⑦
「……初めて、兄と会ったのは、神羅本家で行われる話し合いの場……その、少し前のことだった」
それは、緋岐も初めて知る事だった。今はもういない、魂の片割れ……ひとつの身体に共存していた、大切な半身。
母を喪ったショック、信じていた養母の裏切りに耐えきれず、緋岐は一時期深層心理の奥深くで眠りについていたことがある。次に目が覚めた時には、既に児童養護施設「陽だまりの家」に預けられた後だった。
何故、児童養護施設に預けられることになったのか……その経由を語らないまま、双子の兄は消えてしまった。だから、もう知ることはないと思っていた、まさかの話しに緋岐は息を呑み込んだ。
―― 否……
深い、深い意識の深淵に沈んでなお、聞こえた呼び声が聞こえた事だけは、緋岐も覚えていた。
『……助けて……』
か細い、小さな声だった。だけど、緋岐達はその手を無視した。
「……何で、あんなことを言ってしまったのか」
苦笑交じりの翠琉の言葉に、緋岐の鼓動が大きく跳ねる。
「助けてと、一度だけ……手を伸ばしてしまった。迷惑だったろうに……」
―― 違う!
そう、否定したくても声が出せない。乾いたように、喉にこびり付いて、音が出なかった。そんな緋岐に気付かない翠琉は言葉を続ける。
「こんなバケモノが妹など、知るはずもないのに……」
『一目見たら、きっと兄だと判るわ』
母の言葉とおり、翠琉は一目見て“兄”だと判った。兄だと判った瞬間、箍が外れたように、言葉がするりと口から出てしまったのだ。
だけど、返って来たのは明確な拒絶。冷たい視線だけだった。
(だって、俺達は……知らなかったんだ。翠琉が、何をさせられているのか……ただ、本家でぬくぬくと、大切に育てられてるって……バケモノのクセに……俺たちから、両親や居場所を奪ったクセにってッ……)
自己中心的な考えに、嫌気がさす。戻れるものなら、当時の自分を殴り飛ばしてやりたいとさえ、緋岐は思っていたが、それも口には出さない……出せるわけがない。きっと、今口を開いたら翠琉は黙ってしまうだろう。心を閉ざしてしまう……そんな予感が、緋岐の胸を過ったのだ。
「……かか様との約束を果たす為……一時的にではあるけれど、兄様の呪力を奪った」
―― そう……
神羅本家は緋岐達を手放す気はさらさらなかった。緋岐の養母が“闇堕ち”していたこと。その成れの果てである“妖”を、息子である少年が祓った可能性に気付いた神羅本家は、翠琉と同様、祓師として飼うことを密かに目論んでいたのだ。
『アレも、祓師として使えるようですね』
『いやあ……緋翠殿も良い置き土産をしてくれたものだ。あのバケモノの子だということを除けば、祓師としての素質は充分兼ね備えている』
大人たちの会話を耳にした瞬間、翠琉は覚悟を決めた。
『お前ッ……何するんだ!!』
敵意を隠そうともせず睨みつけて来る兄に構わず、手を強く握りしめる。そして、そっと呪を唱えた。
『隠匿せよ』
それは、一時的に、呪力を封じてしまう呪術だった。これにより、確かに養母を祓ったはずの少年は、呪力を持っていないとされた。
そして、神羅を名乗ることを禁じられた。力のないものは用済みだと言わんばかりに、追放されることが決まった。
『何だよ……何なんだよ、お前はッ!!!ぬくぬくと大切に育てられてきてッ……そんなに、その場所を奪われそうで怖かったのかよ!!!嫌だったのかよッ!!!』
力があれば、今度こそ正統な場所で認められて、尊厳が守られると期待に胸を膨らませていた少年に突きつけられたのは、「母殺しの罪」そして「一族からの追放」という無常なものだった。
だけど、それが翠琉の出来る精一杯の“兄”を守る方法で。
「憎まれても、いいと思ったんだ……いっそのこと、私のことを憎んで、神羅のことなんて忘れて……普通の生活を送ってさえくれれば……」
『俺を兄だなんて呼ぶな!!俺から全部奪って、一人ぬくぬくと過ごしてきたくせにッ!!俺から、何もかも奪っておいて、今更なんだよッ!!!お前みたいなバケモノが妹なわけないだろう!!』
今での鮮明に思い出せるのは、兄の憎しみに満ちた眼光と、苛立った声。
『返せよ!!!母さんを、……父さんをッ……俺の居場所を、返せッ……出来ないんなら、もう俺の前に現れるな。俺を兄だなんて呼ぶな!!!迷惑なんだよ!!』
それからしばらくして、兄は一族を追われたと聞かされた。
「恨まれて、当然だ……私のせいで、一族を追われたのだから……」
翠琉は苦笑交じりにそう自身を卑下する。
「憎むだなんて、とんでもない」
そして、きっぱりと言い放った。
「何とも、思わないと‥‥?」
その問に、翠琉は少しだけ考え込んで徐に口を開いた。
「否、一つだけ……ただ一つだけ……」
―― 私のことなど、忘れてくれて構わない
「憎んでくれたっていい」
――平穏な日々を送ってほしい……
「望むのは、それだけだ」
その言葉が終わるか終わらないか……緋岐は、呪力隠しである頭巾を脱ぎ捨てて、翠琉を両腕で掻き抱いていた。
「……え?」
突如、力の限り抱き締められた翠琉はただ茫然とするばかりだ。
――この、気は……
いきなり顕となった懐かしい気配に、翠琉は身を硬くする。
「ごめん。弱い兄貴で……ごめん、翠琉ッ……」
―― まさか……
「あ、……あ、に……さま……?」
信じられないといった様に、茫然としたまま問う様に言う翠琉の言葉を肯定するように、抱き締める腕に力を込めた。
「何で、どうしてッ」
「護るから、絶対に。今度こそ、翠琉の手を離さないから……」
翠琉の問いには応えずに、ただ自身の決意を静かに口にする。
「今度目が醒めた時には、覚悟を決めるから。ごめん……今は……」
そう翠琉の耳元で囁くと、呪を唱える。誘われる様に、翠琉は抗い難い睡魔に襲われ、そのまま意識を手放したのだった。




