④
「いよいよ、明日か」
「翠琉?こんなところに居たのですか」
「ああ、白銀か?すまない、起こしてしまったか」
「いいえ、私も寝付けなくて」
言うなり白銀は苦笑を漏らして、翠琉の隣に腰を下ろした。正宗が若かりし頃使用していたという隠れ家は、綺麗に整備されており埃一つ落ちてはいない状態だった。
―― そう……
まるでここが必要となる事が予見されていたかのように……
「不思議な御仁だな」
翠琉が呟くように言うのに、白銀は「はい」と一つ頷いた。少し屋敷から離れた、小高い丘に一陣の風が吹き抜ける。その沈黙は心地良くて……お互い口を開かずに風の戯れる歌に耳を傾けていた。その静寂を破ったのは白銀だった。
「翠琉、すみません……力を使いました」
その白銀の告白に「そうか」とさして驚きもせずに翠琉は応えた。そして、自らの身体を抱え込むように小さく丸まって、再度口を開いた。
「そうか、すまない。私が無力なばかりに……お前に無理を強いて」
「そんなことありません!」
間髪居れずに、白銀は翠琉の言葉を否定する。それは、翠琉も予想していなかった激しさを秘めていて。白銀自身も、自分の声に驚いて一瞬だけ言葉に詰まった。
「そんなこと、ありません……」
搾り出すような白銀の声に、翠琉は身体を伸ばして手探りで白銀の頬に触れる。翠琉のひんやりとした白く細い手を、愛おしそうにそっと上から握り締めた。
「白銀、泣いているのか?」
翠琉のか細い声に、白銀は握る手に力を込めた。
「私は、何れあなたを傷付けてしまう。それが私は何より辛いのです」
そんな打ちひしがれた様子の白銀に、翠琉は寂しげに微笑む。
「すまない。私に力がないばっかりに……」
「翠琉、あなたは何も悪くない!」
言い募ろうとする白銀を、翠琉は静かに制した。
「白銀、私はな……今でも思うんだ。もしかしたら、あの時もっと他の方法があったんじゃないかって」
―― そう、真耶が死なずに済む方法が ――
「私が、あんなところに行きさえしなかったらと……」
あれは、美しく紅葉の舞う夜だった。
※※※※※※
その日は、代替わりの日だった。神羅一族は、昔から男児 ―― 跡継ぎが数えで十五を迎える年に、元服の儀を執り行う。気が遠くなるような古より続く因習だ。元服の儀の際、同時に当主の座も譲られる。
媛巫女 ―― 後々当主の伴侶となる事を決められた、許婚に相当する者と共に舞を披露したその後、現当主及び媛巫女よりより称号を賜るというのが、この儀式のおおまかな全容だ。
当主たる者の象徴は数珠。
媛巫女の証は宝玉を頂に飾られた錫杖。
神羅 真耶と神羅 翠琉がそれぞれ受け継ぐ。その筈だった。だがしかし、その儀式の最中に前代未聞の事態が起こった。
『今、何と言った』
『媛巫女を、辞退させて頂きとうございます』
神羅一族に名を連ねる分家、子家が集まったその場で、翠琉は恭しく……だが、はっきりと頭を下げて自身の意を伝えたのだ。媛巫女の座を譲る相手として翠琉が指名したのは、自身の庇護師を務める周だった。騒然となったその場は、翠琉が一旦媛巫女の業を継承する形で収束を向かえた。
永い間絶える事無く続いて来た儀式を執り行えなかったなど、そのような汚点を後世に残すわけにはいかない。よって、翠琉が一度継承し、後日改めて媛巫女の選出を行う事が決まったのだ。
