⑥
翠琉には、神羅に引き取られる6歳より前の記憶が欠落している。
翠琉のはじまりは、“神羅”からの存在否定だった。そして告げられたのは、母と兄の存在。九州は宮崎の地に預けられているのだと知らされた。
『鴻儒 緋翠は稀代の祓師だった。ゆくゆくは、神羅の姓を名乗り、宗主となるべき逸材であったものを、このバケモノが誑かし、堕落し、ついには命を落とした』
そう、教えられた。否定したくても、記憶に何も残っていない状態では、何も言い返すことが出来なくて……そして、連れて行かれた宮崎の地で見せられたものは、翠琉の心を決めるのには充分すぎる光景だった。
地下牢に充満するのは、錆びた鉄のような独特の臭い。鉄格子の先に居たのは……
『かか様ッ!!!』
誰に、何を聞かなくても直ぐに判った。血の成せる業だったのかもしれない。すぐに、その人こそが自身の母だと判った。
一対の漆黒の羽が生えた麗人……その漆黒の羽を幾重もの鎖で雁字搦めに縛り上げられており、一部は杭のようなもので壁に打ち付けられている。
『すい、る……』
温かな声音で名を呼ばれるも、触れることは叶わず。
『ごめんね……傍に、居てあげられなくて……』
言葉が出ない翠琉に、神羅の者は淡々と告げる。
『貴女が神羅の役に立つ存在である以上、このバケモノの命は保証しましょう』
囁かれた言葉に、頷く以外、道などなかった。
『貴方の兄は、役立たずでね……呪力が微塵もない。だが、修行をすれば使い物になるかもしれない……』
『止めてくれ!!兄様は関係ないッ……』
言い募る翠琉に、ニタリと男は笑みを浮かべる。
『それは、貴女の働き次第だ。貴女が使い物にならぬと判断された段階で、兄にもしっかりと祓師としての業を負ってもらうとしましょう』
月に一度、たったの1時間にも満たない母との逢瀬が、翠琉の心の支えだった。
『翠琉は、何をして過ごしたの?』
『何が好きなの?』
些細な事でも構わないから……と、色んな話しをした。翠琉も、母から伝え聞く兄の話しを聞くことが好きだった。
『今日はね、四つ葉のクローバーを持って来てくれたのよ』
『見た目は……そうね、一目見たら、きっと兄だと判るわ』
だが、兄と会うことは叶わなかった。母も、自分が親だと名乗ることを禁じられているのだと話していた。
そして、兄に隠された最大の秘密を知ることになる。
『あのね、貴女の兄は……実は、二人いるの。ひとつの身体を、2つの魂が共有しているのよ』
一人しかいないと思っていた兄が、二人いる。そのことを知った時、翠琉は嬉しかった。
『もう一人の兄の存在は、絶対に神羅には知られてはならないの。翠琉……貴女が、兄たちを守ってあげてね?』
どういうことなのか判らず、首を傾げる翠琉に母は告げる。
『あの子の存在が露見した瞬間……あの子も、きっと業を背負わされる……あの子は、翠琉と同等の……もしかしたら、それ以上の呪力を有しているの』
その言葉を聞いて、翠琉は力強く頷いた。夜な夜な行われる邪狩りは、それこそ世界の暗部だ。普通に暮らしていれば、知ることも触れることもない闇……その闇に、敢えて触れる必要はないと……せめて、兄達だけでも陽の当たる場所で、普通の生活をと、翠琉自身が望んだことだったのだから。
だけど、それは母の想いとは大きく異なって。
『翠琉、ごめんなさいね。貴女にだけ負わせてしまって……』
歯痒くて仕方なかった。3人とも等しく、愛しい我が子であるにも関わらず、娘にだけ大きなものを背負わせてしまって。はらはらと、娘のことを思って泣く母に、翠琉は「大丈夫だ」と応えるだけで精一杯だった。
『かか様、神羅は私が頑張って、業を背負い……多くの闇を祓えば、とと様の汚名を水に流し、かか様を自由にしてくださると約束してくれました。兄様とも、一緒に暮らせるようにしてくださると……だから、それまでは耐えてください。私も、頑張ります』
囚われている母を自由にすること
今は亡き父の汚名をそそぐこと
離れて暮らす兄と共に過ごすこと
それが、翠琉のささやかな望みだった。
だけど、それは叶わぬ夢となり散る。
7月の兄の誕生日に、兄を育てていたらしい女性が死んだ。……否、兄が殺したと聞かされた。
蓋を開けてみれば、兄を育てていた養母が皆が気付かぬ間に“闇憑き”になっており、何かがキッカケとなり“闇堕ち”した。
“闇堕ち”した養母は、居合わせた翠琉の兄を殺そうとしたが、鎖を引きちぎり、母がその身を呈して守った。
そんな母ごと、“闇堕ち”して“妖”となり果てた養母を兄が殺害したのだと、知らされた。
神羅本家にて、兄の処遇をどうするのか話し合いの場が設けられた。そこには、翠琉も呼ばれた。
母を喪ったショックが大きかったが、それよりも何よりも、兄が気がかりだった。何の前触れもなく発現した力。恐らく、自己防衛本能から力が暴発したのだろうということは容易に思い至った。
―― それでも……
この話し合いでは悟られる訳にはいかなかった。どうにかして、兄の力を隠さねば…‥その一心しかなかった。
『兄たちを守ってあげてね?』
―― だけど……
母がいない、もう会うことすら叶わないという事実がどうしようもなく悲しくて、辛くて……今まで、何のために頑張って来たのだ。そんな虚しさに苛まれて……
『家族で暮らせるように…‥』
母を喪った今、その母との約束が……兄たちとの絆が翠琉の唯一のよすがだった。
だから、一度だけ……たった一度だけ、求めてしまった。
※※※※※




