泥中の蓮②(回想)
そのあと、どうなったのか……気が付いた時には、島根県にある神羅本家の大屋敷にある寝室に、寝かされていた。
宮崎で過ごした錆びれた屋敷と違い、隅々まで手入れの行き届いた空間は、真新しくて。美しい庭に、従兄弟だという少年にも会った。
『緋岐兄さん、はじめまして……お会いできてうれしいです』
初めて、同年代の男の子言葉を交わしたことが、嬉しくて……だけど、緋岐はずっと眠ったまま。話しかけても応えてくれないことが……この、恵まれた環境を俺だけが享受してしまっている罪悪感が俺自身を苛んだ。
夜な夜な夢見るのは、母さんとあの女の最期。
同時に、沸き起こるのは未だ見ぬ妹への憎悪だった。
本家で、大事に育てられている妹の存在。妹のせいで、自分たちは冷遇されているのだと。
父を奪い
生活を奪い
居場所を奪った、憎むべき存在。
それが、妹であると……
“母”と信じていた女に、優しく、穏やかに、注がれた毒のような言葉が……そして、目の当たりにした、恵まれた温かい環境が憎悪を膨らませていった。
初めて妹と会ったのは、俺の“呪力”改めて測り、審議を行うとされた当日のことだった。
相対した妹は、今にも泣きそうな……こちらに縋るような瞳で、手を伸ばしてきて。
『……助けて……』
小さく零したその声に、深い深い深淵に沈んでいた緋岐の意識が僅かに動いた気がした。けど、俺にはそれを気にする余裕はなくて。
『本家で ぬくぬくと、大切に育てられて来たんだろ?……バケモノのクセに……俺たちから、両親や居場所 を奪ったクセに……返してもらうからな』
そう、恨みつらみをぶつけた。
本気だった。“呪力”があれば……祓師としての素質さえあえば、今まで見向きもしなかった神羅本家が俺を迎え入れてくれる。そうすれば、この恵まれた環境は俺の……俺たちの物になる。今度こそ、幸せになれるんだと、信じて疑わなかった。
だから、許せなかった。
妹が、すっと手を伸ばしてきたと思ったら、手を強く握りしめてきた。そして、そっと呪 を唱えた。
『隠匿せよ』
その呪の効果が判ったのは、呪力を測った時のこと。
確かに、バケモノと化した……妖と化した、“母を騙っていた女”を、俺は祓ったはずなのに、呪力は“無し”の判定を受けたのだ。
『なんだ、やはり元々ないものが、降って沸くわけがなかったか……』
『磐墨の娘が闇落ちしていたのかも、こうなると怪しいものだ』
『あの、黒い翼のバケモノの仕業……ということでよろしいかな?』
『おおかた、あの黒い翼のバケモノがこの役立たずを洗脳でもして、磐墨の娘を殺害させたのでしょうな。その後、逃げ出した……』
『なれば、もう一度探さねばなりますまい』
大人たちが、好き勝手に話を進めていく。
違うのだと、俺が本当に闇を祓ったんだと訴えても、誰にも声は届かなくて。母さんが、悪者にされてしまうのを、ただ黙ってみているしかなくて……
結局、“黒い翼のバケモノにかどわかされた役立たずが磐墨の娘を殺害し、黒い翼のバケモノはその場から逃走した”ということで事は収束を迎えた。
冗談じゃない。誰が、バケモノだって?……誰が、役立たずだッ……
こうなったのは、誰のせいだ?
誰を、恨めばいい?
大人たちは、また話し合いを始めた。
『コレをどうするかですな』
『わずかではありますが、呪力がある可能性があるのならば飼うのがよろしいかと』
『修行の一つもさせれば何か進展するかもしれませんからな』
そこまで黙って聞いていた妹が、スッと手を挙げたのはその時だった。
『私が、今まで以上に頑張ります……だから、この者に神羅の業を背負わせることはやめてください……』
言いながら、畳に額が付くほど頭を下げる。
その時、俺の中で何かが切れた。
結局、その日は俺の扱いは決まらず、解散となった。
『俺は、緋岐兄さんには力があると信じてるよ。いつか、一緒に祓師として隣に立てると嬉しい』
そう、優しく声を掛けてくれたのは、従兄弟の真耶だった。
“いつか”……いつか、祓師になりさえすれば、母さんの汚名を晴らせるだろうか。この、手入れの行き届いた恵まれた環境が、俺のモノになるんだろうか。
なる、はずだったのに……
座敷から出てきた“妹”を見つけた瞬間、俺は詰め寄っていた。
『何だよ……何なんだよ、お前はッ!!!ぬくぬくと大切に育てられてきてッ……そんなに、 その場所を奪われそうで怖かったのかよ!!!嫌だったのかよッ!!!』
びくりと、小さな身体が揺れて、小さな口から薄く零れ落ちた。
『あ、に……さま……』
その声が気に食わなくて。
苛立ちを更に煽って。
『俺を兄だなんて呼ぶな!!俺から全部奪って、一人ぬくぬくと過ごしてきたくせにッ!! 俺から、何もかも奪っておいて、今更なんだよッ!!!お前みたいなバケモノが妹なわけな いだろう!!』
ギリッと捻り上げた右腕に露わになったのは紋様だ。それを見た瞬間、もうダメだった。
咎落ち人が生まれ出ずる刻
星廻りて昏き深淵の果てより
この世の厄災目覚めん
咎落ち人、贄として捧げよ
さすれば厄災鎮まりて
汝ら一時の安息を得るだろう
破魔には絶対遵守の掟がある。それがこれだ……俺が、生まれてすぐに殺されたのも、これがあったからだっていうのに。
『なんで、お前はのうのうと生きてるんだよッ!!!返せよ!!!母さんを、……父さんをッ……俺の居場所を、返せッ……出来ないんなら、も う俺の前に現れるな。俺を兄だなんて呼ぶな!!!迷惑なんだよ!!』
『翠琉!!!』
言うなり割って入って来たのは、真っ白い犬だった。
『やめろ、白銀……すべて、事実だ』
『しかしッ……』
(ほらな、どんなに傷ついても、辛くても、コイツは恵まれた環境にいるから、平気なんだッ……だから、俺たちにその場を奪われるのが嫌で、こんな小細工をッ……)
その時、振り返っていれば何か変わっていたんだろうか?
今ならわかる、きっと……妹は、翠琉は……泣いていたんだろう、と。
それからすぐ、何故か神羅とは一切関わりのない東方守護総代筆頭分家だという瑞智家当主から、俺たちを預かりたいと申し出があったことで、東京に行くことになった。
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