だが、儀式は行いこそすれ、媛巫女に継承される破魔武具との契約の儀だけは、翠琉は頑なに行わなかった。その夜、翠琉は一人で裏山に出向いていた。何となく、屋敷には居辛かったのだ。
「まあ、自分で撒いた種だしな」
半ば諦めた様に笑って空を仰ぎ見れば、不気味に赤く光る月がそこにはあった。
「翠琉」
名を呼ばれて振り返れば、そこには何時もの笑顔を穿き捨てた少年が居た。
「真耶、どうしたんだ?」
「それは、俺の台詞だよ!」
責めるような少年の口調に翠琉は微動だせずに、ただ静かに微笑んだ。
「俺と、一緒になるのがいやなのか?」
その声は震えている。
「違う」
緩く首を横に振りながらそうはっきりと応える翠琉の細い両肩を掴んで、真耶は悲痛な面持ちで翠琉を責め立てる。
「なら、何で!?」
「私は、そんな地位で縛られずとも、真耶の傍にいる。……真耶と、この神羅に忠誠を誓った。それが私の義務で、贖罪であることは判り切っていることだからな……それに、私が神羅にいる限り、“鴻儒緋岐に破魔の業は押し付けない”と誓ってくれた。それだけで充分だ。だから私には不相応な位は、必要ない」
それは暗にずっと一族の陰で生きる事を決意した言葉だった。そこには、揺ぎ無い意思が垣間見えて、真耶は何も言えなくなった。向かい合ったまま、視線を互いに逸らさないまま時間だけが過ぎて行く。それは、永遠に続くとも思われた。
―― だが……
ミ ツ ケ タ
先とは違う、厭な風が一陣吹き抜ける。真耶と翠琉はほぼ同時に“それ”へと振り返った。
「誰だ!?」
声が重なる。その誰何の声に、黒い影がニヤリと不気味に笑う。
「我が名は梵天 ――」
一瞬だった。
「危ない!」
それは、本当に咄嗟の判断だったに違いない。真耶は翠琉を両腕で突き飛ばす。
「真耶っ!?」
煙の様にとぐろを巻きながら襲い来る黒い影。真耶は梵天と名乗る“それ”からその身を挺して翠琉を護ったのだった。黒い不吉な影が吸い込まれるように真耶の背中に消えていくのを、翠琉は突き飛ばされたままの状態で見ているしかなかった。
「ま、や……?……っ真耶!!」
そんな必死な呼び掛けに“彼”はフッと笑むと、翠琉に攻撃を仕掛けてくる。それを紙一重で交わしながら、咄嗟に受身を取った。
その先にあるのは、封印の施された大きな岩。その中腹には錆びれた刀が一振り突き刺さっている。その刀の名は“神剣崇月”と呼ばれる代物だと、昔から話して聞かされていたものだった。
―― 曰く……
西は神剣崇月を
東は神剣天定を
それぞれ守護することこそ、使命也。
そう言い伝えられてきている剣だ。だが、翠琉は躊躇わず渾身の力を込めて引き抜く。神剣と呼ばれるものならば……封印を施されるほどの代物ならば、目の前の“何か”に敵うはずだと本能で悟っての行動だった。
封印を破って神剣を手にした業がひとつ増えたところで、今更痛くもかゆくもない……そんな思いもあって、躊躇う理由が翠琉にはなかったのだ。
「フフ……やはり、身体があるというのは良き事じゃ」
真耶のカタチをした“それ”が、歓喜に打ち震えている。それは、真耶がどうなったかを如実に物語っており‥‥翠琉は全てを理解し、怒りを顕ににする。
「貴様ああぁぁぁ!!」
絶叫にも似た叫び声と共に、溢れる“破の呪”を刀に込めて“それ”に切りかかる。
―― おかしい!?
