛えられし、最強武具。それは“霞幻刹劫真具”という名を持っていた。かつて霞真と呼ばれていた、雄飛の魂を分けた半身のことであった。雄飛は、自らの魂の欠片と力を用いて霞真を己れの武器とした。
現世で霞真は緋岐の双子の兄として、この世に生を受けた。
―― そう……
双子の兄は死んだのではなく、緋岐の中で在るべき姿に戻る日を待っているという。その本体が封ぜられし場所を“無洞窟”と人は呼ぶ。
だが、どうしても緋岐は紗貴に言い出せなくて。
言葉なく佇む少年に、紗貴は笑みを深めた。
「どこにいくかは聞かない。だって、戦いに行くんでしょう?」
紗貴の言葉に、緋岐は少し驚いたように目を見開く。
漸く緋岐は紗貴を見る事が出来て。
月明かりの中、仄かに浮ぶ紗貴の微笑に思わず目を細めた。
「今の俺じゃ、紗貴も翠琉も守れない」
―― だから……
「俺の半身を取り戻しに行く」
きっと、皆まで告げない緋岐の言葉は、紗貴に真意を届けることは叶わないだろう。だがそれでも、紗貴には緋岐がどこか決意を固めたのだという事は手に取るように判った。それは、きっと頭巾を取った時に決めた“覚悟”なのだろうということも。
―― なら、私は……
「行ってらっしゃい」
―― 送り出すだけだわ
はっきりと、緋岐へと言う。だが、緋岐にはそう言った紗貴が、どこか消えてしまいそうに見えて……気付いた時には、緋岐は腕の中に紗貴をきつく閉じ込めていた。
「死ぬなよ」
緋岐の言葉を、紗貴は苦笑で受け止める。
「誰に、もの言ってるのよ」
言いながら背中に腕を回して応えれば、一層強く抱き締められて、想いの強さに目眩がした。そっと、どちらからともなく身体が離れたかと思うと、今度は吐息が重なり合う。まるで息をすることさえも忘れたかのように深くなっていって。
紗貴は自分の身体すら支えられなくなってその場に座り込めば、緋岐も紗貴の頬に、腰に手を回したまま座り込んだ。そして、再度強く抱き締める。
鼓動が早鐘の様に打つのが、今度は判った。この温もりを失う事が恐ろしくてたまらない。そんな心情を察したように、紗貴は緋岐の背中に回した腕に力を込め返した。
少しだけ、顔が離れる。
「誰の命も奪わせない」
息と息の合間に紗貴が掠れた声で、だがはっきりと緋岐に告げた。
「誰も死なせない。それが、私達の勝利でしょ?」
紗貴の言葉に、緋岐は今一度ほんのり赤く染まった紗貴の顔を見つめる。
「ああ」と頷く事で一杯一杯だった。
照らす赤い月に、嫌な‥‥予感がした。
そんな予感を振り払うように、もう一度だけ紗貴を抱き締めて。
「行って来るよ」
名残を惜しむように啄ばむ様なキスを紗貴に残して、その場から掻き消えたのだった。一人残された紗貴は、座り込んだまま空を見上げる。
「行ってらっしゃい」
仄かに明るむ空が、夜明けを告げようとしていた。
〈力求む・了〉