手の中の違和感に気付いたのは、既に己の身体が宙に舞った後。
「な、……なん、で……」
容赦なく殴られたあばらが、翠琉に異常を訴える。だが、ここで倒れる訳にはいかないとばかりに翠琉は両足に力を込めて立ち上がる。そして、手の中の刀を責めるように見遣った。
「何で、変化しないッ」
声を絞り出すも、返事があるわけも無い。そう“破の呪”が使えないのだ。刀に力を込めるも変化は見られず、ただの錆びれた鈍ら刀のままなのだ。
それならば ―― と、刀を打ち捨てて呪を詠唱して直接攻撃を仕掛けるが、軽くあしらわれてしまう。力の差は歴然としていた。それでも、諦めるわけにはいかない。ここで倒れる訳にはいかない。気力のみで立ち向かうも、限界は直ぐに訪れた。
―― ドサッ
立つ事もままならずに草むらへと倒れ込む。足に力を入れようとしても、動かない。腕に力を入れようにも、腹部から流れる血が容赦なく翠琉の体力を奪っていく。それでも尚、敵から視線を逸らしはしない。近付いてくる“それ”を射るような鋭さで睨み付ける。そんな翠琉の姿に、ニヤリと口元を吊り上げた。
「見上げた根性だ。今、楽にしてやろう」
死神は、翠琉の命を奪わんと大きくその手を振り上げる。
―― ここまでか……
そう翠琉が確信した瞬間 ――
「うっ……うわあああぁぁぁあああぁあぁああ!!!!!」
悶絶するように自身の頭を抱え込み“それ”が絶叫した。叫び声が翠琉の耳を劈く様に闇夜に響き渡る。自身の身体を引きずる様に、上体だけ何とか起こす。そして用心深く目を凝らして“それ”を見た。肩を上下に揺らしながら、苦しそうな面持ちで荒い息を付く。そこに居たのは、“何か”を必死に押さえ込み、優しい笑みを浮かべた真耶その人だった。
「大丈、夫か……?」
荒い息の合間に、翠琉に問う。錘が付いたように重い身体を何とか動かして、翠琉の傍まで寄ると、傍らに無造作に放られた鈍ら刀を手に取った。
「真耶?……ッ……真耶なんだな?」
探るように自分を見詰めて来る翠琉に、真耶は安心させる様に一つ頷く。
「すまないッ……すまない真耶。私のせいでッ」
溢れる涙のままに、翠琉は堪え切れずに真耶へと抱き付いた。漏れる嗚咽を聞きながら、真耶はその両肩を優しく離す。
「翠琉のせいじゃないよ。俺が……弱かったんだ」
「ごめん」と言いながら、翠琉の涙を拭う。そして、苦しそうに ―― だがしっかりとした口調で続ける。
「俺が自我を保ってるうちに……翠琉、契約を……」
そう言いながら、先ほど手にした鈍ら刀を翠琉の目の前に差し出した。
「駄目だ。私には扱えなかった」
そう、もしも話に伝え聞く“神剣崇月”ならばと淡い期待を抱いて引き抜いたのだが、それはただの鈍ら刀だ。それは今も変わりは無い。
「これは、レプリカだ」
そんな翠琉の言葉を、真耶は真っ向から否定した。
「いいや、翠琉……これが神剣だよ。間違いない」
「何で、真耶がそんな事を?」
「俺の中のコイツが、欲しがっている……そして、畏れている」
―― そう……
自身の力を欲し
自身を滅ぼす力に畏れている
「翠琉、祖父様に聞いた話。覚えているか?」
それは遠い昔、二人の祖父が他愛のない世間話の様に言って聞かせたものだ。
―― 神剣は使い手を選ぶ。真の使い手はたった一つの魂。その者以外が手にしたところで、鈍ら刀よりも役に立たない。
「でも一つだけ……」
そう、たった一つだけ神剣を手にする方法。それが“交換依存”と呼ばれる特殊な契約方法。半端な覚悟で行えば、精神は脆く崩れ去り刀に喰われてしまう、危険を伴う方法だ。
―― だがしかし……
「翠琉なら、絶対に出来る」
確信を持って、真耶はきっぱりと言い切った。
「翠琉だから、出来る。俺は、そう信じて……っ……」
“信じている”
この言葉は音にはならなかった。裡で暴れる力の奔流に、真耶自身の限界が近付いていた。
「翠琉っ……頼む。早くっ……」
「いやだっ……私が真耶を殺すなんて、出来るわけがないっ」
首を左右に振り必死に否定する。頬に涙が取り止め無く伝う。
「翠琉!! ―― これは、お前にしか出来ない……頼めないんだっ!早くっ……」
避ける事が出来ない現実
―― 私がやらねばっ!!
頭で理解していても、身体が震えて動かない。
「翠琉っ!!」
「……っ……ぁ……」
真耶の呼ぶ声に突き動かされるように、翠琉は震える手で刀をしっかりと握り締めた。
「封 ――……解……」
殆ど翠琉の意識はないに等しかった。何故“交換依存”が成功したのか……刀に自身の意識を喰われずに済んだのか、皆無に等しい。
―― ザシュッ……
肉を貫く嫌な感触が、翠琉の手に刀を通して伝わった。それは骨を避けて貫通していた。血の海が広がる。その中に一人佇む翠琉。見つめるのは虚空。光の失われた漆黒の瞳からは、とりどめなく涙が流れ落ちる。
紅葉が月の下で美しく舞う。
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